ライラの悩み

結城暁

【短編】ライラの悩み

 ライラは悩んでいた。

 別に相棒パートナーに愛の告白をするかしないかで悩んでいる訳ではない。

 孤児院の経営だって楽ではないが、苦しい訳でもない。

 自身の出自が悪魔と人間の間に生まれた半魔ハーフである事も、もうずいぶん前に受け入れた。

 上からの司令でこなす悪魔祓いも順調であるし、今日作る夕飯だって決まっている。

 ならば何に悩んでいるのかというと、養い子の姉弟きょうだいの事だった。


「ライラー!」

「ローザ、どうしたの?」

「これ見て! さっき届いたの!」


 養い子のローザは誇らしげに悪魔祓い師の免許を掲げた。もっとも、准と付いているので悪魔祓い助手の免許だ。


「おめでとう、ローザ。誕生日に届くなんて、お目出たい事が重なったわね」

「うんっ」


 嬉しそうに笑うローザは十八年前にライラと、ライラの相棒が所属する教会兼孤児院で養育される事が決まった孤児だ。

 孤児院では保護した子ども達の里親を探し、十八になるまで見つからなければ職を探してやり、子ども達の自立を支援してきた。

 だが、同じ孤児でもローザとローザの弟のイヴェットは別だった。二人はこの先もずっと、死ぬまでこの教会に居続けなくてはならない。


「これでイヴェットを見返してやれるわっ」

「ふふ、そうね」


 イヴェットは秀逸な結果で試験に受かり、すでに悪魔祓い師として活動していた。

 穏やかな気性なのだが、姉のローザに対しては甘えからかイタズラ心が湧くらしく、免許取得に苦戦するローザを度々からかっていた。

 隣近所にはそういった側面を見せる事無く、完璧な猫を被っているので、よくできた弟さんね、と褒められてばかりだ。

 本当によくできた弟だった。ずっと、ローザの弟だという事にしてきた。


「嬉しい事がふたつも重なるんだもの、夕食はとびっきり豪華にしないとね」

「やったー! ……でもいいの?」

「いいのいいの。サイラスが煙草をひと月も我慢すれば問題ありません」

義父とうさん我慢できるかなー」

「ご心配なく。させます」

「さっすがライラ!」

「それじゃ、買い出しに行ってくるから留守番をお願いね」

「うんっ、いってらっしゃい! 気を付けてね!」


***


 夕刻。教会厨房にて。


「ねえ~、サイラス。どうしよう……」

「何がだよ」


 豪勢な夕食を完成させるべく、ライラは腕によりをかけて調理を進めていた。

 食事はいつもローザと作っているのだが、誕生日なのだから食卓でイヴェットと待機してもらい、相棒サイラスを厨房に引っ張り込んだ。


「今日はローザとイヴェットの誕生日、でしょう? もう十八になるのよ、あの子達……」

「そうだな」


 ポテトサラダを作りながら、サイラスはやる気のない返事をする。煙草が恋しくてしかたがないのだろう。まったく、この生臭神父は。


「で、あれば言うべきでしょう? 本当はローザとイヴェットは血が繋がってないって……」

「おまけに生まれた日も一緒じゃねえただの他人だって?」

「……うん。だって、十八になったらもう成人おとなじゃない。自分の事を知っておくべきだわ。……万が一、ローザが暴走しても、今のローザなら私とあなたで止められるもの」

「……」


 サイラスの手がボウルを離れ懐を探る。煙草が無い事を思い出して舌打ちをした。行儀が悪い。


 二十年程前に戦争が起こった。

 人間と悪魔が、人間同士が、悪魔同士が殺し合った凄惨な戦争だった。

 悪魔の軍勢を率いた悪魔は悪魔王を自称し、各地を攻めては蹂躙していった。その爪痕は二十年経った今でも癒えてはいない。

 ローザもイヴェットもその爪痕うちのひとつだ。

 悪魔王は支配下に治めた土地にいた者達を種族に関わらず、見境なく凌辱した。その数は百を超えるとも、千に迫るとも言われている。

 悪魔王が討たれたのちに、悪魔王の子どもを宿した者が幾人も発見されたが、ある者は正気を取り戻す事無く死に、ある者は自死を選び、ある者は胎児が放つ強大な魔力に耐え切れずに死んだ。

