足りない本は
ココアを飲んで体が温まると、先ほどの気まずい雰囲気はひとまず薄れていき、ふたりの心にますます余裕が出てきた。
ミキはすっかり元気になり、いつもの調子を取り戻してきた。この状況を受け入れられるわけはないが、ジタバタしても仕方がないと妙に肝が座った。あらためてあたりを見回してみると、棚に並べられた本の中に見覚えのあるものが目に入った。背表紙が、喫茶店にあったものとよく似ている。
「そこにある本を見てもいい?」
「もちろん」
ミキは椅子から立ち上がり壁際の棚に近づいた。もう足取りはしっかりとしている。1冊を手に取り、左手で支えながら厚い表紙を開き、ページをぺらぺらとめくっていく。ほとんどが文字ばかりで、しかもその文字も見たことのないもので、何が書かれているのかはさっぱりわからなかった。さらにぱらぱらと送っていくと、竜の絵が描かれたページがあった。画面いっぱいに描かれた竜と、甲冑を身にまとい、それに対峙する小さな人。喫茶店で見たあの線画だった。さっき見たばかりだから間違いない。しかしこちらの本のほうが細かいところまでくっきりとよく見え、甲冑の騎士は長い髪をたなびかせた女性のようだった。
「やっぱりあの本だ」
「この本を知ってるのかい?」
「うん。竜の何とかでしょ?」
「そう『竜と生きる人々』。読んだのかい?」
「いいえ、ちょっと見たことがあるだけ」
答えながら棚の本を数えてみる。1、2、3、4、5冊ある。
「5冊? あと1冊は…?」
確か6冊あったはずだ。思わず心で思ったことを口に出していた。
「あと1冊? これで全部だよ。ずっと前に出た本で、もう完結してるから続きがあるなんて聞いてないけどな」
サトルは立ち上がりミキの隣に並んだ。
「確かに6冊あったはずなんだけど、見間違えかな…。これってどんな内容の本なの?」
「そうだな…」
サトルは頭に叩き込んだ内容を思い浮かべながら説明を始めた。
「まず、1巻はいろいろな種類の竜の紹介で、空を飛んだり、地を這ったり、海の中を泳いだり、大きさ、色、形もさまざまな竜がいるけど、絶滅したものも含めて、これまでに発見されたほとんどのものが絵と一緒に紹介されてる。ほら、この本は絵ばっかりだろ?」
「ほんとだ。これなら見てるだけでも楽しそう」
「そして2巻は生き物としての竜の紹介。体の作りはどうなっていて、視力はどれくらいで、歯は何本生え、何を食べ、どうやって大きくなり、どんな能力があるのか、なんかが紹介されてる。
「次の3巻は生態。どこにすんで、どんなエサを食べて、どうやって子供を増やし、どんな一生を送るのか。普段の竜の暮らしといえばいいかな、そんなことが書いてある。
「そして4巻。これにはヒトがどのように竜を利用してきたのかが書かれていて、狩りの仕方から仕留めた竜の肉や牙や皮の利用方法などが書いてある。変わったものとしては、竜を見に行く観光ツアーなんていうのもあったそうだ。命がけでそんなことをするなんて馬鹿げてるとしか思えないけどね。
「で、最後の5巻は、君が持ってるやつだけど、勇者といわれる人たちが竜と戦ってきた冒険の記録が書かれている。これまでの英雄譚がいくつも載っていて、絵はほとんどないんだけど、それぞれの冒険はどんな物語よりもおもしろくて、この巻がみんなに一番人気がある。これで全5冊」
「そういう本だったんだ。誰が書いた物語なの?」
「物語じゃないよ。全部実話だよ。竜の図鑑っていってもいいかな」
「えっ?」
「そっか、君の国ではもうずいぶん前から竜はいなくなってるんだな…。それじゃ、本物の竜は見たことないの?」
「まさか。そんなの見たことあるわけないじゃない」
この人何を言ってるんだろう、竜を見た事があるとかないとか、本気で言ってるんじゃないよね…。
「最近は見たことがある人の方が少ないから当然か。ところで、もう1冊っていうのはどんな話なんだい?」
「う、うーん…。よく憶えてないけど、『守る』って書いてあるのもあったような気がする。何で守るんだろうって思った気がしたから」
「守る? 守るか…。たしかに今はそういう状況だけど、やっぱりそんな本の話なんて聞いたことはないなぁ」
サトルは考えながら何を見るでもなく視線を漂わせていたが、視界に入った窓の外の様子にひっかかるものを感じた。
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