【新作投稿記念短編 霧宮篠歩SS】

東匠泉高校の六人組〜二つの世界を繋ぐ物語〜

 大倭秋津洲帝国連邦のどこか――瀬島せじま奈留美なるみが保有する屋敷のリビングにて。


 瀬島奈留美が一人で本を読んでいると、一人の男が部屋の中に入ってきた。

 茶色の短髪に、銀縁の眼鏡。苦労を感じさせる少し老け顔にも思える黒いスーツ姿の男は大きな刑事事件を解決した直後だからだろうか? いつも以上に疲労を滲ませた顔をしている。


 首都警察を統括する警視都庁、その中でも凶悪犯罪を担当する捜査一課九係は捜査本部の一翼を担うものとしてここ数週間、世間を騒がせる凶悪犯罪者の逮捕のために大倭秋津洲帝国連邦各地で地道な聞き込みをしていた。

 本来なら本部で指示を出すべき係長という立場でありながら、部下に対しては放任主義を取り、マイペースで自身の気になることを最優先にし、独断独走で調べ回るという悪癖を持ちながら鋭い洞察力と勘を持ち、優れた情報収集能力・分析力を武器に警視都庁刑事部捜査一課で最も高い検挙率を誇る石取いしどる寿一としかずも例外ではない。


 普段は天才名探偵にして「犯罪シナリオライター」のひらめきさぐるの陰に隠れているものの実際は優れた捜査能力を有する寿一は今回の事件もたった一人で犯人に辿り着き、犯人逮捕に貢献している。

 情報交換を目的によく奈留美の屋敷に足を運んでいる寿一だが、長期間捜査をしていたこともあって久しぶりの訪問となる。とはいえ、奈留美の仲間達は大倭秋津洲帝国連邦どころか世界各地で暗躍しており、長期間屋敷に顔を出さないことなどままある話である。珍しく顔を見せた寿一に対して奈留美が心配して声を掛けるようなことはない。


「あら、珍しいわね。寿一さんがイヤホンをつけているなんて」


 奈留美は事件の土産話よりも寿一の普段とは違う姿に興味を持ったようだ。

 刑事として動く時はともかく、プライベートではイヤホンをつけている光景を見たことのない奈留美は「この堅物は一体どんな曲を聞くのかしら?」と興味本位で寿一に尋ねる。


「聞いてみるか?」


「えぇ、是非」


 寿一から受け取ったワイヤレスイヤホンの片割れを耳に当てた奈留美はあまりにも予想外な音楽にほんの僅かだけど驚き、続いてあまりにも意外だったからか笑いを堪え切れなくなり、噴き出した。

 普通の人であれば咎めるような視線を向けるか直接文句を言いたくなるような態度だが、寿一は顔色一つ変えずにワイヤレスイヤホンから流れてくる音楽に耳を傾けている。


「貴方が流行り物のアイドルの曲なんて聞くなんて意外だったわ。もしかして、アイドルが好きだったりするのかしら? 意外ね。閃さん辺りに話したら面白がってくれそうだわ。どうしようかしら?」


「……好きにすればいい」


「面白くない返答ね。しかし、なんだったかしら? 『あんぷろんぷちゅ』? 最近話題になっているアイドルグループよね? アイドルと女優の両輪で成功を収めている皐月さつき凛花りんかのライバルと目されるほど人気が出ているとか。最近、色々なところで流れているわよね」


「確かに耳にする機会は多いな。ただ、私は決して『あんぷろんぷちゅ』のファンではない」


「……あら意外ね。じゃあ、なんで貴方はこの曲を聞いているのかしら?」


「奈留美殿には分からないか? この曲の奥にあるもの――燦然と輝く舞台上のアイドルの後方で、裏方として支えるものの輝きが。全てを投げ打って彼女達を支えようとする献身的な人間の影が。強いていうなら、私は『あんぷろんぷちゅ』のファンではなく、名もなき彼のファンということになるだろう」


「プロデューサー? では無さそうだし、となると、マネージャーのファンということになるのかしら? なかなか珍しいケースよね。まあ、寿一さんらしいと言えばらしいけど。アイドルが好きなったと聞かされるよりそっちの方が腑に落ちるわ」


