第1話 真里姉と始まりの街エデン
転送された先は、石造りの建物が目立つ中世ヨーロッパを模したような街だった。
現実世界とは異なり、建物は高くても3階建。
それぞれの外観に違いはあまりなく、代わりに飾る花を変えたり、扉に意匠を加えることで個性を出しているようだ。
日本ではない少し古風な街並みなのに、どこか懐かしく感じるから不思議だね。
転送先が共通なのか、私と同じく物珍しそうに街並みを見ている人も少なくない。
「それにしても人が多過ぎだよ……」
時間帯のせいか、ログインしてくる人が多く周囲はごった返していた。
まずい、人に酔いそう。
途中何度か声をかけられた気もするけれど、今はそれどころじゃないので。
口元を押さえ隙間を縫うようにしてとにかく人の少ない方へと抜けていく。
こういう時体が小さいと便利だよね。
……言わないで、自爆なのは分かっているから。
歩き続け、人の囲みを抜けることしばらく。
人の喧騒が遠くなった頃、教会のような建物が目に入った。
周囲より少し背の高いその建物は、屋根に天秤に似たシンボルを掲げている。
きっとこの世界の神様を象徴するものなんだろうな。
なのに何でだろう? あまり大事にされていないような。
壁は元の白さが窺えない程くすんでしまっているし、庭の草も伸びっぱなし。
「この世界でも宗教離れとかあるのかな」
神様を信じていない私が言うのも何だけど。
「けど静かなのは助かるし、ちょっと休ませてもらおうかな」
さすがに教会の中に入るのは躊躇われたので、私は庭の片隅にぽつんと立っている木の根本に座り込んだ。
思ったより疲れていたようで、どっと疲労感が押し寄せてくる。
「現実で十分味わってるから、こんなところまでリアルに再現しなくてもいいのに」
愚痴を言いながら、私はザグレウスさんに言われたことを思い出した。
「そういえば、装備をもらっているんだった」
視界の端に映る宝箱のようなアイコンを押すと、ウィンドウが起動し持っているアイテムが表示された。
中身は【初心者の糸】が2つに【初心者の服セット】、【HPポーション】が10個と【携帯食】が5つ、所持金が1000G。
とても分かりやすいネーミングで好感が持てるね。
お金はこれがどのくらいの価値を持つのか分からないから、安易に使うのはちょっと怖いな。
とにかく、まずは装備と。
初心者の服を装備すると、少し厚手の綿のシャツとロングパンツに替わった。
ちなみに装備前はアンダー扱いの麻のシャツとショートパンツ。
上下共、袖も丈の長さもぴったりなのはさすがゲームだね。
「あ、重くない」
立ち上がって足踏みしたけど、装備する前と比べても動きに違和感がなかった。
良かった、初期装備すら装備できなかったらと少し不安だったからね。
「次は【初心者の糸】だけれど……」
うん、普通に糸でした。
一応武器扱いになってるし、できるだけ軽いのとお願いはしたけれど、ここまでまんま糸だとはさすがに予想外だよ。
「これ、どうやって戦ったらいいんだろう」
昔の時代劇みたいに、首に巻きつけてキュッと? うん、私の筋力では無理。
とりあえず引っ張っても切れる感じはしないから、丈夫ではあるみたい。
私の筋力で試したからどこまで当てになるかは疑問だけれど。
「どうしたものかなあ……」
悩んでいる内に、指先が無意識にあやとりをしていた。
はしご、はしご2段、はしご4段、はしご8段、はしご10段と難易度は上がっていくけれど、もう体が覚えているので淀みは一切ない。
「昔はよくしてたっけ」
思い出し、なんだか楽しくなってしまった私は、気がつけばどれだけ早くはしごからはしご10段までできるかチャレンジしていた。
試行回数は覚えてないけれど、50回は超えた辺りかな。
そろそろ切りの良い数字に届きそうというところで、不意にメッセージが届いた。
