6章

第35話 リベアルの誘い

「もう! ちゃんと聞いていらっしゃるのですか、ハルメリオ様!」


 憤慨したリベアルの声が、街中に響く。ウォルライン屈指の喫茶店のカフェテラスにて、穏やかな陽射しとは裏腹に、リベアルの心中は穏やかではない。

 何故自分がこんな思いをしなければならないのか。そう考えると、余計に腹が立つ。突然声を荒げたリベアルに、木製のフェンス越しに通行人が視線を投げかける。鬱陶しいことこの上ない好奇的な眼差しも、今のリベアルには細やかな問題だった。

 彼女にとって、現在の問題は、目の前の男――ハルメリオ・ブライトネスの態度に他ならない。何処までも神経を逆なでするその男は、リベアルの大声に、僅かに顔を顰めてみせた。


「何だ、急に。あまり声を荒げるな、注目されるだろう」

「ハルメリオ様が全然私の話をお聞きになっていないからでしょう?」

「それはすまなかった。突然リベアル殿の将来の願望を聞かされるとは思ってなかったんでな。屋根の色が何だって?」

「最低限欲しい庭の広さとペットの数と育て方の話をしていましたのよ。誰も屋根の話なんてしていませんわ!」

「どちらにせよ、俺が聞く必要が皆無で驚いている。俺は別に大工でもペット育成係でもないんだが」


 明らかに面倒くさそうな顔をして、ハルメリオはコーヒーカップを持ち上げる。それが運ばれてきたのは随分前なので、今頃はすっかり温くなっている頃合いだろう。リベアルは二杯目の紅茶を飲み始めた頃だというのに、ハルメリオはまだコーヒーを半分も飲んでいない。折角二人で喫茶店に来たのに、これでは温度差がありすぎる。リベアルは、それが大層不満だった。


「……どうしてこの男はこう……いい加減、自分に気があると理解してもいいでしょうに」

「何か言ったか?」

「なんでも! ありません!」

「笑ったり怒ったり、リベアル殿は大変ご多忙でいらっしゃるな」


 ハルメリオのじとりとした視線に、リベアルは目尻を釣り上げる。腕を組んで不満を訴えても、ハルメリオは特に気にする様子もない。

 これが他の男であれば、リベアルの不機嫌とその原因を悟って、甘い言葉の一つや二つを吐く頃だ。この男がそんな性格をしていないことはとっくの昔に知っているけれど、それはそれとして、苛立たしい。そんな思考に苛まれ、リベアルは分かりやすく不機嫌を表に出した。そして、素っ気ない声をハルメリオに投げかける。


「そんな口を利いていいのかしら。貴方は私に借りがあると思うのだけど?」

「その借りを返すのに、ここを奢るだけで良いと許可したのは誰だったか。覚えていないか、リベアル殿」

「私だけれど? 奢りついでにお話くらい普通ですわ。ハルメリオ様はそんなこともご存知ないの?」

「適切な会話というものがあると思うんだがな。三時間も将来の家の話をされたら相手が退屈するという発想はないのか」

「つべこべ言わずにお聞きになってくださる? 貴方は今、『二人の秘密をレイ様に喋った借り』と『ハルメリオアンドロイドを大破した借り』の両方を返しているんですからね」


 そう言えば、ハルメリオは不本意そうな顔をしながらも黙り込む。リベアルは高圧的にフンと鼻を鳴らして、温かい紅茶を一口嚥下した。

 例のアンドロイドに纏わる事件は、シスルの捕縛により幕を閉じた。シスルがあっさりと自供したため、ラトは晴れて無罪放免。同時に、リベアルは無実の隊員を制止を振り切ってまで拘束していたという事実が浮き彫りになった。それについて、一時期リベアル近辺で細やかな嫌味が飛び交ったが、ハルメリオはそれを「お前らは何かしたのか?」という一言で一蹴した。リベアルは、彼のそういう不敵な態度にますます惚れこむこととなり、周囲の嫌味はすぐに止んだ。


「何もこんなときでなくてもいいだろうに。兄上が働いているときに俺だけ寛いでいるのは落ち着かないんだが」


 ハルメリオは、何処か不満そうに呟いた。あんな大仕事を成し遂げても尚、彼は「やり遂げた」という満足感に浸ることは無いらしい。向上心の塊、或いは、仕事馬鹿。それしかやることが無いのかと、リベアルは肩を竦める。

現在取締部隊の上層部はシスルの処遇について相談している。レイは目覚めて早々それらの処理や事件の後始末などでウォルライン各地を駆け巡っており、相変わらず多忙な毎日に追われていた。無論、その片腕であるハルメリオも決して暇ではない。それを知っていて、敢えてリベアルが休暇をとらせたのだ。といっても、午前だけの一時休暇だが。

 そうでもしなければ、ハルメリオは多忙で倒れてしまうし――何より、『借りを返させる』という口実を使ってデートがしたかった。これは、周囲に言わせてみれば『こんなときにくだらない案件』と言われても仕方のないことだったが、リベアルにとっては何よりも重要なことである。

 時間が経てば経つほど、この口実は言いだしにくくなってしまう。二人きりで休日に出掛けるなど、今までには決してないことだった。口実がなければ、今後も誘うことはできない。

 言い訳に言い訳を重ねて漸く確保できた二人の時間。それは、リベアルにとっては夢のような時間だったが――ハルメリオは何処か上の空で街の通行人を見つめている。リベアルそっちのけで誰かを探すようなその態度が、先ほどからリベアルの神経を逆なでしていた。


