第10話 菫色の意志

「……というわけで、会って直接気持ちを伝えましょう!」


 夕方、再び公園で玄さんと会ったわたしたちは、ストレートな作戦をストレートに伝えた。


「…………僕は、妻に合わせる顔がないんだ。自分にもう一度妻の顔を見る資格はないと、そう思って1年間、僕は一人で居続けた」

「そんな……。たしかに、玄さんは奥さんにひどいことをしたかもしれません。でも、今はたくさん後悔して、奥さんのことを想ってるじゃないですか! 会って悪いはずないです!」

「それに、キミは幽霊だからどちらにしても合わせる顔はないんだ。違うかい?」

「…………アオイはちょっと黙ってて?」


 これは本気で言ってるのか、それとも場を和ませるための冗談を言っているのか、わからない……。


「……二人ともありがとう。でも、さっき言った理由だけじゃない。菫と会ってしまったら、僕はますますこの世に未練を持ってしまう、そんな気がするんだ。だから、僕は直接会うわけにはいかない」


 芯が強そうな玄さんを動かすのはなかなか難しそうだ。


「…………わかりました。とりあえずはわたしたちだけで菫さんに会ってみようと思います。玄さんは待っていてください」

「……ああ、頼んだよ」


 そして視線をアオイに移す。


「アオイ、菫さんにはいつ、どこに行けば会える?」


 アオイは待ってましたとばかりにドヤ顔を披露する。


「そうくると思ってすでに調べておいた。彼女はパートを終えた後18時頃に自宅のアパートに帰ってくる。話をするならそれからだろう」

「さすがアオイ! さっそく行ってみよう!」


 アオイの性格がだんだんわかってきた気がする…………。


 ***


 わたしたちは菫さんが住んでいるというアパートの前まで来ていた。


「ここの101号室だ。明かりはついているようだね。」

「アオイ、いまさらだけどプライバシーって言葉知ってる? まあ今回は玄さんの生前同居してたアパートから引っ越してなかったからまだいいけど……いいのかな?」


 幽霊にはプライバシーという概念はそもそもないのか? とややこしい思考が湧いてくる。


「悪用しているわけじゃないのだから大丈夫さ。さあ、行くよアカネ」


 わたしは考えるのをやめアオイについていく。


「よ、よし。押すよ、押すね?」


 急に緊張してきた。インターホンを押す指が震える。


「…………」


 ポチ、とわたしが押す前にアオイが押した。


「あ……」


 ピンポーン、となった後、間をおいてドアがガチャ、と開く。


「はーい。…………えっと、どちらさま?」


 中から出てきた女性は小柄で、優しさと強さを奥に秘めたような目が印象的だった。


「あの、えっと、落合菫さん、ですか?」

「はい、そうですが」

「あの、わたしたちは全然怪しい者ではなくてですね! 亡くなられた旦那さん……玄さんの友人……いえ、知り合いで、奥さんの菫さんとお話がしたいと思いまして……あ、夜分遅くにすいません!」


 結局いい設定が浮かばなかったので知り合いという体でゴリ押しすることにしたけど、怪しい。怪しい者ではないと言うところが怪しいし挙動も怪しい。そして別に夜分遅くじゃない。


 それでも、菫さんは少しだけ驚いた顔をした後、笑顔でこう答えた。


「どうぞ、入って」


 ***


「お、お邪魔します」


 部屋に通されて最初に目に留まったのは仏壇と、玄さんの遺影だった。当たり前だけど、玄さんはもう亡くなってるんだよね。さっきまで普通に話してたから、なんだか不思議な感じがした。