 この時、奈留美と寿一は夢想だにしなかった。

 決して世に知られることなく終わる筈だった『あんぷろんぷちゅ』を支える裏方――マネージャーの彼の名がこのような形で世間に知られることになるとは。

 あの世間を騒然とさせる事件が起こるのは、二人が『あんぷろんぷちゅ』について話をしていた日から五日後のことだった。



 大倭秋津洲帝国連邦尾張国、梅ヶ丘市立東匠泉高校。

 その立ち入り禁止となっている筈の屋上で、高校三年生の影澤かげさわ照夫てるおはアイマスクをつけてぐうすかイビキをかいていた。


 ボタンを外した学ランの上着の下には胸元に「清潔な香りの全愉快フェーズ」と意味不明なコピーが入ったTシャツを着ている。不良が学ランの下に赤シャツを着てカッコ良さをアピールすることは往々にしてあることだが、そのような意味不明でしかも黄ばんでいるTシャツでは格好もつかない。


「影澤先輩! 起きてください! こんなところで寝ていると風邪引きますよ! それに、絶対あの人だってそろそろ見回りに来ますって! ……って言っていたら来ちゃったし」


 照夫の一年後輩で新聞部所属の陣内じんないヒロトは影澤を起こそうと必死で身体を揺すっていたのだが、頑張り虚しくコツンコツンという階段を登る音が近づいてきた。


「影、また授業をサボったな! それに、なんだその服装は! 制服は着崩さずにしっかりと着用しろと言っているではないか!!」


 櫛でしっかりと整えられた黒髪の短髪に、黒縁眼鏡。一切着崩していない詰襟の学ランを纏い、腕に「風紀」と書かれた腕章をつけた神経質そうな男は屋上の扉を開けるなり爆睡している影澤に向けて大声で文句を言った。

 しかし、その程度では起きない図太い神経をしているからか、耳元でなくても五月蠅く感じるほどの大声でもまったく起きる素振りを見せない。


「相変わらず声大きいなぁ……下まで聞こえていたぞー。辰臣たつおみ


 真面目一辺倒で、規則に実直。

 まるで規則が服を着て歩いているような、四角四面な雰囲気が感じられる男として高校中から恐れられている松蔭寺しょういんじ辰臣たつおみに遅れること二人の男が屋上の扉を開け放って現れる。


 辰臣の名を呼んだのは谷屋たにや剱司けんじだ。

 軽薄な性格でナンパ癖があり、高校中の女子全員を勝手に勝手に格付けしたりと本人はプレイボーイを気取っているが、校内の女性陣からはあまりよく思われていない。……顔は割といい方なため、残念なイケメンだと校内では思われている。

 そんなチャラ男で陽キャな高校生の代表格みたいな彼が根っからのアイドルヲタクであることを知っているのは、よく屋上に集まる照夫達五人だけである。


 遊び歩いていそうな彼が、実は学校が終わるとすぐにアルバイト先に赴き、夜遅くまで仕事をして、その費用で全国各地のアイドルのライブに足を運んでいるというのは六人だけの秘密だ。……本人は自分のキャラじゃないとひた隠しにしている。

 まあ、実際に剱司が話したところで「あまりにもキャラじゃないから」と信じてもらえなさそうではあるが。


 そんな剱司の隣には本に視線を落としている黒髪の少年の姿があった。

 前髪が目に掛かっており、瞳が隠れているからか暗い印象を周囲に与えている。髪もボサボサで長髪とは呼べないもののかなり長めだ。


 物静かであまり言葉を発しない霧宮きりみや篠歩しのぶを誤解している者は多い。

 根暗、コミュ症、物静かな奴、何考えているか分からない奴、陰キャ――そういった印象を持たれていることが多い彼だが、影澤達は彼が本当は暗い性格などではなく、単に自分の容姿に無頓着であるということを知っていた。


「霧宮、流石にそろそろ髪切った方がいいんじゃないかー? かなりイケメンなのに勿体無いぜ! ってか、そうなると俺がピンチになるのか!? いやいや、やっぱり隠しておいた方がいい!! なっ、なッ!!」


「そういうことを言っているからモテないのよ……分かってないわね」


 そんな剱司に咎めるような声を掛けてきたのは遅れてやってきた朝凪あさなぎ八千代やちよだ。

 その目立つ美しい容姿は高校入学の頃から上級生や同級生達の注目を集めており、現在も高校のマドンナ的存在、学年の枠を超えた高嶺の花として注目の的になっている。

 ファンクラブが結成され、抜け駆けは禁止になったため落ち着いたものの、それでも抜け駆けして彼女を射止めようと果敢に挑む者は多く、その度に玉砕した者達の死体が積み重なるのは最早恒例行事となっていた。


「ええのか? むさ苦しい男の巣窟に高校のマドンナ様が来て……幻滅されるで」


 ガバッと目を開いて八千代に言葉を掛ける照夫にヒロトが驚いてひっくり返りそうになる中、八千代は「あら? 私がここに来てはいけない理由があるのかしら? 私がどこに行くかは私が決めること、誰かに勝手に決められることではないわ」と強気に返した。


