第22話狼少年

暫く無言で視線交した後、リチャードは双眸細め口元を三日月に妖しく歪ませれば、ニタリと歪な笑みを作って、一層白い息漂わせながら発した




「これはこれは…親父殿………オレですよ…リチャードです。御自分の子をお忘れか?」




「…………」




“息子ではない”




口振りや振る舞い、纏うオーラからも明らかに自身の知る息子では無い。

しかし否定も出来なかった、何故なら今のそのリチャードの容貌は、嘗て覚醒した時の其れと酷似していた。



中々次を発さぬフィリップを見て、やがて興味も失せた様に無表情に戻ると、まるで“つまらぬ”とでも吐き捨てる様に言った





「はっ…貴方は分かっておいででしょう?“彼奴”とオレが同じだと。


“彼奴”とオレは二人でこの1つの躰を共有しているんだと。」




「二人で…1つの躰、だと?……」




「そうですよ。オレは人狼の、彼奴は人間の血を其々引いている。


只、そうですね、オレは常に彼奴を認識出来るけど、彼奴はまだオレを知らない…





… だから彼奴は、アーティーを自分の覚醒の暴走で死なせてしまった事も…知らない…。



オレが彼奴の代わりに書いてやった手紙の事も…


尤も、手紙など既に不要だった様ですね…オレのせいで、幼い友人を死なせてしまった…」




抑揚の無い、無感動な話し方だった。

フィリップは手紙の事など知らないし、何より息子の中に2つの人格が存在するなど、思いも依らぬことだった。



「…人狼と…人間……?」



「ええ…そうですよ。

オレは彼奴が眠ってる間もずっと起きていた、

毎日母上が教育や物語を読み聞かせてくれている時も、

そんな母上と俺を心配そうに眺める貴方も、

毎夜眠る俺の元へ来て言葉を掛けては苦しげに立ち去る貴方の背中も…


オレはずっと意識の中に見ていた…


彼奴は5歳のあの日以来眠ったままでしたがね。」





パキン…


足元の硝子片を踏み付けてリチャードが此方へ向いた。手を伸べてフィリップの頬に触れようとしたのを不意に一歩退いて避けると、がっかりしたようにぱたりと腕を下ろした。



「親父殿は…オレを異形と蔑むのですか、オレが怖いですか…オレとて貴方の息子であるのに……」




つい…と泪が零れた。

ハッと我に返り、リチャードへ寄ると諦めたその手を取って自分の頬へ触れさせた。



「ち、違う…そんな事は決してない!……その、お前と話すのは初めての事で…驚いただけだ…っ」




「ふふ…ふははっ!……冗談ですよ。そんな事で杞憂する程幼くありません。」




薄笑いに歪む表情を呆然と見詰め、捕えどころの無い此の狼の子を、未だ自身の息子として受け入れ切れずに戸惑うフィリップを他所に、当の本人は飄々としている




「あぁ、此れね。寝覚め頭に割ってしまったんですよ、水差しを。絵を見たくて…」




そう言って彼の横目で投げた視線の先には、ギルバートが描いた“庭の絵画”が置かれていた。




「あそこはどうなっているんですか…もう随分地下に籠もりきりでね、オレもそろそろ外の空気を吸いたいんですよ。山を駆け回って兎でも追いたいんです。




一体何時まで閉じ込めておくおつもりで?


貴方が本気を出せばあんな貴族に諂うことなどないのでは?




…なぁんて、ね。



良識は母上から習っていますからね…それにあの人オレの家族なんでしょう?


