第1話 殴り肉 ── 3

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 セリナがEEE災害対処職員として初任務で訪れたのは、D-156と呼ばれるEEEが収容されている室内を一望できる研究室であった。

「見ての通り、向こう側にD-156……通称“殴り肉なぐりにく”と呼ばれるEEEがいる。君の任務は“殴り肉“を鎮静化ちんせいかすることだ。生死は問わない」

 エレボス博士は研究室を訪れたセリナにそう告げた。

 監視室から強化ガラス越しに見たD-156は、頭部と思われる半径30センチほどの肉塊の左右から、丸太よりも太い人間じみた腕を生やした奇怪な外見で、頭部全体に血管を浮きだたせた怒り顔を浮かべながら、その場にいる人間の肉体を紙のように引き千切っていた。


 セリナはその光景を、とてもこの世のものとは思えなかった。

「使い捨ての駒を20ほど“やっている“はずだが、一向に鎮まらなくてね。困り果てていたときに、君のことを思い出したわけだ。D-156はリスクレベルD、カテゴリはキラーだ。我々人類に殺意を向ける凶悪なEEEという認識で良い。入室してすぐに戦闘になるだろう。君、剣術や魔法の心得はあったかな? ゴブリンやスライムなどの魔物と戦ったことは?」


 セリナは弱々しく首を振る。

「そうか。まあいい。どうせ魔物との戦闘経験など塵芥ちりあくたほどの役にも立たん。好きな武器を持っていきたまえ。最高級の武具、魔術書を集めてある。対象に属性耐性はなく、火・氷・水・雷・土・風等の自然魔法はすべて効果があると判明している。切断・打撃・刺突も同じように効く。毒や呪いの類も有効だ。眠りもするし、空腹にもなる。無意味に生命体を殺そうとする。それらの点では人間と同じ対処法が有効とも言える。他に質問があれば回答しよう」


 エレボス博士の説明中もD-156はVIランクの職員たち(VIは最低ランクに位置し、彼らは「魔法を扱う能力すら持たない無価値な人種」とセリナは教えられた)と交戦中で、この世界におけるいかなる法則をもってしても解明できない圧倒的筋力を用い、VIランク職員たちを■■していた。


「君の場合、CODEがあるからVIランクのゴミと比較すれば問題はないだろう。EEEという人知を超えた存在に、人類が生んだ新たな概念をぶつける。ははは、こうなってしまってはもう科学の出番などないな。いや、こちらの世界ではもとより科学ではなく魔法という思考放棄しこうほうき摂理せつりが大事にされているんだったな」

 放心しているセリナの両腕をエージェント・ゾゾとエージェント・マハナが支え、D-156が暴れている部屋と通じる扉の前へ連行した。


 エージェント・マハナがセリナの耳元でつぶやく。

「セリナ。やはり危険すぎるわ。やめたほうがいい。せめてEEE対処の基礎訓練を修学してから──」

 彼女はセリナが収容所に来てから監視を行っているため、セリナの身体を思いやる行動を起こすことがあった。セリナにとってその思いやりは煩わしいと感じるときもあるにせよ、概ね感謝に値するものだった。母や姉が生きていれば、エージェント・マハナと似たような行動をとるのだろうかと、想像したこともあった。

 D-156がVIランク職員の耳や指を引き千切る。室内に新たな鮮血せんけつが舞った。

 叫び声と怨嗟の声と助けを呼ぶ声が混じり合った声が聞こえる。

 セリナはまばたきもせず、その光景を凝視ぎょうししていた。


「エレボス博士。セリナはこの通り、自失しております。今回は別の手段を用いるべきでは……?」

 エージェント・マハナはセリナに対するじょうからか、そう提案した。

「よせよ、エージェント・マハナ。俺たちが口出くちだししていい問題じゃない」

 エージェント・ゾゾがすかさずエージェント・マハナをたしなめる。

 エージェント・マハナが「でも……」と言いかけると、エレボス博士が右手をあげて、続く言葉を制止した。

「別の手段ってなに?」

 エレボス博士は爬虫類はちゅうるいじみた冷たく硬質こうしつな目でエージェント・マハナを見つめる。エージェント・マハナはその問いに答えられず押し黙った。


対案たいあんがないのに口をはさむのは無能のすることだよ、マハナ君。なにより、本人に直接聞かなければその意思を尊重できない。セリナ。行くのをやめるかい?」

「行きます」

 セリナは即答する。

 エージェント・ゾゾとエージェント・マハナの手からするりと抜け、セリナは扉の向こうへと進んだ。二人は幽霊でも見たかのような表情で、ひたいにはじっとりとした冷や汗をかいていた。


 扉の先は短い通路になっており、5メートルほど先に入口側と酷似こくじした扉がある。この通路はEEEに関与した人間が研究室側に戻る際、ウィルス等が付着していないかの確認と洗浄を行う場所なのだろうとセリナは推測する。

 ……もしくは、室内にいる職員ごと、この通路から外に出さないための遮断しゃだんを行うためかもしれない。


 セリナは迷いなく扉へ向かって進んだ。

 向こうの扉を抜ければ、自然法則を超越ちょうえつした怪物──EEEトリプルイーが待つ死の世界だ。

 不思議と、恐怖感はなかった。

 頭の中は、真っ白だった。

 右側の胸元あたりが燃えるような熱さを発しているが、それも特に気にならなかった。


 セリナはD-156のいる部屋に通じる扉を開ける。

 セリナが室内に侵入すると、扉は自動的に閉じた。

 その時になってようやく思い出す。

 武器を忘れた、と。

 直後、顔面にびちゃりと何かがかかった。

 D-156によって首をじ切られたVIランク職員から飛び散った大量の血液である。

 セリナは全身がふるえ、その場に立っていられなくなり、座り込んだ。

 腰は抜けたが、泣き出すことも逃げだすこともなかった。後の記録によれば、失禁もない。

 およそ、極限の恐怖状態を迎えたとは思えない、なぎの状態。

 ただ、自分は死なないという根拠のない確信があり、兄との再会を夢想していた。

 D-156が、ゲヒゲヒと気味の悪いわらいを発しながら、両腕を足代わりにしてセリナのもとへ近づく。

 セリナはそれを他人事のようにながめていた。

 CODEのきざまれた胸元が、ひどく熱くなっていた。



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