第73話 真里姉と散歩と頼もしい弟妹


 眠りについた翌朝、私は真人まさとに起こされリビングに運んでもらった。


 最近は良く眠れるようになったせいか、寝起き後の気怠けだるさを感じる事も無くなっていた。


 1日の始まりとしてはとても良い感じだと、そう思っていたのだけれど……。



『これからオーガ達の間を強行突破きょうこうとっぱします!! ついてきたい人は後ろへ、余力よりょくのある人はダメージをった人を支えてあげて下さい!!!』



 壁に備え付けてある大画面ディスプレイにうつマリアの声と姿に、そんな気持ちは木っ端微塵こっぱみじんに吹き飛んだ。


「最後の全員参加の逆転劇も良いけど、わたしはオーガ相手に突破口とっぱこうを作るお姉ちゃんが最高だね!」


「いや、そこは倒れても倒れても、何度でも立ち上がるところだろ」


「それも捨てがたいんだけどね、真兄まさにい。でも台詞せりふ付きで蹴散けちらす姿は、ヒーローみたいでカッコイイじゃない? あ、お姉ちゃんだからヒロインか」


「まあ、分からなくもねえけどな」


「……いや、あのね真希まき、真人。朝っぱらから何をしているの?」


 幾分いくぶん温度の下がった視線を二人に向けるけれど、この弟妹ていまいはどこ吹く風といった感じで。


「お姉ちゃんの名シーン10を選んでいるんだよ! 結城ゆうきさんに言って追加で色々貰ったんだけど、角度違いの物もあって、なかなか絞り込めないんだよね。というか10なんて少な過ぎるんだよ! お姉ちゃんを配慮してなのは分かるけどさ」


 結城さん、なんて余計な事を……でも10に制限したのは、良い仕事だと思います。


あきらめろ真里姉まりねえ。ちなみに、真希が選んだシーンがプロモーションに使われるらしいぞ」


「そんな話聞いてないんだけれど!?」


「だってお姉ちゃんに選ばせたら、無難ぶなんな物になりそうだもん」


「それは、当然だよ」


 ここ最近はただでさえ何かと事が大きくなっているのに、これ以上はもう本当にお腹いっぱい。


 でもプロモーション映像が流れたら、どう考えても今より大事おおごとになるんだよね……。


 エステルさん達を思えば、プロモーションに出るのを承諾した事に後悔はない。

 

 無いんだけれど、弟妹には内緒にしておけば良かったかな。

 

