第15話 返事

 回復魔法を扱う医者が数人掛かりでようやく流血を止めたのだだと、後日説明された。

 例のアンドロイドを破壊してから五日が過ぎた。ハルメリオは、自室のベッドので天井を眺める生活を余儀なくされている。

 回復魔法も万能ではない。魔力の消費が激しい上に、長時間の使用は効果が薄れる。毎日少しずつ魔法を重ねることで、徐々に身体を万全な状態に戻していく。それが、ウォルラインにおける魔法治療の手段であった。

派手に横腹に穴を開けたおかげで、治療に必要な日数は通常の倍かかる。未だ怪我が完治していないハルメリオは、外出は疎か一人で屋敷内を歩くことも禁じられ、退屈な日々を強いられている。怪我の療養とはいえ、一人で過ごすには広すぎる自室で寝たきりでいると、精神衛生に酷く悪い。少し前まで、メリーの傍で騒がしい日々を送っていたものだから、その静寂は尚更ハルメリオに苦痛を齎した。

 それを見かねたのだろう。レイは、仕事の合間を縫ってハルメリオの傍に付き添った。彼が例のアンドロイドの後処理で多忙に追われていることは明白である。しかし、レイはいつも通りの笑顔を浮かべ、ちっとも疲労の影を見せようとはしない。ハルメリオを叱ったのも、意識を失う前に聞いたあれっきりである。いつも通りすぎる兄が、そうすることでハルメリオを安心させようとしていることは、言うまでもないことだった。


「暇だ」


 ベッドの傍らにある椅子に座ったレイに、ハルメリオは一言そう告げる。丁度夕時だろうか。朝からずっと同じ体制で天井の模様を視線でなぞっていた。どんなに屈強な精神を持っていようとも、それを数日間続けていれば流石に堪える。我慢の限界であった。

 思わず出たその一言を聞いて、レイは別段困る様子もなく微笑んでみせた。


「読み聞かせでもしようか、ハルメリオ」

「もう俺は子供じゃないぞ、兄上」

「童話でも読んでほしかった? 読むのは魔法の成り立ちと歴史、それから今後についての論文だよ」

「……やめてくれ……」


 幼少期、兄が読んでいた分厚い本のことを思い出す。確か、その題名がそれだったはずだ。兄の真似をしてその本を読み始めた幼いハルメリオは、たった三十分でその本をギブアップした。小難しい言葉と小さすぎる文字で紡がれた論文は、ハルメリオが読むには今でも難易度が高い。

 悪戯っぽく笑い声をあげるレイに、ハルメリオは肩を竦める。表立って口にはしないが、この兄はハルメリオが一人で無茶をしたことを、それなりに怒っているようだ。笑顔で度々ハルメリオの嫌なことを的確に口にするのが何よりの証拠である。それを実行しない辺りが、彼の律儀な優しさをよく示しているが。

 カーテンが閉め切られた部屋では、夕日を見ることも敵わない。代わりに灯された魔道具のランプが、ベッドの付近を柔らかい光で照らしている。その光を見つめながら、ハルメリオは小さく呟いた。


「兄上、メリーの修復作業は順調か?」

「うん。腕のいい調律師が大勢携わってどうにか」


 ハルメリオと同等、戦闘で大きくボディを破損させたメリーは、現在、取締部隊本拠地にて修復作業を施されている。破損の度合いと彼女の特異性が作業を大幅に遅延させている、ということを、目覚めた際にレイから聞いた。幸いにもデータの破損は見当たらず、ボディさえ直せば、彼女はまた以前と変わらぬ働きができるのだという。

 それを聞いたときの安堵感は忘れられない。ハルメリオが零した「そうか」というたった一言の安堵を聞いて、レイは少しだけ驚いたような顔をしていた。兄にとって、メリーの安否を心配するハルメリオの姿は、意外なことのようだった。


「シスルがいればもう少し作業が進んでいたかもしれないけれど、彼は別の仕事に追われえるそうだから」


 レイは、柔和な微笑みを浮かべながらそう呟く。脳裏に浮かんだ友人の多忙さを想像して、ハルメリオは僅かに苦笑した。……心配したからではない。自分の元に舞い込んでくる数多の仕事に、狂喜乱舞するシスルの姿が見えたからだ。


