第21話遠吠えの夜

旦那様は連れ帰った奴隷に“ギルバート”と、名付けた。それは在りし日の友の名であり、思い出す度苦しさと懐かしさ過る、そんな名だった。


彼はどんな思いでそう名付けたのだろう。

私に対する戒めだろうか…

いや、自身の招いた罪に誰かが制裁や戒めを与えてくれるだなどと、望んではいけない。


きっと彼の気紛れに過ぎないのだろう……




屋敷に招かれた少年はおずおずとして、薄汚れていた。にも関わらず容貌は美しく、言葉遣いや振る舞いを見てもどこか“奴隷らしく”なかった。


歳の頃は18,9いや、見ようによっては15程にも見える。少年であろう事は体躯を見れば把握できたが、その整った顔立ちは女の様にも見えた。




少年が風呂に居る間旦那様に言われ、嘗て旦那様が少年時代に此処で過ごしていた頃の服を見繕い風呂場に置いた。


少年の元纏っていたボロは絵の具や泥が付いていて洗うにもどうしようも無く屑籠へ放ったのだが、奴隷の衣服にしては随分上等な物を纏っていて、高価な絵の具が付着していた事にもまた違和感を覚えた。



同時に久し振りに嗅いだ画材の微かな匂いは、ふと懐かしい気持ちにさせた。




感慨に耽るも程々に旦那様の元へ向かうと、応接間で寛ぐ主人に問うた。





「旦那様、あの者一体どうするおつもりでいらっしゃるのですか?」





「…アレは絵を描くんだそうだ。」



「……?」



「山に篭りきりのお前は知らないだろうが、社交界に有名な男色家の貴族がいた。

年端もいかない幼い少年奴隷ばかりを買い漁る気色の悪い男だったが、その男がどうも随分と長い事手放そうとしない奴隷が居ると、噂になっていた



その奴隷は絵を嗜むとかで、その道で多少名の知れた画商が是非会わせてくれと足繁く通っていたそうだ。遂にはその奴隷を巡って貴族は殺され、画商も牢屋送りになったとか……



調べた所事の元凶たるその奴隷がどうやらまた売りに出された…と…」




「まさかそれがあの?…」





「真実の程は知れぬ。第一その者の絵画を見たものは居ないのだしな。」




「…しかし何故また奴隷の絵描きなど?」




「…………リチャードに幸せだった頃の風景を見せてやりたい…


俺があの奴隷に目を付けたのは、彼奴が描くのが想像画だと聞いたからだ。

在る物を描くのではない、無いものを描くと聞いたからだ。」




日がな地下室に閉じ込められて、父以外の者と口を聞く事すらなく、与えられた書物を読み耽り、言われた通りに学び、世間から隔絶された狭い箱の中で息を潜めて暮らす哀れな甥に、少なからず家族愛の様な感情を抱いて居るのだろうか、其れは旦那様の優しさからだったようだ…



「もし、アレが絵描きでなくともリチャードの話し相手ぐらいにはなるだろう。」




「…お心遣い、痛み入ります……」




深く礼をすれば、風呂場へ少年を迎えに行った。




その後腕試しに描かせた肖像は成程噂に違わぬ出来に見えた。

無論その方面のセンスの無かった自分にはどの辺りがどうなどとは言い表せないのだが、嘗ての友人のタッチを想起させる、そんな絵に思えた。




少年…いや、ギルバートに画材を与えるように仰せつかって、ふと古い友人の使って居たアトリエが離れに在るのを思い出した。



今はもう主を持たない離れの小屋で、使い欠けた絵の具やカンバスが埃を被って当時のままに捨て置かれていた。


あの頃此処で彼に縫製や絵画を教わったものだ、と

昔を思い出しながら、使えそうな筆や何かを一頻り集めると、それをギルバートの部屋へ届けた。




少年は見た事もない25年も過去の風景画を所望され、初め戸惑いの色を目に浮かべたものの、二つ返事でその依頼を引き受けた。




一体どうするつもりなのだろうと、端から見ていれば、庭の草木やらを調べたりしていた。


それが何の為なのか、皆目見当もつかずに“おかしな人間だな…”程度に思っていたけれど、数日後彼の書き上げた絵は、正に“25年前の庭の絵画”だったのだ。


まるであの風景を眺めながら、古い友人の“彼”が描いたかのような…


あぁ、彼奴ならばきっとこんな風に描いたろうな……



そう思わせる完成度だった。



その晩、仕上がった“25年前の庭の絵画”をリチャードの元へ持っていった。




リチャードは絵を見て迚も感動し喜んでいたものの、次いで悲しげな表情浮かべて




「アーティ…元気かな……」




聞こえぬ程の微かな呟きを発したかと思えば、直ぐに気を遣った笑顔浮かべて



「父さん有難う!素敵な絵だね、旦那様にもお礼を言わないとね!」








その晩の深夜遅く…何時もより大きな満月が闇夜に浮かぶ晩だった。

薄ら赤くじんわりとした光を纏った不気味な月で、暗い雲の切れ間から、時折顔を覗かせてはまた隠れて、静かな夜の森に不吉な明かりを注いでいる様なそんな月夜…




唐突に屋敷の地下深くよりあがった獣の遠吠えを聞いて屋敷の者達は皆、ハッとして目を覚した。




皆が一様に息を潜める中、主人のジャックもまた、身を起こし、フィリップの報せを静かに待つ事にした。



フィリップは部屋壁に掛け置いた地下室の鍵を掴むと、机のランプを手に階下へ向かった。





冷たい石壁に手を伝い降りたその先の扉は、不気味なほどの静けさで、扉の隙間より微かに獣臭が漏れ出ているのを嗅いだ。



冷静に心鎮めて鍵を廻す。




無言で部屋へ入ると、翳したランプの灯りの先、リチャードが眠っている筈の寝台近くは水に濡れておりキラキラとした硝子片が散らばっていた、少し先へ踏み出すと、水と硝子片の中に裸足で立つ足が見えた。



其の足先からゆっくりとランプの灯りで照らし辿ると、だらり弛緩した細長い四肢を下げ、猫背気味に項垂れたリチャードの姿。



しかし暖かなランプの灯りに照らされた彼は、本来の黒檀で染めたような黒髪が全て雪白の如き白銀色に変わっていた。



ハラリと顔に掛かる髪の隙間から僅かに覗く頬は変わらず蒼白い。



「…リチャード?」




確かめる様に名前を呼び掛けると、頭だけ擡げぐりんと此方を向いた。



その眼は今宵の月の様に不気味な光りを纏った紅で、まるで心通じぬ野生の獣が如く此方を観察する様な無機質な視線を向けた。


僅かに開いた口元からは伸びた犬歯が覗いていた。冷えた室内に吐く息が白く妖しく纏わりついている。




息子の姿をしたソレを“別人”と思えば、自身も警戒に目の色に光り宿して威嚇するように訊ねた。





「……誰だ、貴様は」

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