婚約破棄された元令嬢と鳥籠の呪い

nullpovendman

婚約破棄された元令嬢と鳥籠の呪い

「クレハ、オーリ嬢にしてきた数々の悪事、見逃すわけにはいかない。私との婚約を破棄したうえで、貴族籍も剥奪されることを覚悟しておけ!」


 ノイマン王太子殿下は、その青い目に殺意を込め、第一婚約者である私を指さしながら、そう告げました。

 ノイマン殿下の隣には不安な顔をしたオーリ様が立っています。


 ここは王城の謁見の間です。公務用ではなく、私用で使うための部屋なので、あまり広くありません。壇上には上手側にノイマン殿下、下手側にオーリ様がおります。二人と向き合って、私、クレハ・クラインが立っています。後ろには侍女が2名、護衛の騎士が2名、入口の横に待機しております。


 国王陛下と王妃殿下が隣国に出かけているこのタイミングで王城へ呼び出しがかかったため、予想はしておりましたが、ここまで想定通りにうまくいくなんて、笑ってしまいそうになります。

 いけませんね、ここは表情を整え、開き直った演技をしなくては。


「特に申し開きはございません。お望み通り、婚約者の証であるブローチはお返しいたします。ああ、貴族籍も剥奪でしたね。では、こちらのイヤリングもお受け取り下さい」


 銀の天使の羽にルビーをはめ込んだブローチをドレスから外します。これは第一婚約者の証であり、将来的には王妃の証となるでしょう。

瞳の色と同じ深紅の魔石を使ったイヤリングも外します。後ろで待機していた侍女に二つとも渡します。侍女は宝石箱に丁寧にしまうと、赤い絨毯を歩いて行き、ノイマン殿下の座る謁見用の椅子に運んでいきます。ノイマン殿下がブローチを受け取って、本物であることを確認すると、侍女に返しました。侍女は宝石箱にしまい直し、そそくさと下がって行きます。保管庫にしまいに行ったのでしょう。


 ノイマン殿下は、堂々とした態度でブローチを返却した私をいぶかしむように視線を投げかけてきますが、気にせずにオーリ様にの言葉をかけておきましょう。


「オーリ様、これまでの悪事はオーリ様のことを思っての行動でしたが、それでも殿下のことを選ぶのですね。それだけ殿下を愛しているのであれば、これからもうまくやっていけると思います。これから、婚約者として、そして将来は王妃として、思い悩むことは多いとは思いますが、頑張ってくださいね」


 実際に悪事を働いていたメイプル様やコフィ様がオーリ様のことを考えていたかはわかりません。私が悪事を働く立場であれば、完全に善意からの行動だと思いますので、そう述べておきます。


「クレハ、その態度は何だ! オーリに謝罪を――」


「では、ごきげんよう。もう会うこともありませんわ」


 不敬とはわかっていますが、殿下の言葉の途中で遮り、憤る殿下を無視して謁見の間を退出いたします。退出時にはカーテシーを忘れてはいません。貴族のマナーは嫌というほど叩き込まれましたので。もう貴族ではなくなってしまいましたが。


 城門まで一緒に歩く警備兵や侍女と特に口を利くこともなく、調度品が並ぶ廊下をカツカツと歩いて行きます。やがて城門に着いた私は王太子が用意した馬車に乗り込み、そのまま自宅である侯爵邸まで運ばれて行きます。


 御者をしてくれていた深紅の目をした兵士の方から、降りるように言われましたので、お礼を言っておきます。

「ありがとうございました。もうお会いすることもないかと思いますが、どうか殿下とオーリ様を支えてくださいね」


 兵士はハッと言って敬礼を返すと、馬車に戻り、出発の準備を始めました。兵士の耳には彼の瞳、そして私の瞳と同じ色の深紅のイヤリングが輝いています。


 やがて馬車が出発するのを見届けた私は、以前から用意してあった平民として暮らすための服に着替え、まとめた荷物を抱えて屋敷を後にします。


 雲一つない澄み渡った青空には、トンビが1羽飛んでいます。


 これからは身一つでやっていかなければなりませんが、王妃として、呪われた役目を引き受けることなく、自由に生きていくことを選択したのですから、どれほど苦労したとしても後悔はしないでしょう。



