第77話 真里姉と外街の姉弟と門番と


 女の子は体格がヴァンより小さいから、6歳くらいかな。


 男の子は3歳くらいに見えた。

 

 どちらも髪は伸びっぱなしのボサボサで、靴は履いておらず、その足は外街とがいのくすんだ黒い石畳いしだたみの上で寒々さむざむしく見えた。


 リンゴを拾ったのは、女の子の方。


 その視線は拾ったリンゴに釘付くぎづけだ。


 ゴクリとつばを飲み込み、かたわらの男の子を見て、悩ましそうに眉間みけんしわを寄せていたけれど、やがて私の方に近寄ってきて、拾ったリンゴを差し出してくれた。


 その足は門の前、都街とがいに足を踏み入れる前で止まっている。


 門のそばには、身長2mはある体の大きな男性が門番として立っていて、黙って女の子の様子を見守っていた。


 女の子に近付いた私は、かがんで目線を合わせてから、そのリンゴを受け取った。


「ありがとう、拾ってくれて」


 そう言って私が受け取ったリンゴをアイテムボックスに仕舞しまうと、


「あっ……」


 女の子の口から、あからさまにがっかりした声がれた。


 そんな声を出されると罪悪感ざいあくかんが凄いのだけれど……私は汚れていないリンゴを新しく取り出し、女の子の目の前で一口かじった。


「うん、甘酸あまずっぱくて瑞々みずみずしい、美味しいリンゴだね」


 街をへだてる境界を超えないよう、女の子はそれでも限界まで身を乗り出して、私を、正確には私が食べているリンゴを凝視ぎょうししている。


「けれど困ったな。お姉ちゃんお腹いっぱいで、もう食べられそうにないよ。そうだ! 良かったら私の代わりに、このリンゴ食べてくれないかな?」


「えっ……いいの?」


勿論もちろん。二人で食べていいよ」


 そう言って私は食べかけのリンゴを、そっと新しいリンゴに替えてから渡すと、女の子は喜んで男の子の方に持って行った。


 けれどリンゴは二人にとって少し大き過ぎたようで、どう食べるか悩んでいるようだった。


 私が【魔銀まぎんの糸】で切ってあげようかと思った、矢先やさき


 大きな人影が二人に歩み寄って行った。


 それは門番の男性で、彼はおもむろに二人からリンゴを取り上げた。


「なっ!」


 きっと『なにをするの!』と、女の子は言おうとしたのだろうけれど、彼が腰に下げた短剣たんけんをすらりと抜くと、口をつぐんだ。


 私は動かない。


 だって彼は、始終しじゅう女の子をのだから。


 そして私達の前で彼が短剣を一振ひとふりすると、リンゴは半分に切られていた。


 切られたリンゴを二人に渡すと、黙って元いた場所に戻り、何事も無かったかのように門番の仕事を続ける彼。


 呆気あっけに取られていた二人だったけれど、彼がただ切り分けてくれたのだと理解すると、ぐにリンゴを食べ始めた。

 

 余程よほどお腹がいていたのか、味わうとかそういう感じではなく、まるでリスのように、小刻こきざみに齧り切り口のはしからリンゴをシャクシャクと食べ続けていた。


 そのあいらしい様子に、ついみがこぼれてしまうね。


 と、男の子が半分程食べたところで、不意に食べるのを止め、残りのリンゴをじっと見つめた後、門番の彼に近寄って行った。


 そして食べかけのリンゴを両手に持ち、


「あい!」


 という可愛い声と共に、彼に差し出したのだった。


 もう食べにくい大きさではないのだから、男の子の行動が意味するところは、きっと彼へのお礼なのだろう。


「……」


 彼は一瞬困ったような顔をしたけれど、受け取ったリンゴをまた短刀で半分に切った。


 そして半分を食べ、もう半分は男の子に無言で返した。


「えへへ」

 

 彼が食べてくれた事が嬉しかったのか、男の子は満面まんめんの笑みで、半分になってしまったリンゴを食べ始めた。


 食べる量が半分になった男の子は直ぐに食べ終えてしまったけれど、それを見た女の子が、今度は自分の分を男の子に渡していた。

 