 数えきれないほどの女と、生まれる事すらできなかった子どもが死んだ。

 それはローザの母も例外ではなかった。

 ローザはライラと、イヴェットの両親の助力を得て、なんとかこの世に生を受けたのだった。

 ただひとり生れ落ちた悪魔王の血を継ぐ赤子をどうすかるかで教会の上層部は紛糾した。

 今すぐ殺すべきだという意見も出たが、結局、当時教会最強の聖騎士であったサイラスの説得もあり、サイラスが監視につくことでローザの生存を許した。

 少しでも悪魔王のような残忍さが覗くようなら即刻首を刎ねよ、とサイラスに命令を下して。

 表向きはサイラスの使い魔であるライラを教育係に付け、同時期に生まれた孤児を弟にして、万が一の事態が起こったとしても、情に訴えられるように。



「今更だけれど上層部はえげつないわね。イヴェットを生贄にしているようなものじゃない」

「まさに生贄なんだよ。悪魔王様、貴方の下僕を捧げますー、だから大人しくしててくださいー、ってな」

「クソが」

「はっはっはー。口が悪いぜ修道女様シスター?」

生臭神父サイラスのがうつっちゃったみたい」

「人のせいにすんなよ」


 いつもなら軽口の応酬が続くのだが、ライラは黙った。思い詰めたように鍋の中を見つめている。

 ビーフシチューがとろとろと煮込まれていた。


「……あの二人は血が繋がってないなんて嘘みたいに仲が良いでしょう。そこらにいるきょうだいよりきょうだいでしょう。そんな二人にあなたたちは他人だって言うのは……、そんなの、辛いじゃない」