****


 話は1年ほど前に戻ります。

私がこの国の呪いに気づいたきっかけとなった出来事がありました。


 魔術学園が春休みの折に、ノイマン殿下の鷹狩りに付き合い、王都近くの森に出かけているときのことでした。


 運悪く瘴気が発生したばかりの場所に近づいたらしく、魔物がいないことを確認していたはずの木陰に、兎の魔物が現れたのです。


 人の暮らす領域の外には、瘴気が突発的に発生することがあります。生き物がある程度瘴気を吸うと、魔物に変わり、人を見つけ次第害する存在となります。

 人の暮らす領域に近ければ近いほど、瘴気が発生する確率は低く、発生したとしても瘴気の量は少ないことが多いのです。事前に安全確認をしているのにも拘らず、急に魔物化することは非常に珍しいことでした。


 近衛兵の安全確認を信頼していた私は、警戒をしておりませんでしたので、急に飛び出てきた兎の魔物に対処できませんでした。

 周りにいた警備兵にも予想できていなかったようで、近くにおりません。

 兎の魔物は殺意を抑えず、まっすぐ私に向かって突進してきました。

 すんでのところで、ノイマン殿下付きの兵士であるセバスチャン様が前に飛び出してかばってくれましたので、大事には至りませんでした。


 ただ、その際に、私は驚いて転んでしまい、深紅のイヤリングを落としてしまいました。


 兎の魔物と衝突したセバスチャン様もまた、イヤリングを落としたようでした。

 貴族の証であるイヤリングは、魔法発動の補助具を兼ねておりますので、戦闘が想定されるときは落ちないように工夫するものだと聞いておりましたが、王都近辺での狩猟であることから、気が抜けていたのでしょうか。それとも衝突の衝撃が大きかったのでしょうか。


 セバスチャン様は衝突の勢いで転がりつつも、ぶつかって来た兎の魔物をそのまま左腕を首に回し、絞めておりました。空いている右手で腰のナイフを抜き、兎の魔物の喉元に突き立てました。兎の魔物はしばらくの間、抵抗していましたが、やがて動かなくなりました。


 安全が確保されたことで落ち着いた私はイヤリングを探しました。休憩場所にする予定だったブナの木の根元に二つのイヤリングが転がり落ちています。


「セバスチャン様、こちらにイヤリングを落とされましたわ」


 私は二つのイヤリングを拾い、一つをセバスチャン様に渡します。

 私もセバスチャン様も深紅の瞳をしておりますため、貴族の証である魔石は色の区別がつきません。構造もシンプルでよく似ていたため、ちょうど木陰になっていたこともあってか、それぞれのイヤリングが入れ替わったことには互いに気が付きませんでした。


「クレハ! 大丈夫だったか?」

 眉をハの字にして本当に心配そうな顔をして駆け寄ってくる殿下を見て、うれしく思ったことを覚えています。


 今思い返すと、これが殿下と最後にまともにデートをした思い出です。

 これ以降、私達の通う魔術学園に、平民出身のオーリ様が入学し、殿下はオーリ様に入れあげていくようになったのです。

また、私はこの日以降、ある目的のために非常に忙しくなったため、このことを知ったのはしばらく先になりました。


 予想外の魔物の襲撃に遭遇したこともあり、私たちは鷹狩りを早々に中止して王都に戻りました。私は殿下の用意した馬車でそのまま自宅に送り届けていただきました。



****



 鷹狩りの翌々日、王太子殿下の第一婚約者として王妃教育を受けている時でした。普段は意識しておりませんでしたが、座学の間、イヤリングの魔石を通じてチクチクと魔法による干渉を受けているような、そんな不快感がありました。


 これ以降、王妃教育のたびに頭痛を感じるようになりました。

 1週間ほど経った夜のことでしょうか。その日の王妃教育で習ったことを思い出しながらベッドでうとうとしていた時、あの魔法が何をしていたのか、気づいてしまったのです。


 それは、王妃の呪われた宿命を受け入れるための洗脳魔法だったのです。


 この国では、王妃となった女性は15年ほどで亡くなります。そのこともあってか、国王陛下には夫人が常に3人以上おります。第二夫人、第三夫人は、王妃殿下が生きているうちは早世することはありませんので、第一夫人たる王妃となった方だけに宿命づけられた呪いです。王妃が亡くなり、夫人の順位が変動すると、第一夫人に昇格した方が、長くとも15年ほどで亡くなることになります。


