生き残った竜
「この島はかつて世界でも珍しい竜の一大繁殖地だったらしく、世の中から竜がいなくなりつつあったにも関わらず、産卵のシーズンになると島中が竜で埋め尽くされたという記録もあるんだ」
「この島が竜でいっぱいに?」
ミキには竜の大きさが想像できないが、小さい竜しかいなくなったと言っていたから、大きくても馬くらいなのだろうか、それが島を埋め尽くす光景は、さぞかし圧巻だろう。
「ああ、すごかっただろうね。けれど半世紀前に、この島が発見されてからすぐ、ある組織がなかば強引に島を独占し、竜の狩猟とその肉や皮の輸出を始めた。実はこの建物もその当時の名残なんだ。最初はものすごく儲けたらしいけど、産卵に来た無防備な竜をことごとく狩ってしまったせいで、島にやってくる竜の数は急激に減ってしまったんだ。親も卵も取ってしまうんだから当然だろう。結局、その組織の儲けはすべて違法だったことがわかったんだけど、ときすでに遅く、国の捜査が入ったときには島はもぬけの殻、今も全員行方知れずという、なんともひどい話だ。何千、何万という貴重な竜の命が、たった数人の主犯格の人間の儲けとなって消えてしまい、残ったのはうず高く積み上げられた骨だけだった。けれど、捜査が入ったときにちょうど1頭の竜が産卵に来ていて、この生き残りが唯一の救いだった。今もその1頭だけはなぜか毎年この島に産卵にやってきていて、この1頭が産む卵から少しずつ子供を増やそうといろんな取り組みが行われている。そしてその産卵が無事に行われるのを見届けるのがおれたちの使命なんだ。まだ産卵は一度もうまくいっていないんだけど…。
「多くの竜は新月や満月の夜に卵を産むことがわかっていて、この島でもだいたい同じで、おれたちの予想だと、もうすぐやってくる。これまでのデータからいうと、どうやら、1年のうちで太陽が最も高く上がる日から数えて2回目の満月の夜にやってくる傾向があるみたいなんだ」
「え、ちょっと待って。太陽が一番高く上がる日って夏至のこと? それって、灯台祭り、じゃなくて、竜ヶ埼祭りの日じゃなかったっけ…」
夏を告げるお祭りというわりには、毎年日にちが違うし、真夏だったりするし、なんだかへんだとは思っていたけれど、ひょっとして、この竜のことと関係があるとか……まさかね。
「お祭り? 竜を
「いえ、何でもないの。でもこんなに天気が悪いと、満月かどうかなんてわからないんじゃないの?」
「満月というより、月の引力といったほうが正しいかな。新月は真っ暗でそもそも見えないだろ?」
「それはそうだけど…。月の引力なんてわかるの?」
「彼らは人間なんてよりよっぽどデリケートに生きてるよ。産卵に来るのはとても重要なイベントで、竜もかなり神経質になってる。他の野生動物と一緒で、もともと警戒心が強いうえに、さらに敏感になってるから、人間や動物、それに別の種類の竜がいることをすごく嫌うんだ。そういう理由で、こんな嵐で暗い夜が最適なんだと思う」
「だったら人間がいるこの建物には近寄ってこないんでしょ?」
ミキはこれから朝までの間に、大ケガをするかもしれないという言葉を思い出していた。
「そう、それなんだけど。最近はなぜなんだか…」
サトルは両膝に手をついて立ち上がり、窓際に向かった。
「本来の産卵場所でない、この建物の近くに飛んでくるようになったんだ。人間がいるのは知ってるんだろうけど、ひょっとしたら、おれたちが危害を加えないのをわかって、この建物の近くなら安全だと判断したのかもしれない。……というのは、おれたちに都合のいいかなり勝手な解釈で、ほんとうは、竜が病気にかかっていたりして、脳や感覚器官に何らかの異常が生じているとか、また、おれたちにはわからないけど、島の環境がよっぽど悪くなっているとか、そういう可能性のほうが高いと思う。
「いずれにしても、この建物の近くに来るのは事実で、しかもさっき言った生き残りの竜だから、けっこう長生きをしていて、体がとても大きい。今生きている竜の中で一番大きいかもしれない。前回はこの建物の外にある物置小屋が破壊されてしまったんだ。2階から監視していたんだけど、尻尾のひとふりだけで粉々になってしまって、肝が冷えるとはこういうことかと恐ろしくなったね。幸い被害はそれだけで済んだんだけど、これまで一番安全だった建物が、今では一番危険な場所になってしまった。早く場所を移したいんだけど、ここより安全な所を探すのも難しくて、また予算もないから、なかなか話が進んでいないんだ」
「そんな…」
ミキの絶句とともに会話は途切れた。ただの雑音となってふたりの意識の下にもぐり込んでいた風と雨の音の中から、コチ、コチ、と時を刻む音が突如現れ、存在感をいや増し、部屋を支配していった。
コチ、コチ、コチ、コチ…
「ところで、ずっと気になっていたんだけど…」
沈黙を破ったのはサトルだった。
「何?」
「その胸のペンダントは光っているように見えるけど、気のせいかな」
「ううん。気のせいじゃなくて、ほんとうに光ってるの。ほら」
ミキはネックレスを外し、テーブルの上に静かに置いた。緑色の石は淡い輝きを放ち、テーブルに光を落としている。
「おばあちゃんにもらったんだけど、どういうものなのかはよく知らない。でもとても大切なものらしいから、いつも身につけてるの」
「ふーん。ちょっと見てもいいかい?」
「ええ」
ミキがペンダントを渡そうとすると、突然、光が強くなった。
部屋全体を照らすオレンジ色の光に淡い緑色が混じり、それに呼応するかのように、
「…………オオォーン……」
遠雷の音にまぎれ、遠くからかすかに何か聞こえてきたような気がした。今まで聞いたことのない音。いや、やっぱりただの空耳? …そうではなさそうだ。サトルの様子が明らかにおかしい。表情は固まり、緑の光に照らされているせいか、血の気を失ったようにも見えた。
「今の聞こえたか?」
「ええ…」
「聞き間違いじゃないな。まずいな…。やっぱり来てしまったか」
「来たって何が?」
サトルは驚いたようにミキの顔をまじまじと見つめた。
「今言ったばかりじゃないか。竜だよ、竜。まだ信じられないのかい?」
「………」
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