第5話 復讐の男
「父はトラックの運送をしていたの。朝から晩までトラックでものを運んでた。何を運んでいるのかは全く教えてくれなかったけど、とにかく父のおかげで私たちは生きていくことができた。高校の時、病弱だった姉がなくなって、父はその葬儀のためと言ってトラックで沢山ものを運んでいた。でも姉がいなくなった重圧に耐えきれずにその仕事はやめてしまった。私はちょうど大学生になって、看護師を目指して専門学校に通っていたの。だから私が生計を立てるようになった」
彼女が貧乏だとは到底思えなかった。だってすでに山寺に紹介されたときには何十万とする高価なブランド物の衣服を着こなしていたから。そしてそれは、看護師の給料だけでは手が届かないようにも思えた。大方男に貢がせたのだろうとは思うが。
「……それから専門学校の先生が通じている大学病院に研修に行くことになってね。研修と言っても病院だから、毎日当たり前のように人が死ぬの。どんなに手を尽くしても駄目な時がたくさんあって、心が折れそうだった。今をこんなに生きたがっている人がいるのに、それができないなんて」
その気持ちは理解できた。日雇い暮らしが続くとどうにも体を壊しがちになる。だが病院に行くような金もなく、結局は死んでいく人たちをたくさん見てきたからだ。医療関係に従事しているとその気持ちはこんなものではないだろう。
「でもある時、私が患者さんの容態の変化に気づいてお手柄だった。一命をとりとめたのね。でも、私はその病院の院長に呼び出された。彼はこういったの。正直にいうとあの患者はどう見ても長くはない。だから研修生に看させておいて、見過ごさせている。ここには身寄りのない人間ばかりだから訴えられることもないし、そうなっても研修生相手では罪は軽くなる。……生きる命と生きられない命は選別させられるんだよ。君ならわかっているだろう? 君の父は僕が頼んだ運び屋なのだから」
すっかりカモのコンフィを飲み込んでしまった後、急に背筋にうすら寒いものが走った。皿が下げられる。次はデザートだろうか。
「その時に今までの謎が全部一気に解けたの。院長は合法に、時に違法に臓器を輸送させていたの。まだ生きる見込みのある患者を生かすために……。父はその運び屋だった。だからトラックの輸送だけで一家を支えていられたのね。でもお金のために姉の臓器をすっかり売ってしまった後、罪悪感でやり切れずにその仕事はやめてしまった」
ビロード色のガラスコップに桃のシャーベットが盛られ、運ばれてきた。何か食べていないと恐ろしいことになりそうで、銀のスプーンを取ると少しばかり掬って口に運んだ。冷たいシャーベットが舌先の体温でゆっくりと崩れていく。桃の甘さが口の中で粘つくように広がった。
「その院長の意見の半分に私は賛成で、半分は反対だった。だってそうでしょう。いくらドナーが少ないからって身寄りのない人から奪い取るように次の命につなげるなんて……」
美怜はシャーベットを掬おうとして、やや躊躇ったようだった。スプーンを手に取ったまま、思案している表情を浮かべている。少し下を向いて、下唇をかんでいた。何を考えているのだろうか。
俺は言いようのない不安が切実に迫っている感覚に襲われた。彼女が何かを言う前に、この席を立って立ち去ってしまいたい。彼女がこれから発する言葉を聞いてしまえば、もう元の生活には戻れないと思ったから……。美玲はふと下を向いていた顔を少しばかり上げた。俺と目が合う。その瞳が爛々と輝いていることに気が付いて、ぞっとした。
「だから、私は志願制にしたのよ」
彼女が何を言っているのか一瞬分からなかった。
「あくまで自分の周りにいるひとたちに聞いて回るの。みんなが納得していれば、それは幸せでしょう? そして余ったお金を私は自分のものにした」
はっとした。彼女が美貌を保っているのも衣服が取り立てて優れているのもすべて、そのお金の力によるというのか。その途端に、彼女と言う女が持つ欲望と言うものに戦慄させられた。
この女は、救われる命のために他人の命を奪うことを心から批判していたわけではない。むしろ院長から話を聞かされるうちにこれは使えそうだ、と踏んだに違いないのだ。己の美しさを利用し、またその美貌を保つためにはそれなりの金が必要だった。
そのために山寺や俺は利用された。他にも利用された男はいるに違いない。自尊心と優越感が満たされるなら、彼女はそれで満足だったのだろう。だが、そのうち彼女は男に金を貢がせることにはすっかり飽きてしまった。だから、新たな楽しみを求めていた。それが院長の話を聞くうちに、これは新たな楽しみになると考えたのだ。
「おなかが満たされて、ぼんやりしてきたでしょう」
唐突に彼女がこちらをむいてこんな質問をした。確かにおいしい食事で腹は随分膨れた。
「あなた、隠しているようだけど、もう借金で首が回らないんでしょう? あなたのお母さまから聞いたわ」
気が付けば全身に温かな毛布が掛けられている錯覚を起こした。ぼんやりと、視界に繭がかかって来る。
「大丈夫よ。山寺君も同じだから。大丈夫、いらない臓器だけを出すの。死にはしないのよ。彼もすぐに慣れたわ。不便なのは最初のうちだけなの」
山寺がなぜ借金を完済できたのか、そしてこの場所になぜ俺をよんだのかはっきり分かった。復讐だ。この悪魔のような美女の手を借りた復讐。
「お酒が入って、酔いが回ってきたでしょう?大丈夫、あなたもまた、至福の歯車となるの……。世界中の人を救うのよ」
最後に捉えたのは爛々とした悪魔の瞳で、その後はすっかり視界は黒くなって何も見えなくなった。
悪魔の至福 藤堂 朱 @aka-tohdoh
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