 王太子も、夫人候補として3人の婚約者がおり、そのうちの一人が私でありました。

 王太子の婚約者は、高位貴族の中でも魔力量が高い者から選ばれております。第一婚約者が私、クレハであり、第二婚約者はメイプル・ジルベール様、第三婚約者はコフィ・バレンスタイン様、序列はそのまま結婚後も適用されます。私たち三人は魔術学園でもトップクラスの魔力保持者でした。



 この国の歴史は、表向きには、王族の祖先が瘴気を生み出し続けた邪悪な魔女を討伐し、瘴気が発生しない場所に国を建てたとされています。

 これは学園でも習いますし、平民の間でもおとぎ話として子供によく聞かされているそうです。


 しかし、王妃教育で本当の歴史を学んだ者だけは、本当の歴史を知らされます。


 瘴気の発生は、邪悪な魔女とされている魔法使いが作った守護結界によって抑えられているのです。

 魔女とされる初代国王の妾だった魔法使いは、当時国で一番の、いえ、歴代でも一番の天才でした。国を作る際に、瘴気に悩まされている王のため、国のため、苦心しながらも守護結界を作製したのです。


 魔法使いとして国に貢献したことを妬んだのか、国王の寵愛を妬んだのか、今となってはわかりませんが、当時の王妃は魔女を虐げておりました。

 守護結界を作り終えた後、大きすぎる成果に恐れをなした王妃の手の者によって、魔法使いは殺され、邪悪な魔女だったと噂を流されました。


 魔法使いは死ぬ間際、守護結界の仕組みに呪いをかけました。王妃の悪意を受けた魔法使いは、皮肉にも王妃の流した噂通りに邪悪な魔女となったのです。


 守護結界に必要な魔力は、もともと国民の余剰魔力を吸ってまかなう仕組みでした。魔女は、この国の王妃だけが供給可能とし、その上、強制的に吸い続けるように変えたのです。

 魔力が足りなければ生命力を魔力に変えてでも昼夜を問わず吸い続けるため、この日以降、この国の王妃は、どれほど魔力の強い者であっても、15年ほどで亡くなるようになったのです。


 守護結界の魔法式はとても複雑で、魔法の天才であった魔女以外には組み直すことは不可能でした。

 守護結界がなければ、瘴気によって発生した魔物によってこの国の平穏は壊されてしまいます。

 苦肉の策として、王族の一部のみが真実を知ること、真実を知ってもなお、命を捧げるように王妃教育に洗脳魔法を組み入れることが代々引き継がれてきました。


 王妃が亡くなるまでの時間を長くするため、結婚する者は魔力の多さも考慮されるようになりましたし、夫人を複数持つことで、王妃の座が空白になることを避けてきたのです。


 貴族の証である魔石は、生まれた時に瞳と同じ色の魔石の中で、自分の魔力と共鳴するものを選び、普段から身につけておくことを貴族として義務付けられています。

 これを身につけることで魔法の発動が行いやすくなるのですが、それと同時に他人からの洗脳魔法を受け付けやすくする効果があるようです。このことに気づいたのは、この仕組みを知っている者を除けば、他人用の魔石を身につけて洗脳魔法を受け続けた私くらいのものでしょう。


 思えば、王妃教育の座学は、王族の方が直々に行うという、普通はあり得ない授業形態でした。わざわざ国王の第二夫人や第三夫人が座学を行うという異様さに気づくことができないのも、洗脳魔法の効果でしょうか。

 夫人たちは、座学の間、気づかれないように、将来王妃として、結界の人柱となることを受け入れ、疑問を感じないように洗脳魔法をかけているのでした。


 夫人が悪いわけではないと思います。彼女たちもまた、それまでの洗脳のせいで、因習を続けることが正しいと思わされてきたのではないでしょうか。


 私がひとえに洗脳から抜け出せたのは、全く同じ色の、魔力共鳴が非常に少ないセバスチャン様の魔石と入れ替わっていて、洗脳魔法に違和感を持ったからでしょう。


 気づいてからの私は、すぐに自分用の魔石イヤリングの偽物をお抱えの魔道具師に製作させました。偽の魔石イヤリングを作ったことは他言無用とし、破れば死ぬように契約魔法を交わしております。

 偽の魔石イヤリング完成後、セバスチャン様に魔石イヤリングを取り違えてしまったと手紙でお伝えして魔石イヤリングをお返しし、本来の私の魔石イヤリングを返していただきました。