「まあ、八千代さんを含めて俺達全員ここにいるのはアウトなんですけどね。校則で禁じられていますし。というか、辰臣先輩的にはありなんですか?」


「そもそも、屋上にはしっかりと柵が設けられている。安全性も担保されている。私は寧ろ、あの屋上を使ってはならないという校則が理解できないのだ。教職員には何度も抗議を行ったが、彼らは私のプレゼンに納得できる回答をせずに頭ごなしに否定してきた。連中の頭の悪さには辟易する」


 辰臣は真面目な性格だが、だからといって規則にただ従うだけのルール至上主義ではない。

 そのルールを自分の中で咀嚼し、その上で正しいと思ったものはしっかりと遵守し、また他の生徒達にも遵守することを求めるが、その一方で自分が誤っていると思ったことは断固として抗議する。

 実際、彼は一年生の頃から教職員とバチバチやり合っていくつものブラック校則と呼ぶべきものを改正してきている。教職員達にとっても辰臣の存在は扱いづらい人間として映っているのだろう。


 辰臣は後に彼の信じる正義に従って警察官になった。

 彼の正義に共感した多くの仲間に慕われ、「悪を見過ごせない正しい」刑事として警視正まで出世するが、彼を邪魔だと思う者達の手によって暗殺されるという最期を迎えることとなる。

 思えば、彼の末路はこの時期から既に暗示されていたと言えるのかもしれない。


「しかし、あの事件があったとは思えないくらい平和よね」


 つい先日まで、照夫達は人類滅亡を救うために奮闘していた。

 ノストラダムスの大予言を現実のものにする人類リセット計画と呼ばれる荒唐無稽だと思われた陰謀論が実は事実であり、三百人委員会のメンバーでもあるフォスチャイルド家が脳細胞を破壊する特殊波動爆弾を使用して人類滅亡を目論んだことを偶然知ってしまった照夫達は人類滅亡を阻止する救世主メシアの暗殺のために暗躍するノストランズ相手に戦ったのである。


 最終的にフォスチャイルド家の陰謀を阻止したい米加合衆連邦共和国と共闘し、照夫達はフォスチャイルド家の野望の阻止に成功した。

 銃弾と手榴弾が飛び交い、装甲車が轢き殺しを狙ってきて、最後は照夫とヒロトが二人で戦闘機に乗り込んで爆弾を破壊しに行く――あのような危機的状況からよく一人も欠けずに戻って来れたものだと、夏休みが終わった後の初登校日に学校の正門を潜った時に八千代はその奇跡に感謝したものだ。


「あの時は凄かったわよね。影澤さんと陣内君もそうだけど、特に霧宮君。敵の動きを完璧に予測して、米軍が唸るほどの作戦立案をして……それに比べてタニヤンは……」


「俺だって頑張ったんだけどなぁー。八千代さん、惚れ直したでしょう? というか、そろそろ告白してもらえてもいいんじゃないかと思うんだけどなぁ」


「……何言っているのかしら? どこに惚れる余地があるというの? 一人だけ終始物陰に隠れて怯えていただけじゃない。まあ、最後に突破口を開いたのはタニヤンの功績かも知れないけど」


「辛辣!! でも、嫌よ嫌よも好きのうちって言うし、あれだよね! ツンデレっていう奴だよね!!」


「はぁ……もう全く」


「俺は大したことはしていませんよ。たまたま作戦が上手く行っただけ、影澤さんであればもっと良い作戦を立てることができた筈です」


 「あの時、照夫はヒロトと共に別のところにいて作戦立案に参加できなかった。たまたま作戦が上手く行っただけで照夫であればもっと良い作戦を立案できた筈だ」と、自分の功績を素直に受け入れない霧宮に、この場にいる全員が複雑な顔になる。


「そっ、そういえば! 霧宮君って今回の中間テストの成績二位だったのよね! 凄いわ、私だって本気で頑張ったのに七位だったのよ」


 他の高校であれば成績最優秀者となってもおかしくない辰臣の成績は学年三位。

 照夫は教員側の間違いを指摘して満点以上の成績を収めて一位となっており、そんな照夫に喰らいついて二位になっている篠歩は本来であれば誇っても良い立場だ。だが、篠歩は決してその優秀な成績を誇ろうとはしない。


