第42話 逃げるは恥

 「痛い……痛いよ……パパ、ママ……」


 地面に仰向けに倒れたまま両親を呼ぶが返事はない、それはそうだ、つい今しがた両親は天に召されたばかりだ。

 

 岩場の道から脱輪し、崖下に転落した馬車は粉々に砕け、乗っていた人々はただ一人を除いて全て死んだ。

 周りには馬車を形成した木片が散らばっており、その内の一片が当時五歳の俺、アクセル少年の脇腹に刺さっている。


 これは夢だ、今の自分が当時の俺を見下ろしている時点で気づいた……俗にいう覚醒夢って奴だな。

 これなら当時何が起こったのかが客観的に見れて、現在思い出せなくなっている記憶が呼び覚まされるかもしれない。


 身体が赤く鉄臭い液体に浸っていて、それがジワジワ広がっていくのを感じると同時に身体に寒気を感じ、意識が遠のいていく。

 子供心に自分は死んでしまうんだと悟る、しかしそう思うと途端に言いようのない恐怖心が心に湧きだし黙っていられなくなった。


「誰か……助けて……死にたくない……僕はまだ死にたくない……」


 人里離れた崖の下、救助が来ていない今、誰が返事をするというのだろう……

 しかしそんなことは関係ない、生き残りたいという意思を口にでもしていないと不安で心が潰れてしまいそうだったのだ。


「あら、これだけの転落事故で生き残りが居るなんてね、驚きだわ」


 どこから現れたのか、一人の女性が俺の傍らに座っていた。

 その女性は先のとがったつば広の帽子を被り、深緑色の身体のラインがはっきり分かるタイトのワンピースを着ており、はち切れんばかりの胸の双丘を押さえつけている。

 いつの間に? ここは行くも戻るも人里から遠く離れていて、事故の音に気付いて事故現場にこんなに早く訪れるのは無理だ。


「おばさんは……?」


「少年、女性に対するにあたって見た目に関する事と年齢に関する事には気を使いなさい? その対応一つであなたの命運が左右される事だってあるのよ?」


 引きつった笑顔でこめかみに血管を浮き上がらせ、子供の俺にはまだ理解できない事を言う女。


「私の事はお姉さんと呼びなさい、分かった?」


「はい……お姉さん」


「よろしい」


 こめかみの怒りマークが消えご機嫌を取り戻す。


「私はここに『生きたい』という強い意志を感じてやって来たの、そしてあなたが居た……少年、あなたは生きたいの?」


「はい……まだ死にたくありません……生きたいです」


「そう……でもね、あなたの傷は私の持っている回復薬では治せないのよ、手遅れって奴? なんたって既に死神がここに来ちゃってるからね、あなたの魂を狩るために大きな鎌を振りかざしているわ」


 女に言われて上を見ると、髑髏の頭に骨の身体、灰色のローブを纏った死神が今にも俺の首を狩ろうと大鎌を振りかぶっているではないか。

 死神が見える……要するに既に俺の死は決定事項という事だ。


「でもね、たった一つだけ死を回避する方法があるの、ただねこの方法はもしかしたら少年にとっては死ぬより辛い経験をもたらすことになるかもしれないの……それでもあなたは生きたいのかしら?」


 生きられるようになるのに死ぬよりも辛い? まだガキの俺には言っている意味がよく分からなかった……いや今でもこんな選択を迫られてのちに起こる事を想像できただろうか。

 そしてこの時の俺はこう返答した。


「それでも生きたい……生きてもっと楽しいことをいっぱいやりたいんだ……辛いのも楽しいのも生きていなければ感じられないから……」


「いい覚悟だわ、気に入った……じゃあこれを飲みなさい」


 女は胸の谷間から一本のガラスの小瓶を取り出した、中にはおおよそ飲み物とは思えない鮮やかな青の液体が入っていた。

 蓋を取った瓶を俺の口にあてがい、流し込む。


「がはっ……ごほっ……!!」


 苦い……こんな苦いのは生まれて初めてだ、俺は悶え、地面を激しく転がった。


「これでもう大丈夫、あなたはもう死ぬ事はない未来永劫ね……」


「えっ?」


 痛くない、手で触って確かめたが脇腹の傷は跡形もなく塞がっていた。

 上空に居た死神の姿はもう見えない。


「いい? 良く聞いて……あなたの身体は大人になるまでは成長するけどそれ以降は見た目の年齢を取ることは無いわ」


「どういうことですか?」


「あなたはたった今から死なない身体になったのよ、だからどんなに大怪我をしようが死んでしまおうが必ず生き返り元の身体に戻るの」


「死なない身体……凄い……」


 身体の奥から熱いものが感じられた、死なないという事はどんな無茶も出来るし、何だって躊躇なく挑戦できる。

 最高の身体を手に入れたと当時の俺は思ったものだ。


「ただね、私と会った記憶は消してもらうわね……これでも私は色んな奴から狙われる身でね」


 女が俺の額に手を当てる、すると俺の視界と意識が徐々に薄れていく。

 なるほど、こうして関わった者の記憶を消していたから賢人の噂はあまり広がらなかったのだな。


「あなたの記憶は無くてもまたいつかどこかで会うかもね、さよならは言わないわ、じゃあね」


「あっ、待って!! お姉さん名前は!?」


「忘れちゃうのにそれを聞くの? 変わってるわね……私はライム、蔦の魔女ライム…………」


 そしてそのまま俺は深い眠りにつき、次に気が付いた時には町の病院のベッドだった。




「………」

 

 ここで目を覚ます、丁度朝だ……やはり俺を不死者にしたのはライムだったな。

 しかし記憶の中のライムは随分と大人びていた、現在の少女然とした姿は何かの術を使っているのだろうか?


