Act.8-81 第四王子の襲来と演奏勝負 scene.1

<一人称視点・ローザ・ラピスラズリ・ドゥンケルヴァルト・ライヘンバッハ>


 プリムラの午後の予定は音楽の授業――これも、紳士淑女の嗜みとして習得しておかないといけないそうなのだけど。

 確か侍女は授業の時間、側に控えているものだけど……なんでこんなことになっているんだろうか?


「ローザ=ラピスラズリだったな。俺と勝負しろ!」


「……僭越ながら、私は筆頭侍女とはいえ侍女の一人に過ぎません。第四王子殿下と姫さまの授業を邪魔する訳には参りませんし、『音楽界の神童』とも称されるほどの演奏の腕前を持つ殿下に敵う筈がありません」


「そんなことはないであろう! お前の誕生日会での演奏は素晴らしいものだった。俺には、俺には音楽しか無かったのだ。……それなのに」


 ラインヴェルドは実はこれを見据えてボクに演奏させたのかな? ……何のために? 折角、音楽というアイデンティティを得ているのに。

 しかも、同じ部屋に正妃のカルナもいるし……何この修羅場。


 王子宮の第四王子専属侍女は面白くないようでボクの方を睨め付けている。

 プリムラはこのどうしようとあたふたしていた。……プリムラ、可愛い。プリムラだけがこの場の癒しだよ。


「……リュート先生、どうなさいますか?」


「これは王子殿下の意思を尊重すべきでしょう。……筆頭侍女様、勝負を受けてはくださいませんか?」


「……姫さま」


「ローザの演奏は聴きたいと思っていたから……本当はこういう形じゃない方が良かったんだけど。プリムラはお兄様の勝負を受けて欲しいわ」


「承知致しました」


 ……音楽って優劣をつけるものじゃないと思うんだけど。


「ルールはどのようになさいますか?」


「演奏する楽器はピアノ、審査はそうだな……母上とプリムラ、リュート先生の三人に審査してもらい、より評価された方をということにしよう」


「選曲はどのように致しますか?」


「互いに好きな曲を選ぶ。その方が公平であろう?」


「なるほど、承知致しました。演奏はどちらが先になさいますか?」


「先に俺が演奏する」


 ヴァンが演奏したのはヴァンが最も得意とする「黄昏と狼の綺想曲」……ヴァンのメインテーマでもあったあの曲か。

 流石は『音楽界の神童』、生まれながらのチートみたいな影澤は別にしても、ここまで上手い演奏は久しぶりだ。

 ……さて、ボクは何を演奏しよう?


 演奏が終わり、拍手が巻き起こる。ヴァンは椅子から立ち上がるとボクに座るように促した。


 椅子に座り、両手をピアノの鍵盤に置く。無数の旋律を繋げ、アレンジを加え、新たな旋律を紡ぐ。

 演奏をし終えると、全員が驚きの視線をボクの方に向けていた。


「……筆頭侍女様、その曲は」


「天上の薔薇聖女神教団の『賛美歌二十四番 星の光は満ちて、あゝ聖女様』をアレンジした曲ということになりますわ。どことなく面影があったと思いますが」


「つまり、即興でこれほどのアレンジを加えたということでございますか?」


 まあ、『賛美歌二十四番 星の光は満ちて、あゝ聖女様』に『スターチス・レコード外伝〜Côté obscur de Statice』の『バトルⅡ 〜vs枢機大罪〜』、『スターチス・レコード』の『ヒロインのテーマ』をアレンジした『魔王戦 〜聖女、最期の戦い〜』を混ぜてバトル曲風に仕上げたものだけど。

 曲は無題……まあ、この噂を天上の薔薇聖女神教団が聞きつけたら間違いなく譜面化されて題名もつけられてしまうだろうけどねぇ。


 プリムラは満面の笑みでボクに一票、リュートは興奮冷めやらぬ表情でボクに一票、カルナは物凄く不快そうな表情でボクに一票……ストレート勝ちか。


「これでお気に召しましたでしょうか?」


「……やはり、お前には敵わないということか?」


「私個人は音楽……といいますか、芸術に優劣などはないと思っております。確かに技量などで優劣を付けようと思えば付けられるでしょうが、重要なのはそれよりも内に込められた思いや誰に届けたいか、こういったものだと思います。万人の心に刺さるものなどありません。ならば本当に届けたい人のために演奏をしてもいいのではありませんか? その思いが本物なら、強いものであるならば、きっと多くの人の共感を呼ぶことになると、そう信じておりますわ」


 ヴァンが『音楽界の神童』と呼ばれるようになったのは、きっと婚約者のスカーレットの存在があったからなんじゃないかな?

