第26話 兄

 シスルが攫われた件は、既に周知のことらしい。皆口々に犯人の手口や目的を予測しては意見を交換していたが、有益そうなものは聞こえてこない。ただ焦燥を煽るだけの人々の声に包まれて、ハルメリオはきつく掌を握りしめた。

 何故メリーはあのタイミングで暴走を起こしたのだろう。数日前から、そんな思考を巡らせている。

 彼女の狙いがレイの殺害だったなら、そのタイミングはいつでもあったはずだ。何せ、同じ屋敷で長い時間共に生活をしていたのだから。ハルメリオの監視の目やリリィの存在があったにしても、彼女が料理の中に不審なものを入れる挙動は見せなかった。否、そもそも彼女は、武器も毒薬も所持していなかったはずだ。シスルや他の調律師による精査で、それは定かなことである。

――そもそもの話、黒幕の動きも不自然だ。魔法使いがわざわざアンドロイドに暗殺や盗みを依頼するのは、自分の魔法を見せて正体を掴まれるのを厭うため。メリーの脱出やシスルを攫う際に魔法を使ってしまっては、そもそもアンドロイドに暗殺を指示する意味が無くなってしまう。

 犯人は、魔法を見せても自分に繋がらない確信を持っている。それでも尚アンドロイドに魔法使い達を殺させるということは、その行為に、自分の正体を隠す以上の意味を見出しているのだろう。

 ハルメリオは分かりやすく顔を顰めた。頭に浮かぶ一つの答えを誤魔化すように、荒々しく地面を踏みしめる。思考を巡らせていても、住み慣れた街で迷うことは無い。

 目的地について、ハルメリオは顔を上げる。そこにあるのは、現ブライトネス家屋敷――つまり、ハルメリオの自宅である。

 晴れない顔の使用人の数人が、庭の手入れをしていた。彼等はハルメリオの姿を見る度、驚いたように目を見開く。通常の帰宅時間にはまだ早い時間だったので、当然だろう。まだ日も暮れていない。

 しかし、ハルメリオがここに来た理由は、自棄を起こした末の帰宅などではない。


「兄上に変わりはないか?」

「え、ええ。途中でお医者様が何人かいらっしゃった以外には、特に。お帰りなさいませ、ハルメリオ様」

「そうか、有難う。ただいま。それと、仕事ご苦労。邪魔してすまなかった」


 普段通りに励んでくれ、と言葉を掛ければ、使用人たちは困惑したように頷いた。もう手遅れだ、と言われなかったことに安堵しつつ、ハルメリオは急いで屋敷内へと入り込む。

 レイの部屋の前を警備している隊員が、ハルメリオを見た途端に背筋を伸ばした。洗練された敬礼に答礼をしつつ、簡単に事情確認をする。シスルが攫われている間、メリーがここを訪れることはなかったのだという。

 二人を同時に始末する、という訳でもなく、ただ、シスルだけが攫われた。その事実を確認して俯くハルメリオに、隊員は戸惑ったように声を上げる。


「副隊長殿、使用人の少女が今朝から出てきませんが」

「構わない、俺がそうするように指示したし、そちらのが今は都合がいい」

「都合が?」

「確認したいことがいくつかあるんだ。引き続き仕事を頼んだ」

「はっ!」


 そんな簡単なやりとりの後、ハルメリオはレイの部屋の扉を乱雑に開く。大袈裟な音をたての入室は、今朝のようにレイの叱咤を期待したものではない。

 突然背後で大きく鳴った音に、リリィが驚いて悲鳴を上げた。飛び上がったまま、リリィが勢いよく振り向く。その手は、ハルメリオが今朝頼んだ通り、律儀にレイの手を握りしめていた。


「は、ハルメリオ様、なんでここに」

「すまない、確かめたいことがある。もしかしたら気分を悪くさせてしまうかもしれない。ただ、協力してくれると助かる」

「わ、私ですか?」

「ああ」


 リリィは困惑を露わにしたが、ハルメリオの真剣な顔を見て、僅かに冷静を取り戻したようだ。レイの手を握ったまま姿勢を正すと、「私に答えられることなら何でも」と頷いた。

 彼女の目元は依然として赤い。また泣いていたのだろう。そんなリリィを再び泣かせるかもしれない、という罪悪感に苛まれつつ、ハルメリオは二人の傍に近寄った。


「嫌なことを思い出させて悪いんだが――お前の両親は、闇の魔法を使わなかったか」

「え? あ、はい。どうして分かったんです?」

「いや。……リリィ、お前が両親に売られたのは、無魔力者だと判明したからか?」

「……そうです。五歳の誕生日までに、魔力が発現しなかったので」


 リリィは僅かに表情を強張らせ、躊躇いがちに頷いた。彼女にとって、家族を思い出させるような質問は好ましいものではないだろう。リリィのように、魔法使いの間で生まれた無魔力者にとっては特に。

 魔法使いは、五歳までに己の魔力を目覚めさせる。また、その場合は両親が使う魔法を引き継ぐケースが殆どだ。ハルメリオの両親は、二人とも光魔法の使い手だった。

 魔法によってそれぞれの価値が決まる世界だ。自分のため、子供自身のために、親は五歳までの育児に非常に気を遣う。

魔法と魔法使いを繋ぐための媒体は、人によって様々だ。媒体を引き継げば、それ以上は何も考えなくて良い。ただ、日々の鍛錬をすれば自ずと魔法は強くなっていく。しかし、それを引き継がなかった場合の両親は顔面を蒼白にすることだろう。その場合は様々なものを取り寄せ、色々な場所に赴き、多種多様な環境の中で魔力の覚醒に臨む。媒体は分かりやすいものから分かりにくいものまで様々であり、それを見つけるまで、両親が安堵する日は来ない。


