第13話:スチュアート・ラドフォード
スチュアートの父は立派な貴族で、立派な軍人だった。
日々街の人間を守り、敵である西国と戦って武功を立てていた。
そんな父のことを当然スチュアートは尊敬していた。憧れてもいた。
街中の人々から慕われ、敵国の将軍にさえ一目置かれていた父は誇りだった。
あの日。
ひどい嵐で、窓を雨が割らんばかりに叩いていた。あちこちに雷が落ちて、暴風で家屋が崩れ、街路樹が折れた。
外は朝から暗くて、夜になればさらに暗くなった。
朝からずっと忙しかった父はようやくいっしょに取れた夕食のあともすぐに司令本部にまで戻らなくてはならなかった。
心細かったし、さみしかったけれど、立派な父さんの息子だからがまんした。
でも、少しくらいはかまってほしくて、家を出る前に執務室で荷物をまとめていた父を驚かせようとスチュアートはテーブルの下にもぐりこんでいた。
いつ驚かせよう、いつ飛び出そう、とわくわくするスチュアートにまるで気付いていないらしい父の顔はとても穏やかだったことを覚えている。
父が執務机の向こう側にある窓を見やったところで部屋の明かりが消えた。次いで雷の光が室内を照らし、遅れて轟音が窓ガラスを震わせた。
さっきまでの高揚はどこへやら、怖くて怖くてたまらなくたまらなくなり、テーブルから這い出そうとしたスチュアートは、けれどそうすることは叶わなかった。
「こんばんはラドフォード卿。ひどい夜だね」
低い、柔らかな、少年のような声だった。
スチュアートは恐ろしくてその声のした方向を見ることもできず、テーブルの下でじっと息を殺していた。
「ああ、ひどい夜だな。おかげで朝からてんやわんやだったよ。
貴殿らの仕業か」
「ご明察。流石、切れ者と噂のオーウェン・ラドフォード卿だ。なら、ボクが何をしに来たかもわかるだろう?」
「……ああ。しかし西国王はよほど焦っていると見える。君のような子どもを戦場に投入しているとはな」
「失礼だな、ボクは成人してるよ。
ボクより年下の子どもをあんなに殺しておいてよくそんなことが言えたもんだ」
「……失礼した」
「いいよ別に。こっちも殺してるし、お相子ってことで。……悪いね」
「なに、構わんさ。お相子なんだろう」
「……まあ」
そこで父は笑ったようだった。
「この命はおとなしくくれてやろう。だが妻と子に手を出さぬと約束してくれないか」
「いいよ。もとからそのつもりだ。アンタさえいなければこの街はもっとやりやすくなるんだってさ」
「……なるほど。あの御仁にも困ったものだ。外観誘致は例外なく極刑だと知らないらしい。
資金提供はありがたかったのだが」
「金だけ毟って切り捨てた方が良かったみたいだね。ご愁傷様」
「まったくだ。
……あのガドー家の者の手にかかるならあの世でも自慢できよう」
「やめときなよ。ボクらはただ命令を遂行してるだけだ。偉くともなんともない。
………さよなら」
鈍く、ひどく、嫌な音がしたように思う。
その瞬間、稲妻が父と相対していた人間の姿を浮かび上がらせた。
一瞬にも満たなかったが、その姿はスチュアートの脳裏に焼き付いた。
***
稲妻の逆光の中に浮かび上がり、スチュアートに毎晩悪夢を見せつけていた人間が目の前にいた。
髪の色も目の色もあの時とは違っているが、間違いない。間違えるはずがない。
父を殺し、母が死んだ原因を作った人間を忘れる者か。決して許すものか。刺し違えたとしても殺してやる。
そう思っていた。
思って、いた。
スチュアートは頬杖をつきながらまだ湯気の立つ、淹れてもらったばかりのカフェオレをスプーンでかき回していた。
父の仇であるガドー家の人間が嫌そうに顔を歪めている。
あの時はまるで人形のように感情の抜け落ちた表情であったから、端正な作りの顔と相まってひどく恐ろしく感じたのを覚えている。この世の者ではないような、壮絶な美しさだった。
仇に対して美しいなどと思ってしまった自分が許せなくて、一瞬でも見惚れてしまった自分が嫌で、よけいに憎しみを募らせていたようにも思う。
あのきれいだと思っていた顔がここまでユカイに歪むものか、とスチュアートはちょうどいい温さになったカフェオレを口に運んだ。
「お前という奴は――市場を見ると言っておきながら何をやっているんだ何を」
「見てわからないなら医者に行きなよ。君お得意の治癒術じゃ治せないみたいだし。ボクはただ美少年を誘っておやつを食べてただけだよね」
「なら何故人が床に転がっている」