『【操糸】のジョブスキルが取得可能となりました』
「……え?」
ちょっと待って、ジョブスキルってこんな簡単に取れるものなの? というか戦ってもいないのだけど。
でもメッセージが嘘ではない証拠に、スキルの欄を開くと確かに【操糸】の文字が灰色で表示されていた。
【操糸】
糸状の物を自在に操ることができるようになる。
操作精度と強度はステータスに依存し、操れる糸の距離、本数はスキルレベルに依存する。
うん、私にはこの説明だとその有用性が分からないね。
「もっとゲーム初心者にも優しい説明だと嬉しいんだけど」
取得に必要なスキルポイントは2で、最初に与えられたスキルポイントは20。
初めてのスキルだし、取ってみようかな、取ってもスキルポイントには余裕があるし。
『【操糸】を取得しました』
灰色だった【操糸】の文字が白くなった。
さて、どうなるだろう。
試しに初心者の糸に念じてみると、糸の先端がふわふわと宙に浮かび上がった。
「おお、ファンタジー」
これで少しは道化師っぽいことができるかな。
スキルは思ったより使い勝手がよく、私の意図した通りに糸が動いてくれる。
これはDEXが高いおかげかな、DEXは器用さを表すってザグレウスさん言ってたし。
宙に花や犬や猫を糸で次々描いていると、声をかけられた。
「なんだそれ! すっげえ!」
8歳くらいの男の子が、近くからキラキラした目でこっちを見ている。
近づいているのに気がつかないくらい、この年になって没頭していたのが少し恥ずかしい。
男の子はボサボサの茶色い髪をしていて、ちょっと太めの眉が前髪の間から覗いている。
手足は私並みに細く、着ている服は至る所に継ぎ接ぎがされていた。
私の中にあるスラムの子供、というイメージそのままだ。
「なあ、これどうやってるんだ?」
宙に浮く糸に指先で触れながら、溜め口で無遠慮に聞いてくる。
……私はお姉さんだから、そんなことで怒ったりはしないけれど。
「私のスキルだよ。こんな感じに、糸状の物を自由に動かせるみたい」
少し工夫して新たにクマを立体的に描いて、それを子供に向かってけしかける。
「うわあっ!」
ぶつかる直前で、ぱっと元に戻すと、男の子は呆気にとられて目をぱちくりしていた。
ふふん満足……と、したり顔なんだろうと思ってはいけないよ、そんなことないんだからね?
「私はマリア。君の名前は?」
年上の者の余裕をもって、優しく尋ねる私。
「俺はヴァン! お前小っこいのにやるな!」
簀巻きにしてやろうかしら……いやいや、さすがにそれは。
脳内で白い私と黒い私が取っ組み合いをしている間に、ヴァンは一人大はしゃぎしている。
「そんなに騒いでどうしましたか、ヴァン」
教会の扉が開いて、現れたのは修道服に身を包んだシスターだった。
身長は160cmくらいで、年齢は20代半ばかな。
優しそうでいて、少し儚げな雰囲気のある美人さんだ。
「シスターエステル、こいつ凄いんだよ! 糸がぐにゃぐにゃ動いたと思ったら、いろんなもんになるんだ!」
「あらあら、凄いことは分かりましたから、その前にこの子のことを紹介してくれますか?」
「あ、私は」
「こいつはマリアっていうんだ!」
どうして君が答えるかな?
「マリアちゃんですね。あなたのような可愛らしい子がこんな場所に一人でいるなんて……ああ、あなたも”事情”があってここに来られたのですね」
ぐっ、初対面の大人に迷いなくちゃん呼びされるとは。
私の見た目はそんなに子供ですか? そうですか……。
「……事情といわれると、まあ、そうですね?」
人に酔って静かな場所が必要だったという事情を思えば、間違いでもはないず。
「やはりそうでしたか……大丈夫、もう心配いりませんからね」
目の前で身を屈めたと思ったら、私の頭を包み込むように両手で抱きしめられた。
えっ!? この人何で急に抱きしめてきたの!?
