第17話:マルコム・シェパード
ルーシャンに連れられ会場を出て行く女性――イズナの後ろ姿を見送る形になってしまったマルコム・シェパードは持っていたグラスの中身を勢いよく飲み干した。
その
マルコムは再びワインを呷った。すぐ次のグラスをもらう。
ワインを提供してくれた給仕は憂わしげな顔をすぐに隠した。よく教育された良い給仕だ。
マルコムがイズナを初めて見たのは十年前の戦場でだった。
当時十九になったばかりだったマルコムはようやく戦場に立つことを許された駆け出しの騎士だった。
戦場に立つことが許されたとはいえ、魔法騎士達のように直接敵と切り結ぶ訳ではなく。高い防御力を生かして後方支援に従事している魔術師達を流れ
遠く聞こえる轟音や、薄っすらと空が白くなる度に、レイ家を筆頭とした魔法騎士達と同じ戦場に立っているのだと実感できた。
時折飛んでくる流れ魔術を、魔術で強化した盾と対魔術防壁で防ぐ。さして難しい仕事ではなかった。
自分も早く
昼近くから雲ひとつなかった空が段々と曇り始め、風が強くなり、今にも雨が降り出しそうな黒い雲に覆われた。
「警戒を怠るな!」
上官の声に齧っていた干し肉を慌てて飲み込み、盾を持ち直す。
急激な天候の変化は魔術行使によって引き起こされた可能性が高い。
そして西国のガドー一族は嵐と共に現れる、と言われていた。実際、嵐に乗じて要人が暗殺される事件が多数あった。
風はいよいよ強くなり、雨も降りだしてきた。
風雨の勢いは目を開けていられないほどで、もはや嵐といってもいいぐらいだった。
それでも必死に目をこらして前を見据えていたマルコムの耳に、風雨の音に紛れて聞きずらかったが、味方と思わしき叫びが届いた。
「ガドーが出た! 全員退ヒ」
一瞬の光と共に不自然な途切れ方をしたその声の出所を探す。
「術師達を守れ! 退避せよ!!」
マルコムと同じく魔術師達を護衛していた騎士ががなり立てる。
雨はいっそう激しさを増し、今となっては隣にいる人間の判別さえ難しい。
マルコムはせめて灯りがわりにと炎を空中へ走らせ、叫ぶ。
「術師殿の安全を確保せよ!」
炎に照らされたマルコムの周囲には味方の騎士と術師に紛れ、明らかに戦場には不釣り合いな軽装の人間がちらほらといた。例外なく変わった形の短刀を手にしていた。
「撤退!」
その中のひと際小柄な覆面が鋭く命令を下す。状況判断が早い。
十中八九この襲撃を企てた首謀者だろう、と見当をつけたマルコムは全身へ身体強化をかけながら腰の剣を抜き放った。
「待て、卑怯者共ォ!」
マルコムは
しかし、牽制のつもりで全力には程遠かったとはいえ、マルコムの剣は軽々といなされ、弾かれてしまう。
他の襲撃者達がマルコムの対峙した首謀者を気にする様な動きを見せたが、
「構うな!」
という存外幼い声に散っていった。
再び斬り付けようとしたマルコムだが、首筋に寒気を感じ、咄嗟に最大出力の対魔術防壁を首回りに展開する。
そのはずみで炎の維持ができず、灯りが消えた。
ガキィン。
暗闇の中で硬質な音が甲走った。
マルコムの読みは正しかったようだ。
一寸先も見えぬ嵐の中で感知した防壁には今まで受けたことない鋭さ、深さの傷がつけられていた。
あとわずかでもあちらの攻撃魔術の威力が高ければ、首に致命傷を負っていたに違いなかった。
事実、周りにいた仲間達の首やら手足やらと、胴は泣き別れになってしまったようだった。
目視での確認はできなかった。目の前の相手から話せば命はないと本能が警鐘を鳴らしている。
おそらく
足、腕、首、胴、と張った傍から削られていくため、その都度張りなおす。
攻撃箇所は読めても、振るった剣は避けられ、或いはいなされ、まったく当たらない。
だがマルコムの本来の得物は盾だ。盾を使い相手の動きを制限し、襲い来る刃を防ぐ。
マルコムがガドーの足を止めている内に誰かが追い付いてきて仕留めてくれれば――
「……ッ!!」
豪雨でぬかるんできた地面に足を取られかけ、慌てて体勢を立て直す。
それを過たず狙い、首元へ飛来した刃を寸での所で小手で防ぐ。
