第24話

 王城の汚れをさっぱりすっきり落としきったところで、怒髪天を衝いた兄さんが空間魔術で空を切り裂いて到着した。

 怒りのままに西国王と王子達の首を刎ね飛ばそうとする兄さんをなんとか落ち着かせたのはボクだった。

 兄さんと同じように空を歪ませて到着したルースは怒り狂っていて、西国王を視界に入れた途端殴り飛ばした。西国王の鼻はひしゃげて、歯は折れ飛んで、血飛沫がその辺りを汚した。

 放っておくと原形を留めないくらい殴りそう、というか挽肉ミンチにする勢いだったルースを止めたのはヤツだった。

 自分達に向けられた殺気にようやく兄さんのおそろしさに気付いたらしい王子達は身を寄せ合って震え始めた。遅い。セジウィック家当主が兄さん達を取り成してその場はなんとか収まった。

 ウィルダ原野へ案内された兄さんは原野に八つ当たりの限りを尽くした。

 草木が生い茂り、石や岩が転がり、魔獣魔物が跋扈する耕作に向かなかった土地がなんということでしょう。ぺんぺん草すら生えないまっ平な大地に。

 岩石は砂状になって、ここは将来耕作地を通り越して砂漠になるかもしれない。

 ルースも盛大に八つ当たりをしていた。

 風を吹き荒れさせ、雨を降らし、嵐を呼び、土を隆起させ、あちこちに雷を落とし、兄さんと一緒に辺り一面を炎の海にした。どこの世界創生神話だ、これ。

 同行してくれた魔法騎士おじいちゃん達も口が開いて塞がらない。ボクもアイツも頭を抱えた。これで手加減をしているんだから、やっぱり二人は規格外にも程がある。

 大暴れしたおかげで多少は落ち着いたらしいルースは最後に土壌を整えてくれた。焦土から焼土にまで生まれ変わった大地はどうやら砂漠にならずに済むらしい。


「次代の王、サディアス・セジウィックよ! これからイヅチ共々頼むぞ!」

「あー……、それなのですけれど、ご相談させていただきたい事がありまして。イヅチ殿もどうぞ、同席してください」

「ああ」


 セジウィック家当主の顔は石灰よりも白かった。

 そりゃ、世界創世神話を目の前で繰り広げられたら、この二人を臣下にできるなんて思わないだろう。

 連行されて兄さん達の力量やつあたりを見せられた西国王達は失神していた。しばらく目を覚まさないだろう。そのほうが幸せなんだろう。この後に待っている彼らの処遇を考えたら。

 首を落として、燃やして塵さえ残さない。今まで自分達が気軽に命じて散々人にさせてきたのだ。それが自分達の最期になっても文句ないだろう。

 眠っている間に終わらせやるのだから痛みを感じさせない分ボクらのほうがよっぽど慈悲深い。

 兄さん達の話は長くなりそうだった。

 セジウィック家当主の話を兄さんは受け入れるのか、跳ねのけるのか、それとも丸め込まれるのか。……後者みっつめかな。兄さんはなんだかんだセジウィック家当主が嫌いじゃないし、押しにも弱い。