 それはそうと俺は今、アルバトロス経済特区に部屋を借りて住んでいる。

 今日も今日とて部屋でゴロゴロして気が付けば朝……約三か月、何をするでもなく怠惰に過ごしていた。


「何やってるんだろうな俺……」


 全くその通りだ、考えさせてくれと言ってライムの前から去ったものの、結局決心がつかずここに逃げ込んだのだ。

 だってこんなの答えが出せないだろう? 俺の不死の原因を作ったのはライムだが、そのおかげで今の俺がある……イングリットやカタリナ、キャスリンやアルバトロスたちに出会えた……しかしライムを殺さなければ俺は人間に戻れない。

 仇であり恩人であるライムを殺す……俺にはどうしても踏み切ることが出来ない。 


「イングリットとカタリナは元気にしてるだろうか……」


 俺が祠から姿を消したのは彼女らが寝静まっている夜更けだった。

 出口の蔦が動いている以上、ライムには筒抜けだろうがあの二人がその後、俺を探しに来ないという事はライムはあの二人には何も手を貸していないという事だろう。

 だが今はそれが有難い、最終試練を乗り越えて一緒になろうと大口を叩いておきながら、ライムを討つ決心がつかず逃げている姿など恥ずかしくてイングリットには見せられないからな。


「いっその事、諦めるか……」


 そうさ、試練を放棄すれば俺は人間に戻る機会を失うが、これまで通り不死身の冒険者として細々と暮らしていけばいいのだ、これまで通りに戻るだけ。

 イングリットだって俺がいつまでも祠に戻らなければ愛想をつかすに違いない。

 カタリナの事だってライムが何とかしてくれるさ、彼女がああなったのは事故だ、俺が全ての責任を負う必要はあるまい、元を辿れば原因はライムにあるのだから。


 分かってる、こんなんじゃダメなんて事は……こんなネガティブな考えはこの三か月間毎日繰り返してきた、結局その逃げの行動に踏み切れなくてここで腐っているのだからな。


「アクセルさん!! 居る!?」


 ドアを叩く女性の声が聞こえる……この声はジェニーか?

 俺は慌てて服を着て、髪形を整え、ドアを開いた。


「悪い待たせた、一体何の様だい?」


 外には大きな封筒を抱えたスーツ姿のジェニーが立っていた。


「おはようアクセルさん……相変わらず荒んだ生活をしているのね」


 俺の部屋を覗き込んでジェニーは顔をしかめる、確かに散らかし放題だからな。


「どこかカフェにでも行こうか?」


「いいえ、私はあなたに依頼されていた仕事の結果報告に来ただけだからお構いなく」


「仕事の依頼? あれ、俺何か商会に頼んでたっけ?」


「呆れた忘れたの? あなた私たちに『生命の種』の調査を頼んでいたでしょう?」


「ああーーー」


 そういえばそうだったな。


「済まないな、それについてはもう解決済みなんだよ、自分で探し出した」


「えーーーっ!? それじゃあこの調査書類は無駄になっちゃったの!?」


 心底がっかりした表情のジェニー。


「いや無駄という訳でもない、それは貰うよ……約束の金貨だ」


 依頼時に前金に金貨一枚、達成時にもう一枚の契約だったからな。


「毎度ありがとうございます!! 又のご利用をお待ちしています!!」


 営業スマイルで深々とお辞儀をする。

 そして帰り際に俺の耳元で囁く。


「イングリットさんと何があったかは知らないけど早めに仲直りした方がいいわよ……あんないい子、逃しちゃダメよ?」


 そしてジェニーはウインクして颯爽と去っていった。

 あいつもあいつなりに心配してくれてるんだな、元カレを励ましている暇があるならお前もいい男を見つけろって、そういえばあいつにはアルバトロスが居たか……今や玉の輿じゃないか、何だか複雑な心境だな。


「え~~~と、どれどれ?」


 もう終わった事とはいえ、折角調べてもらったんだ……一応目を通しておくか。

 俺はテーブルの上の物を乱雑に退けて封筒の中の物を広げた。


「生命の種とは種の形をした緑色に宝石であり、魔女の錬金術において主に不死の研究に用いられる……へぇ、しっかり調べて有るな」


 正直驚いた、俺は魔女本人から聞いてやっとその正体に突き当たったというのに、やはりアルバトロス商会侮りがたしといった所か。


「生命の種自体が錬金術の賜物であり、生成は非常に困難……一説には数十年掛かって生成されるとも言われており、完成直前に崩壊してしまう事もある」


 成程、きっとライムでも時間さえ掛ければ種は作れたんだろう、だが俺の為にどうしてもすぐ手に入れたかった……だから俺にレモンを探し当てさせ彼女から種を奪ったんだ。

 

「あれ? 封筒にまだ何か入ってる?」


 封筒をひっくり返すと万年筆ケース大の木箱が出て来た。

 蝋で封印がしてある。

 物凄く興味をそそられナイフを使って封印を解除しふ蓋を開けた。


「おいおいアルバトロス……あいつは何者なんだ?」


 俺は木箱をすぐに閉め、冒険の準備を始めた。

 やっと悩み続けた俺に決心がついたのだ。

 

 待ってろみんな……これが俺、アクセルのけじめのつけ方だ。

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