「泣くようなことか? 確かにあの二人は血は繋がってないがな、ちゃんと絆を繋いでるだろ。それこそ血よりも濃いもんでがっちりとな。

 あの二人なら何があっても大丈夫だ。おれたちが信じてやらねえでどうする?」

「サイラス……。そうよね、半魔と生臭神父わたしたちが育てたのに、あんなに良い子達に育ったんだもの、何の心配もいらないわよね」

「そういうことだ。ほれ、わかったらさっさと仕上げちまうぞ。ローザ達が腹を空かせて待ってんだからな」

「ええ!」


***


 晩さんは和やかに終わった。

 デザートを食べ終え、満足そうな二人の子どもにライラは心からの安らぎを覚えた。

 その二人の幸せを、今から自分が壊してしまうかもしれない、と思うと体が震えた。

 固く握りしめた手にサイラスの手が重なる。

 サイラスの手はごつごつとして大きかった。改めて年を経たのだな、とライラはかすかに笑みをこぼした。

 視線を交わし、肯き合う。

 そうだ、信じると決めたでしょう。


「二人とも、改めて十八の誕生日おめでとう。これで晴れて成人の仲間入りだわ。

 だから二人に話さなくてはならない事があるの」


 ライラとサイラスのただならぬ雰囲気が伝染したのか、二人も緊張してきたようだった。


「実は――」

「も、もしかしてとうとう結婚するの?」

「あなたたち……え? けっこん? 誰と?」

「え、義父さんと」

「サイラスと? ナイナイ。そうではなく、あ、あなたたちの事でね……」

「なあんだ。やっとかと思ったのに」

「……俺達の事?」


 イヴェットが訝し気に眉をひそめた。やさし気な垂れ目が探る様にライラ達を見つめる。

 ライラはふいに笑い出したい心持ちになった。

 姉弟だと言い張れば他人は納得するだろうが、顔付きに似ているところなどひとつもない。

 同じなのは髪と瞳の色だけだ。その瞳の色でさえよくよく見れば違っている。

 ライラは深く息を吸った。


「ローザ、イヴェット。あなたたちは本当の姉弟じゃないの。血は繋がっていないのよ」


 ひゅ、とローザが息を飲む音をライラの良すぎる耳が拾った。

 イヴェットは目を見開いてる。

 いつも冷静なイヴェットの動揺した表情かおを見るのはいつぶりだろうか。


「冗談じゃ、……ない、のね?」

「ええ」


 少し考えたふうのイヴェットが最もな疑問を口にした。


「なぜわざわざ姉弟ふたごだと? 他の孤児達と同じ孤児同士で通せばよかったのに」

「それ、は」

「それが教会上層部の判断だったからだ。俺とライラでお前らを姉弟として育てる事を条件にローザの生存が許された」

「わたしの生存……?」


 ローザの瞳の奥に光がちらつき始めた。動揺から魔力制御が不安定になっている証だ。


「ローザ。魔力をちゃんと制御しろ。動揺が出過ぎだ」

「ご、ごめんなさい」


 魔力制御の師に怒られ、ローザは一息で落ち着きを取り戻した。

 ライラは組んだ手に力を込めた。


「正直なところ、私達も進んで話したい訳じゃないわ。けれど、ローザもイヴェットも十八に、成人になったんだもの。話すべきだと判断したのよ。

 ――二人が聞きたくないなら話すのは止める。

 ……どうする?」

「聞くに決まってる。中途半端に聞かされて、その先が怖いからって止めるなんて言わない。イヴェットもそうでしょ?」

「うん。姉さんに関わる事だからね」

「そう言うだろうと思ってたよ。ったく、思い切りがいいと言うか、考えなしというか」

「義父さんに似たの!」

「馬鹿言え、俺は赤点なんざ取った事ねえぞ」

「う、ううううううるさーい! 誰がバカだ!」

「ハイハイ、姉さん落ち着いて。話がずれ始めてるから」


 イヴェットが手を叩いて二人の舌戦を治めた。笑えるほどにいつも通りだった。

 知らず知らずのうちに強張っていたライラの肩から力が抜けていく。

 ああもう、まったく。心配するだけ損だった。


「さて、どこから話したものかしら……。

 二人の血が繋がっていないという事は二人の親が違うという事なんだけれど……。

 イヴェット。あなたの両親はキース・リヴィングストンとサンディー・リヴィングストン。立派な悪魔祓い師だったわ。そしてローザの母親のアンドレア・ブルックスの良い友達だったわ。

 始まりはおおよそ二十年前になる……のでしょうね」

「――悪魔王大戦?」

「ああ、そうだ」


 イヴェットはやはり頭が良い。サンディーも頭が良かった。


「アンドレアは悪魔王の子を胎に宿した。だからローザ、お前は悪魔王の血を引いているという事になる」


 サイラスの言葉に取り乱したのはイヴェットのほうだった。


「待ってよ、義父さん。たしかに悪魔王の子を身籠ってしまった人達が多くいたのは知ってるけど、その誰もが出産まで体が持たなかったはずだ。全員、悪魔王の子どもの強大な魔力に耐え切れずに死んだと記録にあった。なら姉さんが悪魔王の子であるはずがない」

「イヴェット」

「姉さん……」

「聞こう。ライラ、話して」


 いざという時の肝はローザのほうが座っている。アンドレアに似たのだろう。あのも本当に、本っ当に肝が座っていた。


「妊娠が発覚した時はアンドレアを死なせないために堕胎を提案したわ。即答されたわ。『いくらライラにだって私の家族こどもは奪わせない』って。

 妊娠十二週目に入ろうとしたころ、気力だけでもっていたアンドレアの身体に限界がきたの。私とサンディーとキースとでだましだまし処置を続けてきたのだけれど、それも手詰まりで、どうしようもなくなってしまった。

