第27話 朱く輝く空に消ゆ

 江古田さんがキャッチャーミットを構える。わたしはずっと練習していたピッチャーとキャッチャーの間の距離、約18.44mを目視で測って移動する。


「いつでもいいよ」


 江古田さんはわたしをまっすぐ見ながら言う。

 ここにいる約30人がわたしを見てる。落ち着け、わたし。見るのはミットだけでいい。


「行きます!」


 わたしは変に意識せず、自分が練習してきた感覚を思い出す。大きなテイクバックからの、体重を乗せたリリース。


「っ!」


 わたしの投げた球は、緩い放物線を描く。そして。


 パンッ!


「…………! 届いた!」


 わたしの投げたボールは江古田さんの構えたミットに入って音を立てた。


「…………、ええと…………」


 グラウンドは静まり返る。ど、どうしよ。もしかしてわたし、失敗して……。


「すげえ! 完全に秋津のフォームじゃねえか!」


 その時、一人が声を上げた。そして、それを皮切りにグラウンド中から声が上がる。


「わたし、やったの?」


 わたしは自分の手を見る。


「一球受ければわかる。君が朱也に教えてもらって練習をしてたというのは本当のようだね」


 江古田さんはわたしのもとに歩いてきて言う。


「俺は君を信じよう。みんなも、きっと信じているだろう」

「…………! ありがとうございます!」


 向けられていた敵意は一転、温かくウェルカムな雰囲気に変わっていった。秋津くんは、ただ拳をわたしに向けて上げていた。


 ***


「改めて、伏見茜です。よろしくお願いします!」


 わたしの挨拶にみんな思い思いの挨拶を返す。雰囲気はさっきとは真逆だ。


「皆さんには見えていないと思いますが、秋津くんはここにいます」


 わたしは秋津くんがいるわたしの右隣を指す。グラウンドにはどよめきが広がる。

 わたしと秋津くんは互いにうなずく。


「ここからは秋津くんの言葉をわたしが皆さんに伝えます。皆さんの言葉は、秋津くんに直接伝わります」


 全員が緊張感に包まれているのがわかる。


「じゃあ、秋津くん」

「ああ」


 そうして、秋津くんは話し始める。


「俺は、謝らなきゃならない。勝手に、一人で死んだことを」


 グラウンドには沈黙が流れる。


「きっと、俺が死んでしまったことでみんなには辛い想いをたくさんさせちまった。みんなの生活を、前より暗くしてしまった」


「俺は死んでからずっと、それを謝りたかった! 俺は自分のアイデンティティである腕を失って死を選んだ。でも、もっと大切なものが見えてなかった!」

「だから! 本当に、申し訳ない。みんなにはそれだけ、伝えたかった」


「秋津先輩…………」


 チームメイトの一人が声を上げる。


「…………ちがう」


 江古田さんが口を開く。


「朱也…………それは俺だよ、俺なんだ。俺はお前を気づかってるようなふりして、ほんとにお前が抱えてるものに気づけなかった。だから、謝る機会がほしかったのは、俺なんだよ…………」

「…………そうだ、秋津。俺たちはお前のことを心の底から考えられてなかった。ありのままのお前を、ちゃんと見れてなかった」


 そうして次々に、皆が口を開き、秋津くんに謝り始める。


「お前ら……」


 秋津くんは目を細めてそれを聴いている。


「…………はは。そうか、俺たちはお互いに罪の意識をもって過ごしてきたってことか」


 秋津くんは目を閉じて静かに笑う。


「ああ。そういうことらしいな。」


 江古田さんも穏やかな表情で笑う。そうしてグラウンドには、しばらくの沈黙が訪れる。

 わたしは、パンパンッ! と両手を鳴らす。


「皆さん、お互いに謝って許し合ったなら、次は仲直りです!」


 わたしは秋津くんと江古田さんを交互に見る。二人は照れくさそうにしながらも、握手をする。秋津くんは江古田さんの手に自分の手をしっかり重ね合わせて。江古田さんは、見えない秋津くんが手を差し出していることを信じて。


「なあみんな。」


 秋津くんがチームメイト全員に向かって話しかける。


「最後にお願いがあるんだけど、俺と…………」


「わかってるよ。野球する。そのためにみんなにグローブ持ってこさせたんだろ?」


 江古田さんは秋津くんの話を遮ってミットにボールをパシッっと投げ込む。そして、チームメイトのみんなも自分のグローブを掲げる。

 秋津くんは一瞬目を伏せる。そしてまた、江古田さんを見つめ直す。


「おう、わかってんじゃねえか!」


 ***


 グラウンドでの練習は日が沈む時間まで続いた。みんなの楽しそうな姿を見ていると、秋津くんがボールに触れられないとか、みんなから姿が見えないとか、そんなことはすぐにどうでもいいことのように思えた。


「もう、本当に会えないんだな、朱也」


 練習の後、秋津くんとチームメイトのみんなは向かい合って立っていた。


「ああ、でも、悲しむことじゃない。俺はもともと死んでる人間だ。それに加えて、最後にみんなと野球ができたんだ。これ以上ない幸せだよ」


 そう言った秋津くんの体に光が満ち始める。


「秋津くん……!」

「そろそろ、みんなとはお別れみたいだな」


 秋津くんはまっすぐにチームメイトの方を向く。


「最後にひとつだけ伝えておく! お前らみんな、今はバラバラになって、それぞれの道を歩んでると思う。そして多分、その道の途中で嫌なこと、辛いことはたくさんあるだろう。でも、絶対死ぬな! 死にたくなったら俺のことを思い出せ! 俺は、お前らのこと、ずっと応援してるから!」


「朱也……」

「秋津!」

「先輩!」


 グラウンドにいろんな声が響き渡る。その声に比例するように、秋津くんの体の光は強くなる。


「父さん母さん! 先に逝ってごめん…………。俺はずっと、二人のことを思ってるから。だから、できるだけ長生きしてから俺に会いに来てほしい」

「朱也…………!」


 秋津くんのお父さんとお母さんは目に涙を浮かべている。


「そして、伏見、アオイ。二人とも、本当にありがとう。お前らのおかげで、俺はこんなにも幸せに旅立てる」


 秋津くんはわたしたちに向き直って、笑顔を見せる。


「ううん。わたしも秋津くんに背中を押してもらったおかげで撫子ちゃんと仲直りできたから。お互い様だよ」

「ああ。ボクもキミにはとても良いものを見せてもらったよ、シュウヤ。キミが今度は正しく向こうへ行けるよう、祈る」

「ありがとう!」


「…………それと、伏見」


 秋津くんはわたしの方を見る。


「? 何?」


 わたしは秋津くんが続ける言葉を待つ。


「俺はお前に…………いや」

「どうしたの?」

「いや…………もし俺が生きてお前と会ってたら、何か違う関係になってたかも……知れないと思ってな」


 何か、違う関係…………。


「そうだね! きっと、良い友達になってたと思う!」

「……………………。ははは! そっか、良い友達か! そうだよな!」

「うん! きっとね!」


 わたしは秋津くんに笑顔で返す。様子がいつもと違うけど、一人で旅立つのはやっぱり不安、なのかな。


「心配しなくても、きっと大丈夫だよ。だって、こんなにたくさんの人たちが秋津くんのことを思ってるんだもん!」

「…………おう。ありがとう、伏見!」


 秋津くんは、改めてわたしに笑顔を向ける。


 そして秋津くんは最後に周囲を見回す。ここにいる人たち一人ひとりをしっかりと見て、そして…………グラウンドから見える広い空に、秋津くんは消えていった。

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