さようならを言う時

月環 時雨

夕闇

「明日は晴れそうだな」

 自然と、そう呟いていた。

 眼下に広がる太い川に、燃え盛る炎の色をした空が反射している。

 西野は坂を駆け降りると、水切りをしている子供たちから少し距離をとって座った。

 夕焼というのは、眺めているだけで少々それらしい気分に浸れるものだ。

 それは西野も例外ではなく、空を眺めているうちにぼんやりと壮大なことを考えている。

 かさり。背後から音がした。その音はだんだんこちらに近づいてきて、やがて止まった。

「何しに来たんだよ、亜樹」

「いやー、今日も西野は変なこと考えてるのかなーって」

 音の主はからかうように笑った。

「変なのはお前の亜樹っていう苗字だろ」

「それは僕のご先祖様に失礼だから」

 言って、亜樹は躊躇なく西野の隣に座った。

「で、今日は焼けをを眺めて何を考えてたのかな?」

「別に。そんな面白いことは考えてない」

 短い会話の間にも、夕焼けをまとった空はどんどん表情を変えていく。

 紅葉色が朱色に。その向こうにはうっすらと淡い紫色が隠れている。

「ただ、なんか」

「なんか?」

「今日も一日が終わるなーって」

 亜樹は視線で先を促した。

「夕焼が終わると夜が来て今日もが終わるじゃん? それで、今日はもう二度と帰ってこない。この世界のどこにもね。太陽が沈むこの時間は、今日に別れを告げるためにあると思うんだよ」

「別れ」

「そう。別れを告げたら夜が来て、明日っていう新しい世界を迎える準備をするんだ」

「世界が明日になるんじゃなくて、明日っていう世界が来る?」

「ああ」

「ふうん……」

 紫色が近づいてきている。

 気が付けば、子供たちはもういなくなっていた。

「恥ずかしいこと言ってる自覚はあるよ。だから言いたくなかったんだけど」

「恥ずかしくはないと思うよ。西野らしい」

「うわ、なんか嬉しくねえ」

 そう言う西野の顔には、静かな笑みがあった。

 茜色が消えていき、空が紫色の闇に包まれていく。

「じゃ、俺はもう帰るから」

 西野はそう言って立ち上がった。

「夕焼け、最後まで見ていかないの?」

「暗くなりすぎると危ないからな。お前、最後まで見ていくならちゃんとさよなら言えよ」

「何に?」

「今日にだよ。じゃあな」

 大人びた笑顔を見せた西野の髪は、まだわずかに残る夕焼けの光を受けて、きらきらと輝いていた。

 

 西野が去ってから数分後。

 周りは本格的に夜になっていた。

「さようなら、今日」

 静かな河川敷に、亜樹のつぶやきだけが響いた。

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さようならを言う時 月環 時雨 @icemattya

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