Real Real Real

Episode 4

　藤嗣の家 ── 訳あって今は都内の高そうなホテルの一室なのだが ── に着くと、上着を脱ぎ捨て藤嗣をベッドに押し倒した。そうしないと自分が何もしないうちに、藤嗣に自分の考えていることを端から端まで全て感情の奥底から掬い出されてしまいそうだった。

「お前……本気か……？」

　発情期特有の噎せ返るような熱気を身に纏って、藤嗣の上に馬乗りになる。藤嗣は驚きながらも顔を背けて、表情を手で隠す。甘い匂いが鼻腔を擽って、アルファを望まずともそういう気分にさせる。有は指先を縺れさせながらシャツのボタンを上から３つ外した。

「参ったな……」

　そう呟くと、瞬く間に有を大きく転がすようにして上下を逆転させる。目を白黒させる有に、藤嗣は大人な笑いを見せる。

「そんなんじゃ、年下キャラは脱却できそうにないな、事実だけど」

「それ今……言う……？」

　藤嗣のキスが降ってくる。透としたキスとは違う、舌を絡めるキスだ。大人はやっぱりキスも大人なんだ ── それこそ子供のような感想を抱いていた。気持ちよさに身を任せて有も藤嗣の舌を貪る。とにかく何かを考えては駄目だと思って頭からメンバーの ── 透の存在を排除しようとした。唾液の音が部屋に響く。透とのキスを思い出しながら唇を離す。どうしよう、駄目だ ── 忘れられない。

　有は無我夢中でキスを求めた。もっとすれば ── 透のことなんか考えられなくなるだろう。しかしその願いは叶うことなく、藤嗣の手によって阻まれた。

「なんで……」

「だって、有、泣いてるから」

　驚いて頬に手をやると、無機質な雫が滴り落ちていく。とめどなく、ぽろぽろと流れていくそれを止める術を知らなかった。慣れない感覚に困惑する有の顔を優しく包み込んだ藤嗣は、有のポケットから何か取り出して数秒 ── もう１回だけキスをした。その間に何か固形の物体が藤嗣の舌から流れてきた ── 苦しげな声を上げても、藤嗣は離してくれず、結局ごくりと音を立て飲んだ。

「んっ……！ 藤嗣……今の」

「抑制剤」

　ひらひらと目の前で銀のシートを見せて笑う藤嗣。いつの間にか抑制剤の効果が切れていたことに気が付いた。入れた覚えのない上着のポケットの抑制剤はきっと、透の仕業だと思う。藤嗣は真顔に戻って話し始める。また怒られる、と思った。また ── って、こんなところにも透を勘定に入れているんだから末期だ。

「あんな顔されたらさ、誰でも歯止め効かなくなるよ、有はイケメンだから」

「……」

「これは有が本当に望んでいること？ 俺にはそうは思えないな、泣いてるし。そもそも、俺は有を抱く気ないよ」

「本当に……これしかないんだ……藤嗣」

「嘘だね」

　こんなに真っ向から否定されると思っていなかったから、驚いて藤嗣を見る。

「ほら、有も分かってるんだろう ── でも諦めたんだろう、どうせ叶わない望みなら、努力しない方が ── って」

　図星だった。悔しくて唇を噛んだ。

「そこまで分かっているなら……協力してくれたって……」

　藤嗣は「はぁ……」と溜息をつくと、有をぎゅっと抱き締めた。身体も心も一回り大きい藤嗣に、自分の全部を包み込まれているようで心地よかった。

「有、そんなんだと襲われちゃうぞ。もっと自分を大事にしてくれないか、それにお前はリアライズのセンターなんだから……望みは叶えてなんぼだろう」

　有に向き直ると、髪の毛をわしゃっと掻き上げて少し雑に撫でた。

「どうせお相手が上手く収めてくれるよ」

「？」

　藤嗣は「今に分かるから」と言って有から去ろうとする。何が何だか分からなくて藤嗣を追おうとベッドの上に立ち上がると、藤嗣は「ワインを用意するよ」と笑った。いつもと全く変わらない藤嗣の様子に拍子抜けして、へなへなとベッドの上に座り込んだ。

　数分して藤嗣がワイングラスを持ってきたと同時に、ガチャガチャと扉を開けようとする音が聞こえた。良からぬことが起きているのかとギョッとしたが、藤嗣は全知全能の神のような顔をしていた。本当に何が何だか分からなかった。

