第40話 茜の変化

 次の日の朝。


「アオイおはよー。あれ、アオイ?」


 起きてリビングに行くと、いつもなら起きてるはずのアオイが見当たらない。


「あ、コーヒーカップは置いてある。トイレかな…………わあ!」


 トイレの方に目を向けると、目の前にアオイが立っていた。


「え? アオイ……いつからそこに?」


 気配が全然しなかった…………びっくりした…………。


「『アオイおはよー』のところからいたよ。寝ぼけているんじゃないのか」

「え? うーん…………。アオイが近くにいるのにわたしのかわいいセンサーが発動しないはずないんだけどなあ」

「なんだいそのセンサーは……。それより、くだらない話をしていると遅れてしまうよ」


 アオイはわたしに手に抱えていた物を手渡す。


「これ、制服…………。なんで……?」

「キミには今日から学校に通ってもらう」

「ええ! なんでそんな急に……!?」

「これ以上休むと進級が危うくなってしまうだろう?」

「そうだけど…………そうだ、依頼は!?」

「夜だ。学校が終わってからでも間に合う」


「え、じゃあ…………じゃあ、アオイも! アオイもいっしょに行こうよ、学校! アオイもうちの生徒なんでしょ?」

「ボクは依頼に先立っていろいろやることがあるからね。それに、もうどちらにしても留年は決まっているし」

「何それ! ずるい!」

「ほら、早く支度をするんだ。朝食はボクが用意するから」

「えー…………」


 わたしはアオイの勢いに押されて大急ぎで支度をして、玄関まで歩いたところで足を止める。


「…………」


 わたしの頭に、学校での記憶がよみがえる。決して楽しい記憶とは言えない、黒い記憶の数々。


「アカネ」


 後ろから声がかかる。


「アオイ…………」

「キミならきっと、いや、絶対大丈夫だ。ボクが保証する。胸を張って学校に行くんだ!」


 アオイは、まっすぐな瞳でわたしを見る。わたしを信じている目だ。


「ずるいなあ…………そんなことそんな顔で言われたら、行かないわけにはいかないじゃん…………」


 わたしはアオイに振り向く。


「行ってきます、アオイ」

「ああ、行ってらっしゃい、アカネ」


 わたしは2ヵ月ぶりに、登校するためにドアを開けるのだった。


 ***


 わたしは学校に着くと、下駄箱で上履きに履き替える。心臓の音が大きくなる。帰りたい、引き返したい! でも、それはできない。わたしを信じてくれたアオイを、裏切ることになるから。


 階段を上がって、さらに教室へ向かう廊下を進む。周りの視線を感じる。わたしはできるだけそれを意識しないようにして、教室に早足で向かう。そして、教室のドアに手をかけて、開ける。緊張で手が震える。


「…………」


 ガラガラ、という音とともに教室に入ると、一瞬ざわざわ、とみんなが話している声が聞こえて、それからみんながわたしに気づき始めてだんだんと静かになっていくのを感じる。


 わたしは下を向きながら、とりあえず自分の席に座ろうと歩き始める。でもその途中で、わたしの前に立ちふさがる気配を感じて足を止める。顔を上げると、清瀬灰音とその取り巻きがわたしの前に立っていた。


「もう来ないと思ってたよ、意外。さすがに進級が危ういと思ったのか? それとも、私たちが恋しくなったのか?」


 クスクス、と取り巻きたちが笑い声を上げる。


「…………」


 どうしよう、声が出ない。何か、言い返さなきゃ…………。


「茜ちゃん、おはよう!」


 その時、横から明るい声が聞こえた。


「…………撫子ちゃん」


 撫子ちゃんの姿を見て、心強く感じたわたしは、泣きそうになってしまう。


「撫子……! お前、言ったよな? 伏見をかばうなら…………」

「いいよ、灰音ちゃん。私は誰が何と言おうと、茜ちゃんと仲良くするから」

「…………撫子ちゃん……!」


 撫子ちゃんは私の方に笑顔で振り向く。


「行こ! 茜ちゃん!」

「待てよ撫子!」


 伸ばされた手を、わたしが掴む。


「わたし、もう逃げないから」

「お前……」


 そこでチャイムが鳴り響いた。


「…………ちっ」


 清瀬灰音は手を払って席に戻る。わたしたちも席に着く。わたしは教室真ん中あたりの自分の席に、久しぶりに座る。


 教室に先生が入ってくる。拝島橙子とうこ先生。眼鏡をかけた落ち着いた感じの女性の先生だ。新学期に赴任してきたこの先生は、わたしの相談にまともに取り合ってはくれなかった。先生は、わたしの存在に気づくと一瞬驚いた顔を見せて、すぐにわたしから目を背けた。


 先生は何事も無かったかのように出席をとり終えた。そして…………。


「では、何か連絡のある人はいますか?」


 わたしは、真っ先に手を上げていた。

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