Real Real Real

Episode 5

　僕は蝶になりたかった。どこか高いところから不安定に飛び降りて、ふわりと舞って ── 現世から離れた静かなところに行きたい。音もなく、静かなところ。羽から舞い散る鱗粉をも美しいと言わせてしまうような、完璧な蝶になりたかった。

「 ── それで、なんだっけ。どうしてあの部屋に辿り着いたかを説明しろと？」

「そう……だってライブの打ち合わせ……」

「アレ、抜けてきた。藤嗣から連絡もらって……その代わり、明日みんなで集まることになっちゃったけどさ」

「？」

　── 藤嗣から連絡……？

「……知らなかったの？ あぁ、なるほど。あぁ……だからか……怖い思いさせちゃったかな、ごめんね」

　よしよし、と有の頭を撫でる。透の手は身長に見合った大きさで、優しく包み込まれるような温もりを帯びていた。

「ん……どういうこと……説明して」

　子供扱いされるようで少しムッとしながらも、いつもは滅多に家にいない透に触れられていることが嬉しくて堪らない。だから、抵抗せずに小さく呟いた。

「まず、ありありは気付いてなかったみたいだけど、俺はずっとありありのことが好きだよ。今までも、これからも」

「！」

　前提条件のように与えられた事実が、有を混乱させた。僕は透を好きだけど ── じゃなくて、透が ── 僕 ── え？ よく分からない、頭がふわりと宙に舞っている気すらする。口をパクパクさせる有を見て、透が腹を抱えて笑う。

「あっは、かわいすぎ。やっぱり気付いてなかったんじゃん！ 何が『根気強くいればいつか伝わる』だよ、藤嗣の野郎」

「え……なん……う……そ」

「嘘なんか言わないよ」

　透はそう言って、証明のように有の手を握った。

「だからさっき……ありありが気持ちを伝えてくれて正直、飛び上がるくらい嬉しかった……俺の気持ちすら伝わってないと思ってたから」

　まぁ、本当の意味では伝わってなかったみたいだけど。── と透は笑った。

「はっきり言って、俺がありありのこと好きなの、メンバーはみんな知ってるからね。京本さんも含めて」

「えっ」

　急激に顔が熱くなるのを感じた。

「俺がどれだけありありのこと見てきたと思ってんの？ 気付かれるに決まってるでしょ？ 隠してないし……というか、ありありが鈍感すぎるだけだから。こんなに熱烈に愛してるのにさ！」

　嬉しいを通り越して、すごく恥ずかしい。そんな有を見て「愛」が伝わったことに満足したのか、今度は溜息と共に上着のポケットからスマホを取り出した。

「なのに藤嗣から連絡があって」

　見慣れたブラックのスマホを手渡される。そこには、藤嗣が透に送ったと思われるメールの文面が表示されていた。

　お前の大好きな有が発情期（ヒート）なのに

　俺の家に来るって言ってます。

　何か思い詰めてるみたいだし

　お前が来ないなら俺がどうにかするけど、

　905号室

　藤嗣には、なんでもお見通しらしい。初めから分かった上で、透に連絡までした上で、僕に付き合ってくれた。

「藤嗣……」

「ちょっと、藤嗣のポイント上げるために見せてるんじゃないんだって、ありあり」

　透は有から大袈裟にスマホを取り上げると、ふいと顔を背けていじけたような表情を見せる。

「あの日、我ながら強引な流れでキスまでしたのに……なんで藤嗣を頼るかなぁ、俺じゃなくて。めっちゃ悔しかった……だから走って行ったらあんな色っぽい格好になってるし……すごい焦ったぁ、藤嗣にも痛くしちゃった、謝らないと……」

　俺の好意に気付いてなかったとは言え……と口を尖らせる透に、罪悪感を感じた。確かにそこまで気をかけてもらっておいて、それを無下にする形で他人に頼ったことに、申し訳なさで心が押し潰されそうだった。

「……ごめん……なさ……」

　そう思うと堪らなくなって、透の胸に寄りかかる。こてん、と額から転ぶようにして近付いた有に戸惑う透の心音を感じた。暫くベッドに座って向かい合っているだけだったから、急な接近に驚いたのだろう。しかしこうでもしなければ有の気持ちは済まなかった。

　自分の好きな人を知らない間に傷付けていたことが、辛くて ── 悲しくて ── きっと、もっと、ずっと前から傷付けていたんだろう ── だから今だけは、僕ができる最大の愛情表現がしたい。

「ありあり、かわいすぎるから、離れて」

「今はこうしたい気分だから無理」

「……」

　今までは透が何を考えているか全く分からなかった。それ故に間違った行動を選択したこともあるのだろう ── でも今は、違う。

「……セックス……する？」

　透の、関節という関節が音を立て固まるのが分かった。

「あ……ありありっ！ かわいすぎ！ そんな顔してセックスとか言っちゃいけません！」

　そう言って、有の肩を鷲掴みにして距離を取る。その行動は意外にも、知らぬ間に高揚していた有の心を沈ませた。想い人の何気ない行動１つでこんなに鬱に近付く自分に嫌気がさして、自分は今までこんなに酷なことをしてきたんだと自覚した。

　透は、有を包み込む鬱を一瞬にして理解した。突き放した有の身体をぐっと引き寄せて、力強く抱き締めた。その時、有は初めて自分が誰かに愛される感覚を知った。幼い頃からずっと ── この体温を求めていた。

「とおる」

「ありあり、不安にさせてばっかりでごめんね。俺、舞い上がってるから ── 冷静な判断ができない」

　そんな、透はいつだってしっかりしてるじゃん。── と言いかけたが、透の言葉を遮りたくなかった。

「俺たち、もうただの友達じゃない？ もうただのメンバーじゃない？ もう、ありありの恋人なんだ ── って、思っていい？」

　10cm ── 下手したらそれ以上の身長差がある透に包まれながら、しっかりと頷く。透は「えへへっ」と悪戯に笑って、抱き締める力をうんと強くした。

　息を吸う度に肺に入ってくる透の匂いはすごく甘くて、有の不安な気持ちをも吹き飛ばしてしまいそうなくらい安心する匂いだった。

「俺も、ありありとセックスしたいよ。たくさんありありを気持ち良くしてあげたいし、俺もありありと１つになりたい。だからこそ痛くしたくない」

　── やっぱり、冷静だ

「準備をするっていうのはもちろんだけど、俺も勉強しないといけない。しかも ── 」

　全く、自分は本当に短絡的で嫌になる。何も考えていなかった自分への自己嫌悪に浸っていると、抱き寄せる腕を解いて「こっち見て」と両頬を包まれた。

「ありありは絶賛発情期だから、セックスしたらきっと、気持ち良いこと以外に何にも考えられなくなっちゃうと思う。そんなの駄目、俺のことを見て、俺のことを感じて、俺のことだけ考えて欲しい」

　頬も心も、カッと熱くなるのを感じた。透の独占欲は健在だ。

「だから、１週間お預けね」

　触れられないのはありありより俺の方が辛いんだからね ── と愚痴を零しながら、僕のことを１番に考えてくれるこの人は、女子にもさぞかしモテるんだろうなと思った。

　　でも今は、僕だけの ── 刹那の夢だ。