第13話 ある狼の物語 Ⅲ
マーガレットは、こんな夜中に、こんな山奥を歩いていた訳だが、フィリップは訳を聞こうとはしなかった。無言で足の手当てを始めたフィリップに、マーガレットは尋ねた
「フィリップ、私がどうしてあんな所に居たのか、ちっとも聞かないのですね?
ご興味がないからでしょうか」
するとフィリップは
「この辺りをこんな夜中に歩く人間はとても珍しい。麓の町の人間ならば決してそんな事はしません。
貴方は恐らくこの辺りの人間ではないのでしょうね。
それ以外に何か知る必要があるでしょうか。」
マーガレットはきょとんとした。
この人は私が今まで出会った事が無い、珍しい考え方をする人なのだ。と。
「フィリップ、自己紹介がまだでしたね、私はマーガレットと言います。
親しい人は私の事を‘メグ’と呼びます。
貴方には是非そう呼んで頂きたいのです」
と、微笑んだ。
「…私はさっき出会ったばかりで、ちっとも親しい間柄ではありませんが」
フィリップはマーガレットの足に包帯を巻き付けながらポツリと言った。
「私は今日、これまで出会って来た全ての方達とお別れをして来たのです。
今の私には貴方以上の間柄の人は居ないのですよ」
そう言って何処か寂しげに微笑んで見せた彼女を、フィリップは無下には出来なかった。
どうせ一夜の間柄なのだから、と。
それから二人はメグが持っていたパンを食べ、フィリップが淹れた紅茶を飲んで眠ることにした。
フィリップは自分の寝床に新しいシーツを重ねてメグにそこで休む様に言い、自分は椅子で充分だと言って、暖炉の前の椅子に座ったまま夜を明かした。
翌朝目を覚ましたメグはフィリップに案内してもらい目指していた麓の町へたどり着く事が出来た。
ところがメグは町で少しの買い物を済ますと、日暮れにはまた山小屋へ戻ってきた。
フィリップはどうして、と思ったが、彼女がさも当たり前の様に帰ってきたものだから、何となく問うタイミングを逃してしまった。
それから数日が過ぎても、メグは何処かへ旅立つ気配も無く山小屋に居座った。
やがて二人は一緒に暮らすのが当然の様になってゆき、フィリップもメグもお互いを特別な、大切な存在として意識する様になっていった。
二人がそういう仲になるのには、さほど時間はかからなかった。
そんなある日の事、いつものように麓の町に買い出しに来ていた二人は妙な事を耳にした。
山一つ向こうの町を治める領主の貴族が、以前屋敷を追い出された娘を探しているというのだ。
メグは噂を聞くと身を硬らせ、フィリップの手を引いて急いで山小屋に戻った。
小屋に戻るとメグは自分の素性を全て話した。
自分が逃げた事を知った父が探している。フィリップともこれまでのように一緒に居られなくなるかも知れない。それだけは嫌なのだと。
フィリップは、ならば何処か遠くに二人で逃げようと提案した。
そうして二人は小屋を捨て、旅に出た。
ところが旅の道中、メグは体調を崩してしまった。
そんな中、フィリップは動けなくなったメグを抱えて彷徨い歩いた森の中で、一軒の屋敷を見つけた。
外はハラハラと雪が降り始め、これ以上移動するのはメグに負担がかかると判断したフィリップは、縋るような思いで屋敷の扉を叩いた。
すると扉を開け、二人を出迎えたのは若い夫婦だった。
夫婦は二人を心良く受け入れ、メグを看病してくれた。
その時ちょうど、その夫人はお腹に子を孕っていて、その健診に訪れていた医師がメグの事も診てくれると言った。
フィリップは感謝し、診察を頼んだ。
しばらくして診察が終わると、部屋から出てきた医師は、信じられない事を言った。
何とメグは妊娠していたのだ。
屋敷の夫婦は、おめでとうと心から祝福してくれたが、フィリップは素直に喜ぶ事が出来ずにいた。
診察を終えたメグの部屋へ皆が揃うと、二人を迎えてくれた夫婦は、行くところが無いのなら、此処で子を産めば良いと提案してくれた。
これも何かの縁なのだし、困った時はお互い様だと言って。
メグは心から感謝して是非そうさせて欲しいと言った。
一人浮かない表情のフィリップは随分悩んでいた。夜になり、二人きりの部屋でメグが言った
「フィリップ、私達に子供が出来たこと、全然嬉しそうじゃ無いのね…
迷惑だったのかしら。
私の事などそれほど愛していなかった?」
そう静かに問うた。
「ちがう!君の事は心の底から愛してる!
…ただ、私には、秘密があるのだ…それを知ったら、君はきっと後悔する。
君を傷つけたくは無いのに…どうしたらいいかわからないんだ…」
「フィリップ。私は貴方が何を隠していたとしても、貴方と出会ったことも、こうなったことも、後悔したりしないわ。
それよりも、貴方が離れて行ってしまう事の方が余程辛い。」
フィリップはしばらくの沈黙の後、静かに言った
「…私は、人間では無い…」
「……」
「…私は、人狼だ…400年も生きた…狼のバケモノだ…」
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