「あははそれ実は人じゃないんだ。なんとびっくり人語を解して喋る豚だよ。スゴイね」
ここでスチュアートはカフェオレが気管に入り
たしかにデール・プロバードは豚にそっくりだった。
「少年、大丈夫? すみません、布巾と水ください」
わざわざ席を立ってまで背をさすってくれる人の名を知らないことにスチュアートは今さら気付く。
ゲホゲホと咳きこみながら目尻の涙を拭った。
「お前、人語を解す豚は失礼だろう。
豚に」
「だよねー」
スチュアートはここでさらに咳きこむことになった。
もらった布巾で顔を拭き、ひと息ついたスチュアートは居住まいを正した。
「失礼いたしました。………ルーシャン様」
後半だけは小さく。店員には聞かれないように。
ルーシャンは片眉を上げてスチュアートを見た。ルーシャンの背は高く、おまけにスチュアートは座っているのでまるで見下ろされているようだった。
「こちらこそ連れが失礼をしました」
言ってスチュアートの背をさすっていた人間の首根っこを掴み、ずるずると引き離し席に戻らせた。
「誰が失礼したってんだよ言ってみろハゲ」
「俺は禿げてない」
「ハゲろ」
「禿げない」
スチュアートは二人に今すぐ黙ってもらいたかった。足下に転がっているデール・プロバードも含めて腹筋が限界だ。
しかし育ちの良いスチュアートはなんとか耐え、吹き出さずにすんだ。
「だいだいさあ、あんたが仕事サボってるから豚が服着て二足歩行するようになっちゃったんでしょ。調子に乗らせすぎ。下手に言葉が通じるもんだから自分が人間だと勘違いしちゃったんだよあーカワイソウ」
「こっちはこっちで大変だったんだ。無能が服を着て歩いていたところで気になどせんわ。そもそも最近まで前線にいた人間に期待するな」
「なんのための頭だよ。村娘を引っかけられるおキレーな顔を貼り付けとくためだけか? それとも帽子を置いとくためか? あ、ハゲを隠さなきゃだもんな! それならしょうがない」
「誰が禿げだ。違うと言っているだろう。隠す禿げなど無いわ」
スチュアートはとうとう我慢しきれず吹き出した。腹を抱えてテーブルに突っ伏す。
デザートの皿を下げておいてもらって良かった。本当に良かった。
ああごめんなさい父さん母さん。あなたたちが死んでからこんなに笑ったのは初めてです。
人は笑ってはいけない場面に限って不思議と笑いがこみあげてくるときがある。
スチュアートには今がその時だった。
ルーシャンとガドーとが睨みあって、二人とも真顔で、空気もピリピリと痛いくらいなのに、笑っている場合ではないとわかっているのに、どうしても笑ってしまう。
呼吸困難に陥りながら、スチュアートはもう一度両親に謝った。
おれは敵を討てそうにありません。
気絶していたデール・プロバードをルーシャンが起こし、言い包めて帰らせ、食堂を出たあとのことである。
ようやく笑いが収まったスチュアートはルーシャンに頭を下げられた。
父が死んだあとデール・プロバードが街を私物化しているという噂を知っていたのに何もしなかった、と。
スチュアートは穏やかな気持ちでその謝罪を受け入れることができた。
思い切り笑ったせいかもしれないし、腹が満たされているせいかもしれなかった。
ルーシャンはスチュアートの住む場所と当座の金銭を世話してくれ、王族に今の現状を伝えると約束してくれた。
それだけで十分だと心から思えた。
「じゃあ少年、元気でやんなよ」
「少年じゃねーよ。スチュアートだ。兄ちゃん、アンタの名前は?」
「聞かない方がいいと思うけど」
「んな訳あるかよ。飯おごってもらったしな、恩人の名前も知りませんじゃ父さんにも母さんにも怒られちまう」
「へえ、そうなんだ」
くすぐったそうに夕陽の光の中で笑うガドーはずいぶん美しかった。
「ボクはイズナ・ガドーだよ。スチュアート・ラドフォード君」
「なんだ、おれの名前知ってたのかよ……ってイズナ?」
スチュアートはぴしりと固まった。ゴルゴーンに睨まれてしまったかのごとく。
「イズナって、イズナ・ガドーって、……兄ちゃん女だったのかよ!」
イズナは大声を上げて笑った。
あんまりにも笑いすぎて呼吸困難になり、あんまりにも笑われすぎたスチュアートは赤面して涙目になり、ルーシャンは呆れたようにイズナを見ていた。
「腹が減ってきたな。ルーシャン達はまだ戻らぬようだしワシが夕飯をつ「ダメだ座ってろ」くろうと思ったのだがのう……」
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