 セジウィック家と弟君達が補佐につくなら、なかなか良い王様になるんじゃないかな。お飾りだけど。

 遮蔽物が何もなくなってしまったから、けっこう強い風が頬に当たる。防風林は整備したほうがいいな、こりゃ。


「イズナ」

「なに」


 あいかわらず冷えたというか、温度を感じさせない声だった。風の吹きすさぶここで聞くとさらに冷え冷えとした声に感じる。

 正直に言うと、この声は苦手だった。人の内側を全て見透かすような力強い眼差しも。


「話がある」

「そう。聞くよ」

「弟達のことは忘れなくて良い」

「……あっそう」


 兄さん達に魔法騎士達も加わって和気藹々と話し合いは続いている。ボクらからは距離があって話の内容はまるでわからないけれど、兄さんのカは穏やかだった。


「俺も忘れるつもりはない」

「ふうん」


 なんとはなしに地面を蹴った。石ころひとつだってありゃしない。


「だから、忘れなくても良い。それもお前の一部なのだから」


 水魔術はやっぱり便利だな。

 ヤツは手のひらに水球を作り、それを頬に当てられた。


「女の顔に傷をつけるとは、男の風上にも置けん」

「ハハ、それお前が言うの」

「俺も含めてだ」


 いくさ中の事を言ってやれば、ヤツは苦虫を潰したような顔をした。なんだ、その顔。変なの。


「……今さらだな」

「ああ。だが遅くとも処置したほうが良いだろう。しないよりはずっといい」

「……そうかもな」


 第二王子に不意打ちでくらった平手打ちは、くらったことすら忘れるほどの威力でしかなくて、別に冷やさなくたって平気だ。

 ボクはそう思っていたけれど、ヤツはそう思わなかったらしい。


「……義務感の強いやつは大変だな」

「義務感だけじゃない。好意を抱く相手になら当然の行動だろう」

「お前ってさあ……」


 怒りよりなにより、先に呆れがくる。仮面のような表情がなにひとつ変わらない顔でそういうこっ恥ずかしいセリフを言うようなヤツだったのか、お前は。


「なんだ」

「なんでもない。少しあるくぞ。ルースが作った川が上手く流れてるか見に行きたい」

「ああ」


 原野にあった水溜まりや泉やら水脈やらを利用したらしい川に沿って歩く。聖獣様の森に流れる御利益一杯の川から水を引いたそうなので、じきに生物で溢れるんだろう。

 こちらに人手を集められれば少しは雇用の足しになるだろう。しばらくは魔力の流れがしっちゃかめっちゃかで魔力溜まりができ易いから、魔法騎士で巡回をしなくちゃだけれど。兄さんもルースも力いっぱいやりすぎなんだよね。

 羽音が聞こえたほうをみればさっそく鳥が川辺に下りて来ていた。水面を覗いているけれど、魚も虫もまだいないんだよね。残念。

 鳥はしばらく水面を見ていたけれど、やがて飛び去っていった。


「イタビとイスカが死んだのはボクのせいなんだ。ボクが罠だって気付かずに行かせたから。罠だって気付いたときにはもう遅かった。一生懸命走って行ったけど、イタビもイスカも死んでた。水溜まりの中で、泥まみれになて、目も閉じずれずに。痛かっただろうな、辛かっただろうな、悔しかっただろうな、って想像するたび自分が許せなかった。ボクが最初から罠だって気付いてれば、もっと早く気付いてれば、二人は死なずに済んだのに。

 ……そんなたらればを考えることすら烏滸がましいけど。生きてたら十五と十四で、ちょうど弟君達と同じで、あの子達は死んだのになんで、って思った。あの子達が死ぬ前に和平が成ってれば、って何度も思った」


 眺める川の流れは淀みがなかった。穏やかに、ゆっくりと、ここではない場所に流れて行く。留まることは決してない。時間と一緒だ。

 ボクが許せないのは東国より、レイ家より、なにより自分だった。イタビとイスカの死因になった自分が嫌で嫌で堪らなかった。


「許されるはずがないと思った。許されていいはずがないって。それなのに弟君達は兄さんにもボクにもあっさり話しかけてきて。元敵国の人間なのに。父親を殺されたスチュアート君はボクに笑いかけてくるし。東国の人間はお人好しばっかりだよね」


 びゅうと風が吹く。土埃が少しだけ舞った。首元が少し寒い。


「それはお前もだろう」

「……」


 振り返った先に立つヤツは、やっぱりいつもと変わらない顔をしていた。これだけ風が吹いているのにヤツの周囲だけ風が止んでいるかのような佇まいでそこにいた。魔術でやっているのかもしれないが。