「……俺が良い成績が出せたのは、偏に影澤さんのおかげです。貴方を追いかけているからこそ、勉強に身が入り、成績が良くなっていった。ただそれだけですよ」


 照夫から事前に問題の予想などを聞いて優秀な成績を収めているヒロトからしてみれば、耳が痛くなるような真っ直ぐな言葉。

 その、いかにも謙遜が混じっていそうな言葉が欠片も謙遜が混じっていない彼の本音であることをその場の誰もが理解していた。


 根暗、コミュ症、物静かな奴、何考えているか分からない奴、陰キャ――現在もこのように陰口を叩かれるようになった彼だが、これでも幾分かマシになった方だ。


 かつての篠歩は、本当に身体が生きているだけの幽鬼のようで……ただ生きているだけだった。

 生きる目標がない、生きる理由がない――ただ惰性で生きている。やりたいこともない、好きなこともない――そんなモノクロな日常に、色を与えたのが照夫との出会いだった。


 彼という目標を、生きる指針を見つけてから篠歩は水を得た魚のようにイキイキとした。努力を積み重ねて着実に成績を伸ばし、辰臣、八千代、剱司――辰臣以外の同学年の友人や、ヒロトという後輩とも友人関係を築くことができた。

 しかし、それも間も無く終わる。


「……あと少しで、高校生活も終わりかー」


「気が早いわね」


「彼女作りは大学での楽しみにとっておくかー!」


「一生無理だと思うけど……環境でどうにかなる話じゃないでしょう? しかし、そうなると心配なことがあるわね」


「……なあ、霧宮」


 篠歩を心配しているのは八千代だけではない。彼のことを心配していた照夫は口を開いた。


「俺はこれから江戸帝国大学法学部を目指す。お前も一緒にこないか?」


 ――周りがやりたいことを見つける中、自分にはそれが見つからなかった。

 ――周りが将来の夢を語る中、自分には何もなかった。


 そんな自分がコンプレックスで、無価値な存在に思えて……だからこそ、あの日、影澤照夫という存在と出会い、彼に「友達にならないか?」と誘われた時、眩い光がモノクロだった篠歩の心象世界を塗り潰し、鮮やかに色づいた世界へと変えた。

 あの、鮮明に刻まれたあの日のように、篠歩の心にその提案の言葉は照夫の姿と共に刻まれることとなったのである。



 照夫と篠歩は江戸帝国大学法学部を受験。一次と二次で優秀な成績を収め、見事江戸帝国大学法学部入学を果たした。

 その後、篠歩は照夫に追いつくべく法律の勉強に心血を注ぎ、大学を卒業――そのまま江戸帝国大学大学院へと進学を果たす……筈だった。


 しかし、ここで照夫が突如として失踪する。ここまで照夫という光を追いかけてきた篠歩は再び目標を見失い、大学院に進むことを断念――司法資格も得ないまま引き篭もり生活を送り始めることとなる。


 そんな篠歩の状況を篠歩の家族経由で知った剱司は篠歩の元へとやってきた。


「篠歩、お前に頼みがあるんだ」


 大学進学を目指していた剱司だが、決して成績が良い方ではなかった。

 華々しいキャンパスライフを夢見て進学するつもりではあったものの、大学進学に不安を抱えていた剱司。


 そんな彼にとって人生の転機となったのは高校三年生秋のこと。

 たまたま買ったキャリーオーバー中の宝くじが偶然当たったのである。僅か一日で莫大なお金を手に入れた剱司はずっと叶えたいと思っていた夢のために大学進学を断念することとなる。


 剱司の両親や妹は、彼の決断に待ったをかけた。決して、宝くじで得られた億の桁の札束に目が眩んだ……訳ではない。

 それだけの軍資金があったとしても、決して叶う夢ではないと剱司の家族は思ったのである。


 だが、剱司は諦めなかった。ずっと叶えたかったアイドルプロダクションを作るという夢――その夢を叶えるべく、剱司は努力を重ねた。

 信頼を積み重ね、方々に頭を下げ、どんな雑用も喜んで引き受けた。


 そして、遂に自分がトップを務めるアイドルプロダクション「極光芸能事務所プロダクション」を設立するに至ったのである。

 まだ二つのグループしか所属していない零細プロダクションだが、少しずつメディア露出も増えてきていることは篠歩も耳にしていた。


 そんな「極光芸能事務所プロダクション」で、新たなグループを立ち上げる話が持ち上がったらしい。

 公募でアイドル志望者を集め、オーディションで篩に掛けて残った三人を新たなグループとして世に送り出す……そういう算段だったが。


「そのグループのマネージャーをやる筈だった奴が別のアイドルプロダクションに引き抜かれちまったんだ」


 新進気鋭の「極光芸能事務所プロダクション」の芽を潰したい大手アイドルプロダクションが秘密裏に動き、マネージャーを務める筈だった社員をヘッドハンティングしてしまった。

