第9話


 夏休み。

 それは学生なら誰もが喜ぶ一大行事です。

 そして私の娘、羽衣はごちゃんもその夏休みを楽しみにしていました。

 まあ専業主婦である私にとってはただいつもよりやるべき事が増えるだけでしたが、私は娘を愛していましたし、一緒に居られる時間が増えるのは嬉しかったです。


 だから私もはごちゃんの夏休みを心待ちにしていました。


 家事をよく手伝ってくれる子でしたので、一緒にお買い物等に行けたら良いな、と考えてみたり……愛する夫に海に連れて行ってもらい、皆でワイワイしたり……。

 しかし私のそんなワクワクとした気持ちは一本の電話で殺されました。


「はごちゃんが事故で重体──?」


 私は電話を切り、はごちゃんが救急車で運ばれたという病院まで車を飛ばしました。


 *


 はごちゃんが死んで、寂しくなった家。

 スロウモーションみたいに時が過ぎる。

 未来はだんだんと減るが、だんだんと知る物である──しかしこんな未来、知りたくもなかった。

 こんな未来になるなら、はごちゃんを最初から──いいや、それも違うだろう。

 手にする喜びと失う悲しみを天秤にかけるのは違う。

 愚かな事だ。


 しかしこの悲しみはそんな理屈では通らない程だ……そして何故かさっきからずっと心の重さを感じられない。

 ああ心を無くしたんだ、失くしたんだ、亡くしたんだ。


 夫は何度も私を励ましてくれたりするが、正直私には無意味だった。


 私が欲しいのは……あの子だ。

 はごちゃんだけなんだ。

 クソ……何故こんなことに。


 もう一度会いたい。

 もう一度話したい。

 もう一度笑い合いたい。

 もう一度──抱き締めたい。

 もう一度なんて言わず何度でも。


 寂しい……寂しくて寂しくて寂しくて堪らない。


「『降霊術』? そんなの存在する訳ないじゃないですか」


「いーえ私にはその術を使える力があるのです。幽霊を目の前に呼び出し、会話が出来ます」


 夫が付けたのであろう。

 明るいテレビの液晶画面から声が聞こえてきた。

 私はゆっくりとその画面を見る。


「なんとも信じ難い話ですが、なんと今日は……それをスタジオでやっていただけるということでよろしいでしょうか!?」


「ああ、も──」


 私はその瞬間に自分が座っていた椅子を手に取り、テレビの画面を破壊した。

 めちゃくちゃに、そして粉々に壊してやった。


「これだあ……はごちゃんと会える方法………」


 私はそれから動き始めた。

 はごちゃんと会うために。

 そしてもう二度と私の元から離れない様に。


 *


「貴方は絹衣を降霊術で呼び出し、そして絹衣 羽衣という存在が一番確定している物質である『絹衣 羽衣の日記』に絹衣を閉じ込めたんだ。閉じ込めて、塞ぎ込んだんだ。一生外には行かせないように。正しくそれは」


 もう一度事故に遭わせたくないという意思なんですよね──と僕。


「それと同時にもう二度と私の元から離れたくないという欲望」


「五月蝿い。餓鬼が──知ったかぶりをするな。お前はただ事件の──物語の外面を知っただけだろうが」


 絹衣の母親である空棺は僕を睨む。

 彼女は生きていないのに、まるで生きているかのような──いや生きているのか。

 彼女の魂は。

 母親としての愛情は。


「そうです。そうですが、だからこそ僕は知りたいんですよ。絹衣 羽衣がどういう気持ちで生きていたのか、そしてどういう事をやり残したのかを──しかしそれには日記が必要なんです。貴方が絹衣と共に封印しているその日記が」


「お前らは本当に勝手な事をしてくれた。はごちゃんの日記に触れなければ、開かなければもうそろそろ永遠の封印が完成したのに──というよりあの餓鬼だな。塩竈というアイツだ。アイツとのはごちゃんの関係性など知らないが、アイツが封印の力を弱めやがったんだ。だからはごちゃんはお前達の目の前に……」