「親から暴行を受けていたんだったな。リリィも、お前の兄も」

「はい。あんまり酷いときはナイフを取り出す日もあって……そんなにしたって、私には魔力が最初から無かったから、無意味でしたけど」

「兄も無魔力だったのか?」

「いえ、兄は魔法使いでしたよ。でも、魔法の威力を高めるためにって、私と同じように酷いことをされていました。毎日血塗れになって、それでも私を庇ってくれて」


 当時のことを思い出したらしく、リリィの瞳は次第に潤んでいく。今にも零れそうな涙を拭わないまま、彼女は睫毛を伏せて呟いた。


「私が売られた後で、私の家族は皆死にました。アンドロイドに殺されてしまって」

「……そうか」

「ここの職場に感謝をしていたの、アンドロイドがいなかったこともあるんです。両親は怖かったけど、でもやっぱりいつか分かり合いたかったし、お兄ちゃんには、何か返したかった。アンドロイドを見る度、そう思って辛くて」

「じゃあ」


 メリーは、と言いかけて、ハルメリオは口を噤む。意識が無いとはいえ、レイの前だ。メリーに刺されてこんなことになっている彼の前で、その名前を呼ぶことは躊躇われる。

 しかし、リリィはそんな心境を悉く読み取っているようだった。一瞬の苦笑の後、リリィは静かに口を開く。


「いいお友達、だと、思ってましたよ。あの子のことは」

「……アイツは特別だったか?」

「他のアンドロイドとは違うな、と思ってました。それに、レイ様ともお話したことがあります。あの子が来てから、ハルメリオ様が活き活きしていらっしゃいました。私がこうしてハルメリオ様と自然体でお話できるのも、あの子のおかげですし」


 リリィの声音は、遠慮がちだったが、嘘偽りの影はない。ただひたすらに優しい、母を思い出すような言葉に、ハルメリオは肩を竦める。


「確かに、アンドロイドというにはお仕事が少し下手だったり、ハルメリオ様に失礼なことを言ったりしてたけど、でも、あの子が本当に悪い子だとは思えなくて。……こんなことになるなんて、思ってもいませんでした」

「……そうだな。俺も予想していなかった」

「レイ様の手、ずっと冷たくて。このまま何処かに行ってしまう気がして、恐ろしいです。……そういえば、途中で何人かお医者様が駆け込んでいらっしゃったんですけど……何だか怖いお顔で『あっちと同じ症状だ』って仰ってましたよ。ハルメリオ様がこちらにいらっしゃる、一時間前くらいに」


 リリィがふとそんなことを報告する。一時間前といえば、本部でリベアルの推理を聞いていた頃合いだろう。記憶を振り返って、何人かの医者が慌ただしく何処かへ出かけていく様子を思い出した。恐らく、その医者達だろう。レイの状態を確認するとともに、どうやら医務室の患者とレイの症状を比較したようだ。

メリーが移動をする際――もしくは、それ以前に、レイも彼等と同じように闇魔法を浴びたらしい。両者が喰らった魔法は同じであるため、症状も当然同じものになる。

 それを知らないリリィは、不安そうに瞳を左右に揺らし、ハルメリオを見上げた。


「何かあったんですか?」

「少し本部で騒ぎがな。俺が直ぐ解決する。医者は他に何か言っていなかったか?」

「レイ様の方が症状の進行具合が遅いのが不思議だ、って。私には、何のことかさっぱりわからないのですが」

「……兄上の方が、進行が遅い?」

「はい。とはいえ、レイ様はもうこの状態に陥って随分経ってますから、やっぱり状態はよろしくないみたいで」


 リリィの表情は晴れない。そんな彼女の顔が物語るように、レイの顔色は、今朝よりも白くなっているように見える。決して病状は良くない。医学の知識がないハルメリオにもそれは理解できた。

 しかし、レイが魔法を浴びたのは一週間前。今日魔法を喰らったばかりの患者たちよりも進行が遅いというのは、非常に不思議な話である。

 ハルメリオは静かに眉間に皺を寄せた。

 体質によって、魔法の効き目が変わるのかもしれない。例えば、魔力量。医務室の患者とレイの違いを上げるなら、そこだろうか。レイが持つ魔力量は圧倒的だ。そこは疑いようがない。

 性別、血液型、身体の大きさ、体力。医務室の四人の患者はそれぞれ条件が異なっているし、魔力の量以外はレイと同じ条件を持っている患者もいたはずだ。


「……兄上と彼等の違い……?」


 ハルメリオは顔を顰める。医者達は、医務室の患者四人をまとめて『あっち』と称した。つまり、医務室の患者たちは皆、同等の進行速度なのだろう。

 レイだけが違う。レイだけが、この魔法に対する耐性を持っている。

 使用されたのは闇の魔法。レイを悩ませているのは魔力不足。魔力不足――つまり、魔法の酷使をしている状態。

 レイが扱うのは、闇魔法と正反対の、光魔法。


「分かった」


 ハルメリオが呟けば、リリィが小首を傾げた。そんな彼女に、感謝の念が沸いてくる。感激のあまりリリィを抱き上げて振り回したくなった衝動をぐっと押し殺し、ハルメリオはベッドの脇に近づいた。そうして、レイの顔を覗き込む。


「ハルメリオ様?」

「リリィ。今日一日、この手を握っていてくれて有難う。お前がここにいてくれたおかげで、分かったことが沢山ある。おかげで兄上を引き留めることができそうだ」

「え?」


 リリィの困惑した顔に、ハルメリオは静かに微笑みを返す。そうして、堂々とした声音で呟いた。


「兄上を起こそう。そろそろ寝るのにも飽きた頃だろうしな」

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