 更に、「極光芸能事務所プロダクション」所属のアイドル達にも移籍の提案が相次いでいるという。彼女達は剱司達への信頼やこれまでの恩があって残ってくれているものの、このまま嫌がらせが続けば、アイドル活動にも支障をきたしかねない。


 それに、そのアイドルプロダクションには黒い噂もあった。

 テレビ局などのメディア、ドームの運営管理会社、スポンサーなどへの枕営業などを利用した癒着、その他諸々――そうした不健全なプロダクションに親御さんから預かった少女達を移籍させる訳にはいかない。


「とりあえず、後任が見つかるまででいい。マネージャーを引き受けてくれないか?」


「分かりました。俺に断る理由もありませんし」


「本当か!? いやぁ、持つべきものは友だよなー!!!」


 学生の頃のように軽口を叩きつつ……剱司は内心安堵していた。

 三人のアイドルの卵達を安心して任せられるということもあるが、それ以上に、マネージメント活動を通じて篠歩に失われた活力が戻ってきてくれるのではないかと剱司は期待していたのである。



 メンバーカラーはブルー。濡羽色の髪を腰まで伸ばしたいかにも大和撫子といったお淑やかそうな美しい系の美少女で、リーダーシップが強く、グループメンバーからも慕われている御前崎おまえざき春海はるみ


 メンバーカラーはイエロー。黒髪をポニーテールに纏めた活発な元気娘のスポーツ系美少女でメンバーで最も歌唱力に優れる神坂こうさか夏南なつな


 メンバーカラーはピンク。黒髪を桃色のリボンでツインテールにした可愛い系美少女で、最年少でグループの妹のような立ち位置だが、様々な楽器を扱える器用な面もある丹波山たばやま秋姫あきひめ


 そんな三人で構成される「極光芸能事務所プロダクション」所属のアイドルグループ「あんぷろんぷちゅ」の三人は篠歩との顔合わせの日、彼に対してあまり良い印象を抱かなかった。


 アイドルに一ミリも興味がない、真面目ではあるがどこか暗い性格の篠歩に対して「本当に彼がマネージャーで大丈夫なのか」と不安を覚えた。

 だが、春海達はすぐに自分達の認識が誤りであったことを悟る。


 篠歩は献身的に「あんぷろんぷちゅ」の三人を支えた。

 衣装の手配、ステージの運営会社との交渉、作曲家やダンス講師との折衝、食事や宿泊施設の手配、コンサート会場などへの送迎。

 三人から受ける相談にも篠歩なりに真摯に対応した。アイドルという仕事をする娘を心配し、辞めさせようとする秋姫の両親に秋姫が普段どれほど頑張って夢を追いかけているのかを懇々と語って二人を説得したこともあった。


 アイドル活動の透明化を心掛け、家族にもできる範囲で三人の近況を伝えて安心してもらえるように心掛けた。


 また、その仕事内容は三人のプライベートにも深く切り込んでいくこととなる。

 例えば、春海が家族と旅行に行くことになった時、篠歩は目的地までの送迎やホテルの手配などを頼まれると嫌な顔一つせずに協力した。

 休日など返上して、求められればそれに応じる。そんな献身的な篠歩の姿を目の当たりにして、春海、夏南、秋姫の三人も次第に篠歩を信用するようになっていった。



「えっ? 霧宮の奴が休日、どう過ごしているのかって? いや、知らないなぁ……しっかりと休日はとってもらっているが。労働基準云々もあるが、それ以前に無理をさせちゃ意味がないからな」


 しかし、その一方で春海達には心配事もあった。

 それは、篠歩がちゃんと休めているかということである。


 グループ活動もない休日にも呼びつけて度々無茶を言っている立場である春海達が言える立場ではないのかもしれないが、これだけ「あんぷろんぷちゅ」に尽くしている篠歩はちゃんと休めているのかと心配になった三人は、プロダクションの社長にして篠歩の親友であるという剱司に尋ねたが、結果は「よく分からない」というものだった。


「社長は篠歩さんの親友、なんですよね?」


「ああ、高校時代からの付き合いだ。放送の道に進んだ朝凪さん、よく分からないオカルト雑誌の編集の道に進んだ陣内ヒロト、警察の道に進んで今は警部をやっている松蔭寺、今は音信不通な影澤照夫……そして、篠歩の六人はよく一緒にいた。今でもあの頃のことは大切な思い出だ」


