第16話 プレゼント

ワゴンを押したまま入室した彼女は、ベッドの横までやってくると、テキパキとした口調で夕飯の説明をしだした。


「お夕飯をお持ちしました。ハルメリオ様ご所望のシチューです」

「お前、なんで、は?」

「シチューのご気分ではありませんでしたか? 私のメモリーが正しければ、ハルメリオ様は意識を失う直前にシチューをリクエストなさっていたと思うのですが」

「いや、違う。なんでお前がここにいる。修復はどうした。兄上はさっき、腕の良い調律師が集まってどうにか、って」

「『終わってない』とは言ってないよ、僕。腕の良い調律師が集まってどうにか終わったところ、って意味」

「なんでそんな意図的な隠し方をするんだ」

「ハルメリオの退屈を紛らわすには良いかと思って」


 兄の手の平で転がされている。目を細めて笑うレイは、ハルメリオのじとりとした視線を受けて、ゆっくりと立ち上がった。そのままリリィを連れてそそくさと部屋を出る様子はあまりにもわざとらしい。その行為は、彼がここ数日間で行ってきた悪戯の延長線上にあるようだ。

 というのも、彼はハルメリオがメリーと話しにくいと感じていることを、よく知っているのである。

 メリーは、一時的にハルメリオとレイの監視下にあるだけで、何れはその手元を離れるのだ。例のアンドロイドの件が終われば、彼女はすぐにでも何処かに保管されるか、新しい主人の元へと旅立つことになる。

 もう二度と会うことは無い、と判断して、感傷に浸った挙句に夕飯のリクエストをしたのが失敗だった。例のアンドロイドそのものを止めることができても、その裏の魔法使いを止められなければ、この件は解決に至らない。つまり、メリーは修復後も暫く二人の元で管理される。そういった話をレイから聞いて、ハルメリオは甚く己の行為を恥じたのだ。

 一時の感情で、らしくないことはするべきではない。少しでもアンドロイドと離れることを寂しいと感じてしまった自分を思い出してしまうため、ハルメリオは、メリーに無事でいてほしいながらに顔を合わせたくは無かった。その複雑極まりない心情を、兄は知っていたのだ。吐露した訳ではないが、レイはその辺りを読み取る能力に長けている。

 二人きりになった部屋の中で、ハルメリオは沈黙する。メリーはそれが気にならないらしく、ワゴンに乗った皿を恭しく持ち上げた。その片手には、美しく磨き抜かれたスプーンが握られている。彼女が磨いたのだろう。先端が少し左に曲がっていた。

 メリーはそのまま、スプーンでシチューを掬った。そして、当然のようにハルメリオの口元まで持ってくる。その動作に、何の躊躇いも見られない。


「ハルメリオ様、さあ、シチューです」

「……一応聞こう。その体制はなんだ」

「お怪我のせいで食事が困難だと判断致しました。私がハルメリオ様のお口まで運べば食事が楽になるかと」

「普通に自分で食べられる。やめてくれ」

「左様ですか」


 ハルメリオが嫌な顔をして拒絶をすれば、メリーは存外簡単に引き下がった。彼女の『主人の命令でも拒絶する』という主張がなかったことに安堵しつつ、ハルメリオは静かにメリーを見据える。五日間顔を合わせていなかった彼女は、依然と何ら変わらない仕草と表情をハルメリオに見せていた。

 修復に、一応の問題はないようだ。シチューを受け取りながら、ハルメリオは注意深く彼女を観察する。


「ハルメリオ様?」

「……お前こそ、もう体はいいんだな」

「修理していただいたので。ハルメリオ様のアンドロイドとして、問題なく稼働することができます」

「そうか」

「……ハルメリオ様が何だか嬉しそうです」

「は?」

「ハルメリオ様が嬉しそうだと、なんだか私も嬉しいです」


 メリーは、その表情を僅かに綻ばせる。胸元に手を置いて喜ぶメリーは、出会った初日に加えて随分と表情が豊かになったように思えた。

 彼女自身が学んで得た、彼女の言葉。誰かに準備されたテキストではない、というだけで、投げかけられる言葉に湧き上がる感情が違う。

 込み上げた羞恥を誤魔化すように、ハルメリオはシチューを口に運ぶ。相変わらず具材が大きく、薄味で、完璧には到底及ばぬ品だったが、妙な安心感がある。黙々とシチューを嚥下するハルメリオの横で、メリーはずっと微笑みを携えていた。