 あ、少しだけ眉間がゆるんだ。


レスリー達を殺せたのに、お前はそうしなかっただろう」

「………」

「手間をかけて魔術回路を使えなくするより殺すほうがずっと手軽だ。効率が良い」

「…………」

「おかげで弟達を喪わずに済んだ」

「礼とか言ったらぶち殺す」

「――おお、こわいな」

「嘘つきめ。どこも怖がってないだろ。

 別にお前らのためじゃない。殺さなかった訳じゃない。……殺せなかっただけだ」


 イタビ達を殺されて、ならあっちの弟達も殺してやれ、と思った。運が巡って殺せる場面がきたというのに、短剣を握る手は震えていうことを聞かず、倒れていた弟君達がイタビ達に見えた。その時点で殺すのは諦めた。たとえ幻でも弟は殺せない。

 骨を折っても肉を断ってもレイ家の回復力ならすぐ戦線復帰されてしまうから、魔術回路を壊した。それだけだ。魔術回路は回復の難しい部位だから。


「去り際にごめんと聞こえて、西国の兵も人間だと意識するようになったらしい」

「……ふうん。言っておくけど、別に弟君達に謝った訳じゃない」

「だろうな。

 お前に感謝しているとも言っていた。だが、戦時中いままでの行為を謝ることはできないと」

「そうだろうね」

「だから、せめてお前の幸せを祈っている、と」

「……」


 何も返せず、ボクは黙り込むしかなかった。レスリーとロニーの顔が思い浮かんでくる。ルースとルーシャンによく似た面差しの賢そうな子達。


「俺もそうだ。お前には幸せになって欲しい。できれば俺の隣で」


 びゅうびゅうとボクの首元を冷やしていた風が急に止まった。まあ、風だし、また吹くんだろうけれど。

 ボクは深く息を吸った。いっそ戦で死んでたほうが良かったのかな。そうすればこんな思いはせずに済んだのに。……兄さんを独りにすると何をしでかすか予測が付かないからおちおち死んでられなかったんだよね。


「はは、できればって、ボクが嫌だって言えばどっかよそで幸せになってもいいんだ?」

「――それが真にお前の幸せなら」


 ヤツは眉間に皺を寄せた。なんだ、その顔。面白いな。


「……兄さんが結婚するって、好きな人と一緒になる、って聞いて、ああ良かった、兄さんは大丈夫だって思ったんだよね。

 イタビ達が死んでから兄さんはどんどん怖くなっていって、あの日、聖獣様が現れた日の朝、たぶん相打ちになってでもルースを殺しに行くんだろうな、って死ぬ気なんだ、ってわかってた。わかってて止められなかった。ボクもたぶん同じ気持ちだったから。

 自分の命なんてどうでもよくなっちゃったんだよね。弟達の他にも父さんも叔父さん達も、ガドー家の人間がたくさん殺されてきて、その仇を討つんだって言いながら、たぶん自分の死に場所を探してた。

 大切な人達を亡くして、亡くして、悲しむ暇もなくて、それでも戦わなくちゃいけないくて。これ以上悲しい思いをするくらいなら死んで終わりにしてしまおうか、って思ってた。兄さんもボクと同じかはわからないけど」