弾いた短剣は甲高い音だけを残して暗闇に消えて行った。
足下の悪条件は同じであるはずなのに、
軽装のガドーに比べ、鎧を着こんだ重装備のマルコムのほうが不利に決まっている。
援軍のない長期戦ならば勝ち目はない。マルコムは腹に力を入れ、大きく一歩を踏み出した。
「ぬうおおおおおお!」
「……ぐっ!」
己が肉体の限界まで身体強化を施し、盾で小柄な体躯を切り付けてきた刃ごと押し上げる。浮き上がった瞬間はさすがにガドーから動揺が伝わってきた。
代わりに兜や甲冑の一部を魔術で切り飛ばされたが、肉には達していない。むしろ重しが外れて丁度良かったくらいだ。
ようやくガドーが見せた隙を逃さず件で追撃すれば、たまらず、といった風に大きく後方へ下がった。自然、矢継ぎ早に繰り出されていた攻撃が止む。
身軽になったからだでガドーに肉薄すべく追う。
先程の一撃はガドーの警戒を引き上げるには十分な一撃だったらしい。防戦よりの動きになったガドーをマルコムはここぞとばかりに盾と剣で追い打ちをかける。
あの悪名高いガドーを討ち取ったとなれば、間違いなく功名となる。そうなれば一族の誉れだ。
なにより、今まで西国の者共に殺されてきた数多くの同胞達のためにも是が非でも討ち取らなければ。
「うおおおおお!!」
マルコムの放った会心の一撃は確かにガドーの脳天を捉えた、はずだった。
しかし、実際の手ごたえは軽く、脳天を割ったはずの剣にまとわりついていたのは、瞬きの間に破れた覆面の端になっていた。
マルコムの背筋が凍る様に冷えた。
いつからだ。いったい、いつから幻術にかけられていた?
魔術耐性が高くないという自覚がマルコムにはあった。それ故に幻術や麻痺などの耐性効果を持つ魔道具を装備していたというのに、その効果を上回られたのだ。
覆面の下から現れたのはマルコムより明らかに年下の、年端も行かぬ子どもの顔だった。
その子どもの瞳が仄かに赤く輝いた。髪も赤みを帯びていく。
魔術を発動される。止めなくては。だが、どうやって?
覆面を掠ったのだから魔道具の効果がなかったとは思わないが、また幻術にかけられたら、
そう考えたマルコムの動きがわずか鈍った。その鈍った手足の動きが完全に止まる。身体が竦んだ訳では当然ない。何かが手足に巻き付いて、動きを完全に封じているのだ。
マルコムは自分の迂闊さを呪った。
ガドーの者ならば戦いながら高度な魔術を発動させるくらいの事はしてのける。完全に失念していた。
深追いをし過ぎて味方もおらず、助けは見込めない。
戦場での油断は即死に繋がる。父に口を酸っぱくして言い聞かされていたというのに。
悪寒はますます酷くなる。冬の化身に背を絶えず撫でられているような気分だ。
どうにかして体を動かせぬものかとマルコムが奮闘している間に、子どもは短刀を構え、鎧のすき間を縫ってマルコムの肉体を切り裂いた。
「ぐうっ!」
とっさの事に頭が回らず、対物防御壁を張るのが遅れた。
口内に鉄の味を感じる。体の強烈な痛みに盾と剣を取り落とした。
次は確実に首を落とされる。マルコムは新たに血が噴き出しても構わず、身体強化で体を無理矢理動かす。
「ぐうおおおお!!!!」
マルコムの懐に張り込んできた子ども目がけて拳を振るう。
致命傷になるはずもない一撃であったが、相手の虚をつくことには成功した。防がれたが、殴り飛ばす事で距離は開いた。そのまま子どもの姿は闇の中に消えて行く。
ようやく悪寒が消え、緊張の糸が切れたマルコムはその場に膝をつき、荒く肩を上下させた。
年端も行かぬ子どもに完敗した。その忸怩たる思いと共に、マルコムの意識も暗闇に沈んでいった。
***
次にマルコムの目が覚めたのは戦場後方の救護所だった。
治療してくれた治癒術師から聞いた話によると、マルコムがガドーを追い払った功労者になっているらしかった。
あの場にいた多くの騎士達と魔術師が犠牲になったが、マルコムが空中に放った炎と、首謀者を追った事で犠牲は最小限に抑えられたということだ。