「霧宮マネージャーを誘ったのも、友達だったからですか?」


「まあ、神坂のいう通りだ。身内採用って言ったらそれまでだが……理由は二つ。一つはアイツなら絶対に三人を支える最高のマネージャーになってくれると信じていたからだ。お前達を任せられるのはアイツしかいないって思ったんだよ」


「確かに、篠歩さんだからこそアイドルが続けられているところもあります。……でも、それ以外に理由があるのですか?」


「ああ……アイツの出身大学は江戸帝国大学法学部なんだ」


 誰もが知る超有名大学の名前に質問した秋姫だけでなく他の二人も驚愕する。

 それほどの有名大学を卒業した彼が何故、司法の道に進まなかったのか、何故、アイドルのマネージャーをしているのか……そんな思いが春海達の脳裏を駆け巡る。


「昔からずっと俺達には理解できない虚無感を抱えていた。やりたいことが見つからないから、生きている実感がない……そんなことを言っていたな。そんな奴は高校でとんでもない奴と出会った。――影澤照夫という化け物に。奴という指標を見つけた霧宮は努力に努力を重ねた。そして、高校内二位の成績で卒業し、奴と同じ法学部に入った。だが、卒業と同時に影澤は失踪、アイツは目標を完全に見失ったんだ。四方の道に興味を示せなくなったアイツは大学卒業後引きこもった。……そんなことになっているとアイツの両親に聞かされた時、このままではまずいって思ったんだ。何か打ち込める目標を見つけることができれば再び生きる気力を取り戻せるかもしれない。駄目で元々のつもりだったが、結果として成功しているようで良かった。御前崎、神坂、丹波山……まあ、なんというか、アイツのこと、これからもよろしく頼む」


「お世話になるのは私達の方ですが、今後も篠歩さんに誇らしく思ってもらえるアイドルを目指しますわ!」


「社長に言われるまでもないわ! 勿論よ!」


「私達もいっぱいご迷惑をおかけしているし、どこかで必ず恩返しがしたいね!」


「そうね。何かサプライズで考えてみようかしら?」


「さーんせい!!」



 月日は恐ろしい速度でまだ駆け抜けていく。

 新人アイドルであった「あんぷろんぷちゅ」もいつしか大倭秋津洲帝国連邦のアイドル界の頂点に君臨する皐月凛花と肩を並べるほどにまでなった。

 そんなある日、三人の耳にある噂が入る。


「篠歩さんが、皐月さんのコンサートに行っていた? って噂だけど、二人ともどう思う?」


「篠歩さんらしくないよね? 出鱈目なんじゃないかな?」


「もしかして、引き抜きとか!? 霧宮さんの優秀さに気づいて芸能事務所White Victoriaにスカウトされたとか!? あわわ、どうしよう!?」


「夏南さん、落ち着こうよ! まだそうと決まった訳じゃないし」


「秋姫さんは冷静過ぎないかしら? 心配じゃないの!?」


「心配は心配だけど……でも、ちょっと私達が想像しているのとは少し違う気がするのよ。ともかく、こうしていても埒があかないし、いっそはっきりさせるために尾行するってのはどうかな?」


「び、尾行!? 大胆なこと考えるわね!! それって大丈夫かしら? バレたら大変なことに……」


「でも、はっきりさせるためにはアリかもしれないわね。このままモヤモヤしていても仕方ないし、それならいっそ……」


 そして、次の篠歩の休日――三人は篠歩の自宅から尾行を開始した。

 三人の存在に気づいているのかいないのか、篠歩は車で駅まで向かった後、駅から電車に乗車――地下鉄などを乗り継ぎつつ、向かった先はドーム球場だった。


 どうやらその日、皐月凛花がそのドーム球場でコンサートを行うことになっていたらしい。

 チケットを購入していたのか素早く中へと入っていく篠歩を見失った三人だが、なんとかチケットを購入してライブ会場に突入する。


「……やっぱり嘘じゃなかったんだ」


 篠歩の行動に若干失望しつつ、少し遠くの席から篠歩の姿を見ていた三人だったが……最初に違和感を抱いたのは夏南だった。


「霧宮さんって色々なところを見ているのね」


 舞台、音響、スタッフの動き、客の反応――そういったアイドルのライブを見にきた者が到底目を向けないようなところまで篠歩は意識して見ているようだった。

 ライブが始まっても決して皐月凛花だけを注視することはない。伴奏のオーケストラ、照明、スタッフの細かな気配り――ライブを構成する全てを俯瞰する観測者の立ち位置でステージを最も味わい尽くしている。


 ステージが終わると観客達が外へと向かう中、篠歩はしばらくステージを見ていた。片付けを進めるスタッフに暫し視線を向けていた篠歩だったが、ふと懐中時計を取り出すと徐に席を立つ。

