第56話 真里姉とある裁縫師の独り言(前編)


 型紙かたがみに描かれたパターンに沿って、ルレットという鋭い歯車のついたペンのような道具を使い薄い生地に印を付けていた時のこと。


婚約こんやく破棄はきさせてくれないか』


 唐突に、そんな言葉が飛んできた。


 なぜ飛んできたかというと、対面でも電話でもなく、アプリによる通知で伝えられたからだ。


 私が理由を問う前に、彼は彼なりの理由をこれでもかと送りつけてきてくれた。


 いわく、


『君は俺よりも優秀だ』

『君は俺よりも強い』

『君といると俺はみじめになる』

『君といると俺は息が詰まる』

『君のせいで俺は辛い』

『君のせいで俺は死にたくなる』

 ………

 ……

 …


 こんな感じのメッセージが100通近く。


 最初の2つはまだ、私を良く捉えていると思えなくもなかった。


 けどすぐに私が悪いという論調ろんちょうに変わっていき、最後はただの罵詈雑言ばりぞうごんが並ぶだけになっていた。




 彼と初めて会ったのは、私が個人で服のブランドを立ち上げて間もない頃。


 まだブランド名も浸透しんとうしておらず、服が売れるのも月に数着といった状況が続いていた時、ネットにアップするための写真撮影のため、モデルとして呼んだのが彼だった。


 モデルの候補は知り合いから何名か紹介されたけど、ほとんどが中性的な顔立ちを売りにしていて、面白みに欠けた。


 そんな中、なよっとした自身の弱さを前面に押し出している雰囲気が珍しく感じられ、彼に決めたのを覚えている。

 

 甘くないデザインの服を合わせたところ、そのギャップが逆に印象的に映り、SNSを通じて私のブランドは一瞬にして多くの人に知れ渡っていった。


 服のオーダーが引っ切り無しに舞い込み、売れたデザインの特徴を活かし、私はどんどん新しい服をデザインしていった。


 その服を着るのは、やはり彼で。

 

 いつの間にか二人三脚のような状態で仕事をしているうちに、私達の距離も縮まっていった。


 ブランドが軌道に乗り、彼と出会ってから1年という節目に手渡されたのが、婚約指輪。


 明確に付き合っているとは言わなかったけど、私も20後半。


 親からも電話でさりげなく結婚について触れられるのにウンザリしていた私は、これもえんかと思いその申し出を受けた。


 それが、まさかの婚約破棄。


 しかも婚約指輪を貰ってからまだ半年も経っていない。


 正直何故とか、どうしたら良かったのかとか、そんな事を考える余地は無かった。


 それくらい、送られてきた大量のメッセージは、私の心を傷つける言葉に満ちあふれていたからだ。


 気が付けば私は、握り締めたスマホを全力で床に叩きつけていた。


 

 その後、アトリエから帰宅した私を出迎えたのは、いつもと違う、ひっそりとした空気だった。


 予想はしていたけど、半ば同棲していた彼は既に家を出たようだ。


 人気ひとけのない家独特の、忍び寄るような静けさの中、リビングに入り明かりをつける。


 するとそこには、泥棒にでも入られたかのように、雑に彼の持ち物だけがなくなっていた。


 そして床には散らばっているのは、棚の奥に仕舞しまっておいたはずの貴重品入れ。


 その中に収められていた物の多くは周囲に散乱し、踏まれたのか、薄らと足跡が付いている物や、砕けてしまっている物もあった。


 足跡が付いているのは、写真。


 砕けてしまったのは、貝殻。


 写真は彼と一緒に撮った物。


 貝殻はその彼と初めて海に行った時、砂浜から一際綺麗な物を探してくれて、プレゼントしてもらった物だ。

 

 そういった想い出といえる物が無残むざんな姿を晒しているのに、一緒に仕舞われていた婚約指輪だけがなくなっていた。


「やるなら綺麗に片付けていきなさいよ……」


 私は散らばった写真と砕けた貝殻を集めると、重くて嵩張かさばるから持って行かなかったのであろう、ガラスで出来た灰皿の上に乗せた。


 そして、ライターで写真に火をつけた。


 虫に食われたかのように、はしから灰となっていく写真。


 そして赤く、赤く、燃える炎……。


 その様子はどちらも、まるで私の心を表しているかのようだった。




 婚約を破棄されてから、より仕事に没頭ぼっとうし数週間が経った。


 生活するためには仕事をしなければならないし、彼を前提としたデザインの多くを変更する必要があり、没頭せざるを得なかったともいえる。


 ただ気持ちの面では、整理がついたとはいえなかった。


 それは彼の事が忘れられない、というすがるような気持ちでは無く、まがいなりにも1年共に歩んだ時間はその程度の価値しかなかったのか、という物悲しい気持ちを抱いていたからだった。


 そんな片付かたづかない気持ちを抱えたままの私に、あまり関わりたくない相手から通知がきた。


 それはやたらと私を目の敵にしていた、服飾専門ふくしょくせんもんの学校の同期。


 名前を、二海堂にかいどう 瑠美るみ


 ファストファッションで成功を収め、店舗を急拡大させた大会社の社長令嬢しゃちょうれいじょう


 容姿にも恵まれており、彼女の周囲にはいつも取り巻きが多くいた。


 私は極力関わらないようにしていたのだけど、なぜか向こうから突っかかって来るものだから、つい全力でせた。


 ことデザインにおいて、私は負けるのはともかく手を抜くことは絶対にしない。


 結果、デザインの成績で私より上に彼女をいかせた事は一度も無かった。


 そんな彼女が、連絡をしてきた。


 入学時、同期で集まった飲み会で連絡先を全員で交換したっきり、一度もり取りなどなかったのに……。


 私は新しく買ったスマホのロックを解除し、彼女の通知を開いた。


 そこには彼、いや私の元婚約者に抱きしめられ、得意気とくいげ嘲笑うわらう二階堂 瑠美の姿があった。


 メッセージの内容は、一言。


『私達結婚します♪』


 私は買ったばかりのスマホを再び床に叩きつけていた。




 その後の私は前にも増して仕事に没頭したけれど、肝心の売り上げは降下し続けていた。


 怒りがデザインを曇らせていたのも否定できないけど、それ以上に、二階堂 瑠美が私と良く似たコンセプトの服を、彼をモデルにして安く売り出した影響が大きかった。


 大会社という強力なバックを得た彼女を前に、知名度は上がっていたものの、所詮しょせん個人ブランドでしかない私では地力に差があり過ぎて、勝負にならなかったのだ。


 これまでと違うデザインをと焦れば焦るほど、肝心かんじんのデザインは揺れ、売り上げの降下速度も早まった。


 そしていよいよ赤字におちいり貯金を切り崩し始めると、焦りとストレスで眠れない日々が続き、それがさらにデザインを悪くするという、負のスパイラルが生まれていた。


 

 そんな生活が3ヶ月続き、精神的にも肉体的にも追い詰められていた私に、見知らぬ相手から荷物が届いた。


 それは思い出したくもない、元婚約者宛に送られた物だった。


 一瞬受け取りを拒否しようかと思ったけど、もし大事な物だったら、今度は私がされた事をしてやろうと思い直し、受け取ることにした。


 シンプルな箱には、ロゴも何も描かれていない。


 けれど中にはびっしりと衝撃吸収材が詰められており、サークレットのような装置? と一本のソフトが入っていた。


 そのソフトには、タイトルなのか、こう書かれていた。


 『Mebius World Online』と。


 

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