第57話 真里姉とある裁縫師の独り言(中編)

 

「これって、ゲーム……?」


 サークレット型の装置は、確かVR空間へフルダイブするための物だったように思う。


 そして『Mebius World Online』というタイトルのソフト。


 私はさらに新しく買ったスマホで検索してみると、公式サイトにはβテスト中と書いてあり、その倍率は募集に対して50倍というかなりのものだった。


 ゲームに対してそんなに興味の無い私だったけど、それだけ倍率の高いゲームがどれ程のものか、ジャンルは違えど同じクリエイターとして試してみたくなった……というのは建前。


 本音は、公式サイトに書かれていた謳い文句に、現実を一時でも忘れられるかもしれないと、少し期待していた。


 サークレットを装着し、ソフトを起動すると、私は一瞬にしてMebius World Onlineの世界にダイブした。



 最初のキャラクター作成で付けた名前は、ヴァレリア。


 名前の由来は、父が子供の頃に好きだったというライトノベルに出ていた主人公。


 もっとも、そのままでは男性名だったので、女性名に変えたけど。


 ジョブは拳闘士を選んだ。


 小さい頃に合気道を習い、大人になってからは体型維持を兼ね、キックボクシングジムに通っていたので、迷う事はなかった。


 そしてキャラクター作成が終わり、いよいよMebius World Onlineの世界に転移すると、そこには現実と変わらぬ感覚や自然を再現しながら、現実にはあり得ない光景が広がっており、現実以上の現実が、確かに存在していた。


 触れる物全てが、新鮮。


 モンスターを戦って倒す事は、爽快。


 どんどん強くなっていく自分が数値としても、戦いにも目に見える形で表れる事に、私はたちまち夢中になった。


 加えてMebius World Onlineの世界では、現実には存在しない素材があり、その素材を使って現実にはあり得ない製法で服を作る事は、とても楽しかった。


 そして作った服は他のプレイヤーにも好評で、その反応が私の創作意欲を掻き立てた。


 それは現実とはまるで反比例。


 現実ではデザインにひたすら苦しめられ、必死に創っても反応は芳しくない。


 それが、こちらではこんなにも評価される。


 同じ生産を楽しむ仲間にも恵まれ、ますますMebius World Onlineの世界から離れ難くなり、夢のような時間が過ぎていった。


 

 そんな夢のような時間に罅が入ったのは、あるモンスターの存在が確認された頃だ。


 そのモンスターの名は、悪鬼。


 フィールドボスの中でも発生頻度、出現場所が不規則で、プレイヤーからレアボス扱いされた。


 複数のパーティーであれば倒せなくもなく、その割りに大きめの貴重な魔石が確実に手に入るということで、宝探しのように一部のプレイヤーが躍起になって探していた。


 私も一度だけ参加したけど、運が良かったのか悪かったのか、悪鬼が誕生する瞬間を目にしてしまった。


 その正体は、一言で言えば霊魂。


 それがNPCに憑依することで、悪鬼へと変貌していたのだった。


 つまり、プレイヤーがこれまで狩り続けていたのは……。


 その事実を知った時、私はもう悪鬼と戦う気にはなれなくなっていた。


 けど、周囲のプレイヤーはそうでは無かった。


 悪鬼は倒すとドロップを残し、霊魂が離脱する。


 そして離脱した霊魂は、また近くのNPCに憑依する。


 近くにNPCがいなければ、辺りを漂い、憑依出来るNPCを探す。


 これが発生頻度と出現場所が不規則な理由だったのだけど、あるプレイヤーは気付いてしまったのだ。


 憑依されるNPCを予め近くに連れて来ておけば、同じ場所で悪鬼を倒し続けられる事に。


 連れて来ると言ったけど、実態はただの拉致だ。


 NPCは感情の起伏があまり見られなかった事が、その行為への抵抗感を薄れさせていたのかもしれない。


「これでは、むしろ私達の方が悪鬼じゃない……」

 

 呟きは喧騒に呑まれ、誰の耳にも届かなかった。


 それに怒りを覚え始めた頃、私はNPCを連れて来たプレイヤーを蹴り飛ばし、NPCを連れてその場を逃げ出していた。

 