「アイツも忙しいな、その内倒れそうだ」

「後日手が空くそうだから、その時に最終メンテナンスを担当してもらうことにしたよ。それに彼は自己管理と見極めがしっかりできる人だから、お前みたいに寝たきりにはならないと兄さんは思う」

「一人で無茶をして悪かった。あそこは一旦引いて兄上の元へ行くべきだった。反省している。もう何百回か言ったと思うんだが、まだ怒ってるのか、怒ってるんだな、兄上。結果的に例のアンドロイドを止めるに至っただろう」

「あの時、リリィが間に合ったから良かったものの、間に合わなかったらどうなっていたことか。僕は想像するだけで肝が冷えるよ」


 人の好い笑みを浮かべながらの説教に、ハルメリオは静かに口を閉ざす。無論、ハルメリオとてレイがベッドで寝たきりになれば心配をするが、兄は聊か心配性が過ぎる。そう思ってしまうのは、兄の心配や不安を幾度となく繰り返し聞いてきた故だろう。

 罪悪感や反省も、回数を重ねれば徐々に鈍くなるものだ。ベッドの中で、ハルメリオは不貞腐れた子供のような顔をする。それを見ても前言を撤回しない辺り、レイの怒りは相当だ。


「例のアンドロイドのメモリーはどうなんだ、兄上?」


 ハルメリオは、それとなく話題を流す。真面目なレイは、どれだけ自分が怒っていても、仕事の話をすればそちらを優先するのだ。


「何度やっても駄目だね。第三者が介入をしようとした時点でメモリーが全て消去されるように設定されていたみたい。でも、どうにか再現しようと皆頑張ってくれてる。お前の頑張りは無駄にされないと思うよ」


 案の定、レイは隊長らしい顔で呟いた。こんな時でも、レイは仕事に私情を持ち込まないのだ。

普段であればもっと自分を大事にしてくれと懇願するところだが、今はそちらの方が都合が良い。安堵していれば、レイはそれを咎めるように、再びにこりと愛想の良い笑顔を浮かべてみせた。


「でも、その頑張りも、無理をしすぎたものによると考えものだよ。第一、お前は――」

「失礼致します!」


 そんな爽やかな息苦しさが漂う空間に、救世主のようなノックと声が響き渡る。少女の溌剌とした声にハッとして、ハルメリオは静かに顔を上げた。堅く閉ざされていた扉がゆっくりと開く。そこには、人懐こい笑みを浮かべたリリィの姿があった。


「リリィ。どうした?」

「お夕飯をお持ちしました。お体の具合は如何ですか?」

「ああ、今急激に良くなったところだ。兄上、夕飯だし一旦説教は止めてくれ」


 ハルメリオの発言に、レイが一瞬呆れたように肩を竦める。しかし、表情は穏やかなまま、継がれる言葉もなかったので、無言の肯定と受け取って良いだろう。一時の休息に口角を上げながら、ハルメリオはゆっくりと上半身を起こした。身体に走る痛みも、魔法治療のおかげで随分と楽になった。怪我の回復に伴い、食事を摂れるようになったのは救いである。寝たきりの生活における、唯一の楽しみと言っても過言ではない。

 食事への期待感を抱きながら、ハルメリオはリリィに視線を向けた。そして、ふと、違和感に気が付く。

 リリィは、食事を運ぶためのワゴンも、トレーも持っていなかった。その両手はスカートの前で行儀よく組まれており、とても食事を運んできたとは思えない。


「リリィ、肝心の食事が見当たらないが」


 どうした、と尋ねれば、リリィはそのあどけなさの残る顔に満面の笑みを浮かべた。含みのある無言の回答に、ハルメリオは小首を傾げる。レイとリリィは互いに目を見合わせ、それから悪戯っぽく笑い声をあげる。

 全く以て意味が分からない。一人事情を呑み込めないまま小首を傾げていたハルメリオは、次の瞬間、それらの意味を突き付けられることとなる。


「失礼致します、ハルメリオ様」


 凛とした少女の声が聞こえた。その声に勢いよく振り向くことになったのは、その声の主が、ここにいるはずのない人物だったためである。

 ハルメリオは、大きく目を見開く。その少女は、ブライトネス家の使用人服に身を包み、涼しい顔で銀色のワゴンを手押ししていた。その動きは酷く滑らかだ。数日前、ハルメリオと同じように腹に穴を開けていたとは到底思えない。


「メリー……」


 その名を呼べば、少女――メリーは機械的に「はい」と一言返事を零してみせた。

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