混乱する私を無視して、話は勝手に進められてしまう。
「ちょうどお昼の時間ですし、一緒に食べましょう。他の子も紹介しますね。大丈夫、皆良い子ばかりですから」
立ち上がったエステルさんに手を握られ、私は問答無用で教会の中に連れて行かれたのだった。
教会の中は、屋根の上にあった天秤のシンボルが部屋の奥に祀られている以外、長椅子が数脚あるだけの殺風景なものだった。
床は板張りで歩く度にギシギシと音が鳴り、痛んでいるのか隅の方にはいくつか穴も開いている。
お世辞にも余裕があるようには見えないし、それに私の手を握ってくれたエステルさんの手は……。
胸が締め付けられるような思いに駆られそうになっていると、エステルさんの周りに子供達が集まってきた。
年齢は4歳から6歳くらいかな。
人数はヴァンを含めて12人で、男の子が7人に女の子が5人。
この中ではヴァンが年長のようで、エステルさんに集まる子供達を大人しくさせていた。
ちゃんとお兄ちゃんしているなんて感心感心。
「すぐご飯を用意しますから、みんなヴァンの言うことを聞いていい子にしているのですよ」
「「「はーい!」」」
元気な返事にエステルさんが笑みを見せ、入って右側にあった扉を開けて出ていく。
残されたのは子供達と私。
そして見知らぬ私を子供達が放置してくれるはずもなく。
「あなたはだあれ?」
「きれいなかみ!」
「どこからきたの?」
「ちいさい!」
最後に言ったの誰かな? 小さいのはお互い様でしょう!……いや、そこで熱くなってはいけないところだ私。
おかしい、息抜きで始めたはずが余計に疲れてない?
「こいつはマリアっていうんだぜ! そんで糸で色んなものつくれるんだ!」
ちょっとヴァン、そんなことを言ったら。
「「「みたい!」」」
ああ、やっぱりこうなる。
そしてヴァン以上にキラキラした曇りない目でみんなから見つめられ、私に断るという選択はできなかった。
「みんな、ご飯ができましたよ。あら、大人しいと思ったら」
エステルさんが両手で鍋を持ち戻ってきた時、私は糸で紙芝居、いや糸芝居?をしているところだった。
お題は”おおきなかぶ”。
おじいさんが大事に育てた大きなかぶを、みんなに手伝ってもらいながら抜くというシンプルだけど、不思議と記憶に残っていた絵本。
最初はいくつか動物を描いていたのだけど、ヴァンが「さっきのクマみたいに動かして!」と言ったものだから、難易度が上がってしまった。
子供達にまでお願いされ、ちゃんと動かせるようになるまで時間がかかったけれど、その経過さえ子供達は楽しそうに見ていた。
ようやく細かな動きもできるようになった私は、そんな子供達を見て、せっかくだしと”おおきなかぶ”を披露した。
さすがに文字までは再現できなかったので、記憶を頼りつつ台詞を口にすると、みんな一言も喋らずに食い入るように見て、聞くことに集中しているようだった。
糸芝居が終わると、一瞬の間をおいて子供達が口々に、
「すごいすごい!」
「おもしろかった!」
「こんなのはじめてみた!」
「ちいさい!」
と歓声を上げてくれたけど、誰ださっきから”ちいさい”って言ってる子は!!
「ありがとうマリアちゃん。この子達がこんなに楽しそうな顔をするなんて、久しぶりだわ」
エステルさんが嬉しそうにしながら、鍋を置いた。
その後は私とヴァンがエステルさんを手伝って、パンと木皿と木匙を持ってきて、子供達に配り食事となった。
鍋の中身はスープで、いくつかの野菜の切れ端と塩で味付けしただけの質素なものだった。
パンも酸味のある黒パンで、日持ちをさせるためか、かなり硬い。
これ、本当に食べられるの?