 これ以降、王城に出かける際は、魔石イヤリングを、偽物にすり替えておき、本物を王妃教育の場で身につけることをやめました。

 私は魔力量だけでなく、魔法の解析も得意としていましたから、座学の時間に勉強をしつつ、少しずつ洗脳魔法の術式を解析していきました。


 王妃教育の中で、どこかで洗脳魔法の習得をさせられると思われます。その時に魔力の制御が不安定だと魔石イヤリングが偽物だと疑われてしまうかもしれません。その時までには本物の魔石イヤリングを身につける必要があります。

 それまでに解析を終え、対抗魔法を編み出しておかなければ、また洗脳されてしまうでしょう。


 魔術学園が始業式を迎え、学園と王妃教育の両立に苦心しながら、洗脳魔法を少しずつ解析していきました。


 学園でノイマン殿下に会った際に、これから忙しくなる旨を伝えておきます。

「王妃教育が難しくなってきたため、しばらく殿下とはお会いできません。落ち着いたらお伝えいたしますので、また鷹狩りなどにお呼び頂けたらうれしいですわ」

 ノイマン殿下が笑って、わかった、待っていると言ってくれたことを覚えています。


 学園の庭では、ヨモギなどが目に付くようになっていました。


 これ以降は本当に忙しくて、ノイマン殿下とほとんど顔を合わせられませんでした。宣言通りに忙しくなった第一婚約者に愛想を尽かしたわけではないでしょうが、この頃からノイマン殿下は、春から入学してきたオーリ様と親しくなっていったそうです。私には学園で起こっていた騒動を気にする余裕はありませんでした。



****



 半年ほど経ったころ、やっと洗脳魔法の術式を解析し終え、魔法の発動者にばれないように無効化する対抗魔法を作成することができました。

 その2週間後から、王妃教育に魔法の授業が追加されましたので、魔石イヤリングを本物に替えて王城に通うようにするには、ギリギリのタイミングだったと思います。


 洗脳の脅威がなくなり、ほっとしたところで、夜な夜な考えるのは将来のことです。ノイマン殿下とは政治的な結婚だとしても、優しい方ですし、一緒にいられてうれしいと思ったことは間違いないのですが、命を蝕まれてまでこの国に尽くす覚悟ができるか、というと、それほどの情熱を持っているとは思えませんでした。

 自分の命と、王子への恋慕の心を天秤にかけた結果、もっと自由に生きたいという思いが強くなっていきます。


 この頃は、私生活にも余裕が出てきたため、ノイマン殿下とオーリ様が仲睦まじくしているという話をやっと耳に入れることができました。


 学園での友人、派閥の令嬢からこれまでの話を詳しく聞いたところ、次のような話でした。

 平民出身にも拘らず、膨大な魔力を持っていたオーリ様は、魔術学園に入学することになったのですが、魔術学園は貴族が多く、馴染めておりませんでした。

 そのことに心を痛めたノイマン殿下が相談に乗っているうちに、次第に親しくなっていったそうです。


 待っていると言ってくれたにも拘らず、他の婚約者ですらなく、オーリ様と仲良くしているというのも、少なからず私の王妃への覚悟に影響を与えました。オーリ様が王妃候補になるのであれば、私は婚約者の立場を捨てて、自由になっても良いのではないかと思いました。


 オーリ様がノイマン殿下と親しくなっていくにつれて、第二婚約者のメイプル様、第三婚約者のコフィ様は面白くないと思ったのか、悪い噂を流したり、持ち物を隠したり、果てはならずものを雇って街で襲わせたりするようになりました。


 この辺りは犯人がばれないよう工夫をしていたようですが、人の口には戸が立てられないのか、友人からメイプル様やコフィ様が犯人だと噂されていると聞きました。侯爵家子飼いの密偵を放って情報を集めたところ、どうやら事実のようでした。


 これがノイマン殿下の耳に入ることは時間の問題だと思いましたし、せっかくですから、この状況を利用することにいたしました。

 季節は秋を迎え、金木犀の香りがした夕方のことだったと思います。


 洗脳魔法を解析し終えており、王妃教育でも習って完全に使えるようになっていますので、噂を流したメイプル様、コフィ様の派閥の令嬢や、持ち物を隠した実行犯、ならずものやその関係者にひっそりと接触し、犯人が私だと思わせていきます。