 恨みますよ? 結城さん。


 その後も私は朝食の間中あいだじゅうマリアの姿を見せ続けられるという、拷問ごうもんのような時間を味わった。


 いつの日か必ず、このデータは全部消してやるんだから。


 私はそっと心に誓うと、朝食を食べ終えて匙を置いた。


 朝食の味は、よく覚えていなかった。



 その後はリハビリを終えて、天気も良いので外を散歩する事になった。


 散歩といってもまだろくに歩けないので、電動式の車椅子に乗ってだけれどね。


 付き添いは真人で、マンションのエレベーターから降りて向かうのは、マンションの敷地しきち内に造られた公園。


 多くの樹々きぎ整然せいぜんと植えられ、芝生しばふは丁寧に刈られ長さが揃えられていた。


 今は6月の上旬。


 ちょうど寒くもなく、暑くもなく、梅雨つゆ前でじめじめもしていない。


 緑は濃くなりつつあり、芝生の上に寝転んで日向ひなたぼっこでもしたら、さぞかし気持ちが良いだろうな。


 そんな事を思いながら車椅子を進めていくと、ベンチにポツンと一人、スーツ姿の若い男性が項垂うなだれるようにして座り込んでいた。


 雰囲気が落ち込んでいるのは見て分かるのだけれど、落ち方がちょっと気になった。


 苛立いらだたしそうに貧乏揺びんぼうゆすりを繰り返し、時折スマホを見ては舌打ちをしている。


 不穏ふおんな空気を真人も感じたのか、少し遠回りして通り過ぎようとした。


 けれど運悪く、車椅子の車輪がポイ捨てされた空き缶に当たり、音に反応した男性が、音をたてた私に視線を向けてきた。


「世話してもらうだけで、よくのうのうと生きていられるな。生きてて申し訳ないって思わないのかね」


 きっとイライラしてささくれ立った心から、思わず出た言葉なんだと思う。


 それほど大きな声でもなかったし。


 私の事は、その通りだからいいんだけれど……。


 ちらりと真人を見たら、私の良く知る荒れていた頃の、こめかみに青筋あおすじを立て、敵意を剥き出しにした真人がそこにいた。


「何だとてめえっ、俺の家族にひでぐさじゃねえか。喧嘩なら借金してでも買ってやるぜ? なあおい、もっぺん言ってみやがれ!!」


 ああ、すっかりスイッチが入ってしまっている。


 未だに家族の事になると一番抑えが利かないのが、真人だ。


 それは家族を何よりも大事に想っている裏返しなんだけれど……でもね真人。


 借金するのは良いんだけれど、そのお金を出すのはきっと真希だよね? そんな事にお金使うと知ったら…………うん、あの子なら怒るどころかむしろ倍額ばいがく出してきそうだね。


 スーツ姿の男性は近付く真人の迫力に負けたのか、はっと顔を上げ後退あとずさろうとして、ベンチから転げ落ちてしまった。


 その顔はおびえ切っていて、私に向けていたさげすむような感じは見る影も無い。


「くはっ、やっ、やめっ……」


 真人に胸倉むなぐらを掴み上げられた男性が、ちゅうに浮かされた状態で苦しそうにこぼす。


 さすが日々私を運んだり、リハビリを手伝うために体を鍛えているだけはあるね。


 と、今はそんな事を悠長ゆうちょうに思っている場合じゃない。


「真人、そこまで。降ろしてあげて」


「真里姉、けどよっ!」


「ま・さ・と」


 私は笑顔になるよう表情筋を意識しながら、一文字一文字区切り真人の名前を呼んだ。


 真人が大人しく掴んでいた手を離してくれたのは嬉しいけれど、直立不動ちょくりつふどうになる必要は無いと思うんだ。


 まるで私がどこかの軍隊の鬼軍曹おにぐんそうみたいじゃない……。


 さて問題なのは、倒れてむせせているこの男性か。


「大丈夫ですか? 弟が失礼しました。ですが、謝りはしません。それでは私のために怒ってくれた真人が、悪い事をしたと感じてしまうかもしれませんので」


 本当なら、ここで手を差し伸べて起き上がる手助けをしたいところだけれど、今の私には無理なので、そこは我慢してもらおう。


「おっしゃる通り、今の私は弟、そして妹に世話をして貰わなければ生きていけない体です。生きていて申し訳ないという想いも、正直、無くはありません」


「真里姉……」


 こらこら、そこで真人が心配そうな顔をしてどうするの?


 苦笑しつつ、私は想いを口にした。


「けれど、そんな私でも必要としてくれる人がいるのです。生きている事を望んでくれる人がいるのです。だから私は、どれだけ足掻あがいても生きていこうと思っています。今はそう、思えるようになりました。貴方あなたはいかがですか? 生きていてそれだけ苦しそうなのは、貴方にも大事ながあるから、あったからではないのですか?」


「お、俺は…………」


 そこからぽつりぽつりと語られたのは、その男性、砂羽さわさんが今にいたるまでの経緯けいいだった。


 大学で専攻していたAI関係の論文が評価され、大手企業に入社。


 豊富ほうふな資金と機材を与えられ、研究に没頭ぼっとう


 研究の成果は目に見える形で会社の業績へと繋がり、社内での評価は鰻登うなぎのぼり。


 一方、研究に専念するあまり対人関係をおろそかにした結果、嫉妬しっとねたみを買い、ある大規模なシステムで致命的なミスが発見された際、上司・同僚・部下が揃って砂羽さんに責任をなすりつけた。


 それにより彼の社内での評価は暴落し、居場所を失った。


 転職を決意しても、システムの知名度が高かったせいで、問題ありと見做みなされた砂羽さんを雇ってくれる会社は0。


 これについては、砂羽さんの求める条件が高過ぎるのも原因なんじゃないかな?


