第58話 真里姉とある裁縫師の独り言(後編)
ある晩、珍しく村から人の声があがった。
何事かと見に行くと、そこには胸を掻き毟る一人の村人の姿があった。
最初は苦悶の表情を浮かべていたが、やがて角を生やした醜い顔へと変貌し、枯れていた老人の体が、肥大化した筋肉に覆われていく。
この変化、忘れるはずもない。
「悪鬼……」
私が呟くのと、大勢のプレイヤーが悪鬼と化した村人めがけ襲いかかってきたのは同時だった。
私は先頭を走るプレイヤーに合気の要領で技をかけ、走る力を流用し地面に沈めた。
警戒し足が止まったプレイヤー達に、私は沈めた男を放り投げた。
「こいつ、この前狩りの邪魔をしたヴァレリアとかいうプレイヤーじゃねえか」
「NPC逃したり、俺達に攻撃してきたり、お前一体何したいわけ?」
「もっかい死んどくか? おい」
殺気だったプレイヤーの数は、ざっと30人。
状況は以前と大して変わらないけど、ここには世話になった男がいて、その村がある。
戦力差は前回と変わらない。
だから結果も変わらないかもしれない。
「でもね……」
「あ? 何を言っべぐらぁっ」
握り締めた拳を、口を開いていた男の顔面に叩き込む。
すぐさまその隣にいたプレイヤーに足払い。
倒れたところを首を狙って踏み抜いて、近付いてきた手を取り投げ飛ばした。
そこに悪鬼が加わり、瞬く間に混戦となる。
殴り続け、蹴り続け、私は力の限り戦い……敗れた。
そして悪趣味にも、私を魔法で動けなくした上で、私の前で、村人を一人、また一人と悪鬼に変えていった。
そこまで深く関わった訳でもないけど、顔も名前も知っている人が、命を奪われていく。
言葉を発することさえ出来ない中、そしてとうとう、最後の村人、男の番となった。
男は死を目前にしても、怯えの表情すら見せなかった。
ただ、あるがままに受け入れるだけという諦念を抱いたような面持ち。
でもほんの少しだけ、その視線が私に向けられたような気がした。
そして男が悪鬼に憑依された、瞬間。
これまでと違い、現れた悪鬼は一回りも体が大きく、鋭い爪は、爪というより鎌のように伸びていた。
「なんだこりゃ、変異種か?」
「マジか! すっげえレアじゃん」
「どんなドロップするか楽しみすぎる!!」
プレイヤーが悪鬼に、男に群がる。
それを彼は、たった一人で迎え撃った。
夜空に浮かぶ月の位置が、目に見えて変わった頃。
彼はまだ、戦い続けていた。
しかもプレイヤー達と互角以上に渡り合いながら。
これまでの悪鬼が数の暴力に晒され、あっという間に倒されたのを考えれば、それは異常な事だった。
「ちっ、しぶてえなこいつ」
「地味に強いな、何人か死に戻らされたぞ」
「まあな。だがもう虫の息だっ」
ノックバックの一撃を受け、彼が私のすぐ傍に倒れた。
彼のHPは、もう残り僅かになっている。
なのに私は、何も出来ない。
何もしてあげられない。
それが悲しくて、悔しくて、憎しみの気持ちが溢れることを止められなかった。
『チカラガ、ホシイカ?』
えっ?
『ヒトヲ、ステテ、デモ、チカラヲ、モトメルカ?』
見れば、彼がこちらをじっと見ていた。
いや、彼を通して悪鬼の霊魂が語りかけている?
問いかけに、私は迷わなかったか。
無力さを後悔して生きるくらいなら、私は抗いたい。
『力を貸して。代わりに私の事は好きにすればいい』
『ケイイダロウ、ケイヤクハ、ナサレタ……』
彼から抜けた悪鬼の霊魂が、私の体に憑依する。
変化は、劇的だった。
感情という感情が、負の渦に呑まれ消えていき、替わりに極めて純度の高い破壊衝動が生成されていく。
最後の理性の欠片が消える直前、馬鹿みたいなステータスになっている数値の隣、ジョブの名前が変わっていた。
そこには、【羅刹女】と書かれていた。
そこからの記憶は曖昧で、良く覚えていない。
ただ、私以外のプレイヤー全員を死に戻らせた事だけは、確実だった。
以前とは違う、物悲しい静けさに包まれた村の中、私は村で唯一の生き残りとなってしまった彼の隣に跪いていた。
その傍らには、彼の使い魔の猫が寄り添っている。
何を話し掛けたら、いいのだろう。
私達プレイヤーがこの惨劇を招いた。
彼はその被害者だ。
知らなかったとはいえ、悪鬼を倒すことに賛同していた私は、加害者ではないとは言えないし、言いたくない。
それなのに、彼は私の胸中を知ってか知らずか、淡々と話し掛けてきた。
「気に病むな……誰しもいずれ、死ぬ」
「……」
「今のお前の眼は、死に際の俺には緋く、眩しすぎる」
億劫そうに持ち上げた手で、彼がしていた眼鏡を外すと、何事か呟き、そして私に手渡してきた。
「掛けて、みろ」
手渡された眼鏡は、いつのまにか透明だったガラスにぐるぐる模様が入っていた。
眼鏡を掛けると、胸の内に渦巻いていた破壊衝動が、不思議なほどに鎮まった。
