第3話 不可解な男

 堀井の言った通りすぐに連絡が来た。呼び出されたのは神戸の夜景が一望できる豪華絢爛なホテルの最上階だった。美怜と何度か足を運んだことはあったが、店の予約だけでも一苦労だったうえ、夜景が一望できるような特等席を予約するには到底手が届かなかった。


 まさかこんなホテルのレストランを借金を抱えた山寺が予約できるとは到底思えなかったので、おそらくは結婚相手の女性が相当な資産家ではないかと考えた。壁が薄く雨漏りもするようなアパートに五年も暮らしていた自分が、よもやこんな場所に呼ばれるとは思いもしなかった。


 かろうじて家に置いてあった一番上質な、かといってフォーマル過ぎないカジュアルダウンした上品なスーツ一式があったので、それを着ていくことにした。


「紹介するね……。とはいってももう知っているか。ハハハ、この度僕の妻となりました、美怜です」


 目を疑うとはこのことだ。淡いピンクのカクテルドレスに身を包み、山寺に寄り添うように隣に現れたのは美怜だった。どの面を下げて、とは思ったものの当の本人である美怜は気にするそぶりもなくこちらに会釈をした。


 豊かで艶やかな黒髪を編み込み、アップにしている。ティファニーの時計に、シャネルのバックを右肩から下げていた。ホテルのエントランスからエレベーターに乗り込むまで、山寺と腕を組んだままだった。


 この女の図太さにはしてやられた。五年ほどたっても、彼女の姿かたちは別れたままの同じ美貌を保ったままで驚く。ただ近くで観察してみると、どうやら肌の衰えは隠しきれないようで、最後に会った時より化粧が濃くなっていることに気づいた。


 詳しくは分からないが上品な香水のにおいがする。ドレスにしろ、アクセサリーにしろ、俺と別れる前よりも身に着けているものがいいものになっていた。俺は美怜がどういう算段で山寺とよりを戻し、俺の前に現れたのかを考えてみた。


……全く分からない。


 もともと、不思議な女だったのだ。かつては、いくら彼女が俺の金目当てで近寄ってきたとはいえ、恋人同士だった。それなのに話す内容はほとんど俺のことで、自分のことは極端なまでに話したがらなかった。唯一彼女が自分のことを俺に語ったとするなら、それは仕事場の話だ。だがそれも、今勤めている病院への愚痴でしかなく、ありふれたものだった。


「いつ山寺とよりを戻したんだ」


 エレベーターに乗り込むや否や堪らず詰問してしまう俺の姿を見、美怜は口元に手をやってくすくすと笑う。手首は細く、白かった。


「それはお食事を楽しんでからの、お楽しみ。今日は随分と良いレストランを取ったんだからね」


 そういって山寺の表情を覗き込むと、彼はとても満ち足りた幸福そのものと言った表情で彼女に微笑んだ。なんだかその姿がやけに恐ろしかった。そばで女神のように微笑む美怜が、まるで悪魔さながらに彼をそそのかし、搾り取ろうとしているのに当の彼はその仕打ちを喜んで受け入れている……。二人の様子はそんな風に見て取れた。


 やがてエレベーターは最上階に到着した。美怜は手慣れた様子で何やら受付で話していたが、こちらを振り返ると「行きましょう」と先頭を取って歩いた。丸い円卓には皆細かな細工が施された白のテーブルクロスが引かれ、小さなドライフラワーが中央に飾られている。


 シャンデリアはその円卓の頭上で各々煌びやかな光を放っており、夜景が一望できるフロアとあって上質な茶色のカーテンは閉められている。ホテルが辺りを高層ビル街に囲まれていることもあって、墨塗のように真っ黒な闇夜に青白い光を放ついくつもの建物がぼんやりとそれぞれの形を浮かび上がらせており幻想的だった。


 そのちょうど眼下に人の交通の流れがあたかも宝石さながらに鑑賞できる特等席に彼女が足を運んだときは、流石に驚いた。一体この二人は俺の知らぬ間にここまでの席を工面できる金を手に入れることができたのか。

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