第25話 信じるもの

 ブライトネス家への好意を偽証するのは、別段珍しい話ではない。今までの生活で思い知っている通り、ブライトネス家の人間は嫌われやすい立ち位置にいるのだ。しかし、嫌悪とは別に、それに近づくことで得られる恩恵もある。それを目的として、ブライトネス家に好意を向けるフリをする魔法使いは、今までにも多数いた。

 ハルメリオは小さく息を吐いて、ラトから視線を逸らす。頭でどれだけ「よくあることだ」と理解しようとも、心臓の嫌な音は鳴り止む気配がない。

 そんな様子を見て、リベアルはゆっくりと口角を上げた。真実を言い当てられたことが誇らしくて堪らないらしい。子供のような無邪気さ、或いは残酷さで、彼女は次々と言葉を継いでいった。


「例のアンドロイドが、自分の主について『取締部隊のせいで大事な人を失った』と言っていたのでしょう? この少年は元々ハルメリオ様のお父様を好いていらっしゃったのよね。元第一部隊隊長を救えなかった取締部隊に恨みを抱くのは然程違和感がないことですわ」

「じ、自分は、お二人を恨んでなんて」

「特に、ハルメリオ様とレイ様はブライトネス家で一番と噂される天才魔法使いですもの。事件の現場に居合わせておきながら自分の憧れを守れなかった魔法使いが天才だと持て囃され、自らの父親がいた役職に就く、だなんて。私はお二人の努力を知っているからいいけれど、傍から見たら上手くできすぎている話だわ。憧れの人を救わなかった怒りもそうだけれど、何か疑いを持ったのではなくて?」


 何処か確信めいた発言に、ラトが言葉を詰まらせる。譫言のように「違う」と否定をし続ける彼は、まるで何かに縋っている子供のような顔をしていた。

 ハルメリオは目を伏せる。その先は、リベアルがわざわざ声に出さずとも予測することができた。


「兄上と俺による、父上殺害疑惑の話か」

「ええ」


 涼しい顔で肯定したリベアルは、ただ一言「流石ですわ」とハルメリオを賞賛する。それが皮肉に聞こえるのは、普段の彼女とのやりとりの記憶と、その話に対する多大な嫌悪感があるからに違いない。

 ハルメリオの父親が、たかがアンドロイド一機に殺されるわけがない。そんな人々の思考から生み出されたのが、レイとハルメリオによる父親殺害疑惑の節である。

 なんてことはない、人々の妬みや妄想が炸裂した結果生まれた、ただの創作話だ。当時はこの話で一部の魔法使いが大盛り上がりしていたが、殺害するタイミングや手口などの問題で、次第に提唱されることは減った。中には、楽しんでいるのではなく、本気でその説を信じ込んでいる輩もいたようだが、まさかラトがそうだったとは。


「悪いが、俺も兄上もそんなことをするほど頭は弱くないぞ」


 ハルメリオが呟けば、ラトが大きく首を横に振る。そのまま首がとれてしまいそうだと心配になるほど激しく動いて、彼は否定の意を主張した。


「ハルメリオ様! 本当に違うんです、自分は」


 その言葉の先は出てこない。喉に言葉をつっかえたように涙ぐむラトが、懇願するようにハルメリオを見つめた。とうとう潤んだ瞳からは涙が零れ落ち、彼の頬を濡らす。落下した雫は植物に吸われ、まるで存在が最初から無かったかのように消えていく。

 その顔には、見覚えがある。ハルメリオは静かに溜息を吐いた。


「ラト、君は――いや、お前は素直だな。嘘と本音がすぐわかる。そんなに否定しなくてもいい、大凡伝わった」


 ハルメリオの一言に、ラトは絶望したような顔をして、暴れるのを止めた。蔦に大人しく吊るされるままになった彼に、リベアルは非常に満足そうな顔をする。彼女は自分の仕事に高いプライドと責任を持っているため、犯人含める周囲にそれを認めさせることが何よりも好きなのだ。


