第76話 真里姉とレイティア無双


 レイティアさんとライルをともない、私はカスレを作るための食材を買いに訪れた、都街とがいの市場に再び足を運んでいた。

 

 最初に向かったのは、カスレ用の食材を扱っているお店を教えてくれた、主に葉物野菜はものやさいを売っていたおじさんのお店。


「こんにちは」


「おや、この前うちで香草を沢山たくさん買ってくれたお嬢ちゃんじゃないか。またお使いかな?」


「お使いではないんですけれど、また香草を買いに来ました。カスレ用に、前と同じ香草を出来るだけ多く欲しいんです」


「なんだ、そんな事ならお安い御用ごよう……」


 なんだろう、言いかけたおじさんの顔に緊張が走っていた。


 大きく見開みひらかれた目が向かう先、そこにはレイティアさんが立っていた。


 ん? どうかしたのかな?


 レイティアさんは穏やかな雰囲気のまま、表情もにこやか。


 それなのに、おじさんはまるでこれから戦いでも始まるかのような、尋常じんじょうではない様子だった。


 言葉を震わせながら、絞り出すようにおじさんが言う。


「あっ、あんた、どうしてここに……」


「マリアさんの買い物の、お手伝いです。私の事は気にせず、どうぞ続けて下さいね?」


 にこやかなレイティアさんと、じっとりとてのひらに浮かんだ汗を必死にぬぐおうとするおじさんとのギャップが激し過ぎる。


 私は、今度は何に巻き込まれようとしているのだろう……。


 これはあれかな、またが顔を覗かせ始めたかな?


 一瞬頭の中に、擬人化ぎじんかされた不穏が『呼んだ?』と声をかけてくる映像が浮かんだけれど、私はびょうで追い払った。


 擬人化された姿がどんな者だったかは、思い出したくもない……。


 よし、こんな時こその出番だね!


 頼んだよ、切り替え! 任されたよ私!!

 

 脳内で一人芝居ひとりしばいをして心を鼓舞こぶした私は、おじさんから香草を見せてもらい、前回と特に品質も変わらなそうだったので、おじさんの提示した値段で買おうとしたのだけれど。


「あら、本当に香りが良い物ばかりですね。でもこちらのパセリ、少し葉の緑色が薄い物が混ざっていますね。それにローリエも、他のお店で扱っている物より葉が小さいように思います。ローリエの葉は、大きい物の方が香りが強く出ることは、当然知っていますよね?」


「いや……」


「鮮度が落ちやすく、生育せいいくに差が出易でやすい葉物を扱っていて、品質をそろえるのが難しい事は、私も分かっているつもりです。けれどこれだけ沢山買うマリアさんに、あなたが胸を張ってお勧めできない食材を、ご自慢の値段で一括ひとくくりにして売るなんて事、ありませんよね?」


「それは……」


「それに私がここで皆さんにうかがった話からすると、葉物はここ数年需要じゅようより供給きょうきゅうの方が多く、値段は少しずつ下がっているようですよ? その時に聞いた値段と比べると、あなたの提示した値段は」


「値段はもっと勉強する! だからもう勘弁かんべんしてくれっ!!」


 ついにおじさんが白旗しろはたをあげた。


 そしてそれを眺めていた私は呆然ぼうぜんと、ライルは平然へいぜんとしていた。


「……レイティアさんって、買い物する時はいつもあんな感じなの?」


「いつもあんなだぞ! でも、あれはまだマシな方かな?」


「そ、そうなんだ。あれで、マシ……」


 現実では値札の付いた物を買うのがほとんどだった私は、こういう値段交渉というのをした事がない。


 そしてライルが言った事は正しく、おじさんが勉強する、つまり値下げすると言ってからが凄かった。


 レイティアさんは今度は一転して、おじさんの扱っている葉物が都民とみんの方に高く評価されていると褒め、そのためにおじさんが頑張っている事を、まるで苦楽くらくを共にし親密さで語りかけた。


 あれだけ警戒していたおじさんも、客観的きゃっかんてきな情報による指摘と自尊心じそんしんくすぐり、おまけに苦労の共感というトリプルアタックの前に、理性と感情の両方を激しく揺さぶられ、えなく陥落かんらく


 気が付けば、おじさんはレイティアさんと固い握手あくしゅわし、当初の値段より大幅に下げられた値段で食材を私に売ってくれる事になった。


 しかもレイティアさん、


「そこまで値引きされたら申し訳ないです」


 と言いながら、替わりに買う量を増やす事を、恩着おんきせがましくならない絶妙ぜつみょうな感じで提案し、おじさんを感激させ、おじさんに更なる値引きを行わせたのだった。


 その結果、買う量は増えたけれど単価としては当初の3分の1にまで落ちていた。


「良い買い物が出来ましたね。では次のお店に行きましょう、マリアさん」


「あっ、はい……」


 去りゆく私達を、おじさんは手を振って見送ってくれた。


 ありがとう、おじさん。


 でも後で、ちゃんと収支しゅうしは確認してね?


 そしてその時は、心を強くたもってね?


 今度、他の野菜も買いに来るからさ……。


 あ、でもその時にまたレイティアさんが一緒だったらどうしよう……うん、切り替えの出番だ!



 その後、私達はカスレに必要な食材を次々と買いたた……買っていった。


 その時のレイティアさんの様子を一言で言うならば、


 『レイティアさん無双むそう


 その言葉に尽きるんじゃないかな。


 でもこれだけやらかして、お店の人から悪い印象を持たれないのが凄い。

 

 レイティアさん、酒場の給仕きゅうじをしていたと言ったけれど、選ぶ職業、間違えていませんか?


 なんだろう、商人って言葉が合っていそうなんだけれど、それにしては相手が気分良く損をし過ぎているというか。


 言葉たくみに相手に損をさせる人、もしくはお金をだまし取る、そんな人。


 あっ、詐欺さぎ……いや、これ以上考えるのは危なそうだから止めておこう。


 ……ふふっ、私はどんどん成長するなあ。


 今遠い目をしたら、私は一体どこまで見通せてしまうのかな?


 そんなどうでもいい事を考えつつ、私達は最後に市場のはずれにあるお店でリンゴを大量に買った。


 そのまま食べてもいいし、蜂蜜はちみつ香辛料こうしんりょうを加えて一緒に煮て、アップルパイに使ってもいい。


 例のごとく、レイティアさんの無双によって下げられた値段を支払い、リンゴをアイテムボックスに入れていく。


 と、そのうちの一つが手から滑り落ちてしまった。


 都街の方が外街とがいより高い位置につくられているせいか、落ちたリンゴは外街の方へと転がっていった。


 思わず追いかけてしまったけれど、転がるリンゴの勢いは弱まらず。


 ようやくリンゴが止まったと思ったら、そこは都街と外街を分ける壁、その門の向こう側だった。


 そしてリンゴが、小さな手によって持ち上げられる。


 そこには以前のライルが着ていたような、至る所につくろいの跡が見える服を着た、小さな姉弟していの姿があった。

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