 「はごちゃん」呼びという部分にはとりあえず触れないとして、一つ気になる部分があるな。


「あの……塩竈と絹衣の関係性を空棺さんは知らないのですか? 貴方はというより、貴方だけが日記を読める状況であるにも関わらず……」


 僕のその問いに彼女はピクリとも動かず


「何故知る必要があるのだ?」


 と言う。


「え? 何故って……」


 そんなの絹衣 羽衣のことを知りたいと素直に思っているからとしか言い様がない。

 だけど知らないようにしている彼女にその理屈が通じる訳ないよな……。


「知らなければ空想上の考えでいることが出来るだろ──思い込みだ。合っているか、それとも合っていないか。分からないからこそ来る曖昧さ。絶望ではない不安というぬるま湯。素晴らしい。私はもう絶望などしたくないのだ。知りたくないのだ」


 僕と同レベルに考えていいのか分からないが、僕は彼女の気持ちが分かる。

 とても分かる。

 僕も好きな人が死んでいるからだ──初恋の彼女が死んでしまっているからだ。

 初恋の人、愛している家族──その二つの死を同列にしてしまうのもどうかと思うが、どちらにしろ「自分の中で大切な人が死んだ」というのは変わらないのだ。

 僕や彼女の心が痛いことは変わりないのだ。

 そしてその悲しみにより正解を求めてしまうのが怖くなり、曖昧さを求めてしまうのも分かる。


 彼女と僕の違い。

 それはきっと罪深くて浅はかな希望を願って叶えたか、願って叶えられなかったかの違いだろう。

 彼女は願って叶えてしまった。

 死んでしまった愛する人の復活と再会を願い、叶えてしまった──そして禁断とされる二つの術を使った。


 しかしこれを彼女に伝えてどうなるというのだろうか。

 落ち着くわけない──逆に逆上してしまうと思う。

 神定さんは空棺さんを倒せと言っていたが、僕の本心としては悪魔の部分を倒して、幽霊の部分は成仏させたいのだ──が、実際にそんなことが出来るのか分からない。

 出来たとしてもそんなに器用に、そして運良く物事が進むわけない……しかしそれが叶うように動くしかないのだ。


「何を考えているのだ。結局はごちゃんを救うには私を倒すしかないのだ──だったら」


「いやそのですね……」


 空棺さんの発言を遮り、僕は喋り始める。


「貴方の悪魔の部分は倒したいけど、幽霊である貴方自身は倒したくありません。絹衣と同様に成仏させたいと僕は思っています」


「……何故だ。そんな傲慢で浅はかな希望が叶うわけないだろう。理想論など要らぬ」


「そんなことを言っていますが、貴方もそんな希望を願った一人じゃないですか……そして叶えた一人だ。僕とは違って叶えられた一人だ。逆に叶えてしまったとも言える。僕は過去に好きな人が自殺してしまっている。だから貴方の気持ちはよく分かる。しかし大事なのは、本当に必要なのは、そこで下に堕ちようとしている自分を止めてくれる人が、救ってくれる人がいるかいないかだ。僕にはいた。そして貴方にもいたはずだ。貴方はその救いの手を弾き飛ばしたんだ。それが貴方の決定的な間違いだった──それにさ、空棺さん。希望論や理想論を語れなくなったら、人間おしまいですよ」


「……五月蝿い」


 あ、思ってたこと全部言ってしまったと思った──その瞬間、空棺さんが動き始めた。


 空棺さんはドレスを揺らしながら、僕に向かって走ってくる。

 彼女は素手、僕は一本の刃渡り二十センチのナイフ。

 状況だけ見ればこちらが有利。

 それなのに彼女は物凄い勢いでこちらに駆けてくる。

 怯む気配も全くなく。


 彼女は拳を握りもせず、手を振り翳す。

 もしかして触れに来ているのか? ──つまり触れたら何かの危険がある!

 そう思い、僕は一応後ろに飛躍する。

 しかし彼女は更に勢いをつけて、僕の元まで飛んで来る。

 逃がす気は毛頭もないか。


 それなら、飛んで来る彼女に向かってナイフを投げてやればいい。

 空中では逃げれまい。

 元野球部の力を舐めるな──!