「シスル様を攫ったのは、アンドロイド取締部隊の機能停止を狙ったのかしら? それに、部隊が誇る天才調律師の彼がいれば、あの可笑しな新種のアンドロイドの製作も捗るでしょうしね。彼、腕が何本もあるみたいに仕事が早いし」

「これがリベアル殿の仮説の全てか?」

「ええ。まあ、私の手に掛かればこの程度よ、ハルメリオ様! ご心配なさらず、私は貴方のことを理解しています。貴方は多少意地悪で減らず口な殿方ですけれど、努力家だし才能だって十分。お父様も貴方のことを私の夫に迎えても良いのではないかとお認めになっていらっしゃるくらいで……ハルメリオ様?」


 何かを忙しなく語り出したリベアルを横目に、ハルメリオは静かに剣を引き抜いた。医務室の照明を剣が反射した瞬間、ハルメリオの光の魔法が剣に宿る。

 剣を抜いたまま、ハルメリオは出入り口付近のラトに歩み寄った。その緩慢な動作を見て、ようやく理解に及んだらしいリベアルがぎょっとして声を上げる。制止の意を込めているのであろう呼びかけを、ハルメリオは無視した。

 ハルメリオはゆっくりと剣を構える。それを見たラトは蒼い顔のまま身動きを止めたが、やがて、諦めたように目を閉じた。


「ハルメリオ様、待って、まずは上層部の意見を仰がないと」

「必要ない」


 リベアルの言葉を低い声が遮る。ハルメリオはそのまま、剣を勢いよく振った。

 ひゅ、という軽い音がする。それと同時に斬れたのは、ラトの胴体――ではなく、それを拘束していたリベアルの魔法の方だ。

 アンドロイドの身体でさえ真っ二つにする剣が、植物を断ち切れないわけがない。あっという間に千切れた蔦は、そのまま魔力を失い、淡い光となって消失する。


「う、うわぁ!」


 突然宙に投げ出されたラトは、そんな悲鳴を上げながら地面に顔面を打ち付けた。ゴン、という鈍い音から察するに、随分と派手にぶつけたのだろう。おずおずと顔を上げたラトの鼻先は、分かりやすいほど真っ赤に染まっていた。


「ふ、副隊長……?」


 その瞳に浮かんだ恐怖や戸惑いが、ハルメリオに向けられる。彼の小動物的な雰囲気に居た堪れなくなって、ハルメリオは小さく苦笑した。そのまま、床に倒れ込んでいる彼に、そっと手を差し伸べる。


「驚かせたな。すまない」

「い、いえ、あの、なんで」

「お前は犯人じゃない。しかし、リベアル殿にそう言っても通じないだろうからな。直接拘束を解かせてもらった」


 敵意はない。それを示すため、ハルメリオは素早く剣を鞘に納めた。

 ラトは二度瞬きをした後、花が綻ぶような笑顔を浮かべ、ハルメリオの手を握る。ゆっくりとラトを引っ張り起こす後ろで、リベアルだけが唖然とした顔をしていた。


「ハルメリオ様! どうして! その少年が犯人で間違いないと、私、たった今説明を……」

「リベアル殿、この間の発言については謝罪をすると共に撤回させてもらう。だからそんなに焦らないでくれ」

「え?」

「俺は別に、リベアル殿のことを無能だとは思っていない。だから、今回の犯人探しもそんなに急がなくていい。急ぐあまり色んなことを見落としている」

「なっ……何を! そんなことありません、私が失敗なんてするはずありませんもの!」


 ハルメリオが冷静な言葉を呟くと、リベアルはさっと顔を赤くして声を荒げた。彼女らしからぬ急いた判断は、何よりも、ハルメリオに結果を見せつけたいという意思から下されたものだろう。

 彼女が何かと自分に対抗心を燃やしていることは、ハルメリオも知っている。また、それが何らかの執着心から来ていることも。それが恋愛であるかどうかは置いておいて、焦ったリベアルが下した判断は、様々な穴が存在していた。