私が疑問に思っている間に、子供達は元気よく硬いパンに齧りつき、美味しそうにスープと一緒に味わっていた。
みんな丈夫だなあ。
私が黒パンをスープに浸して柔らかくなるのを待っていると、ふと、微笑みながら子供達を見守るエステルさんが目に入った。
その手は”いつの間にか空になっていた”木皿を持っている。
ああ、なんて既視感のある光景だろう。
食後、私は子供達の相手をヴァンに任せ、エステルさんと一緒に食器の片付けをした。
その際、エステルさんが私のことを教会に捨てられた子供だと勘違いしていたことが発覚し、ずいぶんと謝られてしまった。
ただ年齢については「背伸びしたい年頃よね」という感じで信じていない様子だったけれど。
そしてお腹が膨れて子供達が昼寝をし始めた頃、私はエステルさんと一緒に教会の入り口に立っていた。
「お昼、ごちそうさまでした。美味しかったです」
そう私が言うと、エステルさんは優しく笑ってくれた。
「こちらこそ子供達の相手をしてくれて、ありがとうございました。それと勝手に勘違いしてしまい、すいませんでした」
「いいえ。勝手に敷地に入った私も、悪かったですから」
「マリアちゃんは冒険者、なのですよね?」
「……そう、らしいです」
ザグレウスさんから言われた事を忘れていて、少し間ができてしまった。
変に思われていないよね?
「それなら、もしよければ冒険者ギルドの職員、アレンさんにこの【手紙】を運んでもらえないでしょうか」
その手にあるのは丸められた巻物のような物で、多分紙じゃなくて羊皮紙かな?
『クエスト、”孤児院の窮状”が発生しました。クエストを受けますか?』
クエストって、確か仕事の依頼みたいなものだったかな。
弟の真人にゲームを始める前に言われたことの一つだった気がする。
手紙を届けるという簡単そうな仕事だけど、報酬は20Gか。
変わらずこちらに微笑んでいるエステルさんを見て、決めた。
『クエストを拒否しました。』
「あっ……そうですよね、こんなこと急に頼まれても」
少し悲しそうな顔をするエステルさんの手から、手紙をひったくるように奪う。
慌てる顔はちょっと可愛くて、思わず口元がほころんだ。
「届けますよ、手紙。でも仕事としては嫌です。このくらいのことにお金を使うなら子供達と、そしてエステルさんのために使ってください」
私はアイテムボックスから所持金1000G全額と、携帯食を5つ全部取り出して、エステルさんに渡した。
「食事、エステルさんだけ食べてなかったですよね? それに握ってもらった手の感じ、ここ数日だけのことじゃないですよね?」
「マリアちゃん……」
「エステルさんが無理して倒れたら、子供達が悲しみます。それに倒れたエステルさんを支えながら子供達だけで暮らすのは、本当に大変なんですよ」
「マリア、ちゃんっ」
エステルさんの目から、涙が溢れていた。
きっと一人で気を張り続けていたんだろうね。
膝をついてくれたおかげで、身長差が埋まり、今度は私がエステルさんの頭を抱きしめた。
「大変ですよね、お姉ちゃんって」
エステルさんの涙が服に染み込む。
「弱っているところを見せると子供達を不安にさせてしまうし、頑張っても頑張っても終わりが見えないし、助けてくれる人は誰もいない」
背中を撫でてあげると、泣き声が徐々に小さくなり、鼓動が落ち着いてきたように思う。
「だからエステルさんは私が助けますよ。私もお姉ちゃんだから」
はっとした様子で顔を上げたエステルさんは、私の顔をどこか熱の篭った目で見つめていた。
もう、大丈夫そうだね。
「手紙、ちゃんと届けます。届けたらまたきますね」
私はエステルさんを立たせると、アイテムボックスに手紙をしまいその場を後にした。
颯爽と立ち去れればよかったんだけど、私のAGIでは無理なことで、長いことエステルさんの視線を感じたのがちょっと恥ずかしかった。
締まらないなあ、私。
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