から紅色の竜田川

古寺 卓

から紅色の竜田川

 秋風が吹く、よく晴れたある日。竜田川周辺は、いつも通り虫の鳴き声が響き周りの木々からは風が吹く毎に、ヒラリヒラリと葉が舞い落ちている。遠くの方では魚の跳ねる音が赤い橋をまたいで聞こえて来る。

 そんな秋晴れの中、竜田川にかかっている赤い橋の上に一人の少年が大きなリュックを背負ってやって来た。見た感じ高校一年生を思わす背丈に、鼠色のパーカー、茶色のズボンを履いていて、休日らしい服装だった。

「早く、描きあげないと」

 少年は一息つくと、慣れた手付きで、リュックの中から折畳みの美しい刺繍が施されたアウトドアチェストとスケッチブック、筆記用具を出して、持って来たチェストに腰を掛け風景のデッサンを始めた。

 静かな秋晴れの竜田川に、木々の微かに揺れる音と、紙と鉛筆の芯が擦れる音のみが響く。  

 そして、少年がデッサンを始めて五時間んが経過した。ふと、何処からともなく聞こえて来る人の声に、少年は気が付いた。並びにその声が自分に向けられた言葉という事も。

 少年はスケッチブックを開いたまま顔をあげると、自分の背後に老人が居た事に気がついた。とても優しそうな顔立ちのお爺さんで、髪は真っ白な白髪に覆われていて、見た感じ七十代後半という印象だった。

「これは失礼。つい、綺麗な絵を描いてるもので見惚れてしまいました」

「え、あ、有難うございます」

 少年は少し顔を赤く染めて、老人の言葉に返答した。

 すると老人は、頭に疑問符を浮かべ、また少年に話し掛けて来た。

「あの、少し疑問に思った事があるのですが、あなたは何故、紅葉が溢れかえっている竜田川を描いているのですか?」

 そう老人が疑問に思うのも無理は無かった。

何故なら、今は秋に入り、赤色に染まった紅葉(こうよう)なども見えるものの、赤紅色の竜田川を見るには少し時期が早すぎたのだ。しかし、少年のスケッチブックには、竜田川の水面に紅葉が散りばめられ、風に乗って舞うもみじとそれを静かに見守る真っ赤な橋の様子が綺麗に描かれていた。

「あぁ、実はこの絵、母が入院する前の最後に母と一緒に見た竜田川の景色なんです。今病院で入院している母へ送る誕生日プレゼントにしようと思って」

 少年の母は一年前に乳癌と診断され、余命が一年と告げられていたのだ。それから少年はこれが最後の誕生日になるかも知れないと思い、最高のプンゼントを用意しようとしていたのだ。  

「すみませんでした。ご両親がそんな体調とはいず知らず出過ぎたことを。しかし、そのような事なら尚更、ご両親も大喜びの親孝行になりますな」

 それから少しの間、老人と少年は談話をし老人は帰っていった。

 少年は老人を見送り、少し描いた後、完成した絵をリュックの中にしまい、夕陽が沈み薄暗くなった竜田川を後にした。

 それから少年は、丘の上に立つ住宅地へ街灯を頼りに歩き、自宅に帰ってきた。

 すると、数分前に家に電話が来ていた事に少年は気が付いた。

 少年は固定電話の受話器を取り音声メッセージを再生する。

『五時四十五分お母様がお亡くなりになりました。至急、近畿大学奈良病院までお越しください』

 少年はその場で膝から崩れ落ちた。「何で」「未だ、大丈夫だったず」少年は現実がどうしても受け入れることが出来なかった。いずれ受け入れなければいけない現実だという事は前々から覚悟していた。

 でも、あまりも突然過ぎる。少年は自暴自棄に堕ちた。             

もう、何も考えられ無い。自分が生きていく理由も、これから何をしていけば良いかも。泣く気力すら湧いて来ない。

しかし、無理もなかった。少年は3年前に父親を交通事故で亡くしていたのだ。そして、次は母親。もう、少年には耐えられなかった。

だが何より少年は、母が亡くなる瞬間を見届ける事ができなかったことを何より悔やんでいたのだ。

 だが、そんな自暴自棄も時間がたつに連れて治まっていき、その後に残るのはただ、悲しさと悔しさだけだった。少年は一度心を落ち着かせ、リュックを背負ったまま病院に走った。

 病院に着いた頃には午後8時を周り街の方からは人々の話し声や笑い声が聞こえる。そんな中、少年は母の居る霊安室にいた。霊安室は部屋全体が真っ白で、真ん中にベットがあり、それを囲むように淡い照明が天井に付けられていて余り飾り気のなく、少し肌寒く感じる空間だった。母はまるで、今にも起きそうな程に、穏やかで少し微笑んだ清らかな死に顔をしていた。