「恐らく、今回シスルに使用された魔法は、俺が見たものと同じはずだ。あの日、メリーは蠢く影の中に呑み込まれていった。あの魔法を使うなら、シスルを傷つける必要はない。まして、技術目当てなら尚更」

「……なら、人質では? 敵は恐らく次にハルメリオ様を狙うでしょう? お二人は仲の良いご友人同士ですもの。言い方は悪いけれど、利用される理由にはなるはずですわ」

「なんでわざわざシスルなんだ。俺はラト自身とも交流がある。自分を攫われたように見せかける方が余程楽だ。しかも、自分が警備を務めているときに犯行をすればこうして疑われるのは明白なことだしな」

「でも、それは……じゃあ、やっぱり、シスル様を排除してこの組織の機能を低下するのが目的なのでは? 無魔力の彼じゃ、魔法使いに抵抗なんてできるはずがありませんし」

「シスルと兄上の怪我の具合を見比べれば分かる。犯人の復讐対象は、あくまで実働している隊員だ。それに、シスルは今仕事に復帰できていない。追撃したところで現状維持が続くだけだ。メリットはないだろう」


 ハルメリオが淡々と反論を述べれば、リベアルは分かりやすく顔を顰めた。プライドを傷つけた自覚はある。それでも、ハルメリオが謝罪をして退けば、彼女はラトを犯人に仕立て上げてしまうだろう。そして、本当の犯人が分からないまま、この事件が解決したことになってしまうのだ。それだけは避けたい。

ハルメリオが真っ直ぐにリベアルを見据えると、彼女は眉間に皺を寄せて、強気に腕を組んだ。


「では、彼がハルメリオ様とレイ様を憎んでいらっしゃることはどう説明するのかしら」

「ラトは純粋で真っ直ぐな良い奴だ。嘘を吐いているとは思えん。考えを改めてくれたと判断する」

「そんな都合の良いことを言って! ハルメリオ様は信じていたアンドロイドに裏切られたこの状況を、もっと理解するべきですわ!」


 リベアルの非難の声が室内に響く。甲高い彼女の声に鼓膜を刺され、ハルメリオは僅かに顔を歪めた。

 メリーの姿が頭に浮かぶ。アンドロイドでも、彼女だけは違うのだと思わせてくれた唯一の存在。その微笑みを脳裏に浮かべてから、ハルメリオは小さく首を横に振る。彼女のことを考えると、思考が乱れてしまう。今は思い浮かべるべきではない。

 ハルメリオの様子を見て、リベアルはさらに苛立ったようだ。その目尻を釣り上げて、彼女はそのまま、高らかに宣言をする。


「ともかく、私に失敗は有り得ません。ハルメリオ様にも何れ私の判断に感謝する時が来ますわ。そしたらもう二度と私以外の女、しかもアンドロイドなんかが目に入らないと思いますし! 私じゃなきゃ駄目だってお気付きになるかと!」

「何に拗ねているんだ、リベアル殿。ともかく、ラトは絶対に犯人じゃない。俺が保証する。ここは俺に免じて彼を解放してくれないか」

「お断りです!」


 リベアルはそれきり、堅く口を閉ざしてしまった。次の瞬間、彼女の魔法が発動する。折角解放されたばかりのラトは、簡単に植物の蔦で胴体をぐるぐる巻きにされ、再び身動きを封じられてしまった。


「リベアル殿!」

「ハルメリオ様は厳しく見せかけて甘いんですわ。お優しいことは美徳でしょうけど、限度があります。信じたいものを疑うことは悲しいでしょうけど、これもお仕事の一つです。以前のハルメリオ様であれば、こんな時、真っ先に彼を上層部に突き出したでしょうに」