「機嫌が良さそうだな。アンドロイドに機嫌があるかは分からんが」

「はい、機嫌はとても良いです。意味もなく踊りたくなるような感覚を、私は『機嫌が良い』だと判断します。嬉しいことがあったので、私は今、機嫌が良いです」

「嬉しいこと?」

「ハルメリオ様がご無事だったこと。修理後、ハルメリオ様の元へ直ぐ戻ってこれたこと。ハルメリオ様が、私の働きを褒めてくださったことです」

「……俺のことばかりじゃないか」

「アンドロイドがご主人様のことで喜ぶことは、そんなに可笑しなことでしょうか?」


 当然と言いたげな表情で、メリーは言葉を綴る。羞恥を全く感じさせない真っ直ぐな好意に、ハルメリオは静かに拳に力を籠める。シチューがあっという間に減っていくことすら、メリーは嬉しいようだった。


「私はあの時、ハルメリオ様のアンドロイドでいて良いのだと言われている気がしました」

「あれだけ散々自分で主張しておいて何を今更」

「ご自宅がアンドロイドのせいで燃えたとお聞きしてから、私はハルメリオ様の元にいて良いのか思考しておりました。リリィをはじめとする優秀な使用人も沢山います。私は、私がここにいてハルメリオ様のお役に立てるのか、ずっと心配していたのです」

「……初耳だな。お前はずっと自分の仕事を淡々と熟しているように見えたんだが」

「お役に立てるように尽力させていただいておりました。ハルメリオ様のお役に立つことができれば、お傍にいても良いと言っていただけるかと。傍にいるだけでご気分を害すようでは、貴方のアンドロイドとして失格ですから」


 メリーはそう言って、その場で恭しく頭を下げる。長い髪の毛がさらりと落ちて美しく艶めくのが、やけに目についた。それから目を離せないのは、明らかにハルメリオの中で心境の変化があったからだ。

 緩慢な動作で顔を上げたメリーは、静かにハルメリオを見つめる。珍しく何処か不安げな表情で、彼女はその桜桃の唇を僅かに動かした。


「ハルメリオ様。私は貴方のお傍で、貴方のアンドロイドとしてお仕えしても、宜しいですか?」


 確かめるような一言が鼓膜を撫でる。誤魔化しのために食していたシチューはすっかり器から姿を消して、その役目を終えていた。

 メリーは、一時的にハルメリオとレイが預かっているだけの証拠品だ。主人の設定をハルメリオで登録したままにしているのは、そちらの方が都合が良い、とレイが判断したからだ。再設定の手間を減らしながら、主人としてメリーの行動を制御できる。

 例のアンドロイド事件が解決するまでの、一時的な主従関係。そんなことを理解していながら、何故、彼女の言葉にこれだけ心を揺さぶられるのか。

 アンドロイドに許す心など無い。まして、両親を殺した存在を再び館に招き入れ、雇うなど、以前のハルメリオであれば断固拒否していただろう。

 否、他のアンドロイドを購入するつもりも、雇うつもりもない。それは変わらない。

 しかし、メリーは、メリーだけは特別だと、ハルメリオの内心が訴える。

 彼女の不安げな視線に射抜かれて、ハルメリオは視線を僅かに逸らした。それ以上目を合わせているのは、何となく居た堪れなかったのだ。


「……メリー」

「はい」

「そこの棚の小箱を開けてくれ」


 ハルメリオが指を差した先には、木製の大きな棚が設置してある。主に、使用人からの贈り物や仕事の功績を讃える表彰楯等を飾る棚だ。煌びやかな部屋の中で、ハルメリオが最も気に入っている家具がそれだ。