「ハルメリオ様、先ほどから何を見ていらっしゃるのかしら」

「通行人だが」

「人の話を聞くときは人の目を見なければならないと教わりませんでしたか?」

「それはすまなかったな。リベアル殿が俺の反応を無視して家の造形まで話し始めるから、近くに大工でもいて、そちらに話しかけているのかとばかり」

「本当に口の減らない殿方ですわね」

「今回に関しては減る口が無いんだが? 話す隙が無いんでな」


 リベアルの言葉に、ハルメリオは詰まることなく返答する。以前と変わらぬ態度に安堵すればいいのか、ちっとも縮まらない距離感に悶絶すれば良いのか分からない。心地が良いのは確かだが、恋する乙女としては聊か不満が残る態度であった。

 事件後から、ハルメリオは何をするにしても何処かぼんやりしているように見える。仕事や日常生活には決して支障が出ないが、些細なところに微妙な変化が出ていた。

 例えば、どんなに捻くれた皮肉を言おうとも、ハルメリオは相手の目を真っ直ぐに見て会話をするのは常である。こんな風に三時間以上も余所見をしながら話を聞き流すのは、かつてないことであった。

 何が彼をそんな風にするのだろう。急激に忙しくなったこと、親友のシスルが犯人であったこと、様々な要因は上げられる。

 その中で、認めたくはないけれど、一番有力な説を上げるならば。


「……あのアンドロイドの少女、壊れたんですってね」


 リベアルの一言で、ハルメリオの肩が跳ねた。通行人を眺めていた黄金の瞳は、ゆっくりとリベアルに向けられる。ようやく視線が交わっても大して喜びが湧かなかったのは、彼の顔が、僅かに強張っていたからだろうか。


「そんな話、何処から聞いたんだ」

「さあ。私もここ数日忙しかったので、あまり詳しくは聞いてませんけれど。うちの隊員が言っていました。ハルメリオ様の側に、ここ最近あのアンドロイドの姿がないから、事件で壊れたんだろうって」


 これは、隊員達の噂話に付け足して、リベアル自身の想像も含んだ言葉であった。ハルメリオの意向はともかく、メリーと共に居ることは上層部から任命された仕事である。二人が一緒にいないということは、仕事そのものが無くなったということだ。それはつまり、誰かにあのアンドロイドを譲ることになったか、アンドロイドそのものが無くなったということになる。

 ハルメリオは難しい顔をして、リベアルに複雑そうな顔をしていた。そして――彼にしては大変珍しいことだが――僅かに言いにくそうに口を開く。


「今回、シスルがあっさり犯人だと分かった要因は二つ。シスルの自供と、メリーのメモリーにしっかりと証拠が残っていたことだ」

「大破した後にメモリーだけサルベージされるのはよくある話ですわ。最期に事件解決の役に立ててよかったではないですか。きっと喜んでいるでしょう。あのアンドロイドも」

「……まあ、そうだな」


 ハルメリオの表情が僅かに曇る。メリーが大破したという事実に触れたくないようだ。それは、以前のハルメリオからは想像もできない顔だった。

 数拍の沈黙。ハルメリオはその間、ちらりとカフェテラスから見える時計塔に視線を向けた。次の瞬間、彼はそれまで殆ど手つかずだったコーヒーを一気に飲み下し、席から立ち上がる。


「悪いな、リベアル殿。そろそろ休憩時間が終わる」

「……本当に午前の休暇しかとれなかったんですか? そんなにお忙しくて、またお倒れになるんじゃなくて?」

「そんなに軟じゃない。それに、午後は何より重要な任務が入っているんだ。遅れるわけにはいかない」

「あら、何? 休暇より重要な任務って。それは借りを返すよりも大事な仕事なの?」

「申し訳ないが非常に重要だな。迎えというか、保護というか……」


 任務内容に守秘義務でもあるのか、ハルメリオは言葉を濁す。その曖昧な返答にリベアルが小首を傾げるのと同時に、その声は聞こえてきた。


「お迎えに上がりました。ハルメリオ様」


 眼前で、ハルメリオの双眸が丸くなる。リベアルも釣られるように瞳を丸くしたのは、その鈴のような凛とした声に、聞き覚えがあったからだ。

 それは、テキストを読み上げるだけの他の音声とは異なっている。自然な抑揚をつけた穏やかな少女の声は、一人分の足音と共に近付いてきた。

 艶やかな薄紫の髪。積雪を思わせる白い肌。薄っすらと色付いた桜桃の唇。そして、ブライトネス家の使用人服。

 釣り鐘型のスカートの裾を揺らして、その少女はハルメリオの側に立つ。以前見た時と一寸も違わぬその姿にぎょっとして、リベアルは思わず勢いよく立ち上がった。


「あ、貴女!」

「こんにちは、リベアル様。お久しぶりです」

「な……なっ……!」

「以前、リベアル様は私の名前を覚えていらっしゃらなかったようなので、僭越ながら、もう一度自己紹介させていただこうと思います」


 わなわなと震えるリベアルの前で、少女は表情一つ変えないまま、その場でゆっくりと姿勢を整えた。

 スカートの両端を摘み上げ、少女はその場で恭しく一礼をする。その際に、彼女の髪を結った黒いリボンが見えた。そこから、以前ついていた魔法石の飾りが無くなっている。


「私は、メリー。ハルメリオ様の所持するアンドロイドです。よろしくお願い致します」


 つらつらと淀みなく二度目の自己紹介が繰り広げられる。音声にノイズは無く、破損した様子も見られない。顔を上げた少女、メリーは、その美麗な顔立ちに僅かな微笑みを浮かべてみせた。

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