第36話 宣戦布告

 リベアルは、ハルメリオに視線を向ける。彼は驚愕した顔の後、ゆっくりと表情を緩めた。呆れたフリをするような微笑みは、彼女の登場に然程衝撃を受けていないことを物語る。


「メリー。迎えに行くから調律室で待機していろと指示しなかったか?」

「生活補助型のアンドロイドとして、主人にお手間をお掛けするのは避けるべきと判断致しました」

「お前は本当に俺の言うことを聞かないな。相変わらずで何よりだ」


 微かに笑い声を零し、ハルメリオが呟く。大破したアンドロイドが同じ個体として復活することはあり得ない。メモリーのコピーは禁止されており、どんなアンドロイドにも、例外は無い。

 何故このアンドロイドが『メリー』として復活しているのか。リベアルは口をぱくぱくと動かした後、慌ててハルメリオに声を投げかけた。


「ハルメリオ様、これは……彼女は壊れたと、皆が」

「ああ……その話が何処から来たのか、俺も不思議でならない。見ての通り、メリーは無事だ」


 ハルメリオはそう言って苦笑する。メリーの話になった時、その表情が強張ったのは、リベアルの話が全く見当違いだったから、とでも言いたいのだろうか。

 絶句したリベアルの前で、メリーが不思議そうに小首を傾げた。彼女は何を思ったのか、次の瞬間、その場でゆっくりと一回転をして見せる。滑らかな動作の何処にも不自然さはない。

 ハルメリオはそれを確認して、「不調はなさそうだな」と安堵したように呟いた。

――メリーが事件後から今までハルメリオの側にいなかったのは、メモリーの確認と調律を行われていたからだ、と、二人は語った。

 いつの間にか妙な噂が流れたものだな、と鼻で笑うハルメリオを見て、リベアルは思考処理を行うアンドロイドのように瞬きを繰り返す。

 ハルメリオの午後の仕事は、調律の終わったメリーを受け取ること。その後で、レイと共に上層部へと彼女の扱いについて掛け合うのだという。このまま話が進めば、シスルの凶器として扱われたメリーは処分されるか、永久に証拠品として保管されるかのどちらかだろうから、と。


「メリーには、重要な証拠を収めたという功績と、自分の感情でプログラムを抑え込み、犠牲者を出さなかったという実績がある。唯一被害者と呼べる兄上が進言すれば、メリーは処分されなくて済むはずだ」

「……ハルメリオ様がそんなにアンドロイドに執着するなんて、本当に、お変わりになったのね」

「まあな」


 呆然としたリベアルの呟きを、ハルメリオはあっさりと肯定する。つい最近まで何よりアンドロイドを憎んでいたはずの彼は、アンドロイドに穏やかな視線を向けて、珍しく上機嫌そうに口角を上げる。いつもの皮肉めいた笑顔とは程遠い、心からの笑顔であった。


「メリーはあのシスルが残した特異的なアンドロイドだ。嫌な言い方だが、性質上、扱いを間違えなければ彼女は最高の戦力になる。学びさえすればなんでもできる、というのは、シスルがいなくなった今の部隊において、重宝される能力だろうしな」

「私はハルメリオ様が望むのなら、なんでもしてみせます」

「そうか。まずは皿を真っ二つにしない皿洗いを覚えてくれ」

「承知いたしました」


 和やかな会話を聞いて、リベアルは静かに俯いた。ハルメリオがここ最近上の空だった理由は、てっきり彼女が壊れたことによる喪失感だと思っていたのだが――彼女が修復するまでの時間を、持て余していたということなのだろう。

 まだ数口分残っている紅茶に、リベアルの顔が映り込んでいる。気難しい顔をしたその人物は、明らかに不満そうな顔をしていた。

 つまり、ハルメリオはここ最近、ずっとメリーのことを考えていたということだ。

 一体何がそんなにメリーを気に入る要因なのかは知らないが、それは、リベアルにとって、とても、非常に、この上なく、不愉快な話である。


「という訳だ。俺達は仕事に向かうが、リベアル殿は折角の休日を引き続き満喫してくれ。代金はここに纏めて置いておくから」

「いいえ、要りません」

「……何?」

「本日の代金は結構。自分で払いますから」

「しかし、借りを返したければここの喫茶店を奢れと言いだしたのは」

「私ですけれど! 今日はいいです!」


 両手で机を叩くと、ぺちんという弱弱しい音が響く。大して迫力のない音だったが、本人の気迫だけは十分だ。珍しく気圧されたハルメリオは黙り込み、メリーは小首を傾げたままである。リベアルは残った紅茶を、はしたないと自覚しつつ、一気に飲み干した。令嬢にあるまじき品のない行為だったが、構わない。陶器が割れない程度の力で空になったカップをソーサーに叩き付ける。それから、リベアルは鋭い目付きで二人のことを睨み付けた。


「こんなことで借りが返せると思わないでくださる? 気が変わりました! 今度、ハルメリオ様には私と一緒に超高級料理店に行ってもらいます! そして、そこの奢りで借りを返すの。今度こそ、私を満足させて借りを返していただけるかしら?」


 構いませんね、と、リベアルは有無を言わせぬまま腕を組む。硬直したままのハルメリオが曖昧に頷くのを見て、リベアルはふんと顔を背けた。

 何から何まで気に食わない。ハルメリオを変えたのがメリーであることも、自分といるときに他の女について考えるハルメリオも。減らず口も生意気な態度もそれに伴う相応の実力も。

 気に食わないし、腹立たしいし、神経は逆なでされる。そしてそれが、何よりもリベアルの闘争心を煽るのだ。


「絶対に、他の女のことなんて考えられないようにして差し上げますわ!」


 堂々とした宣戦布告の後、リベアルはヒールをツカツカと鳴らしてカフェテラスを後にした。心臓は未だ高鳴っている。次のデートの誘いを、あんなに堂々としてしまった。これは実質恋人同士なのではないかしら、などと言う浮かれた思考を巡らせながら、リベアルは口角を上げる。

 ハルメリオ・ブライトネス。必ず手に入れて見せる。

リベアルは、立ちはだかる壁が高ければ高いほど、燃える質だった。

カウンターに会計金額を叩きつけ、リベアルは喫茶店から素早く立ち去った。カフェテラスに残されたままのハルメリオとメリーは、沈黙の後、互いに目を見合わせる。


「突然どうしたんだ、リベアル殿は」

「情緒が不安定な方なのかと」

「その節はあるな」

「もしくは、ハルメリオ様が何か失礼なことをなさったのでは? あの顔色から察するに、リベアル様は非常に怒ってらっしゃいました」

「普段から失礼なことしかしていないんだ。今更どれに激昂したのか分からん」


 真剣な顔で話し合う二人が、リベアルの真意に気付くことはない。

 残された二人に、周囲の客からの好奇的な眼差しが降り注ぐ。修羅場だ、という誰かの独り言は、都合よくハルメリオやメリーの耳には聞こえず、空気に混じって消えていった。


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