 ああ、だめだよこんなの。


 うちの弟妹ていまいを思い出しちゃうじゃない……。


 鼻の奥がつんとするのをこらえているうちに、レイティアさんとライルがやって来た。


「マリアさん、突然一人で行かれるから心配しましたよ? ……と、これは一体?」


 リンゴを分け合って食べる見知らぬ子供二人の姿を見て、レイティアさんがたずねてきた。


「レイティアさん……外街に住む人は、みんなこんな風に食べるのも困っている状況なんですか?」


「そうですね……外街に住む方は、国に税をおさめる義務をわない代わりに、国からの保護も受けられません。けれど王様はそんな外街に住む方のために、その日食べていけるだけの仕事を斡旋あっせんしてくれています。しかし、例えば怪我けがや病気で動けない人や、親のいない小さな子供は仕事を受ける事が出来ず、食べる事さえままならないのです。王様は我々国民を、深くおもって下さいますが……」


「そう、ですか」


 神託しんたくを通して、私との約束を守ってくれた王様だけれど……そうだよね、何でも出来る訳じゃないよね。


 そう思うと、青年のような外見の王様に似合わない、苦笑の中に垣間見かいまみえた暗く重たい何かは、苦悩くのうだったのかもしれない。


 私は二人がリンゴを食べ終えるのを待ってから、声をかけた。


「ねえ、二人の名前を聞いてもいいかな? 私はマリア」


「……エマ」


「ロマ!」


 姉のエマはまだちょっと警戒けいかいしている感じだけれど、逆に弟のロマは無邪気むじゃきだ。


「エマとロマだね。二人はまだお腹が空いているんじゃないかな?」


 私が問いかけると、エマはちょっと迷った後に、ロマは即座そくざに頷いた。


「そっか……レイティアさん、悪いんですけれど、お水を買って来て貰ってもいいですか?」


 私がそう言うと、レイティアさんは理由も聞かず、ライルと共にこころよく水を買いに行ってくれた。


 これからやる事を弟妹が見たら、『またお姉ちゃんしている』と苦笑混じりに言いそうだけれど、きっと性分しょうぶんなんだよ。


 性分なら、仕方ないよね?


 ちなみにグレアムさんが見たら素晴らしく面倒な事になりそうなので、私は入念にゅうねんに彼等の姿が無い事を確認した。


 よし、オールグリーン。


 いつでもいけるね!


 と、その前に。


「あの、ちょっとここで料理をしてもいいですか? 私はマリアといいますが、えっと……」


「ブルータ」


 初めて聴いた彼の声は、かなり低くて重い声音こわねだった。


 見た目も相俟あいまって、中々に迫力がある。

 

「えっ? ああ、ブルータさんっていうんですね。それで、料理しても構いませんか?」


 彼は無言で頷いて、私のために場所をけてくれた。


 私はお礼を言ってから、携帯生産キットを展開し、コンロの上に大鍋を置いてバターを入れた。

 

 次に取り出したリンゴに【魔銀の糸】をからめ、装備特性そうびとくせいである伸縮性しんしゅくせいを用いて薄くスライスし、【下拵したごしらえ(中級)】でしんや皮といった部分をまとめて取り除いた。

 

 これを複数の糸を同時に操って行い、大量のリンゴをまたたく間に処理し、大鍋に入れていく。


 大鍋に火をかけて、バターを溶かしながらリンゴを炒めていけば、甘い香りをのせたバターの良い匂いが広がっていく。

 