 彼女に届けたい音楽と、ただ勝ちに拘る音楽では違う。

 ……うん、絶対にどこぞの阿呆な王太子が行った恋人の腕を見せつけるために五曲も演奏させる音楽会は間違っていると思うよ?


「では、そなたは誰を想い演奏をしたのか?」


 なかなか核心をつく質問をしてくるねぇ。……ボクが最も音楽を届けたい人。

 月紫さん……じゃないんだよなぁ。確かに喜んでもらえると思うけど、月紫さんは音楽よりももっと別のものの方が喜んでくれると思うし。


「誰にこの曲を聞かせたかったか、でございましたら誰よりも一番に私に聞かせたかったと答えるしかありませんわ。私が曲を紡ぐのはいつも最初は自分のため、自分が楽しむため――それが結果としてたまたま受け入れられたということなのでしょう」


「自分が楽しむか……なるほど、負けた理由がよく分かったよ。ローザ、これからも俺との勝負を受けてくれないか? どうしても素晴らしい演奏を届けたい人がいるんだ」


「承知致しました。私でよろしければいつでもお相手致しましょう」


 ……あっ、これやっちゃったかもと思ってカルナの方を見たんだけど、あれ? あまり不快そうじゃない。

 一瞬微笑ましそうなヴァンを見ていたカルナはボクの視線に気づいてすぐに憮然とした表情になった。……なるほど、つまりボクは伝聞だけの情報で先入観を持って見ていたってことか。どこぞの勇者に説教できる立場じゃなかったってことだねぇ。


 まあ、だからと言ってボクにはどうしようもないんだけど。だって一介の侍女だから。



<三人称全知視点>


 カルナがラインヴェルドと初めて出会ったのは、カルナがまだ四歳の頃だった。

 第七王子――王位継承順位が低く到底国王になれる筈が無かった彼だが、それでも王子としての立場は当然の如く存在し、窮屈そうに感じていた。


 後にラインヴェルドは国を飛び出し、冒険者となる。結果として彼の命を救うこの選択もずっと自由を夢見た故の行動だったのだろう。

 その旅の中で後に側妃となるメリエーナに一目惚れしたそうだ。彼が国王即位の条件として挙げたのもこのメリエーナを正妃として迎えることだったが、平民の女性を正妃に迎えることを許さない貴族達が居たこともあり、ラインヴェルドは当時第一王子の婚約者だったラウムサルト公爵家の令嬢と第二王子の婚約者だったクロスフェード公爵家の令嬢をそれぞれ妃とすることを条件に、渋々国王に即位した。


 カルナは初めて出会った時にラインヴェルドに一目惚れをして、その恋心をずっと抱いてきた。

 しかし、家の意向で第二王子の婚約者となった。それでも、一途にラインヴェルドを愛していたカルナにとって、ほとんど正妃と変わらない待遇の側妃という立場は夢にまで見たものだった。


 しかし、カルナの理想と現実には天と地ほどの差があった。

 ラインヴェルドが本当に愛しているのはメリエーナであることは誰の目から見ても明らかだった。自分達は愛されていない……ラインヴェルドの目が自分達に向いていないことはシャルロッテもカルナも理解していた。


 シャルロッテはそれを許すことができず、メリエーナに様々嫌がらせをした。

 その心労が祟ったのか、メリエーナは第一王女を出産してから数日後に亡くなってしまう。


 カルナにとってメリエーナは複雑な感情を抱く相手だった。

 シャルロッテとカルナを見る目はまるで憧れの人を前にしたかのように無邪気に輝いていて、素直で美しくまるで花のような女性だと、同じ女性の立場から見ても素直にそう思えてしまうほど魅力のある女性だった。


