ギターのヘッドと君の顔
暫くの間そのオレンジ色にとらわれていた私の意識は、シャッ、シャッという鋭い音によって引き離された。今度はなんだろうと音の元をたどるように車内を見渡すと、次はセーラー服を身にまとった少女が斜め向かいの席に座っていた。その手にはスケッチブックが握られ、真剣な様子で何やらそこに絵を描いているようだった。シャッと大きく線を引くたびに顎のところできっちりと切りそろえられた黒髪が均整を保ったまま揺れる。彼女の動きが止まるとそれに遅れて静かに黒髪も動きを止める。手を止めるたびに彼女はこちらをちらっと見たが、すぐにその視線の先はその手に握りしめたスケッチブックへと切り替えられた。その繰り返しを私はしばらく見つめていた。ふと気がつくと少し不安げに彼女の瞳はこちらを捉えたまま、手が止まっている。それから少し考えて、ようやく私は先程から度々送られてくる視線の意味を理解した。
「いいよ、続けて。」
そう言ってやると、ぱっと明るい表情を見せ、小さく会釈をし、それから彼女はすぐにまたスケッチブックとのにらめっこを再開させた。きっと彼女は私の画を描いているのだろう。好きなだけ描けばいい。絵を描く者にとって心惹かれる題材は、日常の思わぬところに転がっているものなのだ。だから高校生の授業用ノートの角には、好きなあの子の横顔からギターのヘッドまで本当にいろんなものが現れる。描きたいと思ったときにペンをとれることは、描きたいものを描きたいように描けるということは、きっと多分、幸せなことだと思う。
それにしても私もこのとんでもない状況をよくも驚かずに受け入れられているな、と他人事のように考えていると、また停車のアナウンスが入った。この少女もまた忽然と姿を消すのだろうかと彼女に目をやる。すると彼女は画を書き上げたようで、満足げにスケッチブックを眺め、それから自分の乗っている電車が速度を落とし始めたことに気づくと急いで身支度を始めた。ああ、この子は降りるのか。ドアが開く。今度のホームには大きな広告が一つ貼られていた。色とりどりの絵の具で埋め尽くされた油絵だった。すっかり降りる準備を整えた彼女はそれをキラキラと目を輝かせながら見つめ、それから急に私の方に向き直ると、ぐいとスケッチブックの切れ端を差し出してきた。
「これ、おねーさんに、あげるね。」
えへへと照れくさそうに笑って、彼女は駆け下りていく。見送ろうと席を立ち、お礼を言う直前にドアは閉まった。私の「ありがとう」は、一人きりになった車内に投げ出され、余韻だけを残して、消えた。手元にはスケッチブックの切れ端だけが残った。二折になったそれを開くと、目を閉じて眠る私がいた。なぜだか胸が締め付けられるような気持ちだった。
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