Episode 7
幸福な夢を見ていた気がする。無意識に頬を拭おうとした。そういう日には、目覚めると涙が零れていることがよくあるから。それはきっと、自分の精神状態が乱れているんだと思っていた。咄嗟に頬に伸ばした手より、少し早く何かがその涙を拭った。
「起きた……?」
少し顔を上げると、透が心配そうに有を見つめていた。ずっと起きてたのか ── ずっと寝顔を見られていたと直感して、恥ずかしくなった。
「なんで泣いてるの」
透は赤くなる有とは裏腹に、青ざめた顔をして訊く。起き抜けに泣いていることって、そんなに珍しいことなんだろうか。ぼうっとした頭で考えている間も、依然として透はおろおろとしている。
「悪い夢でも見た……? 俺と一緒に寝たのが嫌だったのかな……?」
このままだと、透が盛大な勘違いをしたまま1日が始まってしまうことは明らかだ。ただでさえ口下手なのに、また透を不安にさせそうで急いで透を抱き締めた。
「違う、逆。すごく楽しい夢を見てたんだと思う」
透は怪訝な顔を見せる。きっと、透は有が無理して嘘をついていると思ったんだろう。
「いや! 嘘じゃないよ! たまにあるんだ、こういうこと……精神科のお医者さんにも診てもらったんだけど……」
「そう……なんだ……」
透は、あわあわと説明する有の頭を「分かった、疑ってごめん」と撫でる。でも少し煮え切らない顔をしていて、有は悲しくなった。
── また、心配させちゃってる、僕
自分の身の上話でもしようかと思った。だから、僕はこうなんだよ ── 説明したら分かってもらえると思った。でもそれをして悲しむのは、きっと透だ。有はもう完全に過去にできていることでも、透はきっと気にしてしまうだろう。
── やめよう
今はまだ、自分の胸の中に閉まっておくべきだ。
「起きる? お昼は外で食べてから、だよね」
「事務所までそんなに距離ないんだから、今からゆっくり準備しよう。ありありは今日何色の服着るの?」
「ん……そんなの決めてない……見てから決める」
「えーっ! じゃあ俺が全身コーディネートしたいな!」
「あはは、透の好きにしていいよ」
楽しい話をしながら、同じベッドを出る。夢にまで見たこの感じ ── あ、これが「幸せ」なんだ。
それから、頭を掻きながら洗面所に向かう。お互いの寝癖に笑って、交互に洗面台に向かって顔を洗う。一緒に歯磨きして、同じコップに色違いの歯ブラシを置く。
「ありあり、俺なんか泣いちゃいそう」
髪の毛を整えながら透がそう零す。
「まぁ、こんなことしなかったもんね。透はいつも僕が仕事に出てから帰ってくるみたいだったし……グループで打ち合わせする時も別々に行ってたし」
少し拗ねたような顔をしてみると、透はにこにこと笑って有の頬にキスをした。
「俺のこと考えてるありあり大好き、今日は一緒に行ってみんなのこと驚かせようね」
「えっ……付き合ってる……って言うの?」
透は「言わないよ」と微笑んで、洗面所を後にする。有のためにとっておきの洋服をコーディネートをすると意気込む透に呆れた声を上げながらも、鏡に映った自分の顔は寂しそうな顔をしていた。
── わざわざ「付き合います」だなんて、言うはずないもんな。当たり前のことじゃないか
透に愛されていることを実感すればするほど、もっともっと愛してほしいと貪欲になる自分がいる。それが堪らなく不快で、嫌いで、みっともない。
「ありあり! 早く!」
「はーい」
明るい声と顔を作って、足を動かした。
透のコーディネートは完璧だった。有の持っている服の中で1番首元が開いたセーターに、大きなマフラーを合わせている。上下は白と黒で統一されているが、マフラーがとても綺麗な赤で美しいワンポイントになっている。
「このセーターさ、寒いからなかなか使えなかったんだよね! デザインはお気に入りだから嬉しい」
「良かった、俺のマフラーならいつでも貸してあげるから、言ってね」
そう言う透の服も、有と同じように白と黒で統一されている。やけに嬉しそうな透に、有も嬉しくなった。この人は僕のことが好きだ ── それが伝わってくるだけで心が幸せにうち震える。僕も、この人が好きなんだ。
「よし、行こう」
ふたりで外に出て、寒いねと言いながらエレベーターを待つ。そしてまた、ふたりで同じ場所に帰ってくるんだ。
東京の街は相変わらず騒がしい。でも人肌恋しくなるいつもの冬は、優しい温かさに包まれてどこかへ溶けてしまったようだ。今日は何だか、寒さまでもが愛おしい。
── 浮かれてるなぁ、僕
「うーっ、寒いな……ありあり、大丈夫? 首元とか、寒くない?」
「大丈夫、マフラーあるし。手は凍りそうだけど」
そう言って手を温めようと息を吐くと、息は白く有の手を包んだ。見て、と驚きの声を上げる。
「ひゃーっ、もう息が白い! まだ11月だってのに……ライブの頃とかどうなっちゃうんだろうね」
「声出なさそう……でも入りの時間早いから、ありありならきっと大丈夫だね、プロだもん」
「買い被りすぎだよ」
約1ヶ月の12月10日に、リアライズは結成1周年記念のライブを行う。ネット社会の広がりも踏まえてSNS上での活動が多かったリアライズだが、1周年ということでとても大きなアリーナでのライブになる。
「アリーナでライブができるなんて……1年前は思ってもなかったなぁ、僕は。すごく良いメンバーだとは思ったけど、楽曲がヒットするなんて考えられなかったし」
曲はもちろんプロの作曲家が作っているが、作詞は紀彦と藤嗣が分担して行っている。主に紀彦が書き終えてしまうことがほとんどで、最初の頃はいろんな意味でびっくりしたが、藤嗣が手伝うようになってからは紀彦もメンバーの要望を聞いたりするようになった。最近では、メンバーだけで楽曲を作らないかという案すらも出ていると聞いた。
「結成? というかデビュー? の頃は俺たち、顔見知り程度だったもんね。藤嗣のことなんか全く知らなかったし」
「そうだね……よくもまぁ、こんなに我の強いメンバーを集められたもんだ……と思ってたよ」
「だけどすごく良いメンバーだって、今ではそう思ってる。紀彦と藤嗣の詩を、ありありが歌声にして届ける。俺は曲にあった振り付けを考える……役割があって、みんなで作ってる感じがして、好き」
透はランチの間も楽しそうにリアライズの話をした。今までのことも、これからのことも、みんなで決めていこう ── もちろん、俺たちのことも ── 笑って言いながらパスタを頬張る彼を、愛おしいと思った。昨日までの暗いモヤモヤを、一瞬にして吹き飛ばしてくれた。僕の相方、僕のヒーロー、僕の ──
── 恋人だ
抑制剤を水で2錠、流し込んだ。そういえば昨日、アルファやオメガという性の話にはならなかった。気にしてくれているのかな ── それとも、僕がアルファでも好きになってくれたのだろうか。
── 何、考えてるんだ。僕……
結局、1番気にしているのは自分自身じゃないか。透がせっかく僕を ── 性別を抜きにして ── 1人の人間として見て好きになってくれたのに。店を出る頃にはもう別の悩みで頭が痛くなる、素直に幸せに浸れない自分がすごく我儘な気すらした。
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