治癒魔術を受け、ひとまず傷は塞がったが、関節を狙われたこともあり、大事を取って実家へ帰される事になった。
家族はよくやった、お手柄だ、と暖かく迎えてくれた。
実家ではぼんやりとしてすごした。
殺伐としていた戦場とは違い、ゆったりと時間が流れ、たっぷりとした湯につかり、柔らかな寝床で眠り、暖かな食事をとれる。ありがたい事だった。
穏やかに過ぎていく時間の中でマルコムが繰り返し思い出したのは、あの死闘で垣間見た子どもの姿だ。
暗闇の中にあっても印象的であった烏の濡れ羽色の髪が薄っすらと赤みを帯び、黒曜石をそのままはめ込んだような瞳も、また赤く輝いていた。
マルコムを一心に見つめる視線に、難度心の臓を貫かれた事か。
痛みを感じ、マルコムは胸元をわし掴む。
目を閉じればありありとあの子どもの姿が思い出せた。むしろ目を閉じずとも事あるごとに思い出した。
朝日の眩しさに子どもの技の冴えを思い出し、そよぐ風になびく子どもの髪を思い出し、沈む夕日に子どもの瞳を思い出した。
連日の不可解な症状にもしや呪詛でもかけられたのかと
戦場で一瞬見ただけのガドーの子どもの顔がいつでも思い浮かぶ、日々子どものおとばかりを考えてしまう、その度動悸が激しくなる、などの症状をできるだけ詳しく説明した。
治癒術師はなぜかマルコムが熱心に説明しているというのに、途中からメモを取るのをやめた。呆れた様な視線に内心マルコムは首を傾げていた。
マルコムが話し終わると、明らかに疲弊した様子の治癒術師から深い溜息とともに本を一冊渡された。それはもう、深い深い溜息を吐く治癒術師に追い出されるように診察室を後にした。
訳も分からず閉まった扉を茫然と見やっても、開くこともなく、固く閉ざされたままだった。本が薬代わりということだろうか。
釈然としないまま、本を片手にマルコムは家路につくことになった。
治癒術師に渡された本は有名な恋物語だった。
「そんなはずはない!!!!」
マルコムは絶叫し、力任せに本を閉じた。
借り物かもしれないのだが、お構いなしに机に叩き付ける。
渡された本を帰宅してから熟読したマルコムは自分を苛んでいる症状が恋と呼ばれるものだと理解した。
自分が恋をしている。しかも敵国の
それが認められず、何度頭を打ち付けた事か。心配してくれた家族や、床石、壁には申し訳ない事をした。
それから戦場で覚え込んでしまったあの子どもの気配を感じるたびに追いかけ、姿を見ては高鳴る鼓動を戦場にいる高揚のせいだと言い聞かせて、勘違いを正すのだ、と血気盛んに付け狙った。
奴を殺すことができれば、この
マルコムは剣を交えるたび返り討ちにあっていたので、その望みが叶う事はなかったが。
次こそは、次こそは、と挑んでいるうちに十年が経ち、子どもの名がイズナである事を知り、立場を知り、どうあがいても成就することのない
だから、今回のレイ家とガドー家の婚姻披露を兼ねた舞踏会で目を奪われた女性に、自分はようやくイズナの呪縛から逃れる事ができたのだと、舞い上がった。しかし、それも束の間。
名前すら聞けなかった彼女は英雄の一人、ルーシャン・レイのパートナーだった。
イズナを血眼になって探していたマルコムはルーシャン周辺には注意を払っていなかったのだ。これは大失態だった。礼を失していたから彼女は名乗る事さえしてくれなかったのかと、内心落ち込んだ。
しかし、彼女はルーシャンに腰を抱かれても嬉しそうな様子は見られなかったので、もしかしたら、万が一、自分にも好機が巡ってくるのでは? と考えたマルコムの淡い期待は即座に砕かれた。木っ端みじんに。
「イズナは私の婚約者ですので」
マルコムの十年越しの初恋はあっけなく幕切れを迎えた。
意中の相手が女性であった事に気付かなかった自分も、イズナと気付かず二度目の一目惚れをした自分も、滑稽すぎて笑うしかない。
せめて結婚祝いくらいは失敗しないようにしなければ、とマルコムは何杯目かのグラスを空にした。
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