何時だったか、掃除も壊滅的なメリーには触れないように厳命したことがある。彼女はそれを良く覚えていたのだろう。彼女は、ハルメリオの指示通り、棚の隅に飾られた小さな木箱に恐る恐ると触れていた。なんでも無遠慮に壊す彼女にしては、珍しい思慮深さである。生活補助型アンドロイドとして成長したということだろうか。


「これは……」


 木箱の中に入っていたものを見て、メリーはゆっくりと瞬きを繰り返した。そして、丁重な手付きでそれを取り出す。

 小箱から出てきたのは、一本の細いリボンであった。黒い布に金色の糸で刺繍が施されており、中央には研磨された魔法石が縫い付けられてある。


「以前、任務中に髪留めが切れて代理で買ったものだ。今はもう使ってない」

「これが、どうかしましたか?」

「ずっと思っていたが、仕事中に髪の毛を下ろしているのが動きにくそうだったんでな。それでも使うと良い」

「……これを、私にくださるということですか?」


 メリーは静かに目を見開いた。瞬きを異様に多くして、リボンとハルメリオを見比べる。


「魔法石がついています。魔法石は魔法使いの予備魔力になる、所謂命綱のようなもの。その需要故に値が張ります。こちらのリボンは相応に高価な品だと判断しました。よろしいのですか?」

「一時的につけるために買ったものだ。元々女物だし、俺は今後つける予定がない。問題ない」

「アンドロイドは何の見返りもなく働きます。ハルメリオ様、アンドロイドに贈り物は無意味ですよ」

「無意味かどうかは俺が決める。……気に入らなければ箱に戻しておいてくれ」

「いえ、すごく素敵な品だと感じます。私の『素敵なお名前』と同じくらい」

「……お前、それ、遠まわしにまた世辞を述べてるって言いたいのか? 『素敵』の判断基準を持たないって言ったのはお前自身だろう」

「いえ、いえ」


 珍しく煮え切らない態度を表すメリーは、明らかに動揺と困惑をその顔に浮かべていた。彼女が身じろぐ度に、その手中でリボンの魔法石が美しく輝く。それが、妙にハルメリオの羞恥を刺激した。これもまた、彼の中では自分らしくないことに該当するのである。

 彼女の言う通り、記憶が正しければ、これは髪留めにしては高価な品だったはずだ。たかが労働力のアンドロイドに渡す魔法使いなど、街中を探しても稀有だろう。アンドロイドらしくない品は、アンドロイドらしくない彼女に、きっと良く似合う。

 眉尻を下げたメリーは、暫くそのリボンを眺めていた。珍しく口に出す言葉を選んでいるらしい。言葉を選ぶという機能があったのか、と考えているハルメリオの横で、メリーはぽつりと呟いた。


「言語化は難しいのですが、『素敵』の判断基準が分かるようになってきました」

「ほう?」

「私やハルメリオ様の名前も、このリボンも、素敵です。ハルメリオ様のお側で様々なことを学習させていただいたおかげだと思います。私のこの感覚が本当に正しいかは断言できませんが、それでも、私はこの品を『素敵』だと言いたいのです」

「感性に正しいも正しくないもあるか。お前がそう思ったんならそれが全部だ、メリー。気に入ったなら素直に受け取っておいてくれ」


 アンドロイドとはいえ、異性に贈り物をするのは、母へのプレゼント以来である。妙な気恥ずかしさに強襲されて、ハルメリオはわざと仏頂面でそう呟いた。メリーは、そのリボンを一瞬胸に抱きよせ、顔を隠す様に俯く。

 常に主人の望む顔を浮かべるアンドロイドが、肝心の主人から顔を背けるなど、前代未聞だ。しかし、最早そんなことも慣れた。メリーは他のアンドロイドとは違うのだ、と受け入れてしまえば、急激に肩から力が抜けていく。