 続いて篠歩が向かったのは、別のアイドルのステージだった。ここでも篠歩は観察者に徹し、ステージを余さず鑑賞した。


 その日、巡ったステージは三つ。ここまで来ると流石に春海達も察する。


「お三方、このようなところでどうされたのですか?」


 夕刻、三つ目のステージを見終えた後、篠歩は春海達の石の方へとやってきて尋ねた。


「そっ……それは」


「やはり、皆様勉強熱心ですね。それとも、やはりアイドルというものが大好きだからでしょうか?」


「霧宮マネージャーはどうしてここに?」


「そう……ですね。私はアイドルというものについて無知です。何も知らないのです。そんな私はマネージャーという仕事に相応しいのか、ずっと不安でした。知らないのであれば知るしかない。アイドルのステージを梯子して、俯瞰して、そこから玉石を見極めて取り入れていく……そういうことしか私にはできないんです。不器用ですからね、私は」


「まさか、休日はずっと?」


「えぇ、時間の許す限り。それでも、全然足りませんね。皆様の熱意にちゃんと向き合えているのか、今でも不安になります」


 果たして、これほどまでに真剣にアイドルというものに向き合っているマネージャーはいるだろうか?

 不器用で、人一倍責任感が強くて……そんな篠歩を少しでも疑ってしまったことに、春海達は罪悪感を抱く。


「そろそろ暗くなりますね……親御さんも心配しているでしょうし、よろしければ皆様をご自宅まで送り届けましょうか?」


 休日も全て投げ打って剱司と「あんぷろんぷちゅ」を支える篠歩――そんな彼に一体どんな恩返しができるのか? 三人はその日から真剣に恩返しの方法を考えるようになった。



 その後は少なくとも表面上は順風満帆の日々が続いた。

 その裏側では「あんぷろんぷちゅ」を傘下に加え、あわよくば美少女三人を抱きたいと仄暗い考えを抱く鮫島さめじま克己かつか率いる超大手アイドルプロダクションが「極光芸能事務所プロダクション」に脅しをかけてきて、逆に法律を勉強していた篠歩の証拠集めと法律知識によって法廷で超大手アイドルプロダクションの闇が暴かれ、癒着のあったテレビ局などと共倒れになったなんていう洒落にならない事件もあった訳だが、その事実は春海達の耳には入らなかった。


 一日だけ、篠歩がライブに来ない日があった。

 どうやら、剱司と篠歩の大切な人が命を落としたらしい。


「アイツはアイツの信じる正義のために殉じたのか……俺達は生きないといけないな。アイツの分まで」


「そうですね……辰臣さんの分も」


 確かに、剱司と篠歩はそう約束を結んだというのに……。


 それは、「あんぷろんぷちゅ」がライブを終えた後のことだった。

 会場が駅に近いことから、いつものようにステージのドーム球場と直結する駅から事務所へと帰ろうとしていた矢先のこと――。


 ブスリ、と銀色に輝くものが篠歩の腹部へと突き立てられた。

 少し遅れて真紅に染まった鮮血がドボっ、ドボっと音を立てて床に落ちる。


 春海、夏南、秋姫を庇うように男の前に立ち塞がった篠歩は耐えきれずに、足をついた。

 ダラダラと垂れる血液、そして目の前で引き起こされた凶行にか細い悲鳴が上がる。パニックは次第に駅の中で広がっていくが、不思議と篠歩達の周りだけは時の流れがゆっくりとしているように感じられた。


「お、俺は悪くない! 春海ちゃんも、夏南ちゃんも、秋姫ちゃんも俺の嫁だ! 俺の嫁なんだ! それなのに、それなのに! お前がお前が彼氏面して!! ねぇ、春海ちゃん、夏南ちゃんも、秋姫ちゃん、褒めてよ! 俺は取り戻したんだよ! 悪い奴から君達のことを!! ねぇ、なのに、なんでなんでなんでなんでー!!」


 血走った目で、失望と怒り、その他様々な感情がないまぜになった顔で篠歩の元に駆け寄る春海達を睨め付ける限界ヲタクの男。

 その男の怒りの矛先が春海達に向くのを、篠歩は見過ごさなかった。


「……春海さん、夏南さん、秋姫さん、今すぐこの場を離れてくださいッ! はぁはぁ……貴方の敵は俺ですよねッ! さあッ、掛かってきなさい」


 もう助からない――篠歩は自分の命がもう長く持たないことを悟っていた。

 だからせめて、三人を安全な場所へ――。


 駅員が駆けつけてきた。篠歩はアイコンタクトでどうするべきか悩む駅員に春海、夏南、秋姫をこの場から遠ざけるように指示を出すと、走りながら包丁の鋒を突き立ててくる男の一撃を真正面から受けた。