 私はアンドレアに開腹手術を勧めたわ。胎児を胎から取り出せば命が助かるかもしれないから、と。取り出した胎児はどうするのかと聞かれて正直に答えた。

 まだ胎内にいるべき子を生かし続ける術はないと。やっぱり断られたわ。

 本当は方法がなかった訳ではないの。けれど、アンドレアの子どもとはいえ、悪魔王の血を生かすつもりはなかったから」


 ローザは痛みを耐えるような表情でライラの話を聞いていた。

 それはそうだろう。十八年間母の様に慕っていた者が自分を殺そうとしていた話を聞いているのだから。


「とうとうアンドレアの衰弱が激しくなってきて、その命が燃え尽きたという日に、サンディーは恐ろしい事を思いついてしまったの。自分の胎にアンドレアの子どもを入れれば良いって。

 もちろんキースと一緒に反対したわ。危険だったもの。命の保証なんてまったくなかったのよ。けれど、アンドレアとサンディーは同じ孤児院出身の幼馴染で、結びつきが誰よりも強かったの。

 私たちの協力がなくても、自分一人で処置すると言い張って、まさかそんな事をさせる訳にもいかなかったから、キースと折れて、結局手伝ってしまった。私の能力があれば成功率はぐんと上がるから。

 その時、サンディーの胎内にイヴェットがいる事を知ったの。驚いたわ。

 だから血は繋がってないけど、あなたたちは同じ胎内で育ったの。双子というのはあながち間違いじゃないのよ。

 サンディーは上位の悪魔祓い師で抗魔力が高かったから、衰弱は見られたけれど、このまま無事に産まれると思っていたの」


 ライラはそこで口を噤んだ。

 サンディーに、悪魔王の血が入っていようとアンドレアの子どもなのだから、世界を脅かす存在になるはずがないと説得された日々を思い出す。

 ぜったいにそんな事にはならない、とサンディーは笑って腹をさすっていた。

 自信に満ち溢れるその姿を信じてみようと思えたのに。


「どこからかサンディーが悪魔王の子を宿していると、情報がもれてな。襲撃された。

 その時、キースがサンディーを守って死んだ。ライラは重傷、サンディーは致命傷を負わされた。

 その時お前らは七か月と四か月だったそうだ」

「……ええ。サンディーが今わの際にあなたたちの事を頼んできたのよ。どうしてアンドレアもサンディーも自分が死にそうなのに人の心配ばかりするの、って怒鳴りたくなったわ。

 かわいい教え子たちの頼みだから、断れる訳がなかったのよ。きっと立派な人の子に育てると決めて、あなたたちをわたしの胎内に収めたわ。そうして、十月十日を数えて、あなたたちを産んだの」

「まあ、それを教会に報告しない訳にゃいかねーよなあ。隠してバレりゃ即これだ」


 サイラスは立てた親指を自分の首へ当てて真横に走らせた。

 おそらく教会はアンドレア達の動きを把握していたに違いないのだ。サンディー達を殺しに来たのは教会の暗殺部隊であったから。

 さすがにそれは言えなかった。


「戦後の事後処理にあちこち引きずり回されて、ようやく帰ったらライラの腹がでけえわ、弟子達が死んでるわ、驚いたのなんの。手紙くらいよこせっての」

「仕方ないでしょう、サイラスはいつもあっちこっち飛び回ってて、どこにいるのかわからなかったんだもの。まだ根に持ってたのね……」

「たりめーだろ。

 かわいい弟子達と相棒の守った子どもだからな、全力で上の奴らを丸め込んだぜ。感謝しろ、お前らー」

「義父さん……」

「義父さん……」

「サイラス……」


 茶化しているが実際は大変な労力だったろう。

 きれいな、紅葉を思わせる赤髪は度重なる心労のせいで、すっかり白くなってしまった。

 そのことをサイラスはこっそりきにしているようだが、ライラはどんなサイラスも好きなのでなんの問題もない。


「丸め込んだ結果がさっき言ってた姉さんの生存条件なの?」

「そうよ。当時最強の聖騎士だったサイラスと、その使い魔である私を監視者として、魔王の子の魔力を間近に浴び続けても生き延びたイヴェットを切り札になり得る存在として、ローザの傍に置く事で生存を許された」