「あ! 申し遅れました、わたし、伏見茜っていいます! そしてこっちのち……」


「アオイだ」


 小っちゃいのが、と言う前に先手を打たれた。根に持ってたらしい。


「茜ちゃんにアオイちゃんね。そうだ、今夕飯作ってたとこだから、よかったら二人とも食べていかない? まだ、夫の分まで多く作りすぎちゃうのが抜けなくて」

「え、そんな、悪いですよ……」

「ぜひありがたく頂くよ」

「アオイ!」


 そして直後、わたしのお腹からぎゅううううと音が鳴った。

 菫さんはふふっと笑う。


「じゃあ、決定ね。」


 苦笑いをするしかなかった。


 ***


 丸机を三人で囲んで座る。夕飯はカレーだった。


「じゃあ、二人とも手を合わせて」

「「「いただきます」」」


 菫さんの音頭で夕食が始まる。


「お口に合えばいいんだけど」

「とってもおいしいです!」


 なんだか、とても懐かしい味がした。


「んん、むぐぐんんんーん」


 アオイはリスのように頬張っている。たぶん「ああ、とてもおいしいよ」と言っている。


「ふふっ、よかった」


 菫さんが笑う。なんだかとても、温かい。家族とは、こういうものなのかもしれない。


「あの…………どうしてわたしたちの言うことを信じてくれたんですか? それにこんなに快く迎え入れてくれて」


 気が弱くて断れない、というタイプの人じゃないだろう。疑問を直接ぶつける。

「夫は、とても優しい人だったの。自分のことを後回しにして他人を助けてあげることもしょっちゅう。だから、いろんな人がお礼にきてたの。あなたたちもきっと、その中の一人なんじゃないかって」

「そう、だったんですね」

「そして、それだけじゃない。あなたたちの目を見れば、悪い子たちじゃないってことはわかったから。人を見る目だけはあるのよ、私」


 そう言って笑顔を魅せる菫さんを見て、少し泣きそうになる。まただ。人に褒められるのって、とても…………。


 長らく忘れていたような幸せを、思い出すような時間だった。


 ***


 それから約1時間後、片づけを手伝ったわたしたち(アオイはお皿を1枚割ったけど)は、菫さんと本題について話すべく向かい合って座っていた。


「それで、あなたたちが話したい内容って?」


 菫さんは先ほどと変わらずに笑顔を浮かべたまま尋ねる。


「……菫さんは、過労死した人たちの遺族として、玄さんの会社や、社会を変えようといろいろ活動されていると聞きました」


 一方、わたしは緊張した面持ちで話を切り出す。


「ええ、その通りね」

「菫さんの活動自体はとてもすばらしいことだと思います。でも……」


 言葉に詰まるわたしの意図を読み取ったのか、菫さんが話し始める。


「活動をやめてほしい、そう言いにきたってことね」


 菫さんは口調は穏やかなまま、顔からは笑みを消していた。


「! ……はい。どうして、わかったんですか?」

「あなたたちは多分、夫とはかなり親しくしてくれてたんじゃないかしら? ……きっと、あの人が今の私を見たら、君は君の時間を自分のために使え、自分の幸せのために。……そういうふうに言う気がするから」


 菫さんは複雑な表情をしていた。


「……はい。えっと、わたしたちも、玄さんならきっとそう言う気がして……だからその、こうしてそれを伝えにきたというか……。すいません、わたしたち、菫さんには今日初めて会ったばかりなのに、こんなこと…………」

「そんなこと、気にする必要はないわ。だって、あなたたちは会ったこともない私のところへこうしてわざわざ来てくれたんだもの」


 菫さんは笑顔に戻る。そして、笑顔を崩さないまま言う。


「でもね、私は活動をやめることはないわ。それが私の意志。私は、夫がこの社会に実際に生きていて、必死に頑張っていた……その存在を証明し続けたいの。消えかけた火を、再び激しく燃え上がらせるように」


 菫さんのまっすぐな目からは、強い意志が感じ取れた。


「スミレ、キミがいくら頑張ったとしても、大きな変化は起こらないかもしれない。仮に何かを成し遂げたとしても、その時になって自分の費やした時間を後悔するかもしれない。」


 アオイがおもむろに口を開く。


「それでも、キミは戦うことを選ぶのかい?」


 アオイの口調はいつも通り淡々としているように聞こえるけど、今の言葉には何か、アオイの根っこから出てきているようなものを感じた。


「ええ、後悔なんてしない。したとしても受け入れられる。だって、私が決めたことだから」


 菫さんの言葉にも、熱が入っていた。


「……そうか。出直そう、アカネ。スミレの意志は固い。がいくら言ってもおそらくどうしようもないだろう」

「え? あ! うん…………」


 そうだ。菫さんの固く意志を動かせるとしたらそれは……。

 帰り際も、菫さんは温かみのある笑顔を崩さなかった。


「あの、おじゃましました。カレー、ごちそうさまでした。とってもおいしかったです」

「ふふ。お粗末様でした。またいつでもいらっしゃい。あなたたちならごちそうするわ」


 こうして、わたしたちの作戦その一は失敗、菫さんの前に完敗に終わった。

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