 ふと見れば、いつの間にかエマとロマが私の前にいて、料理する様子を固唾かたずんで眺めていた。


「お待たせしました、マリアさん」


 そこにレイティアさんとライルが、木桶きおけに入った水を持って来てくれた。


「ありがとうございます、レイティアさん、ライル」


 私は別の鍋を取り出し、二人が運んで来てくれた水を移した。


 水を入れた鍋に、エデンの街で買っておいた大麦を投入し、【促進そくしん(中級)】を発動。


 短時間で大麦に水を吸わせたら、けた水ごと大麦をリンゴを炒めていた鍋に入れ、火を強めた。


 そこでまたも【促進(中級)】を発動し、圧力鍋で長時間煮込んだような状態にもっていく。


 あとは仕上げに牛乳を入れ塩で味を整えれば、リンゴの麦粥むぎがゆの完成。


 食器は私のアイテムボックスに入っている、木製の深皿ふかざらさじを使えばいいね。


「さあ出来たよ」


 私がそう言うと、けれどエマとロマは何か言い難そうに、もじもじとしていた。


 ちらちらと後ろを振り返っている先を見れば、こちらを見つめる子供達の姿が。


 うん、ある意味予想通りの展開だね。


 だってお腹を空かせている子供が、二人だけのはずがないもの。


 そう思って、匂いが広がるよう外で調理したのだけれど、効果は抜群ばつぐんと言ったところかな?


 私はエマとロマに、お腹を空かせた子をみんな呼んでいいよと伝えると、あっという間に数十人の子供達が集まった。


 レイティアさんとライルに手伝ってもらい、次々リンゴの麦粥を配っていくと、子供達はがっつくように食べ始め、おかわりの要求にもこたえた結果、大鍋いっぱいに作ったはずのリンゴの麦粥は綺麗に無くなってしまった。


 これは、鍋一つ分じゃ足りなかったかもしれないね。


 それでも子供達が口々に『ありがとう』『おいしかった』『あったかかった』と言ってくれたのは嬉しくて、うん、やって良かったかな。


 子供達を見送った私達は、見守ってくれたブルータさんにお礼を言って、後片付けをして市場へと戻った。


「今日はありがとうございました、レイティアさん、ライル。お仕事の件は後日、私達のホームで改めて話をさせて下さい」


「分かりました。では私とライルは、夕飯の食材を買って帰りますね」


「食材を……あの、程々ほどほどに?」


「ふふふ」


 あっ、これ自重じちょうしない感じだ……。


 市場でお店をいとなむ人、強く生きて!



 二人と別れた私は、食材も安く仕入れる事が出来、食事処しょくじどころを手伝ってくれる人も見つかって、上機嫌じょうきげんでホームへと向かった。


 異変に気が付いたのは、ホームまで歩いてあと数分という距離になった時だ。


 人集ひとだかりが出来ていて、何やら盛り上がっている。


 気になった私が遠くから眺めると、ふだのような物の前で、その内容を読みあれこれ話しているようだった。


 【視覚強化しかくきょうか】された眼でそこに書かれていた内容を読み……私は膝からくずれ落ち、がっくりと両手を地面についた。


「引っ掛かっていた正体は、これだったんだ……」


 今回、私は周囲にグレアムさん達の姿が無い事を、念入りに確認した。


 そして姿が見えない事に安心していたのだけれど、よく考えたら、それじゃ足りないんだよね。


 だってこの前、私の行動をグレアムさんに報告していたのは、私が知らない人。


 おそらく、都街に住む人なのだから。


 警戒すべき対象を絞った私は、はなから彼等との戦いに敗れていたのだ。


 立て札に書かれている内容を詳しく話すつもりはないけれど、私が外街の子供達に食事を配っていた様子が、克明こくめいに書かれていた。


 そう、ごく近い位置で見ていなければ分からないような事まで、詳細に。


 そしてあの時、そんな事が出来たのはレイティアさんとライルを除けば、一人だけ。


 レイティアさんとライルは私の手伝いをしていたから、こんな情報を外に伝える暇など無かったはず。


 では残った一人はというと、私は料理に集中し、その動向どうこうを気にもめていなかった。


 ……ああ、そう。


 今度はそういうですか。


 とてもとても、有名な台詞せりふだものね。


 だから私も、えて敬称けいしょうを付けずに言うよ。


「ブルータ、お前もか……」 


 …………ふふっ、ふふふっ……なんかこう、さ。


 透明とうめいになれるようなスキルってないかなあ、ザグレウスさん。


 姿もだけれど、出来れば私の存在ごと透明にしてくれると、嬉しいなあ……。


 

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