「え、義父さんが聖騎士……?」

「元だけどな」


 驚きと、それ以上の憧れが入り混じったローザの視線にサイラスは懐を探ったが、当然ながら煙草は入っていない。

 サイラスの照れ隠しを微笑ましく思いながらも、ライラは真面目な顔を崩さずにいた。


「じゃあ、義父さんが悪魔祓いを俺に教えてくれたのは、もしもの時になったら俺に姉さんを殺させるためだったの?」

「それは違うわ」

「お前らに悪魔祓いを教えたのは護身のためだ。悪魔王が討たれてからこっち、配下だった悪魔の大半は投降して今も静かに暮らしている。恐怖政治だったんだろうな、悪魔王が死んでからも奴に従おうってやつはいなかった。

 一部を除いてな」

「残党がいるってこと?」

「おそらくだがな。悪魔王の復活をほのめかして逃げおおせた幹部悪魔が何人かいたという話だ。教会もほうぼう探してはいるようだが、居場所を把握できちゃいない。生死すら不明だ」

「わあ、さすが教会だね」

「皮肉は止めてやれ。真面目なやつもいるからな? ライラとか」

「おい元聖騎士」

「ライラは使い魔? じゃん……。ううう、情報量が多すぎだよう、頭痛くなってきた……ええと幹部悪魔、死んでるんじゃ……」

「そうかもしれないわね」

「だがそうじゃないかもしれない」


 ぷしゅう、とローザが机に突っ伏した。


「あああ大丈夫、ローザ」

「だいじょぶじゃない……」


 なるほど、ローザの頭からは知恵熱による煙が今にも上がりそうであった。


「ごめんね、難しく言いすぎたわね。少し休みましょう。お茶飲める?」

「うん……」


 日ごろからよく見る光景に、イヴェットが頬を緩ませた。


「懐かしいな、昔からライラはそうやって姉さんを心配してたよね」

「ライラは子煩悩だからな」


 イヴェットはますます笑みを深くした。

 何かと大人びていて、手のかからないイヴェットだったが、ローザのお転婆に付き合って悪戯を仕掛けることはままあった。まるでその時の表情だった。


「義父さんだって負けないくらいの子煩悩でしょ。喫煙後は臭いが取れるまでぜったい俺達に近付かなかったでしょ?」

「……いやまあそりゃあ、聖職者として当然の行いってやつでだな……」

孤児達みんなのプレゼントを買うために煙草を我慢したり、無茶な依頼を受けたり」

「……」

「いい年齢としして照れるなよ」

「うるせー」


 ローザの混乱が収まったところでライラは咳払いをした。


「つまり、私達が言いたいことは、ローザに悪魔王の血が流れていても、イヴェットがローザをこ……攻撃対象なんかにはしないと知っているし、ローザが世界の滅びを願ったりしないと知っている。これまでも、これからも私たちはあなたたちが大切で、大好きだということよ。ね、サイラス?」

「ああ。ざっくり言うとそんな感じだな」

「ざっくりしすぎじゃない……」


 今までのくだりはなんだったの、と疲れたようにローザが肩を落とした。


「もっといろいろあるんじゃないの? ええと、たとえばわたしが悪魔王としてカクセイ? したらとか……」

「それはないわね」

「それはないな」

「それはないよ」

「即答されるのもそれはそれでむかつく……」

「ローザのように思いやりに溢れた子がそんな事をする訳ないじゃない」

「そうだな」

「そうだね」

「うぐ……っ」


 身内三人からの惜しみない称賛が直撃したローザは顔を赤くして身悶えた。


「俺らからの話はこれで終いだ。流れでわかるだろうが、お前らの永久就職先教会ここだから」

「うん、そうなるよね。ライラ達といられるならいいけど」

「そうだね。義父さん、義母かあさん、話してくれてありがとう」

「お礼を言うのは私たちのほうよ」

「おかげで姉さんと結婚できる!」

「「「ん???」」」」


 ライラもサイラスもローザもただただ固まった。


「昔からずーっと姉さんの事が好きだったんだ!」

「「「え???」」」


 私達は幻覚を見ているのか……?