家族を地下に閉じ込めておくなんて……酷い人だと思うけれど…」




優しく幼い我が子と違い、辛辣で高慢な口振り、心の揺るがない態度…


フィリップは此の狼にどういう感情で接すればいいのかをまだ分からずに戸惑うばかりだった。



何処か人間らしくない。かといって狼にしては人間ぽい。




「…あ。



親父殿。彼奴が起きる…足の手当、頼みましたよ。」




「?」




言い終わるか終わらぬかの間にふっと気を失う様に目を閉じるとリチャードは膝からカクリと力が抜けたようになり、倒れ掛けたところを寸での所で抱きとめた。




「…?!おい、どうした?しっかりしろ!」




「…ん……父さん?…」




白銀色の髪は忽ち黒く染まりゆき、伸びた犬歯もするすると収まると、あの妖しい様相はどこへやら、見慣れた息子の姿へと変貌していた。




“彼奴はまだオレを知らない”



 もう一人の息子の声が脳内に蘇る…



 「痛っ…足が…あれ?カラフェが割れたの?もしかして僕、寝惚けて落としちゃったのかな?父さんごめんね」



 「ん…あぁ、いい。


 此処は私が片付けておくから、お前は其処に座りなさい、先に手当てをしよう」




 一頻り手当てと片付けを済ますと、息子には本を読んでいる様言い付けて地下室を後にした。思考しながら階段を上り切ると、外は薄ら明けてきており、形容し難い疲労感に憔悴しつつ、報告をしなければと、邸主の部屋の前迄来た所で、はたとした。



 こんな早朝に訪ねるなどどうかしている、出直そうと踵を返しかけた所、中から声が聞こえた。



 「入れ、フィリップ」



 主人の呼び声に反応し入室すると、いつから起きていたのか、彼は既に起き上がり緩りとソファに腰掛けていた。



 「随分待たせたな。何があった」




 「…はい…」



 何処から説明したものか、自身でも整理のつかぬ事を説明するのは中々に労した。


 要領得ぬ辿々しい説明を、ジャックは口を挟まず静かに聞いていた。




 「つまりあいつの中に狼と人間…其奴とは今話せるのか。」




 「…分かりません、リチャードが起きた途端に彼は姿を消したので」



 「…地下室へ行く」




 直ぐ席を立つと、ジャックは地下室へ向かった。

 戸惑いつつ後を着いていき、再び地下室を開けると、書き物机の前で悠々読書をしているリチャードがこちらを向いた。




 「あぁ、父さん。其れに旦那様も。どうしたの?お二人揃って」




 どこか違和感を感じたものの、その姿は何時もの息子のものであるし、“あの者”の様な語彙でも無いので然程気に留めず部屋に入ると、後ろで歩みを止めているジャックが言った



 「お前か、狼の子は」



 「…?」


 呆気にとられ振り向いた私の前でリチャードが笑い声をもらした



 「ふはは…親父殿は騙されてくれたのになぁ…



 彼奴は今うたた寝しているんですよ…読書が退屈だったみたいだ…


 ねぇ“旦那様”オレを此処から出して下さいよ。

 此処は狭くて黴臭くて堪らないんですよ…


 オレが悪さをしないかと心配しているの?



 大丈夫、人間を喰ったりしないよ。其処に居る親父殿だってそうでしょう?



 其れにオレは可愛い甥子じゃないか」



 「俺は未だお前を見定め切れていない。案ずるな。その内出してやる。良い子にして居ればな。



 其れから、勘違いして貰っては困る。俺の甥は“もう一人の方”だ。

 狼のお前ではない。」





 「やっぱりアンタは、オレの思ってた通りの人だよ。


 母上から聞いていたのとは違ったみたいだね。



 オレは“彼奴”の魂を壊さない様に、彼奴が眠ってる時しか現れないけれど



 あんまり焦ったいと、何するか分からないからね。よく考えてよ。貴方達…」




 射る様な眼を煌々と燈らせた後



 「…そろそろ彼奴が起きる。


 此処に居ると怪しまれますよ、オレは別に構いませんけどねぇ…」




 脅しでもかける様に呟かれ、怯み主人を見遣ると、ジャックもまた眉間に皺を寄せて僅かに逡巡すれば、サッと背を向けて部屋を出た。



 後を追い部屋を閉める間際、嫌味たたえた表情の息子が



 「親父殿はすっかり只の番犬の様だ…ふははっ…」



 扉の向こうに無粋な嘲笑聞きながら、カチャリと錠を掛けた…

 

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