第14話 ある狼の物語 Ⅳ

 フィリップは、何もかも全て終わったという絶望に全身の力が抜け、膝をついて床にくず折れた。



 今、この時、メグがどんな嫌悪の表情を浮かべているのだろうかと思うと、恐ろしくて顔を上げることもできない。



  俯いたフィリップは震える両手で顔を覆い、大昔の悲しい出来事を思い出し、自らの愚かしさが再びあの出来事を再現しようとしている事を思うと、苦しさで胸がはち切れそうになった。






 ー…100年程前の事。


 一人の人狼と、一人の人間の若い男が出会った。


 二人は堅い友情で結ばれており、日々を穏やかに、幸せに過ごしていた。



 ある時、人間の若者が森で獣に襲われ、重症を負った。早く医者にかからねば命が危ない。


 人狼は彼を助けるべく、正体を露わにした。


 彼を急いで運ぶには人間の姿よりもこちらの方が早いからだ。





 ところが目の前で変体していく友人をみた若者は、現れたその銀色の大きな狼を、最早かの友人とは思っていなかった。



 若者は恐怖のあまり悲鳴をあげ、手近に落ちている石や木の枝やらを狼に投げつけると、あらゆる拒絶の言葉を吐き散らしながら、傷付いた身体を引きずり、必死に逃げようとした。




 若者のでたらめな投石が狼の目の上を掠めて傷をつけた。


 銀色の毛に赤い血が滲んだ。


 けれど狼はそんな傷よりも、心に負った“拒絶された痛み”の方が余程痛かった…




 彼はその時胸に誓ったのだ。もう二度と、人間と深く関わりはしないと。







 フィリップは辛い過去に苛まれた。あれから100年も過ぎ、山奥で静かに一人、暮らしていたのに…



 彼は無邪気なメグに出会い、また寂しさを、また喜びを思い出し、求めてしまったのだ。


 自分にはそんな権利なんて無いのに…





 どれ程経った事か、しばらくしてメグが口を開いた。




 「…フィリップ…」





 フィリップはビクリと身を硬くした。





 「…私、貴方がひょっとしたら人間じゃ無いかもしれないって、思っていたの…」



 「…?!」



 「…だって貴方、生の鹿肉を食べようとするし、夜中にこっそり小屋を出て何処かへ行くこともあった…そんな時は必ず、尾根の方から獣の遠吠えが聞こえていたわ…


 町に買い出しへ行く時、貴方と行くと、森の動物たちも、町の中の犬や猫もみんな、大人しくなるの、まるで貴方に敬意を払っている様に。


 町の人が言ってたわ、あの森には獣の王様が居て、この町を守ってくれているんだって…」




 メグはベットから起き上がるとフィリップの前に膝をつき、彼の震える手を優しく包み込むと、ゆっくりとその手を退かせた。




 「…それに、貴方の瞳は、夜になるとこうして美しい金色に輝くの…」





 戸惑い、怯えた表情を浮かべるフィリップを、メグは涙を浮かべて見つめて




 「…ずっと、一人で抱えて居たのね…

貴方が何者でも、私の愛は変わらないわ…今日まで一緒に過ごした日々の全ては、嘘じゃ無いもの…」






 そう言って、メグは優しくフィリップを抱きしめた。




 フィリップはこの時、永い孤独の檻から解放された様な安らぎに満たされた。





 



ー…コン・コン






 不意にノックの音が響き、二人は現実へ引き戻された。




 ここは行き倒れるところを救ってくれた親切な夫婦の住う屋敷。


 彼らは何も知らぬ一般人だ、フィリップが人狼である事がもし知れたら、迷惑がかかるかも知れない。




 瞬時にそう思ったメグとフィリップは、礼を言ってここを離れようと心を決めた。




 ー…ガチャリ



 メグが扉を開けると、屋敷の夫婦が二人揃って居た。夫人はメグに水を持ってきたところの様だった。




 すると主人が、二人に話があるのだけど、入ってもいいかな?と問うた。




 メグは二人を招き入れた。





 すると夫人が



 「実は二人の会話を私たち外で聞いてしまったの。」





 「!!」



 夫人がメグに水を持ってきた時、フィリップが声を荒げたのが聞こえて、不安になり主人を呼んで様子を窺って居たのだという。

 夫人は



「 黙って盗み聞きする様な真似をしてしまってごめんなさいね…



 私はエレン・テイラー、こっちは主人のギルバート・テイラーよ。



 私たちの住むこの土地では狼は神聖な生き物なの、だから勿論、二人を恐れて追い出したりなんてしないわ、どうか安心して頂戴。



 それにね、私達にもちょっとした秘密があるの…」




 メグとフィリップは、受け入れられた事にも驚いたが、二人にも秘密があると聞いて、互いに顔を見合わせた。




 「実は私達は、この屋敷の本当の所有者では無いのよ。



 ここは元々オリヴァー・スミスと言う人の邸宅で、私達はそれぞれオリヴァー様の使用人だったわ。



 オリヴァー様には美しい奥方が居て、その方のお名前はクロエ。



 クロエ様は、魔女だったの。」





 人狼が存在するのだから、魔女が居たって驚く事じゃ無いのかも知れないが、二人はこの話をどう受け取るべきか分からずに、ただ黙って聞き入るより無かった。





 エレンとギルバートの話によれば



 クロエというその夫人は自称薬師で、彼女の作る薬は、飲めば傷も病いもたちどころに治ったと言う。


 主人のスミスは元々商人の出だったのだが、クロエの薬を商品として売る事はしなかった。


 彼はクロエの薬を売れば儲けられる事をわかって居たが、もしそんな事をしたら貴族達に目をつけられ、彼女が連れ去られるかも知れないと考えたからだ。




 やがてオリヴァーは老衰し亡くなった。


 主人が老いていくにも関わらず、妻のクロエは美しい若さのまま、まるで歳を取ることが無かった。




 主人が亡くなった明くる日の朝、クロエは使用人の二人にこう言った




 「私はこれからしばらくここを離れるから、貴方達には留守をお願いするわね。



 ギルバート、貴方は服飾や絵画のセンスが長けているから、これからはそれを売り物にするといいわ。



 エレン、貴女はギルバートを支えて、この屋敷の一切は貴女に任せるわ。」




 そう言い残すと、クロエは屋敷を後にした。


 それから3年程の月日が経ったが、クロエが戻ってくる気配は無く、今に至ると言う。





 エレンは言った



 「私達は何の力も無い唯の人間だけれど、縁あって不思議な出会いに恵まれて

 今こうして出会ったんだもの、もし出て行こうなんて考えているんなら、そんな悲しい事は思わずに、是非ここに留まって欲しいの。




 魔女でも狼でも大歓迎だわ。」





 そう言って優しく微笑むエレンとギルバートに、二人がどれ程救われた事か…





 こうして、魔女の館で人狼と人間たちは共に暮らす事となりました。

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