第16話 ある狼の物語 Ⅵ

 アーサーとリチャードが生まれてから5年が経った。



 赤子だった二人はすっかり少年になっており、毎日屋敷の広い庭を駆け回って仲良く遊んでいた。



 一方の親達は、山暮らしの長かったフィリップに、ギルバートは自分の得意とする縫製技術や絵を教えて居た。

 狼の割に手先の器用なフィリップは縫製のコツを覚えるのが早く、直ぐにギルバートの仕事を手伝える迄になった。


 ところが絵に関してはなかなか要領を得ず、結局此方は直ぐに諦めてしまった。




 メグは元々貴族の育ちだった経験を活かし、子供達に文字の読み書きなどの勉強を教え、家事の得意なエレンからは炊事を教わった。




 人狼のフィリップは力が有り体力もある為、遠い町への買い出しはもっぱらフィリップが行って居た。



 彼は森の影で狼へと姿を変身させると、冬はソリを、夏は荷車を引いて山道を駆け抜けた。



 時たま山中で人間に出食わす事もあったが、この辺りの住人は皆、狼を神の御使と心得て居る故か、近付かなければ発砲されたりする事も無かった。




 こうして山奥の屋敷の中では、皆がそれぞれに助け合い、穏やかな時を送って居た。



 そんなある日の事…



 その日は朝からしんしんと綿雪が降っており、音も無く地面に降り積もれば柔らかな層を成していった。

 見上げる空は、どれ程の雪をはらんでいるのか知れないほどに濛々と立ち込めて居る。




 炊事場ではエレンとメグが遅い朝食を兼ねた昼食の用意をして居た。


 昨夜はリチャードが生まれてちょうど5年目のお祝いをして居た為、皆今朝は何時もよりゆったりと過ごして居た。



 昨夜あんなに夜更かしをしたというにも関わらず、朝から元気に駆け回って居るアーサーが炊事場に来ると



 「ねぇメグおばさま、リックがまだ起きて来ないんだ。僕リックの部屋に起こしに行っても良い?」




 「あら、アーティお願い出来るかしら?」




 メグにそう言われ嬉しそうにニコッと微笑うと、アーサーは子ウサギの跳ねる様にその場を後に、リチャードの部屋へ向かった。




 ー…コンコンコン



 「リック~?起きている?もうすっかりお昼になちゃうよ~」




 アーサーは扉に向かって大きな声で問い掛けるも、部屋の中はしんと静まり返り、そこにいる筈のリチャードの声は無い。




 不思議に思いながら



 「中に入るからね~?」




 と、念のため声を掛けてから、リチャードの部屋の扉を静かに押し開いた。




 部屋の中は薄暗く、閉ざされたカーテンのほんの隙間からチラチラと舞い落ちる雪が覗いていた。







「…リック…?」




小さな声で呼びかけるも、返事はない。




ベッドの上はもぬけのから。

キョロキョロと辺りを見回すも、リチャードの姿は何処にも見当たらなかった。すると、





ー…カサッ…





降る 雪が全ての音を吸い込む静寂の中で、微かな物音を聞いた。

アーサーは自身の後ろに聞こえた物音に反射的に振り返ったが、そこには誰の姿も無かった。

彼の視線の先にあったのは木製のクロゼットだけだった。




アーサーは静かにクロゼットに近付き、ゆっくりと扉を開けた。


キィ…と木が軋む音を立てて開いたクロゼット。その気配にビクリと身を縮めたのは、何かに怯えるように小さく蹲るリチャードだった。




「リチャード!何してるの?かくれんぼ?」




アーサーの声を耳にさえ、彼の震えは治まらず、一層恐怖し膝の間に顔を埋めて震えるばかりだった。



 「ねぇリック?何処か痛いの?…」




 震える友に触れようと手を伸べた時…

 リチャードが突然顔を上げた。


 「ひっ…!」

 アーサーは驚いて一歩引いた



 顔をあげたリチャードのその目は、見たことのない、真っ赤な瞳を妖しく光らせていた、食いしばる口元からは見る間に犬歯がギリギリと伸びてゆく。



 幼子からはおよそ発せられ無いだろう低い唸り声に喉を鳴らすその姿は、まるで1匹の獣の様だった。




 「…リッ…ク…?」



 友の異常な姿を目の当たりにし、恐怖に慄きながら声を掛けるも、その声はもう彼には届いていない様だった。



 次の瞬間、リチャードは自身の左腕をぐっと押さえ込み、苦しげに呻いた。





 辛そうにする姿にハッと我に返ったアーサーは




 「…!リック!!」





 彼に寄り添い身体を揺すった。






 その時だった





 リチャードはひと際大きな声で、まるで悲鳴の様な雄叫びの様な声を上げると、彼の髪はまるで生き物の様に逆立ち、根元から白銀に染まっていった。

 次いで彼の左腕はメキメキと肥大したかと思うと、着ていたジャケットをビリビリと破り、内側からは髪と同じ白銀色の剛毛に覆われた、まるで獣の脚の様に変貌した腕が現れた。




 痛みなのか、苦しげにのたうつリチャード、どうすることも出来ず離れる事も出来ず震え戸惑うアーサー。


 その時、先程の声を聞きつけて、フィリップとギルバートが部屋に駆けつけた




 ー…バタンッ!!




 勢い良く開いた扉に、すがる様な視線を投げるアーサー




 「うわああああああ!!!」




 苦しみの頂点に達したリチャードが、獣へ変貌した左腕を大きく振り上げたかと思うと、その鋭い爪がアーサーの背中を抉った。





 「…!!!アーサーーーーー!!!!」







 叫び駆け寄るギルバート…

返り血を浴びて後に、気を失い倒れたリチャード…

深く抉られた背を上に、まるで糸の切れた傀儡人形の様にバタリと倒れたアーサー…

立ち込める血の匂いに足が竦み、状況を受け入れられずに顔を歪ませるフィリップ…






 この時、幸せだったはずの日々は、血みどろの恐怖に塗られ、容易く日常を奪い去った…

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