第6話 消えた絵画

酷い頭痛と喉の乾きで目が覚めた。



―…ここは…


私はギシギシと軋む全身の痛みを堪えて身体を起こした。目覚めた場所はどうやら応接間のソファーの上だった。




周りを見回すとドアの近くにスミスが立っていた。



「お目覚めになりましたか。ギルバート…」



スミスはいつもと変わらぬ様子でいた。

未だズキズキと鈍く痛む頭を抑えながら、何故こんな状況になっているのかを考えた。


そうだ、私は旦那様に絵をお持ちする為に部屋を出て、それから…




ふと、気を失う寸前に視界の隅に捉えたあの“誰かの足”を思い出し思わず息をのんだ。


そうして、昨夜の恐ろしい出来事をも思い出した…


「スミスさんっ…私は…!」


「旦那様を呼んで参ります。こちらでお待ちを。」




スミスは私を遮るようにそう伝えると、部屋を出ようとした。


そんな、こんな有様な上に旦那様に足を運ばせるだなんて!


私は必死に立ち上がろうとしたが、うまく足に力が入らず床に伏してしまった。


スミスはゆっくりとこちらを振り返ると、冷たい瞳で私を見下ろして



「ここにいなさい。…ギルバート。」


と、一言。



屋敷に来て暫く経つが、スミスの言葉に温度を感じたのはそれが、初めての事だった。



―…なんて冷たい色だろう。



私は何とか身体を起こすと、これから起きるであろうことを想像して恐ろしい気持ちになった。


それから旦那様がいらっしゃるまでは大した時間ではなかったのだろうが、私は随分長い時のように思えた…。




 ー…ガチャ



  旦那様がいらした。

 


 旦那様はゆっくりと部屋に入ってくると私の向かい側のソファに腰掛けた。

 それから旦那様は足を組んで私を見下ろす目線になると、こう言った。



 「ギルバート、今日は約束の日だが、絵はどうした。まさかまだ出来ていないとは言わないだろうな」



 ー…絵…そう言えば、絵は何処に?!

倒れる間際には確かに持っていた筈。バランスを崩した時、とっさに身体から離した筈だ。描き上がったばかりで絵具が剥がれるといけないと思って…



  「…あの…恐らく、倒れた拍子に階段の…近くに…」



 旦那様は眉を寄せた。



 「いいや。スミスがお前を見つけた時、お前は何も持って居らず、お前の近くにも何も落ちてはいなかった。お前の部屋にも行かせてみたが、

絵など何処にも無い。」



 …?

何処にも、無い?



 まさか、絵を描き上げたのは、夢??



 いや、そんな筈はない。


 私は自分の服の袖を見やって確信した。



 昨日は旦那様からいただいた洋服を着て子供部屋を見に行っている。部屋に駆け戻ってそのまま眠ってしまった上、朝もそのまま絵を描き始めた。



 いただいたばかりの服の袖に絵具が飛んでいたのが、この記憶が夢では無い何よりの証拠。



 前回庭の絵を描いた時、うっかり汚してしまった服があって、以来絵を描く時はそれを着て作業をしていた。


 なのに新しい服に絵具が飛んでいるのだから。



 しかし、だとするならば、絵が何処にも無いのはますますおかしな事だった。


 昨日の事はともかくとして、描きかけの絵すら何処にも無いというのはやはりおかしい…。



 しかし、何処にあるのか分からない以上は、どうすることもできないのだった。



 「絵は何処にあるのだ。」


 これ以上旦那様のお怒りを買うわけにはいかない。




 「……っ…旦那様、恐れながら、私にも絵が今何処にあるのか、所在が知れません。

  …もし旦那様がチャンスをくださるならば…もう一度あの絵を、描かせて下さいませんでしょうか…


 描き上げた後には、どうぞ、この首を切り落とすなり、吊し上げるなり、湖に沈めるなり…


 お気の済まれる様になさってくださいませ…」



私は顔を上げる事すら出来ずにただ下を向いて、じっと、旦那様のご返答を待った。



  「…一度描き上げたと言うのは嘘では無いのだな」



 「……はい。」



 「…ならば良い。お前は部屋へ戻れ。絵も描かなくて良い。今は眠っていろ。」



 ー…!


 私は自分に対する処遇に驚き旦那様を見上げた。



 すると旦那様は立ち上がりドアの方へ向かわれたので、私は 引き止めようとした。


 引き留めたところで何を訴えるのかなど、てんで考えても居ないのに。



すると旦那様がこちらを見ずに仰った



 「スミスに薬を持っていかせる。今は休め。

絵の事など考えるな。これは命令だ。」



 「……はい…」


私は力なく、消え入りそうな声を絞り出してそう返事をするのがやっとだった。


 旦那様の慈悲に感謝すると共に、自らの不甲斐なさと、言い付けを破った事による自責の念で、私の心は一層乱れた。




 旦那様の温情に甘えた上、昨夜はたらいた自らの罪を告白しなかった…


 その事を思うと…まるで私の心臓の内側で、毒を孕んだ袋が破れて、中からドロリと溢れたモノが、じわじわと身体を内側から溶かしていくような、そんな不快感が襲った…




 重い足取りで何とか屋根裏の自室に辿り着いて、私はそのままベッドに腰を下ろすと、やはり先程の事が悔やまれてならず、頭を抱えた。




 相変わらず頭痛も酷かった。



 暫くその体制で考えあぐねていたが、ふとある事を思い出した。



  ー…そう言えばあの‘足’…



 あれは一体誰だったのだろうか。


 旦那様は確か、倒れている私を見つけたのはスミスだと言っていたが…


 あの身綺麗で完璧な執事が、果たして裸足で屋敷の中を歩き回ったりするだろうか?



 それに、一体何の為に靴を脱ぐ必要があったのだろう……




 ー…コン、コン



「…っ!!」



 「入りますよ、ギルバート」



 そう言って部屋に入ってきたのはスミスだった。




 ー…まただ…また足音がしなかった…


 私は咄嗟にスミスの足元を見た。





 スミスの足には、良く磨かれた革靴が履いてあって、きちんと靴紐が結ばれていた…。



 私が彼の足元を見つめている事に気付き



 「私の足が、どうかしましたか?ギルバート」



 …と、

 ビクリと身を震わせて弾かれるように見上げたスミスは、やはり先程と同じ、氷の様に冷たい表情で私を見下ろしていた。



 「これは病に良く効く薬です。飲んでください。」



 「……あ、ありがとう…ござい、ます…」



 スミスは、窓の前の書き物机の上に、薬とグラス、それに水の入ったカラフェをのせた盆を置いた。


 扉を開けて、出て行く間際に…




 「その薬は良く効きますから、飲めばたちどころに楽になるでしょう。


 ー…必ず飲むのですよ、ギルバート…」



そう、言い残して…



 私は、言い知れぬ恐怖に震え、スミスの出て行った扉をいつまでも見ていた…




 彼が階段を降りて行く、足音を聞きながら…

 

 


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