第14話 リクエスト

 彼女が学習するのは、感情だけではないらしい。そのことを知り、まるでアンドロイドの思考処理を行うかのように、ハルメリオは瞬きを繰り返す。


「さすがは00。未完成と言えど、学習機能は完璧に機能しているようですね。何処で僕がハルメリオ・ブライトネスとの戦闘に調整されていると気が付いたのですか?」

「ハルメリオ様はお耳が良いのですね。アンドロイドの稼働音を聞き取ることができるようです。それで、攻撃を繰り出す前の音で『どんな攻撃が来るのか』を無意識に判別して処理をしています。貴方はそれを利用して、わざと別の場所で音を立ててから、別の部位を使っての攻撃を繰り返していますので、耳の良いハルメリオ様と戦うための独特の調整だと判断しました」

「貴女の耳も、十分に良いようですね」

「私の耳には最新鋭の聴覚パーツが備わっておりますので」


 傷を負った割に、アンドロイドはあくまで冷静だった。淡々と紡がれるやりとりの最中で、アンドロイドは静かに首を振る。


「しかし、やはり貴方は戦闘をするには能力が不十分です。貴方は学習したことしか戦闘に活かせない」


 次の瞬間、アンドロイドは身に着けていたマントを大きく広げた。背後に隠し持っていたのか、露わになったその手にはナイフが数本構えられている。


「メリー!」


 ハルメリオの咄嗟の叫び声に、メリーは反応をしきれなかった。アンドロイドが瞬時に投擲したナイフは、少女の四肢の関節を串刺しにする。メリーが衝撃で剣を落とした隙に、アンドロイドはすぐさま地面を蹴り上げる。

 足に強化パーツでも入っているのだろう。アンドロイドの移動速度を目で捉えることはできない。一瞬にしてメリーの前に現れたアンドロイドは、剣を大きく後ろに引いていた。


「後でご主人様に修理してもらえますから、安心してくださいね」


 そんな一言と共に、メリーの腹が容赦なく貫かれる。大きく目を見開いたメリーは、自分の腹を貫いた剣を呆然と見つめて硬直した。

 幸い、心臓である魔法石は砕かれていない。否、そういう風に調整したのだろう。アンドロイドは、落ち着き払ってそう呟いた。余裕の伺えるその声に、メリーは瞬きを繰り返す。それから、いえ、とだけ唇を動かした。


「必要ありません」

「これだけ破損すれば修理は必須です」

「それは、貴方が心配するべきことかと思います」


 腹を貫かれても、メリーは気丈にそう言った。音声に乱れはない。しかし、身体の重要な部分が大きく破損したのだ。痛みを感じないだけでは、ここまで冷静を保てないだろう。

 何もかも思い通り。そう言いたげに、メリーは微笑みを浮かべる。そして、柄を握っているアンドロイドの手首を、両手できつく握りしめた。


「ご存知ですか? アンドロイドは主人の補佐のため、どんなに華奢でも、多大な力を所持しています」


 アンドロイドのボディパーツが軋む。そこから、メリーが最大出力の力でその手首を握りしめていることが伺えた。人間ならば骨を容易く折ることができるだろう。ミシミシという不穏な音を聞いて、アンドロイドは初めてメリーの狙いを悟ったようだった。

 メリーは、わざと剣に貫かれたのだ。アンドロイドの動きを完璧に封じるために。


「00、離しなさい」

「お断りします」

「戦闘は、貴女の仕事ではないはずです。何故ハルメリオ・ブライトネスの指示を無視して戦闘したのですか。アンドロイドの存在意義に反しています。アンドロイドは、魔法使いに絶対服従を誓うものです」


 アンドロイドの声音に、メリーは首を横に振るう。その度、彼女の長い髪の毛が揺れた。それを酷く美しいと感じてしまったのは、最早、否定のしようがない事実であった。


「貴方は私の主人を侮辱し、傷つけました。それに怒ることが、そんなに不思議なことですか? あのまま従えば、私は主人を失っていたでしょう。それを阻止することは、私の中では当然のことです」

「……貴女は、少々、特殊すぎます。アンドロイドとして、主人の命令に従わないのは致命的なことです」

「それを気にして主人を失うようであれば、『変なことを気にする馬鹿なアンドロイド』と称されるかと。私はそれを避けるために尽力しました。ハルメリオ様、何か間違っていたでしょうか」


 メリーの淡々とした声に、ハルメリオは深く息を吐く。確信を持ったまま、わざと問いかけられているように感じる。アンドロイドとしても従者としても生意気な態度に、それでも口角が上がるのが止められない。

 彼女は特別なアンドロイドだ。それを、認めざるを得ない。


「いいや」


 地面に落下した剣を握り、魔力を込める。燦々と輝く太陽の光を媒体に、剣は再びその刀身に光を帯び、眩く発光した。何をも斬り裂く不屈の剣を片手に、ハルメリオはゆっくりと立ち上がる。