 また風が出てきた。本当に冷たいなあ。

 しゃがんで川の流れをただ目に映すだけのボクの隣にヤツが立つ。風除けみたいでちょうどいい。


「やはり聖獣様には感謝してもしきれんな。お前が死ねばイヅチは狂って止まらなかっただろうし、イヅチが死ねば姉上は生涯心からの笑みを置き去りにしたままだったろう」

「……ルースが? 想像できないよね」

「終戦直前はひどかった。俺ですらうかつに近づけなかったほどだ」

「へえ」


 座ったままヤツを見上げる。やっぱり寒い時期にはさらに寒々しいな、こいつ。夏にはいいんだろうけれど。


「お前はさあ、ボクに幸せになって欲しいワケ」

「ああ」

「ボクはそうは思わない。イタビ達に申し訳ないから。ボクのせいで死なせたのに」

「俺がお前に幸せになって欲しいのと、お前がそう思わないのはまた別問題だろう。

 だいたい弟達に幸せになるなと言われた訳でもあるまい。文句があれば直接言いに来るだろう。それくらいの根性は絶対にある奴らだったぞ」

「なにそれ。お前がボクの家族を語るなよ」


 風のせいで鼻が冷たい。つんとする。膝上で組んだ腕に顔を埋めた。


「死者に生者の生きる道を決める権利などないし、たとえ生者であっても自分以外ひとの言う通りに生きる義務はない。自分の行きたい道を行けばいいんだ。俺も、お前も。

 だから俺はお前を幸せにする。もう決めた。お前自身にも邪魔はさせん」

「なんだよ、それ。横暴にもほどがあるよね……」


 なんでそんなに偉そうなんだ。何様のつもりだ。卑怯卑劣のハゲタカ様か。ハゲてしまえ。


「ボクなんかに構わずボク以外を幸せにしてりゃいいのに。その方が簡単だぞ。お前はもっと頭が良いと思ってたよね」

「何とでも言え。恋をすると人は皆馬鹿になるそうだ。姉上達を見ていてその通りだ、とは思っていたが」

「あ~~~~~~」

「お前の幸せが俺の幸せだ。死ぬまで俺の隣で笑ていろ」

「………よそで幸せになるのはどうなったの?」

「――却下だ。想像してみたが、そうなったらここを雪原に作り変える自信があるぞ、俺は」

「うわあ。お前そんなキャラじゃないだろ。自重しなよね」

「断る」

「断るって、そんなの、ボクがお前の隣に幸せを感じなかったらどうするんだ」

「幸せを感じてもらえるよう努力するしかないだろうな。幸い、手のかかる姉と義兄あには揃って弟達に任せられる。お前にかける時間は山ほどあると思うぞ」

「仕事しろー」


 目からこぼれた水分は袖に吸わせて、ボクは顔を上げた。


「イタビ達、来てくれるかな」

「文句があれば夢枕に立つだろう。文句があれば、の話だが」

「出てこなきゃ文句はないだろうって?」

「ああ。俺は姉上や弟達に殺されたとして――やはり恨みを抱きはしないだろうからな」

「……そんなの、ボクだってそうさ」


 だって、大好きなんだもの。ああ、久しぶりに二人の笑った顔を思い出した。

 二人とも兄さんに顔は似ていたけれど、笑顔は似ていなかった。かわいらしい、子供らしい笑顔だった。


「というか、あいつらが文句を言いにくるとしたら俺にだろう」

「そうかも」


 ヤツの差し出してきた手を取って立ち上がる。

 ボクが素直に手を取るとは思ってなかったらしいヤツは目を丸くしていた。間抜け面。


「――冷やすか?」

「いいよ。歩くだけで十分冷える」


 目元に触られたけれど、よけなかった。

 弟達への悔恨がすべて消えた訳ではない。東国への憎悪が解消された訳でもない。

 けれど。


「戻ろう、ルーシャン。

 いい加減戻らないと面倒な役職でも押し付けられたら困る」

「――ああ。戻ろう、イズナ」


 ルーシャンは少しだけ動きを止めただけだった。ちぇ。つまんないの。初めて名前を呼んだんだからもう少し動揺しても……。

 ルーシャンは肌の色が白いからはっきりわかる。風の冷たさのせいだけではなく耳を赤くしたルーシャンに、ボクは思い切り笑って背中を叩いた。


「けっこうかわいいとこあるな、ルーシャンは!」

「――儂だって人の子だ。からかうな」

「儂?」

「――親父のがうつっただけだ」

「そっちが素か!」

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