「最期まで、世話が焼ける……」
彼の口の端が、僅かに持ち上がった。
苦笑に近いものだったのかもしれないけど、彼が笑ったのを、私は初めて見た。
「いずれ、その眼を受け入れる者が、現れる」
彼の体が、徐々にその輪郭を失っていく。
「それまで、貸し、だ……」
そう言うと、彼の猫が一声鳴いて、共に消えた。
最期まで、名前を教えてくれる事もなく。
後にはただ、彼が貸してくれた、眼鏡だけが残った……。
それからの私は、今回の件で因縁の出来たプレイヤーを倒し続け、そして、変わらずに生産を行った。
ただ以前と違い、造る物に性能を追い求める事はしなくなった。
性能が落ちても、その人に合った物を造るようになった。
それは現実でも同じで、これまでのような目新しいデザインを描く事はやめ、服を着る人が自然体でいられる事を意識したデザインに変えた。
それは見方を変えたら、没個性。
事実、多くのお客さんが離れていった。
けどそんな中、共感してくれる人もいてくれて。
私はそんな人達に応えるため、効率を二の次に、対話を重視して、その人がその人らしくいられる服をデザインしていった。
彼が最期に、私のためにあの眼鏡をアレンジしてくれたように。
見た目はダサくなったけど、あの眼鏡は、私には一番の眼鏡だ。
以前と違い沢山売れるような事はないけど、逆に、私が造った服を着て嬉しそうにしている写真を貰える事が増えた。
そしてさらに時が過ぎ、Mebius World Onlineが正式サービスが迎えた日。
私はキャラクタ作成の時に、以前とは変わった事を込めて、そして愛用の道具から、名前を『ルレット』に変えた。
ただ、ここで予想外の事があった。
それはジョブを選択した時の事。
「ルレットさん、普通なら初期ジョブの中から好きなジョブを選んで頂くのですが、もし貴方がよければ【羅刹女】を選んでは頂けないでしょうか」
「あれは2次の特殊ジョブでしょ? そもそも初期では選べないはずじゃ」
「ええ、ですのでこれは特例です。私も困惑しているのですが、彼がどうしても、というものですから」
「彼?」
「『貸りはちゃんと返せ』、だそうですよ」
そう言って渡されたのは、βテストの時に彼から貸してもらった、あのぐるぐる眼鏡だった。
いつも一緒だった物が、失われると思っていた物が手元にある事に、思わず涙腺が緩みそうになった。
「……βテストからの引継ぎは無い前提、でしょう? こんな特例、許していいの?」
「内部確認は済んでいます。私はお二人の繋がりに、特例とするだけの価値を見出しました。ただ、決めるのはルレットさん、貴女自身です」
「私は……」
手にした眼鏡を前に、少し間が空いたのは躊躇いではなく。
ただ、この不意打ちのような贈り物を受け、感情が追い付いてこなかっただけ。
一呼吸置いて、私は彼の眼鏡を掛けた。
「……それが貴女の答えなのですね。私はその決断を尊重致します」
ザグレウスの言葉と共に、私は『ルレット』となって、彼の眼鏡と共に新しいMebius World Onlineの世界に降り立った。
βテストで培ったノウハウを活用し、レベルを上げ、装備を強くし、ようやく好きな物が作れるようになった私は、真っ先にあるモノを作った。
それは白くて、小さくて、生意気そうなところが可愛い生き物が元になった、ぬいぐるみ。
他にもいくつか作ったぬいぐるみを、露天に並べる。
露天を開いた場所は、人通りの多い所からは敢えて離れた場所にした。
時々、通りかかる人が眺めるけど、強さには何の関係もないそれに、皆すぐ興味を失い去っていく。
「当然の反応ですよねぇ」
名前も変えた事だし、眼鏡に合わせ口調も緩くしてみた。
「まぁ、自己満足だから構いませんけどぉ」
こっそり呟き、空を見上げてその青さに目を細めていると、1人の女の子が露天の前で立ち止まっているのが見えた。
「か、可愛い……」
きらきらとした目で見つめる先、その視線が一際集中していたのは、私が真っ先に作ったぬいぐるみだった。
「どうぞぉ、よければ手に取って可愛がってあげてくださいねぇ」
私がそう話しかけると、女の子は断りを入れてから、まるで宝物を扱うように優しく、慈しむようにぬいぐるみを愛でてくれた。
いけない、頬が緩んでしまう……。
言葉を交わすうちに、私はその女の子、マリアさんの事がすっかり気に入ってしまった。
それなりの数を用意したぬいぐるみの中から、迷わず今触れている子を選んでくれたからなのは、勿論。
その素直さに惹かれたのもある。
「マリアさん、良ければその子、貰ってくれませんかぁ?」
気が付けば、私はマリアさんにそう言っていた。
なぜかは、私にも分からない。
けど、その時一瞬、私は彼の声が聴こえたような気がした……。
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