 ラインヴェルドとメリエーナはお似合いだと素直に納得してしまう自分がいた。そんな二人の恋を応援したいと思ってしまう自分もいた。

 しかし、一方でそんなメリエーナに嫉妬する自分もいた。メリエーナのように愛されたい、あの場所にいるべきなのは私であるべきなのにと仄暗い感情も溢れてきた。


 カルナはその嫉妬心と羨む気持ちを押し込めた。メリエーナの敵が多いことはカルナも承知していた。

 ラウムサルト公爵家の派閥も、そしてクロスフェード公爵家の派閥にも、メリエーナの排斥も望む者は多かった。平民の側妃就任を不快に思う者は両派閥だけに留まらず、他の貴族の派閥にも大勢居た。


 カルナは孤立無援だった。それでも、人知れずメリエーナへの攻撃の防波堤となった。

 シャルロッテと同じくメリエーナに嫉妬した側妃という役を演じながら、一方でシャルロッテ達や自派閥の攻撃を和らげ、常に周囲に気を配った。市井出身だった側妃のことを軽んじていた侍女達の炙り出しのために骨を折ったこともあった。


 メリエーナがその美しさと優しさで王を癒すなら、カルナは常に力強く王を支える后であろうと。二人では支える后としての役割が違うのだ。

 そのやり方はメリエーナが命を落としてからも変わらない。今度はその忘れ形見のプリムラを守るために、カルナは嫌われ者の役割を続けた。


 側妃が命がけで産んだ娘を『庶民上がりの母を持つ憐れな王女』などと呼ばせるつもりはない。

 そのために、カルナはプリムラに様々厳しい言葉をかけてきた。その言葉にプリムラは傷つき、きっとプリムラはカルナのことを内心嫌っているだろう。


 あのキラキラとした瞳を向けてきたあの子の娘のことを近くで見守ってはやれない。それでも、プリムラが教師達から教育状況などの報告を受け、淑女としてどこに出しても恥ずかしくないと手放しで褒めていたことは内心誇らしく思っていた。



 プリムラに新しい侍女がついた。行儀見習いで一切の下積みを行わずに筆頭侍女にまでになった赤髪の公爵令嬢に最初はカルナも眉を顰めた。

 しかし、あの厳しいことで有名な統括侍女からも絶賛されているということを知り、彼女が公爵家の権力を使い、筆頭侍女になった訳ではないことはすぐに分かった。


 本当に聡明な少女なのだろう。周囲からは「権力で地位を勝ち取った傲慢な令嬢」などと囁かれているようだが、実際にそのように取られかねない行為を行っている(自分のメイドを一人行儀見習いに同行させる、といったこと)ことを考えれば、周囲に思われている以上に得体の知れない存在なのだろうとカルナは思いつつある。


 その言葉一つ一つにとても重みがあった。まるで悠久の時を生きた者のような老練された立場から紡がれるような、そんな諭すような言葉だ。

 その言葉でヴァンに進むべき道を指し示した。彼はもう二度と迷うことはないだろう。


 自らが正妃となり、王太子になる可能性も出てきたことで期待も生まれた。

 それ以前から王子として相応しいようにと厳しく、時に優しくヴァンに接してきたつもりだが、カルナもあの年若い筆頭侍女のように導くことはできなかった。


 母親として悩む息子にかけるべき言葉を掛けてもらえた。そのことに恥ずかしさを抱きつつも素直に感謝の気持ちを持った。


 突如向けられた灰色の瞳。その瞳はまるで照魔鏡のようにカルナを見透かすようだった。

 咄嗟にカルナが抱いたのは恐怖だった。自分の本性を見透かされるような、ずっと被り続けてきた仮面がひび割れてしまいそうな、そんな恐怖を。


 咄嗟にカルナは取り繕った。プリムラを嫌う意地悪な正妃の仮面を被った。

 そんなカルナにローザは憐憫を向けることもなく、ただ困ったように曖昧な表情を浮かべていた。

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