第25話
「ねえ、知ってる? まるで炎と氷のように、って」
「何かの暗号か?」
「あはは。違う違う」
ルーシャンに淹れた茶を渡す。今年の冬は殊更冷える。焼け野原だったウィルダ原野の風を思い出させる寒さだ。
「最近できたことわざ、なのかな。わりと流行ってるらしいよ。弟君達の手紙に書いてあったんだよね」
「――あいつら、また儂を通さずにお前とやり取りしてるのか」
「妬くなよ、オニーチャン。
「―――まあいい。それで?」
これはあとで弟君達にお叱りの伝書か手紙がまた飛ぶな、と茶をすする。熱くてちょうどいい。身体があったまる。
「
言って暖炉に薪を足す。それからソファに座るルーシャンの隣へ腰を落ち着かせた。
持っててもらった茶を受け取ってまたすする。あったかい。
「敵対していたけれども婚姻を結んだガドー家とレイ家のように仲良くやりましょう、とか犬猿の仲だったけれども比翼連理の間柄になったり、ってときに使うんだってさ」
「――ああ、炎がガドー家で氷がレイ家か」
「うん、そうらしい」
「そうか」
ガドーは炎の魔術が得意で、氷を作るならレイ家というのが東国の認識だ。謝肉祭やら新年祭やら、祭りがあるごとに披露してきたから当然だよね。
しばし無言で茶をすする。なにかつまむものが欲しくなってくるよね。
「まるで炎と氷のように末永く~、とかって使うらしいよ」
「――まだ婚姻を結んでからそれほど経っていないと思うが」
「そうだねー。希望込みなんじゃない? またガドーとレイがケンカしたら大変だし?」
「――そうだな」
この間の大喧嘩の原因は黙々と茶を飲もうとするので、ボクは台所から手作りしておいたせんべいを持ってきた。音を立てながら食べていると、横から伸びる手があったので持たせてやる。
「――」
「……」
ばりばりばりん。
ボクが二枚目のせんべいに手を伸ばしたところでルーシャンがおそろしく低い声で呟いた。
「――儂はそんなにわかり易いか」
もぐもぐごくん。
正直に言うべきか否かを迷って、嘘は本人の為にならないので、真実を告げることにした。ルーシャンの反応が楽しいのももちろんある。普段はしてやられてばっかりだからね、楽しいよね。
「買い物とかで初対面の人にも『旦那さんに大切にされてるんですね、羨ましいわあ』とか『熱々ですね』とか言われるくらいにはわかり易いと思う」
「――」
ルーシャンは頭を抱えた。
ボクに重い荷物を持たせたがらなかったり、ボクに話しかけてくる男を睨んだり追い払ったりしてるくせ、自覚が無かったようだ。
そうかー。こっちが真っ赤になるくらい威力の高い言葉の数々も無自覚だったのかー。
白皙を首まで染めたルーシャンの肩を叩く。赤くなった顔を見せたがらないので、顔は上がらなかったけれど、手は握ってきた。うん。やっぱりかわいいとこあるよね。
空いているほうの手で白髪をぐしゃぐしゃに乱しても文句はこなかった。嫌な時は抗議が上がる。
まるで絹糸のような細い髪を撫でていると犬か猫を飼いたいな、と思う。大きな犬はいるから、飼うとしたら猫だな、猫。
「ねえ、猫でも飼わない?」
「――急だな」
「そうでもないよ。戦争が終わったときに飼おうかなって思ってたんだよね。すぐそれどころじゃなくなって忘れてたけど」
「――そうか」
ようやく顔を上げて、握ったボクの手をマッサージするルーシャンの頬はまだ少し赤かった。
「もうしばらくお前との生活を楽しむのもいいと思っていたのだが」
今度はボクが顔を隠す番になった。
こういうこっっっ恥ずかしいセリフを真顔で言うくせ無自覚って本当っ!
「どうした。悪寒か? 風邪か?」
「……ちがう。ちょっとそっとしておいて」
「わかった」
しばらく片手を揉まれておく。ルーシャンの髪をぐしゃっていた手は顔を覆うのに使っている。
まだ二人でいたいってか! この野郎! 氷なのは表情筋だけか! それもボクの前ではユルッユルだよね!
「……弟君達の手紙にさあ」
「ああ」
「まるで炎と氷のように、の由来を聞いた兄さん達が大喜びしてあっちこっちに言って回ってるって」
「――そうか」
「だから
「――何をやっているんだ、あの二人は。来年の新年の挨拶に行くのは取りやめるか」
「いいね、それ。大賛成。手紙だけにしとこう」
飽きることなくボクの手を揉み続けているルーシャンの手を取り引き寄せる。隙間なくよりそって、頭をルーシャンの肩にあずけた。うわあ、けっこう恥ずかしいな、これ。
それからルーシャンの片手をボクの腹に添えさせた。
まだなんの変化も見られない平らな腹だ。けれど中身は劇的な変化に満ちている。
「それに長旅は控えるように、って言われたんだよね。空間魔術もダメだって」
「――」
ルーシャンからの反応はない。
どんな
「言っとくけど、ちゃんと医者と産婆さんに確認取ったからね。三か月に入るくらいじゃないかって」
ルーシャンの頭が上下して、それからしばし待て、のハンドサインが示された。戦中もよく使ってたやつだ。
示された通りしばし待つ。
「兄さん達の三番目の子とは同い年になるねー。ボクもルースみたいにつわりが軽いといいんだけど」
ルーシャンの骨ばった手をいじりながらしゃべる。ボクもそれなりに荒れた手だったけれど、隣の過保護がいちいち手入れを欠かさないおかげで爪はピカピカだし、ささくれだってひとつもない。されるばっかは悔しいから僕もルーシャンの手入れをして、爪ピカにしてやってるよね!
「――イズナ」
「なに?」
「ありがとう」
そこそこ待ったわりにルーシャンの声は小さかったし、震えていた。けれど、ボクは十分満足して口の端がかってに上がる。
「こちらこそ」
死んでいった人達のことも、殺してきた人達のことも、未だ忘れていない。忘れられない。忘れたくない。忘れちゃいけないとも思う。
それでも前を向こうと思えるのはルーシャンのおかげだ。
ボクの幸せを自分の幸せだなんて宣言して、体現してきてくれたルーシャンが側にいるから、ボクは今笑えているんだと思う。ルーシャンの思い通りなのはちょっとおもしろくないけれど。
「ボクのほうこそ、ありがとう。これからもよろしく。
それこそ“まるで炎と氷のように”末永く」
鼻をすする音がする。ようやく外れた手の下から現れたのは鼻と目元を赤くして、こぼれそうになる涙をなんとか留めているルーシャンの顔だった。
ルーシャンの両手が腰と背中にまわる。ぎゅう、と力強く抱きしめられた。
「まるでもなにも、儂達が炎と氷だろうが」
「はは、そうだった」
***
「もー、いい加減泣き止みなよー」
「止まらん。こんなに泣いたのは初めてだ。止め方がわからん」
「ふふふ。子どもみたいだよね。はい鼻ちーん」
まるで炎と氷のように 結城暁 @Satoru_Yuki
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