 三人はそれぞれの頬を抓った。痛い。

 夢じゃなかった。


「これからは堂々とイチャイチャできるね、姉さん!」

「えっ。ロ、ローザ……?」

「お前らいつの間に……?!」

「ち、ちがう! わたしも初耳だよ! すごく驚いてる!」


 混迷のさなかにいる三人がおそるおそるイヴェットに視線を向ける。

 人の良さそうな、人畜無害そうな、紳士的な笑みを浮かべていた。


「イ、イヴェット……?」


 にっっこり。

 イヴェットの笑みは崩れない。

 ごくり、と三人が一様に息を飲んだ。


「ローザ、装備は」

「聖水、護符」

「ライラ」

「右に同じ。それと聖銀の短刀がいくつか。サイラスは」

「同じく。あークソ、聖焔槍部屋だ!」

「? なんで皆して装備確認しつつ臨戦態勢取りながらじりじり後退してるの?」

「黙れ悪魔め! いつイヴェットに憑依したか知らんが、この俺の目を欺くたァやるじゃねえか!」

「ひどいなあ、義父さん。抗魔力高いんだから、俺が憑依なんかされるわけないじゃない」

「頼むから憑依されてろよ!」


 サイラスは力任せに机を叩いた。ライラは床に崩れ落ちていた。


「や、やっぱり半魔なんかの私が育てたのがわるかったのか……? アンドレア、サンディー、キース、ごめんなさい……。あなたたちに託されたというのに、私は……、私は……!」