 これをノイマン殿下の側近数名に時期を見て少しずつばらしていき、ノイマン殿下本人、そしてオーリ様に全ての悪事を行ったのは私だと思い込ませることにしたのです。



 ノイマン殿下の第二婚約者、メイプル様をお茶会に招き、オーリ様のお話を伺います。

 婚約者同士、微妙な権力争いをしてきた仲ですが、オーリ様という共通の敵ができたことからか、今までで一番お話が弾んだように思います。


 メイプル様はオレンジの瞳で、イヤリングの魔石も同じ色をしております。ベージュのドレスを華麗に着こなしており、赤髪で情熱的な方に見えます。姑息な手段にでるような見た目には見えないのですが、人間わからないものです。


 オレンジの魔石を通して洗脳魔法をかけ、メイプル様には今までの悪事をこっそりと教えて頂きました。さらに洗脳を進めることで、私がやったことだと思わせることにも成功しました。

 洗脳魔法は長い間国を守って来ただけあり、本当に強力です。メイプル様の教育が私ほど進んでいなくて幸いでした。メイプル様の子飼いの暗部を数名、夜に人に見られないよう侯爵家に招き、そちらも洗脳魔法をかけておきます。


 同様にコフィ様と手の者達も洗脳魔法をかけておきます。コフィ様は銀髪銀目で、イヤリングになっている銀の魔石は珍しいものです。

 お茶会に招いてお話ししましたところ、バレンスタイン家の血筋の魔石の用意は大変だという話で盛り上がりました。バレンスタイン家は謀略に長けているそうですので、おそらく、コフィ様がならずものを雇ったのでしょう。

 何度かお茶会をして洗脳することで、ならずものと会う算段をつけさせてもらいました。


 数名の護衛を伴って城下町に繰り出します。

 石造りの街は、貴族の屋敷周辺とは違って人が多く、大通りでは朝と夕方の市ではかろうじてすれ違えるほどの混雑となります。


 夕方の市が終わる頃、護衛から距離を取って歩いた隙に、例のならずものに身代金目的でさらわれたように見せかけ、スラム街の一画まで運んでもらい、会談を行いました。暗部の者がこっそり見張っているとはいえ、少し緊張いたしますね。

 護衛がここを発見するまでは、30分ほどかかる、ということになっていますので、それまでに交渉をしておきます。


「単刀直入に申し上げます。平民出身の魔術学園生を襲ったのは、コフィ様ではなく、私だということにしていただきたいのです。これは友人のコフィ様を守るためです」

 そういって、金貨の入った袋を渡します。


「へへっ。コフィって奴は知らないが、そういうことにしておいてやるよ。金さえもらえればこっちは誰の指示でも構わないからな」

 そう言って下衆な視線を送りつつ、ニタニタと笑っています。


 ならずものにしては、やけに物分かりが良いですね。おそらくこの町の影での影響力が高い者なのでしょう。バレンスタイン家だけでなく、貴族が手を汚す際に駒としている、必要悪のマフィアといったところです。

 ならずものは貴族ではないので、魔石のイヤリングは身につけていませんが、私の膨大な魔力を生かして強引に洗脳魔法をかけることは簡単でした。口約束だけでは拷問を受けた際に口を割りかねません。洗脳魔法により、コフィ様のことは忘れたことでしょう。


 30分後、護衛が来てならずものは拘束されたものの、、輸送用の馬車が事故にあってしまい、ならずものには逃げられました。もちろん狂言なのですが。



****



 周辺の手回しは終わりましたので、学園でノイマン殿下がオーリ様と一緒にいない時を狙って、オーリ様と仲良くすることに対して苦言を呈しておきます。

 その際に、殿下の周りに隠れている諜報部の方に目星をつけておきます。後で私に悪感情を抱くようにこっそりと洗脳魔法を発動しておくことにします。


 ノイマン殿下とオーリ様と一緒にいるときにも、オーリ様には婚約者のいる男性とあまり仲良くするべきではないと、苦言を呈しておきます。

 メイプル様、コフィ様は面と向かって注意したことはあまりないそうですので、これまでの悪事が私の仕業だと思えるようなことをポロっと漏らしておけば、悪感情を向けることになるでしょう。


「婚約者のいる男性に横恋慕するのはあまり外聞が良いこととは思えませんわ。夜道には気を付けた方が良いですわね。ならずものが襲ってくるかもしれません」

 オーリ様は青い目を見開いて驚いたような表情をしています。


 あとはたびたびオーリ様が一人になった時を見計らって、魔法学園に通うときにもらったという青い魔石のネックレスを通じて、洗脳魔法をかけ、私への悪感情を増幅しておきます。イヤリングは貴族の証ですから、まだ平民であるオーリ様は持っていませんが、魔法学園に通う際に、補助具としての魔石ネックレスを与えられたようです。貴族の魔石イヤリングと同様に、洗脳魔法からの干渉を受けやすいようで、洗脳は簡単に行えました。