「ごめん、一緒に誕生日祝えなくて…」

 

 一気に少年に現実が襲い掛かる。

 

 少年は、今は亡き母の亡き骸にもたれ掛かり泣き叫んだ。

 

 それから、母の葬儀まではとても早く感じた。しかし、そう感じたのは少年の心が現実から無理やり目を背けているに過ぎなかった。

 母の葬儀では沢山の参列者が来てくれた。

 少年が受付をしている時は、大半の人達が少年の母との思い出話や、お悔やみの言葉を少年に述べていった。

 

 だがしかし、少年の心は1ミリも母が亡くなった時から変わっていなかった。

 「何が、お悔やみ申し上げますだ」「何が、可哀想だ」そんな事、ここ最近は、ずっと言われ続けてきた事。友達に、先生に、親戚に、お前らは全然分かっちゃいないんだよ。人生で本当に大切な人を亡くした時の気持なんて当事者にしか、実際わからないっていうのに。

 

 少年は今、自分で自身の心を傷つけていることに気付いていなかった。今の少年には安らぎというものが無かったのだ。少年は常に、自分の心を傷付け、周りの者を否定していた。

 

 少年の心は孤独な化け物と化していた。

 

 今の少年を止めることが出来る者は、もうこの世にはいなかった。

 

 母の火葬も終わり少年は家に帰ってきた。

 一日、祖父母の家に泊まっていたため、帰ってきた頃にはお昼を回っていた。

「もう、この家に帰って来る者は自分しかいなのか。お母さんが亡くなった今、自分のもとに残るのは、両親の遺骨と無駄な遺産ただ、それだけ…」

 少年は疲れ果てた顔で呟いた。

 それから少年は、荷物を玄関前に置いて、スケッチブックを片手に自宅を後にした。

 

 

 

 今、少年は、街中の廃墟ビルの屋上にいる。

 少年は自殺をする気なのだ。

 このビルは、インターネットで「近くの廃墟ビル」と調べて出てきた場所だ。

  入るのはとても簡単だった。この廃墟ビルは人目につきにくく、入り口が路地裏に面しているし、何より、黄色いテープと錆びた柵だけで塞がれていたからだ。

 

 少年は屋上に立って、初めて死の恐怖というものを感じた。

 お母さんや、お父さんも必死にこの恐怖と闘い続けたのかと考えると改めて凄いなと感じる。

 少年の自殺を後押しする様に背中に風が吹きつける。

 少年は少し考え直そうかと後ずさろうとする。しかし、少年にはもう後ずさりができる程の気力はもう、どこにも残ってはいなかった。少年はもう、この世界に生きる支えを亡くし、生まれた時からずっと一緒に生活をした大切な人を亡くし、人生で一番大切で感謝しないといけない人を亡くした。

 今の少年が死ぬ理由はもう、これだけで十分だった。

 

 少年はスケッチブックを開いて、母にあげるはずだった、いつかの母とみた赤紅色の竜田川の風景画のページを開き、胸に抱える。 


「ごめんね、こんな死に方で。けど僕は嬉しいよ。また、二人に会えるから。

 あ、あとお母さんの誕生日そっちで、3人でちゃんと祝おうよ。僕がプレゼントは直接持っていくからさ。

 二人が、思い描いたような良い子になれなくてごめんね…」

少年の目から大量の涙が溢れる。

 

 

 ––そして、少年はビルから飛び降りた––


 

少年の体を切るように風が下から上へと流れていくと共に、周りから叫び声が次々に聞こえてくる。

まあ、もっと生きてても良かったかもな。

少年はもう手遅れと知りながらもふと、そんなことを考えたのだった。

そして、少年はこの世を去った。少年の事を、心から心配していた人々の顔も名も知らずに。

 

 少年が飛び降りたあと、ビルの下には真っ赤な少年の血と内臓が派手に飛び散ったと同時に、少年の描いた竜田川は、少年の血によって真っ赤で綺麗な“から紅色”の竜田川に染まっていた。


 

 

 少年が亡くなった日の、竜田川はその年一番の、赤さを見せた。 

 

「ちはやふる神世も聞かずたつた河から紅に水くくるとは」

 在原業平 (ありわらなりひら)

 

 

 

 

––少年が飛び降りた直後の廃墟ビルの屋上––

「はぁ、やっぱり死んだか。

 最近の若者はすぐに死にますな。人の世はいつから命が軽視され始めたのか。 

 まあ、こちらとしては魂が獲れるで嬉しい限りなのですが」

 誰もいなくなった屋上でそう呟くのは、とても優しそうな顔立ちのお爺さんで、髪は真っ白な白髪に覆われていて、見た感じ七十代後半という印象だった。 

 

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