 リベアルの冷ややかな声がする。がっかりした、とでも言いたげな言葉に、ハルメリオは眉間に皺を寄せる。

 蔦を斬り捨てることは簡単だ。しかし、それではいたちごっこになる。リベアルを説得しなければ、ラトの自由を確保することはできないだろう。

 彼女を説得したければ、ハルメリオの理論が正解であると証明しなければならない。――即ち、真犯人を見つけ出し、捕縛しなければならないということだ。


「ふ、副隊長!」


 緊張感を孕んだ呼び声に、ハルメリオは静かに振り向く。先ほどよりも随分と大人しく植物に巻かれているラトは、そのまま、言いにくそうにしながらも、言葉を紡いだ。


「すみません。自分は、本当は、副隊長と隊長を、試すつもりでずっと見てました。本当は真犯人なんじゃないかって、第一部隊隊長の座を自分達で得るために父親にアンドロイドをけしかけたんじゃないかって」

「ああ」

「でも、遠目から見てすぐにそれが間違いだったことに気が付きました。お二人とも、そんなことをするようなお方じゃなかった。自分は、自分の勘違いを恥じて、それからお二人のお役に立てるように、今まで頑張って、漸く第一部隊に」

「聞いた。分かってる。お前が俺に向けてくれた好意の言葉を信じさせてもらうぞ」


 宙ぶらりんになったラトは、そのハルメリオの一言で、今までで一層大粒の涙を流し始めた。懺悔ともとれる言葉に微笑みを返し、ハルメリオはゆっくりと頷く。


「待っていてくれ。必ずリベアル殿を説得する材料を揃えてこよう。それまで、すまないが辛抱していてほしい」

「はいっ! 自分は、副隊長を信じています!」

「いい返事だ」


 力強く頷いたラトが、きつく植物に締め上げられる。不機嫌そうな顔をしたリベアルによる抵抗である。しかし、彼はもう一言も悲鳴を上げることなく、気丈な振る舞いをしてみせた。


「犯人に目星はついているんですか、副隊長」

「……大凡」

「流石です!」


 ラトの明るい表情とは裏腹に、ハルメリオの表情は晴れない。不思議そうなラトの顔を見て、ハルメリオは静かに肩を竦める。

 まだ確信には至らない。それが真実でないことを祈りつつ、ハルメリオはそのまま医務室を後にしようとする。ゆっくりしている時間は無かった。しかし、そんなハルメリオを見て、ラトが遠慮がちに声を掛けた。申し訳なさそうに眉尻を下げながら植物に吊るされている彼に、ハルメリオはなるべく優しく微笑んでみせる。そうすると、ラトはさらに申し訳なさそうな顔をするのだった。


「副隊長、あの、どうして自分を信じてくださったのですか」

「あんな顔をされてはな。良心が痛む」

「……そんな理由で……?」

「信じたい、と思ったんだ。そんな顔をしたやつに心当たりがあったから。今度こそ大丈夫だと、俺が思いたかったんだ」


 口にしてみると、思う以上に情けない。そんな弱気な言葉を聞いても、ラトはその顔に、決して侮蔑の色を浮かべなかった。

 レイを刺したあの日のメリーも、ラトと同じ顔をしていた。何処か絶望したような、縋るような、迷子になった子供のような顔である。

 ハルメリオがメリーを信じた結果、レイは今も生死を彷徨い、シスルは攫われた。何もかもがメリーを信頼した故に起きた出来事だったが、それでも、ハルメリオは未だ何処かで彼女を信じていたいらしい。

 いつか、ハルメリオの剣は彼女の心臓を貫くだろう。無機質な石が彼女の心臓と呼ばれる限り、ハルメリオは彼女を憎む他ない。アンドロイドは、ハルメリオの全てを奪う存在だからだ。

 だから、彼女の代わりに、彼女と同じ顔をしたラトを信じる。我ながら酷い理由だ、と自嘲して、ハルメリオは眉尻を下げた。


「すまない、ラト。必ず君の無実を証明しよう。だから、大人しくそこで待っていてくれ」

「……ご武運を、副隊長」


 情けない顔をしたハルメリオを、ラトは力強い言葉で見送る。その声援に背中を押され、ハルメリオは静かに取締部隊本拠地の廊下を駆けだした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る