 身体を縛る激痛も、滴る血液も、今は気にならない。メリーの両手で動きを封じられたアンドロイドの背後で、ハルメリオは剣を構えた。


「よくやった。流石、俺のアンドロイドを名乗るだけのことはあるな。メリー。最高の働きだ」


 決してアンドロイドには投げかけたことのない言葉を唱える。そうして、力強い踏み込みと同時に、ハルメリオは剣を前に突き出した。

 パキン、という儚い音と同時に、剣の切っ先がアンドロイドの胸を貫く。宙に躍った魔法石の破片が、剣の輝きを美しく反射した。その煌めきの中、メリーは、その瞳を細めて微笑む。彼女の美しい薄紫の瞳に、沢山の光が映り込んでいた。


「お褒めいただき光栄です。ハルメリオ様」

「ああ。ここまで来たら認めてやる。お前はすごいし特別なアンドロイドだよ、メリー」

「ハルメリオ様の所有するアンドロイドですので」


 何処か得意げに言葉を紡ぐメリーは、静かに眼前のアンドロイドから手を離した。

 正しく心臓を貫かれ、例のアンドロイドは既に機能を停止している。力の抜けたボディの重量は、剣では支えきれない。剣を抜くと同時に、アンドロイドはその場に崩れ落ちる。

 その衝撃で、その素顔を隠していたフードが外れた。露わになった素顔は、美麗な少年そのものである。

ハルメリオは小さく息を吐く。人を殺めたとは思えぬ安らかな寝顔に、憎悪を持たない道理は無かった。部下が山ほど殺されたのである。心臓を貫いただけで、気が収まるはずもない。

しかし。


「ハルメリオ様、直ぐにウォルラインの名医を呼びます。往復で十分ほど掛かりますが――」

「……その身体で走っていく気か」

「勿論です。ご主人様の一大事ですから」

「やめておけ、流石に壊れるぞ。直ぐに兄上とリリィが来る。兄上が取締部隊専属の医師も連れてきてくれるはずだ。それまで待て。お前に壊れられては敵わん」


 メリーの前で、アンドロイドの亡骸を荒らすのは躊躇われた。

 絶え絶えのハルメリオの声を、受け入れるつもりになったらしい。大人しく頷いたメリーは、ハルメリオを気遣わしげな瞳で見つめている。アンドロイドの硝子の瞳に感情を読み取るのは、それが初めてだった。


「ハルメリオ!」


 遠くから、珍しく声を張り上げたレイの呼び声が聞こえた。そちらを振り向けば、顔を蒼くしたリリィと、その後ろに続く第一部隊の面々が走ってくる様子が確認できる。ネズミと契約していた少年も、専属の医師の姿も確認できた。どっと押し寄せてきた安堵に、ハルメリオは静かにその場で膝をつく。そのまま、抗うこともなく地面に横たわった。大勢の魔法使いの前だと意識していても、立っていることは難しい。


「ハルメリオ様、しっかりなさってください」

「メリー」

「はい、何ですか?」

「またシチューを作ってくれ」


 こんなタイミングでリクエストを受けるとは思ってもいなかったのだろう。メリーが大きく目を見開き、動揺したように瞬きを繰り返す。彼女には驚かされてばかりだ。ちょっとした仕返しをしてやったつもりになって、ハルメリオはゆっくりと口角を上げる。


「……承知致しました。しかし、恐れながら、ハルメリオ様。リクエストより先に、今は気にするべきことがあるかと存じます」

「これを逃したら一生言いそびれる気がした」

「大袈裟です。回復したらいくらでも作れます」


 どうしたのですか、と投げかけられる言葉に、ハルメリオは静かに首を横に振る。これだけ晴れ晴れとした気分でもなければ、アンドロイドを賞賛することは勿論、夕食のリクエストを送ることだって難しかっただろう。

 ハルメリオは、霞む視界の中、焦り顔で駆けよってくるレイの姿を見つけた。声を荒げることも、動揺を顔に出すことも珍しい。作り笑いでも苦笑でもない兄の姿を久々に見た。それもあって、ハルメリオの気分はここ十年で最も晴れていた。両親を失ってから、憎悪に塗れていたあの感覚が、嘘のように。


「兄上」

「ハルメリオ、しっかり! 今医者が来るから……ハルメリオ、やめてくれ、お前まで僕のことを置いていかないでくれ、お願いだよ、ハルメリオ」

「兄上、大袈裟だ。目の前が霞むだけだ、こんなの軽症なんだ。俺は兄上の弟だから、これくらいじゃ死なない」

「横腹に穴をあけて何を言ってるんだ、馬鹿じゃないのか……本当にやめてくれ……」

「はは……久しぶりに兄上に怒られたな」


 ハルメリオの脱力した手を、レイの両手がしっかりと掴む。その力強さがハルメリオの意識を保たせていた。

 ふと、レイが握っていない方の手も誰かに握られた。そちらを見れば、いつの間にかそこに座り込んだメリーが、酷く優しい力加減でハルメリオの両手を握っている。随分と力の加減に気を遣っているらしい。その表情は、とても緊張感漂うものだった。

 アンドロイドに手を握られるなど、初めてのことだ。体温の再現でもしているのか、それとも稼働による発熱なのか、その手は仄かに暖かい。曖昧になった意識の中で、ハルメリオは現実に縋るように手を込める。

 レイの手とメリーの手を握りしめて、ハルメリオは静かに目を閉じた。意識が暗転する直前まで、誰かがすぐ傍にいてくれる。それが、酷く心地良かった。

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