目につく全てのアンドロイドが憎らしく見えるハルメリオにとって、彼女は、初めて壊したくないと感じたアンドロイドだ。その特別性から目を逸らすことはできない。


「宜しいんですか? 本当に?」

「しつこい。俺の使用人に俺が贈り物をして何が悪いんだ」


 堂々とその一言が吐ける現状に安堵した。メリーはそれを聞くなり、緩慢な動作で顔を上げる。


「嬉しいです。ハルメリオ様」


 宝石を思わせるような瞳が三日月形に細くなる。弾んだ声音から読み取れるように、彼女は、今までで一番美しく、それでいて、最も人間味のある微笑を浮かべた。

 メリーの細い指先によって、彼女の艶やかな髪が持ち上げられる。後頭部の高い位置まで上げられた髪を纏めるのは、魔法石のついた黒いリボン。宝石と金の糸の煌めきが、メリーの髪を一層美しく見せた。


「如何でしょう。ハルメリオ様」

「……如何、とは?」

「似合いますか?」


 アンドロイドらしくない問いかけは、ハルメリオの心情を理解して投げかけているのだろうか。一瞬眉間に皺を寄せたハルメリオを見て、メリーは小首を傾げる。それでも微笑を崩さずに次の一言を待つ彼女に、ハルメリオは、とうとう降参するような気分で、ぶっきらぼうに呟いた。


「悪くないんじゃないか」

「ハルメリオ様。女性が男性に洋服やアクセサリーが自分に似合うかどうかを訪ねた際には、事実はどうあれ『可愛い』と言うのがマナーだと、以前リリィが言っていました」

「どんな会話をしてるんだお前らは」

「ハルメリオ様、マナーです。この場合、『可愛い』というのがマナーです、ハルメリオ様」

「しつこい! 可愛い! これでいいか!」

「とても素晴らしいご回答、誠に有難うございます。恐縮です」


 強引な誘導の後とは思えないほど、メリーはその場で恭しくお辞儀をしてみせた。わざとらしい感謝の言葉に、ハルメリオが悪態を吐く暇はない。メリーはそのまま、ゆっくりとスカートの両裾を持ち上げ、言葉を継いだ。


「この度は、私を貴方の従者だと呼んでくださって、誠に有難うございます。私は生活補助型アンドロイド、メリーです。これは、貴方からいただいた『素敵なお名前』となります。どうぞメリーとお呼びください」

「何だ急に、改まって」

「貴方の従者として、改めて自己紹介をさせていただいております。貴方のお名前を教えてください」

「……ハルメリオ・ブライトネス」

「とても素敵なお名前ですね、ハルメリオ様」

「それは、文字数や歴史から判断した場合と、理屈抜きで素敵だと感じた場合と、単なる世辞、どの意味合いで言ってるんだ?」

「私には人物の名前に関するデータが搭載されておりません。しかし、ハルメリオ様のご両親はきっとそのお名前に願いと愛情を込めていらっしゃると予測します。また、私はハルメリオ様のお名前をお呼びできるととても嬉しい気持ちになります。それが『素敵』であると判断します。従って、この場合は一番目と二番目の理由が適切です」


 つらつらと説明を終えて、メリーは静かに顔を上げる。姿勢を正した彼女は、酷く嬉しそうな笑顔を浮かべていた。

 そんな顔をされては、釣られてしまう。彼女が随分明確な変化を遂げたことに、ハルメリオはついに小さく吹き出してしまった。

 こうして無邪気に笑うのは何年ぶりだったか。何の曇りもない晴れ晴れとした気持ちで、ハルメリオは口を開いた。


「メリー。お前も良い名前だな。俺の従者に相応しい名前だ」

「光栄です。ハルメリオ様」


 穏やかなやりとりが、静かな室内で密やかに行われる。

 アンドロイドへの憎悪に苛まれ続けた十年間の日々に、ようやく平穏が訪れた。その訪れを祝福するかのように、ランプの柔らかい光が小さく揺らめく。

 その光の中で、二人は暫く微笑みあっていた。何にも代え難い、幸福な時間だった。

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