RPG

第2話 RPG ── 1

 EEEトリプルイー災害対処職員としての初任務から10日後──

 転属先の特別対策課への出席を命じられたセリナは、支度を整えた最後に、長い黒髪を後頭部でひとまとめに結わえた。

 鏡の前で自分の姿をチェックする。ラフなインナーに、薄布のスカート。上着を着ればどこにでも居る村娘といったいでたちだ。


「やっぱり、黒に戻ってる」


 セリナは右胸元のコードを指先でそっとなぞった。

 殴り肉と戦った時は線が1本だけ赤くなっていたように思えたが、記憶違いだったのかもしれない。

 あの時、確かに自分は四肢の関節を外され、身動きがとれなかった。

 左腕にいたっては、力任せに肩から引き千切られた。

 だというのに、今は何事もなかったかのように全身の傷は癒え、あまつさえ分断されたはずの左腕すら元に戻っている。


 おそらくは、それが自分の持つCODEコードの力なのだろう。

 恐怖心すら忘れてがむしゃらに戦っていたので、戦闘中の記憶はほとんどないが、エレボス博士から送られてきた能力概要書にも、CODEと傷が癒えることの関係性について書かれていた。

 難しい言葉が多く、セリナはほとんど読まなかったのだが。


「それよりも」

 気になっているのは身体の変化である。

 左腕やCODEの話ではない。

 あの戦い以来、たった10日で顔の輪郭りんかくはすらりと整い、背と髪は伸び、見るからに胸が大きくふくらんだ。理由はわからないが、その事実が少し恥ずかしかった。


「……兄さん、私だってわかるかな」

 14歳を名乗るには女性的すぎる身体を見回して、眉をひそめる。

「ううん、どんなふうになっても、わたしはわたしだよね。早く兄さんに会えるように、がんばってお仕事しなきゃ!」

 両の拳を握りしめ、ふんすと気合を入れる。

 コンコン、とノックの音がした。

「あ、はい! 今行きます!」慌てて上着を着こみ、鏡で前髪をチェックして、部屋の扉を開く。


 そこには、短い棒つきの飴玉あめだまをくわえた白衣姿の女性が立っていた。

「はろはろ~♪」女性が右手をあげ、指先をひらひらさせる。「ここ、レーシュさんの部屋だよね? あたし、こういうものなんだけど、あなたが本人?」


 女性は左ポケットから手帳を取り出し、中身を開いて見せた。IIIランク職員を示す身分証明書IDカードがおさめられている。I~VIまである職員の中でも高ランクの職員──主にEEEの管理・研究を行う博士たちに与えられるランクである。セリナは特別職員になったため、V以上IV以下という本来は存在しないランクを与えられており、便宜上はIVマイナスランクとなっている。


「え、あ、はい! セリナ・レーシュと申します」セリナは一礼して姿勢を正す。

「うわ、ほんとに? 半分冗談のつもりだったんだけど。めちゃ美人じゃない。しかもナイスバディ。来てよかったわ~。眼福眼福」

 セリナは突然訪れた博士のなめまわすような視線にひるむ。

「えっと……その……?」

「突然ごめんね~。紹介が遅れました、あたしはマリっていうの。これでも第三EEE研究室の責任者でーす。あなたたちから見れば、AA-1001通称“次元通路ゲート”の向こうから来た異世界人。っていっても今の時代じゃ大して珍しくもないか。ま、よろしく~」


 茶色の髪をかきあげながら、マリ博士がウィンクとともに自己紹介する。

「いやあ、D-156を処分したのはたったひとりの華奢きゃしゃな女の子だって、あのハゲ……エレボス博士んとこの研究員から聞いてさぁ。こうして会いに来たってワケなのよ」

「は、はあ」

「そんな緊張しなくても大丈夫だって~! とって食ったりしないから♪ あ、これEEE職員の間でだけ通用するジョークね」


 早口にまくしたてるマリ博士についていけず、セリナはもっともらしい疑問を口にする。

「それでその、博士はここに、なにをしに?」

「なんだと思う?」マリ博士がにやりと笑う。

 挨拶あいさつのためだけに、EEE災害対処職員のもとを訪れたわけではないだろう。

 つまり──

「仕事ですか?」

「正解♪ 話が早くて助かるわ~」


 マリ博士が口内であめくだいた。

「311号実験室に行ってもらえる? 場所はわかるよね? あたしはちょっと用事があるから後から行く。部屋の前で待ってて」

「わかりました。ただ、今日わたしはEEE災害対処職員の職場に出席するよう要請ようせいされているんです」

「問題なし。あたしの用事のほうが優先事項だから」

「話が通っているということでしたら、わかりました。ただちに実験室へ向かいます」

「よろしい」

 マリ博士がセリナの頭へ手を伸ばし、髪に触れる前にその手を止めた。自分の行動をごまかすように、腕を組む。

「悪いね。いいよ、行って」

「失礼します」

 セリナはマリ博士の行動を気にも留めず、311号実験室へと向かった。


                 ◇


 マリ博士は、311号実験室へ向かうセリナ・レーシュの背中を見つめながらつぶやく。

「……人類1000人分。上級の神聖魔法や対地ミサイルとリスクレベルCのEEEにはとても見えないな。美貌びぼうのぞけば、どこにでもいる普通の女の子じゃないか」


 その場には存在しない研究員に、マリ博士は話しかける。

 マリ博士の耳には遠隔通話を可能にする小型装置イヤホンが差し込まれていた。セリナに感づかれないよう、耳全体は頭髪で隠していたのだ。

 遠くで連絡を取っている研究員が応答する。


「間違いありません。彼女はD-156をいともたやすく■■した生命体なのです。現在彼女が収容所内である程度の自由行動を許されているのはエレボス博士の嘆願たんがんによるもの。常に警戒しておくに越したことはありません。彼女はすでに「人類」のカテゴリから除外されています」


「ま、この世にはかわいいフリして裏では人間の眼球を集めているクソキチのEEEもいるくらいだ。本性を見定めるまで油断はしないつもりだけどさ」


「EEEへの接触も控えるよう気を付けてください。どのような事態が起きるかわかりません。B-059通称“たべものを粗末にするな”の事例では、VIランク職員がB-059の頭部に触れた瞬間VIランク職員の頭部からかかとにかけて未知の圧力がかかり、一瞬でハンバーグのタネに酷似した、血と骨まじりの肉塊にくかいにされたと報告されています」

「わかってるよ。触っちゃいない。ったく、どこかであたしを監視してるのかお前は」

 マリ博士がぞんざいに会話を切る。


 黒スーツ、黒ネクタイ、黒の革靴といった全身を黒一色で包みこんだ男が、彼女の前を横切った。セリナを監視するエージェントだ。

「ゾゾだったか。君は彼女のことをどう思う」

 声をかけられた男──エージェント・ゾゾが足を止める。

「監視対象です。私情はありません。彼女の行動原理・思考回路・生死にいたるまで私には関係がない」

 肩越しにそう言って、彼はセリナの追跡を続けた。


「やれやれ……この収容所では、どいつもこいつも嫌な仕事をしている」

 マリ博士は食べつくした飴の棒の代わりに、タバコを取り出す。

「博士。収容所内では決められた場所でのみ喫煙きつえんが許可されています」

 音だけで判別したのか、すかさず研究員の注意が入る。

 マリ博士は肩をすくめてタバコをポケットに入れなおした。

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