第11話 玄の決意

 菫さんの家を発ったわたしたちは、今日はもう遅いということで帰宅の途についていた。


「優しくて、強い人だったなあ……」


 菫さんに感じた印象が自然と漏れ出る。


「ああ、それに料理も美味しい」


 カレーの味を思い出しながらアオイが言う。


「なんかそればっかじゃない? アオイ」

「美味しいものを食べることはいいことだ。そうだろう? まあ……作戦は失敗に終わってしまった、ということだが……」


 言い終わってから口元を緩めてアオイはわたしを見る。

「むしろ君はスミレに会う前よりも生き生きしているように見える、違うかい?」

「うん」


 とわたしは頷く。


「やっぱり、二人が直接会わないまま、言葉を交わさないままっていうのは、違うと思う。きっと、今日わたしたちだけが行って作戦が成功して、玄さんが未練を断ち切ったとしても、きっと今頃もやもやしたままだった」


 歩く速度を上げてアオイの前に出た後、くるりと振り返ってアオイと向き合う。


「だから、明日二人を会わせよう。本音と本音でぶつかりあえば、きっといい結果になるよ!」


 アオイは少し口を開いた後、フッと笑みを浮かべた。


「ああ、そうだね。ところでアカネ、気づいているかい? キミは今、他人のために一生懸命頑張っている。そして、とても楽しそうだ。それが、キミの本来の表情かお、じゃないか?」


 言われてハッとする。わたしがわたし以外の人間のことをこんなに真剣に考えたのはいつ以来だっけ? そして、「楽しい」と心から感じたのはいつ以来だっけ?


「アオイ。わたし、あのときアオイと会って、死なないで、よかったかも」


 わたしはアオイに、泣き顔と笑顔を半分ずつ混ぜ合わせたような顔で語りかけた。

 アオイはわたしに、嬉しさと寂しさを半分ずつ混ぜ合わせたような顔をして答えた。

 アオイが、重要な何かを抱えていて、わたしにそれを隠しているのはなんとなく感じている。でも、それを今訊くのはきっと、違う気がする。今、アオイはわたしにとって一番の、唯一の友達で…………きっとそれだけでいいんだ。


 あれだけ降り続けていた雨は、もうやんでいた。


 ***


 明くる朝を快晴とともに迎えたわたしたちは、さっそく玄さんを説得しに公園へと向かっていた。


「さて、キミは先ほどからとても良い顔つきになっているが、何か良い作戦でも思いついたのかい? アカネ」


 アオイと並んで歩くわたしの顔は、笑みを浮かべて自信にあふれているように見えるらしい。


「いや、ぜんぜん」


 顔に自信を浮かべたまま即答する。


「わたしはね、玄さんと菫さんを会わせるのに作戦なんかいらないと思ってる……。だって、玄さんはほんとは菫さんに会いたいはずだもん。だったらきっとなんとかなる。……そう思うんだ」


 きっと、上手くいく。なぜかはわからないけど、そんな確証がある。


「今のキミはずいぶんと楽しそうだ。あった時とは別人のようだね」


 軽く笑みを浮かべながらアオイが言う。それを聞いてわたしは立ち止まる。


「わたし、気がついたことがあるんだ」


 わたしが立ち止まるのを見て、アオイも立ち止まる。


「わたし、アオイに会うまでは、ずっと自分のことで頭がいっぱいになってた。そして、自分は不幸だ、って思いながら、傷ついてた」


 わたしは、アオイの方にまっすぐ向く。


「でも、アオイと会って、人の心に触れて、やっと気づけたんだ。わたしは自分のことを必死に考えていても、自分と向き合おうとはしていなかったんだ、って」

「えっと、つまりね、わたしはずっと自分の境遇を周りの環境のせいにしてたの。周りの人間が悪い、社会が悪い、時代が悪い、運が悪い、って。でも、そんなことしても何も変わらないんだよね。わたしの境遇をネガティブに捉えてるのはわたしで、わたしを変えられるのはわたしだけなんだから。」


「…………それで?」


 アオイはわたしに微笑みかける。


「うん、だからわたしはわたしを変えて、そして、人を変えたい。玄さんと菫さんはその最初の関門だ! だ・か・ら!」


 わたしは勢いをつけてアオイに顔を近づける。


「!?」


 アオイは突然のことに驚く。


「わたしにまた、幽霊を見えるようにして?」


 満面の笑みでアオイに向き合う。


「…………やれやれ」


 わたしはついに仕返しに成功した。


 ***


 公園に到着すると、玄さんは緊張した面持ちでベンチに座っていた。


「! ……二人とも、昨日は妻には会えたのか? 結果は!? どうだったんだ……?」


 わたしたちを目に捉えると、玄さんはいてもたってもいられないという感じで立ち上がりわたしたちの方に近づいてきた。


「奥さんには、会いました。でも、説得することはできませんでした」


 わたしは玄さんから少し目を逸らしながら伝える。


「…………そうか」


 玄さんは落胆はしていながら、「やはり」といった表情もしていた。きっと菫さんの性格上、わたしたちが会って一回目で成功する可能性が決して高くはないということも織り込んでたんだ、と思う。


 それからわたしたちは、昨日菫さんと会った時の出来事を玄さんに話した。家にすんなり入れてくれたこと。夕食にカレーをごちそうしてくれたこと。菫さんが玄さんのことを、とても優しい人だと言っていたこと。…………そして、菫さんが確固たる意志をもって、玄さんのために戦っていることを。


 そうしてわたしたちが話し終わると、玄さんは涙をこらえきれなくなっていた。


「…………そうか、菫はまだ僕のことを、そんなふうに…………」

「菫さんは、とっても優しくて、それでいて強い人だとわたしは感じました」


 わたしは、菫さんとのやりとりを思い出しながら玄さんに語りかける。


「そして、誰よりも玄さんのことを想っていました」


「それから、玄さんも、菫さんのことを誰よりも想ってます。亡くなってもずっとこの世にとどまっているくらいに」


 わたしは玄さんと目を合わせ、まっすぐに見つめた。


「だからわたしたちは、二人が直接話すべきだと思ってます」


 玄さんの目が大きく開く。


「菫さんに、真っ向から想いをぶつけてください。わたしたちがいれば、玄さんの言葉を、気持ちを、菫さんに伝えることができるから……!」

「でも、僕は…………」


 玄さんはわたしから目を逸らす。自分が、菫さんを一人にさせてしまった。ずっとその気持ちがあって、後悔し続けてきた。その負い目が玄さんを立ち止まらせている。でも、それでも、だからこそ…………。


「…………いや、僕は菫に会わなければならない。会って、直接気持ちを伝えたい。そうでなければ、それこそ未練は残ったままだ…………協力してくれるかい? 二人とも」


 まだ少し目に涙を浮かべたまま、玄さんはわたしたちを見る。


「きっと、そう言ってくれると思ってました。」


 わたしは笑顔で玄さんに答え、アオイの方を見る。アオイはうなずく。


「わたしたちに」

「ボクたちに」

「任せてください!」

「任せてくれ」


 2つ目の依頼、一番の大仕事が始まる予感がしていた。

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