「ライラ! 落ち着いて! ライラは悪くないから! ぜったい!」

「そうだよ、ライラ。ライラはいつだって俺達の素晴らしい義母さんだよ」

「ローザ……ありがとう……。イヴェットも……。

 だがどさくさにまぎれてローザにセクハラするのを止めなさい。残念そうな顔をするなとっとと手を離すんだ」

「はーい」


 いたずらが見つかった子どもの様にイヴェットは両手を上げて立ち上がる。

 今度はサイラスが落ちこむ番だった。


「俺が……不良神父だからか……?」

「自覚あったんだね。気にするくらいなら悪ぶるのはやめたら?」

「うるせー!」

「安心して、二人とも。知ってるだろうけど俺は元々こういう性格だよ」

「ここまでとは知らなかったし安心できるかああああ!」


 この日、ライラの悩みがひとつ解消された。


「姉さん、なんで逃げるの? 昔は一緒に寝たじゃない」

「昔ね! 子どものころにね! わたしたちもう成人! あと別々に寝るっておまえから言い出しんでしょーが!」

「ははは、ごめんごめん。さみしかった? 仕方ないなあ、一緒に寝るのがダメなら結婚しよっか」

「どうしてそうなる?!」


 そして胃に穴が開く程度の悩みがひとつ増えた。


「ぐう……っ」

「この胃薬飲むか? わりと効くぞ」

「飲む……」


***


 翌朝。

 食卓についたライラ、サイラス、ローザは沈痛な面持ちで席に着いていた。

 昨夜とんでもない爆弾を落としたイヴェットはまだ自室から出てきていない。珍しいことに寝坊しているらしかった。

「誰が起こしに行く……?」

「………」

「………」

 サイラスもローザもいつもの不真面目さからは想像できない真剣さで祈りを捧げていた。

「……わかった。いってくる」

 すでに朝食の支度は整っているのだから、温かなうちに食べてもらいたい。

 頭痛の痛む、げっそりとした顔つきでライラは席を立った。

 そんなライラの背中に二人の小さな感謝が届いた。


***


「イヴェット、起きてる? 朝よ、朝食を食べましょう」

 控えめなノックとともに声をかけるが、返事はない。

 不審に思い耳をそばだてると、どうにも起きている気配はするので、ライラはそっと扉を開けた。

「イヴェット? 入るわよ? 具合でも悪いの?」

「……わるくないよ」

 こんもりとベッドの上に盛り上がったシーツの山から返事があった。

 そろそろと近付いていってそのかたわらに腰をおろす。

「イヴェット……?」

「きのうの……おぼえてる?」

「え、ええ……まあ……」

 盛大なめき声が聞こえてきた。

 イヴェットはどうやら頭を抱えているらしかった。

「ええと、その、イヴェット、あのね、人を愛せることはとても素晴らしいことだと思うの……」

「ちがうんだ……あんなふうにいうつもりなかったんだ……」

 ぽそぽそとイヴェットが釈明を呟く。

「きのう、おさけのんだでしょう……」

「ええ。食前酒と、それから十八になったお祝いの、とっておきの葡萄酒を飲んだわね。今日だけ聖職者は休みだーっ! て。

 ふふ、ローザは顔を赤らめていたわね。イヴェットはぜんぜん顔色がかわらなくてさすがキースの子だと思ったわ」

「ちがうんだ……」

「え?」

「おれ、たぶん、よってた……」

「ええーー!?」


 昨夜のキースはどうやら顔には出ていなかったが、酔っていたらしい。

 自身も気付いていなかったが、今日起きてから昨日の出来事を思い出し、頭を抱えていたという。

「なんか、ふわふわしてたし……いつもはぜったいくちにださないこといっちゃったし……しにたい……」

「死んじゃダメよ?! そのローザも私たちもぜんぜん気にしてない……ことはないけど、酔ってたなら仕方ないと思うし!」

「ねえさんにきらわれたらしぬ……」

「気持ちはわかるけど! その、大丈夫よ! ローザはイヴェットを嫌いになったりしないわ!

 ね、お腹減ってない? まずは朝食を食べてから今後のことを考えましょう? お腹が減っているときに考えごとをしちゃダメよ」

「……うん」

 もそもそとシーツの山から這い出してきたイヴェットに二日酔いに効く薬湯を淹れることを言いおいて、ライラは食卓に戻った。

「……聞こえてた?」

「うん」

「おう」

 ローザは少しだけ赤みの増した頬をかきながら、それでも口を曲げて、上がりそうになる口角を誤魔化そうとしていた。

「ねえ、義父さん」

「ん?」

「わたしたちの永久就職先ってここなんでしょ?」

「おう」

「じゃあ、イヴェットと結婚するのと同じことよね?」

「まあ、そうなるな」

 そうかしら、と思ったがライラは薬湯作りに専念した。

「今は規制もだいぶゆるくなって修道女も神父も所帯持ちが増えたからなあ」

「昔もそれなりに結婚していた人はいたけどね」

「お前の昔って何百年前だよ」

「さあ。三百年くらい?」

 淹れ終えた薬湯をイヴェットに届けようか、それとも食卓に来るまで待とうか迷ったライラの両手からローザがお盆を受け取る。

「いってくる!」

「はい、いってらしゃい」

「朝食が冷める前に来いよー」

 薬湯を零さないよう慎重に歩いていくローザの背中を見送ってライラとサイラスは微笑みを交わしあった。

「もうすぐおじいちゃんて呼ばれるかもしれないわね?」

「そしたらお前はおばあちゃんか」

「ふふ。そうかもしれないわね」

 ライラの耳にローザとイヴェットのやりとりがかすかに聞こえる。小さなころのイヴェットは泣き虫で、よくローザの後ろにかくれていたなあ、と紅茶を飲んだ。


「俺らもそろそろ結婚するか?」

「……教会があの子たちの結婚を許可したらね」

「殺る気でてきた」

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ライラの悩み 結城暁 @Satoru_Yuki

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