 作り込んだ装備の補正と、リアルの経験は伊達ではなく、1対1で私を倒せるプレイヤーは数えられる程しかない。


 けど多勢に無勢で、こちらはNPCを守りながらの逃走。


 やがて傷つき、追い詰められ、呪術師のデバフで動けなくなったところで、川に落ちた私は意識を失った。



 

 目が覚めると、知らない天井が映っていた。


「起きたか……」


 側でこちらに目を向けてきたのは、40代くらいに見える、灰色の長い髪を一房にまとめ、眼鏡をかけた少し暗い感じの男だった。


 その手には分厚い本と、肩に乗る白い猫が一匹。


「使い魔だ。こいつが川でお前を見つけた」


「助けてくれてありがとう。私はヴァレリア。ここは、どこ?」


「世捨て人の集う、名も無いただの村だ」


 それきり、男は口を閉ざしてしまった。


 こちらは名前を言ったのに、名前も言わないのはどうかと思ったが、助けられた側なので黙っておいた。


 それに、少なくとも拒絶されている感じはない。


 わざわざ助けてくれたのだから、というのもあるけど、もっと感覚的な部分で。


 この感じは、単に無駄を嫌っているように思えた。


 無駄な動作、無駄な言葉、無駄な思考。


 私に目を向けたのも、目覚めた時の一瞬だけ。


 その後は手元の本に視線を戻し、こちらを見る事はなかった。


 私を助けるという行為と、無駄を嫌うというのは矛盾するけど、使い魔が煩いから仕方なく、といったところだろうか。


 私は気を取り直しマップを見ると、第2エリアのだいぶ外れにいる事が分かった。


 乗り物がまだ見付かっていない今、街に戻るにはだいぶ歩かないといけない。


 いや、いっそ死に戻りすれば早いのか。


 そう思った時だ。


「ぐうぅぅっ」


 私のお腹が盛大に鳴った。


 プレイヤー相手に暴れてからだいぶ経っていたようで、満腹度はかなり減っていた。


 けどこのゲームを作った人に言いたい。


 何もお腹の音まで再現しなくていいじゃない!


 私が羞恥に顔を赤くしていると、男はパタンと本を閉じ、どこかへ行ったかと思うと、私の前に木皿に入ったスープと木匙を置いた。


 そして、再び本の世界に戻っていった。


 食べろ、ってことかしら?


 ちらりと伺っても、もはや男が反応も示す事は無く。


「……いただきます」


 私は両手を合わせ感謝を示してから、用意されたスープを口に含んだ。


 それは冷めていて、野菜を雑に切って入れただけの、味の薄いスープだった。


 お世辞にも、美味しいとは言えない。


 けど、彼と彼の使い魔がいる、この静かな空間で食べていると、不思議とこれ以上、今に相応しいスープは無いように思えた。


 空腹が満たされ動けるようになった私は、村を散策してみる事にした。


 村は樹々の開けた場所に、ひっそりと作られていた。

 

 住んでいる村人は20人くらいで、ほとんどが老人。


 男はこの村で一番若そうだった。


 自然に溶け込むように、寄り添うように作られたこの村には、人の発する音がほとんどなかった。


 木の葉が互いに触れ合う音、近くを流れる川の音、時折聴こえる鳥の声。


 そんな音に包まれながら、静かな時間が、止まったような時間が流れていく。


 人の営みの、原風景。


 実家にさえ感じた事の無い、郷愁。


 それはまやかしの高揚に逃避する私を、現実で苦しむ私を、ありのままに受け止めてくれた気がした。


 強く育む大地のように。


 深く慈しむ海のように。


 広く自由な空のように。


 いつの間にか、温かな滴が頬を伝っていた……。




 それからしばらくの間、私はその名も無き村で過ごした。


 寝床は男が好きに使えと言ってくれたので、そのまま使わせてもらった。


 代わりに畑仕事を手伝い、狩りを行い、料理をした。


 料理の得意ではない私の作った食事を、男は黙って食べた。


 相変わらず口数が少なく、美味いとも、不味いとも言わないけど、残すことはなかった。


 だから私も、何も言わなかった。


 言葉が無くとも、ちょっとした仕草で何かしら読み取ることは出来た。


 右の眉を少し持ち上げた時は満足している時。


 左の口の端が下がった時は我慢している時。


 そんな言葉の無い遣り取りが、今の私には心地良かった。


 こんな時間がずっと続けばいい、そう願った。


 けど、そんなささやかな願いが叶う未来は、訪れてはくれなかった……。



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