 これで準備は整いました。


 ノイマン殿下が大切にしている平民の女性を害したとしても、この国で一番魔力量の多い私を処刑することはおそらくありません。

 王子が国王様の判断なしに独断で動いて、勝手に処刑までする可能性はゼロではありませんが、ノイマン殿下の性格上そこまですることはないでしょう。平民のオーリ様の境遇を見て手を差し伸べるような方ですから、犯罪者となった私にも、きっと寛容な処置をすることでしょう。

 王妃の呪いについて事情を知っている王族の判断が入ったとすれば、特に、私ほどの魔力の持ち主は、結界維持のスペアとして生かしておきたいでしょうし、監視付きで平民になるというのが一番悪い想定です。


 平民に落とされることを想定して、準備を進めておきましょう。

 城下町に視察という名目で度々訪れ、平民の暮らしを学んでおきます。平民出身のメイドから、普段の様子を聞き、必要な準備を整えていきます。

 折を見て平民用の古着屋から着替えを購入し、一人で着がえられるようにし、食材の知識をつけ、料理をできるように練習しておきます。王妃教育をさぼるわけにはいきませんので、また忙しい日々に逆戻りです。


 ここまでしたのですから、婚約破棄されても平民に落とされなければ、自分から責任を取るため、と言い出して貴族籍を返してしまおうかしらね。



****



 やがて私が軽く洗脳した諜報部を通じて、ノイマン殿下がオーリ様への悪事を知ることとなりました。近々断罪の場を設けると、侯爵家の暗部から先んじて情報を得てあります。

 冬も終わり、冬眠から目覚めた小動物が山に現れるようになり、木々にも新芽が見られるようになった頃のことでした。


 国王陛下と王妃殿下は、春になるこの時期、毎年外遊で隣国に出かけているのです。このタイミングで王城へ呼び出しがかかったのですから、ノイマン殿下が独断で断罪を仕掛けてくるのでしょう。


 赤い絨毯を侍女に先導されて進みました。私用で使う謁見の間に入った私は、婚約破棄と貴族籍の剥奪で断罪を受けました。

「クレハ、オーリ嬢にしてきた数々の悪事、見逃すわけにはいかない。私との婚約を破棄したうえで、貴族籍も剥奪されることを覚悟しておけ!」



 狙い通り婚約破棄された私は、殿下の独断とはいえ、平民となりました。侯爵家は抗議をするでしょうし、国王陛下らも事情聴取のために私を呼び出すでしょうから、早いところ行方をくらませて、探されないようにしなくてはなりません。


 雲一つない澄み渡った青空には、トンビが1羽飛んでいます。


 これからは身一つでやっていかなければなりませんが、王妃として、呪われた役目を引き受けることなく、自由に生きていくことを選択したのですから、どれほど苦労したとしても後悔はしないでしょう。

 そう、自分に言い聞かせていますが、ノイマン殿下との思い出が浮かんできて、少々目頭が熱くなります。

 もう戻ることはできませんが、殿下は私の初恋だったのでしょう。身を焦がし、命を捧げられるほどの情熱を持っていれば、婚約者として留まる選択もできたかもしれません。それでも、自分の命と恋心を天秤にかけ、自分の命を、自由を選択したのだ、と納得し、歩き出しました。


 この鳥籠の国で、広い空を知ることなく、その青い羽を生かして新しい王妃となるだろうオーリ様、どうかノイマン殿下を幸せにして下さい。悪意にも負けず、愛を貫いていたのですから、オーリ様はきっと命を燃やす王妃の役割にも納得するでしょう。それが、呪われた因習により、洗脳されたからだとしても。


 呪われた鳥籠に羽をもがれ続ける憐憫と、その役割への感謝を抱きながら、元侯爵令嬢は歩いて行きます。自分自身の自由な人生を得るために。


 王城の上を飛ぶトンビの鳴き声を聞きながら、元侯爵令嬢は城下町に消えていくのでした。


 この後、元侯爵令嬢がどうなったのか、知るものは誰もいません。


 ただ、隣国で魔女と呼ばれるまでに至った、素性不明の魔法使いが、おとぎ話のような活躍をしたとの噂が、数十年後、哀れな鳥籠の国にも伝わって来たことをここに記しておきます。


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