「「「篠歩霧宮さんッ!!」」」


「どうせ価値などないこの命、最後に守るべきもののために使えたのであれば、本望……」


 その後、救急隊が駆けつけて必死の救命処置をしたものの、篠歩が意識を取り戻すことは無かった。

 春海達が慟哭する中、医師によって篠歩が死んだという事実が確定することとなった。



「……さよか……篠歩はこいつらを庇ぉて。まあ、アイツらしい最期やな。ほんまに、よぉやったで」


 篠歩の葬儀の日、彼の棺の前には春海達の知らない人達が集まっていた。

 照夫、ヒロト、八千代、剱司――高校時代を一緒に駆け抜けた四人は親友の死に、彼の家族以上に涙していた。


 自分達の知らない篠歩のことを知る四人に、春海達はほんの少し嫉妬を覚える。とはいえ、もうそれは意味のない話だ。

 想いを伝えるべき相手は、もうこの世にはいないのだから。


「辰臣さんもですが、早過ぎますよ……」


「……俺のせいだ。俺が誘わなければこんなことに……」


「剱司、少しは考えて発言しなさい。……その言葉で引け目を感じてしまうのよ。誰も悪くない不慮の事故……私も割り切れはしないけど、そう割り切るしかない。それに、否定になってしまうもの。命を賭して守ろうとした、彼の頑張りを」


「そう……だな」


 誰一人として春海達を責めるものはいなかった。目の前で人死を目撃してしまったこと、狂気に当てられてしまったこと、篠歩の家族も、ヒロト達も春海達のことを気遣う言葉だけを掛けて……それが却って、春海達の罪悪感を煽る。

 いっそ、「お前達が悪い」と言ってもらえれば良かった。その言葉があれば、納得できた……。


「失礼、私もお参りをさせてもらえないだろうか?」


 突如として場の空気感が変わった。

 春海達を庇うように立つヒロトと八千代、剱司。

 照夫は一人、その弔問客の前に立つ。


「どういうつもりや? 石取寿一」


「私も一ファンとして手を合わせたいと思った。ただそれだけで他意はない。もっとも、君達が私に敵意を持つのは当然だ。辰臣を殺したのは田村勲、その仲間である私は憎い相手だろう?」


 ピリピリとした空気感と、篠歩の大切な親友を殺した人物と知り合いであることをはっきりと言葉にする寿一に怯える春海達。

 しかし、その恐怖は寿一のイヤホンから漏れ出る聞き馴染みのある曲で僅かに薄まった。


「この曲は……」


「君達に説明は不要だろうが、あえて言葉にするなら『ストロベリー・ドリームナイト』、君達の三枚目のシングルだ」


「つまり、私達のファンということでしょうか?」


「申し訳ないが、君達『あんぷろんぷちゅ』のファンではない。私はね、ある人のファンなんだ。休日を返上して様々なアイドルのライブを見て学び、研究してきた。マネージャーとしてできることを全うし、人生の全てを『あんぷろんぷちゅ』に捧げてきた彼の、篠歩さんのね。曲を通して、彼の直向きさが伝わってきた。曲とは触媒だ、私はその先にあるものを見ていたに過ぎない。……本当に残念だよ、彼の頑張りを全て否定するようなこの末路はね」


 焼香を終えた後、寿一は照夫達に渡したいものがあると言って通夜式場を去った。

 照夫達が春海達に「危険だからここに留まるように」と言って後にした。


 ――だから、春海達は知らない。篠歩の人生――その行き着く先を。



「それで、渡したいものというものは何かしら?」


「一般人には少々刺激が強いものだ。彼女達をあの場に残してきたのは英断だった」


 寿一はどこからともなく取り出した桐箱を影澤に手渡す。

 その中に入っていたのは人間の生首だった。


「彼は精神に異常をきたしていた。満足な刑罰は望めないだろう。身勝手な彼に相応しい罰は死のみ、だから執行した。それだけだ」


 「その首は手土産だ。好きにするがいい」と言って寿一はその場を後にした。


「彼なりに亡き死者への弔いをした……ということかしら? なんというか、素直に喜べないわね。というか、警視正がそれでいいのかしら?」


「まあ、奴も瀬島一派の一員ってことだな。……で、これどうする? 持っていても厄介なことになりそうだしなぁー」


「切り刻んで鮫の餌にでもしてしまえばええんちゃうか?」

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