第20話

 ヤツとの婚約はあっけないほどに成った。

 兄さんは予想外にも少し驚いただけで、ヤツに殴りかかったり斬りかかったり、なんてことはなく。ルースは大げさなほどに喜んだ。弟君達は兄さんとルースの補佐をすること、つまりは西国行が決まって、がんばります、と張り切っていた。

 ヤツとの婚約は必要なことだから、兄さん達の反応は面倒がなくて楽で、それでいいはずなのに、もやもやとわだかまるこの胸の淀みは何だろう。

 婚姻は邪魔が入らないよう早い方が良いということで、兄さん達の式と同時にボクらの式も挙げることが決まった。

 兄さんとルースの婚礼衣装はおばさん達に頼んでおいたけれど、ボクとヤツの婚礼衣装はレイ家お抱えの職人に頼むことになった。

 そのことを伝えるためにおばさん宛てに伝書を飛ばしたけれど、怒られないといいなー。万が一ボクが結婚するときは絶対に婚礼衣装を作らせろ! って脅……言われてたんだよね。

 ……絶対怒るよねー。ウワー。今から気が重い。

 式を挙げたらルースはガドー家へ、ボクはレイ家に移ることになる。一度西国あちらに戻って荷物をまとめないと。そんなに大層なものはないけど。

 レイ家の窓から見える景色は当たり前だけれどガドー家のものとは違っている。式を挙げた後は一生この景色を見るようになるのかと思うと堪らない気持ちになった。

 がむしゃらに走り回りたいような、叫び声を上げたいような、手当たり次第に魔物を斬り殺したいような、身も世もなく泣き喚いてしまいたいような。

 別段、東国が憎い訳ではない。レイ家が嫌いな訳でもない。

 あの男が憎い訳でもない。

 ただ、ひどく。腹立たしい。


***


「聖獣様のもとに行きたいのか?」


 首をわずかばかり傾げたルースの髪が光を反射してきらめいた。いつもながら寒気を感じるほどに美人だ。


「はい。一度くらいは直接お礼を申し上げておきたいと思いまして。もちろんお目にかかる気はありません。供物を捧げて祈りを捧げたいんです」

「それくらいなら聖獣様もお許しになるだろうが……」

「ありがとうございます。さっそく行ってきます。失礼しました」

「イズナ」

「なんですか?」


 いつも笑顔のルースが珍しく苦々しい表情をしているように感じる。


「ワシはおぬしと姉妹きょうだいになれてとても嬉しい」

「ありがとうございます」


 ボクもです、とは言えなかった。少なくとも今は、まだ。

 ルースがそれを察したかどうかはわからない。ルースはそうか、と寂しそうに呟いた。


「あまり遅くならぬようにな。聖獣様のおわす森にも魔物や魔獣は出る。イズナならば大丈夫だろうが、気を付けていくのだぞ」

「はい」


 ルースが兄さんにも伝えてくれるというので、そのままレイ家を出た。供物は市場で見繕い、新鮮な果物にした。

 ルース曰く、聖獣様に好き嫌いはないということだった。


***


 聖獣様のおわす森には何度か足を踏み入れたことがある。戦時中は東国の連中とよく陣地争いをしたものだ。

 もっとも森の中心部には行っていない。

 森の中心は聖獣様の住処とされ、何人も近付かぬよう東西どちらの民も幼い頃から教えられて育つ。中には稀に言いつけを守らない子どもは出るが。兄さんとか。

 戦時中であってもそれは暗黙の了解として、守られていた。

 だからボクが森の中心を訪れるのはこれが初めてだった。

 想像していたような不可思議さは感じなかった。

 森の開けた場所に泉があり、泉の中の島に大樹が聳えている。空気は清浄だけれど、思っていたより普通だ。

 大樹の根元にはルースが魔術で作ったらしい小さな祠が設えてあった。供えてある木でできた杯は兄さんが彫ったものだろうか。ああ見えて器用なのだ、兄さんは。


「昔は鳥とか作ってくれたっけ」


 戦に出るようになってから機会は減っていったけれど。

 祠に果物を備え、祈りを捧げる。

 否。ただの祈っているフリだ。真実祈っている訳じゃない。

 今更何を祈るって言うんだ。

 兄さんの背中を押してくれたことも、戦争を止める手助けをしてくれたことも、感謝を捧げた。

 では、それ以外になにを?

 考えて、やめた。

 聖獣様にロクでもない祈りうらみの言葉など聞かせるわけにはいかない。

 それでも、随分と長い事そこに佇んでいた。

 聖獣様の気配は感じなかった。それでいい。会いたかった訳じゃない。

 明るかった空は徐々に暗くなり、星が瞬き始めた。ここからは見えないけれど月も出ているのだろう。

 冷えてきたので移動して火を焚いた。さすがに聖獣様のいる聖域で火を起こす気にはならない。

 聖獣様の泉から流れる川を下って行って、大きな岩を飲み込むように生える大木のある場所。この場所はまだ戦に参加する前に誰にも内緒で訪れていた場所だ。

 こうして暗闇の中で揺らめく炎を見ていると弟達の顔が浮かんでくるのは、ボク達と同じ黒い髪と赤い目だったからだろう。イタビもイスカも感情が高ぶると夕焼けか、熾火のように目が赤く光ってきれいだった。

 焚火を眺めながら携帯食を齧っていると戦時中のようだ。あの時と違って周囲に人の気配など微塵もしないけれど。

 懐かしいことを思い出す。ケンカしたり、へそを曲げたりで一人になりたいときはいつもここに来ていた。

 一人でぶすくれているボクを迎えに来るのは専ら兄さんで、陽が沈んでも帰らないボクをため息交じりに、苦笑交じりに、それでもやさしく笑って、帰るぞと手を引いてくれた。

 けれども、もうその迎えはない。

 ボクはもう子どもじゃないし、兄さんにはルースがいるし。ボクがひとりになりたいってことも兄さんならわかってくれていると思う。

 このまま一晩ここで過ごして戻る。


「って思ってたんだよねー」

「――探した」


 暗闇の合間から姿を現したのは夜でも目立つ白髪の男だった。

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