「君の騎士（ナイト）が来たみたいだよ」

　有にそう言って、扉を開ける。そこには慌てた様子の透が息を切らしていた。膝に手をついて足元を見ていたが、いきなりパッと顔を上げると「ありありっ！」と叫んだ。

「とおる」

　こんなところに来るはずのない相方の名前を口にすると、藤嗣の肩越しに有を見つけた透はいきなり藤嗣に掴みかかった。

「お前っ……！ ふざけんなっ……！」

「ちょっ、おわっ、」

「いくら藤嗣でもそれだけはっ……！ それだけは許さねぇからなっ……！」

「透！」

　駆け寄ろうとすると、藤嗣が制止した。

「透……俺は何もしてない」

「これのどこが何もしてないんだよ！？」

　そう怒鳴って有を指す。乱れた髪 ── ボタンの外れた白いシャツ ── 確かに言われてみれば事後にも見えなくはない ── 有も透が言わんとしていることを察して話し掛けた。

「透……本当に藤嗣は何も」

「有！ こっち来い！」

　しかし何か弁解しようとしても、有無を言わさずに連れ帰ろうとする透。上着を羽織った有の手を乱暴に引いていく透に、有は抵抗する力もなく連れて行かれた。今までに見たことのない透だった。家まで何も話さず、ただ掴まれた手が離されることはなかった。

「どこまでしたの」

　家に帰ると真っ先に問われた。玄関で答えを渋っていると、ひょいとお姫様抱っこされてしまう。有は少し背が低いだけで、鍛えてあるから見た目よりは重いはずだ。

「お、おい！ 自分で歩けるって」

「ありあり、うるせぇ」

　ベッドに投げられる。どさりと音を立て転がると、その上から手足を抑えて馬乗りになられる。仰向けから少し身体を起こしたような状態の自分に覆い被さる透が、怖かった。でもどこか頭の片隅で ── この状況に興奮している自分がいる。自分に嫌悪感を感じた。

「藤嗣とヤッた？」

「やっ……て、ない」

　透は有を縋るように見下ろし、「じゃあ、これは」と有の分厚い上着を少し手間取りながら脱がせた。白いシャツがはだけている。

「……」

　あなたとしたいけど、できないから藤嗣に頼みました。これは自分でやったことです。 ── なんて言えたらどれだけ楽か ── そう考えていると、透はしゃがみこんで有の頬に手を添えた。

「ありありってさ……何かと１人で考えるだろ、悩んでることだったり、やりたいことだったり……そういうの、俺に共有してくれないかな……藤嗣じゃなくて」

　── 言っても、いいのだろうか。透に

「有、教えてくれない？」

　さっきまでとは違う、優しい態度。時間だけが緩やかに流れていく夜。いつもの寝室も少し柔らかい空気に包まれている気がする。

「教えてくれないなら、武力行使するけど」

「へ……平和でない……」

　イヒヒと意地悪に笑う透に、涙が零れてしまった。この人は、どこまでも僕を翻弄して ── ずるい。藤嗣の前で流した涙とは違う、体温を感じる暖かい涙だった。誰か他人が隣にいることが、こんなに嬉しかったことはない ── よく考えてみれば自分はずっとこういう時間を望んでいたのかもしれない。透が隣にいる。それだけで涙は溢れてくるのだ。

「うっ……く……うぅ……」

「えっ、えっ、ありあり、ごめん！」

　透は有の前で手をあたふたさせて、何とか有の涙を止めようとしている。慰めなど要らないのに ── 止まらない嗚咽に、これが嬉し涙なのだと伝えられなかった。だから、思い切り透を抱き締めた。透は少しフリーズしてから、おずおずと有の背中に手を回した。透の温かさに、感情もぽろりと零れた。

「透、ごめん……好き……ごめん」

　透が目を見開いた、気がした。見えなかったけど、少し笑っているような気もした。透の髪の毛が耳を擽って、少しこそばゆい。隣に感じる笑みを含んだ吐息に、零れていく涙と言葉を掬って受け入れてくれる何か ── 大きな優しさのようなものを感じた。

「……２対１でごめんが勝ってるよ」

　茶化すように言って有に向き直った透の笑顔は、有が知っているどんな透よりもかっこよく ── キラキラと輝いて見えた。