 あと対人関係のつたないところが、他の会社からも扱いにくいと判断されたのかもしれない。


 バイトの面接だって、能力以上に人柄ひとがらがとても重視されるからね。


 想いを口に出来たせいか、これまで溜め込んでいた分を吐き出すかのように、砂羽さんの言葉が途切れる事はなく。


 そして一頻ひとしきかたり終えた後にこぼした、一言。


「俺はただ、皆の役に立つ物を作りたかっただけなんだ……」


 そう言って彼は、静かに涙を流した。


「くそっ、良い話じゃねえか……」


 真人も涙を流していた、それも滂沱ぼうだごとく。


 いや、真人まで泣く必要はないんだからね? しかも当人以上に。


 そういえば昔から、じょうを揺さぶられるような話に弱かったかもしれない。


 混沌とした状況に私が頭を抱えていると、不意にひらめいた。


 ああ、うん、


「その先の影響を考えると、とても気が滅入めいるのだけれど……」


 それでも、この人にとって何かの切っ掛けになるかもしれないと、そう思うとね。


「真人、ちょっと真希に電話してもらえる?」


「ぐすっ、おう」


 ごしごしと腕で涙をぬぐい、スマホで真希を呼び出し、そのまま私の耳元に当ててくれた。


「真希? 私だけれど」


「お姉ちゃん? 一体どうしたの?」


「結城さんの会社で、人事を担当をされている方に会って欲しい人がいるんだけれど、結城さんに繋ぎをお願いできるかな。代わりに、制限数は倍にして良いって伝えて構わないから」


「また変わったお願いだね。結城さんには直ぐ連絡出来るけど、本当にいいの?」


「まあ、もう今更いまさら感があるしね」


「お姉ちゃんが良いなら問題ないよ。むしろ制限倍で、わたしは嬉しいくらい!」


 この妹は、正直者だなあ。


 今日、何度目かの苦笑をしつつ真希からの返事を待っていると、電話の裏で何かり取りをする気配がした。


 待つ事数分、真希が返事をくれた。


「結城さんが『分かりました。以降はその方と直接遣り取りさせて下さい』だってさ。連絡先も送っておいたよ」


 今や有名な会社の結城さん広報担当とあっさり連絡をつけてしまうあたり、真希は本当に凄い子だね。


「ありがとう真希」


 電話を切って、私は送られた連絡先を砂羽さんに見せた。


「AIに深くたずさわっている会社です。もし砂羽さんさえ良ければ、一度たずねてみてはいかがでしょうか。広報を担当されている結城さんという方に、話は繋いであります。秋月あきづき 真里まりから紹介された、とでも言ってもらえれば話が早いと思います」


「AIに深く携わっている会社って、ここっ、これはまさか、カドゥケウス社!?」


「みたいですね。後は砂羽さんにお任せしますね。それでは」


 連絡先を真人に砂羽さんのスマホに転送してもらい、私は真人と一緒にその場を後にした。


 少しだけ振り返った時には、まだ呆然ぼうぜんとした様子でこちらを見ていたけれど、大丈夫かな?


 まあ、大丈夫だと思うようにしよう。


 私に出来ることは、このくらいだしね。


 ちなみに、帰宅後の私を待ち受けていたのは、朝に映されていた時よりも明らかに増えたマリアの映像と、テンションが数倍高くなった状態の真希だった。


 きっと、私の目はまた遠くを見るような感じになっているんだろうな。


 このままいったら、どこまで遠くを見てしまうんだろう、私の目。


 ……いや、より遠くを見たいわけじゃないからね?


 そんな目要らないからね!?

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