 野球部のピッチャーのように足をクロスさせることにより反動を付ける、後は呪術の文字式によりスピードと威力を付ける。


 僕の投げたナイフは彼女を突き通した。

 ある意味。

 実質無意味だったけども。

 彼女に当てれたと思ったナイフは彼女を通り抜けたのだ。

 何にも当たることなく。

 彼女は絹衣と同じ幽霊なのに何故当たらないのだ? 絹衣 羽衣は触れられるって言うのに。


 そんな僕の思考。

 そんな時間は無駄と言えよう、考えても分からないのだから。


 投げたナイフが無意味だったのだから、彼女を僕は防ぎきれないのだ。

 彼女が僕に近寄ってくる。

 そして僕の懐部分を彼女の右手が触れた──いや彼女は僕に触れることなくすり抜ける。

 でもそれは僕と違って無意味ではなく、意味があった。


 だって瞬きをした瞬間、僕は何処か知らない空間にいたのだから。


 天井から赤いライトで照らされているが、それでも薄暗い空間。

 僕は辺りを見回す。

 部屋ではなさそうだ。

 壁のようなものは見当たらないし……。

 ただ分かるのは目の前に絹衣 空棺がいることだけ……。


「ここはどこだ!」


 絹衣 空棺は今まで怒りの表情しか見せてくれなかったが、その時やっと薄く笑った。


「私の世界さ」


 *


 薄暗い空間──否──世界。

 私の世界、と彼女は言っていた。

 世界を創造する能力だったりするのか……この悪魔は。いや幽霊?

 誰が、どういう異能力で、この世界を形成させているのかは分からないが、どうやってこの状況は打破するのかをまずは考えなくては。


「何を考えているのだ。ここは私の世界──何を考えても無駄だ。というより必要がない。ただこの世界は私が生きていると定義して形成しているだけだ。そんなややこしい事はない」


「え、生きているとして形成されているってことは触れられる……ということですか?」


「そうだ。つまりここは私がお前を殺せる場所だ──」


 彼女は言葉が言い終わる前には走り出していた。

 そして勢いのある飛び蹴り。

 そのスピードと迫力に押し負け、僕は吹っ飛ばされる。

 顔面を蹴られて吹っ飛ばされる。

 鼻から出た血が宙を浮く。


 僕は飛ばされてから、即座に立ち上がり、彼女に向かって走り出す。


「──悪魔だけ殺せる方法とかないんですかね!?」


「あるわけないだろうが!」


 彼女は片手を前に突き出し、僕に手の平を僕に向ける。

 そしてその瞬間、四方八方の暗闇が僕を刺すために形を成し、鋭利な先端を振ってくる。

 幽霊としての彼女の能力だろうか──それとも悪魔のか。

 というかこんな能力を持ち合わせている幽霊なんて、映画の中だけとも思うが、まあ今はどちらでもいいよな。


 後ろから迫り来る影、僕は体勢を低くくしてそれを避ける。

 左右から来た影は身体を捻って避ける。

 避けた後、幽霊と悪魔が混ざり合っている彼女を見る──そしたら彼女は笑っていた。


「私は、私は永遠にはごちゃんと生きるんだ──永遠を共に過ごすんだ」


 不敵な笑みの絹衣 空棺を見ながら、僕は絹衣 羽衣の純粋無垢な笑顔を思い出す。

 頭の中が彼女の言葉により埋め尽くされていくのが分かる──それと同時に湧いてくる怒りに。

 アイツは──アイツはな。


「羽衣は生きたいって……言ってましたよ」


「ほう、それは良いことだ──母親である私と……」


「違う! お前とじゃない! 成仏して、生まれ変わってさ、また生きたいってよ……また新しい出会いとか、恋とか、楽しいこととかにやりたいと思うんだ。そんな羽衣の未来を奪うなよ! 羽衣の未来は羽衣自身が決めるもんだ!!」


「──うるさい! お前に母親としての愛情なんて分かるわけないだろ!」


「ああ確かに分からない……しかしな──人を愛す感情くる愛情・・は分かるさ!」


 僕は拳を強く握り締める。


「何も出来ない奴が──!」


「お前を成仏させて、羽衣の未来を返してもらうぜ!」


 呪術の文字式で強化した肉体──僕はそれをフル活用する──つまり全力だ!

 刹那的なスピードで僕は空棺に近付き、右拳で頬を殴る。

 空中で何回転もするが、空棺はすぐに体勢を整え、その回転を勢いに──己の武器に変換する。

 僕はしっかりと肘から手首までの部分である前腕でガードする。

 そして蹴られた後、その空棺の脚を鷲掴んで投げる。


「ああっ、痛い──生きているから痛いぞっ!」


 空棺は先程と同じように影で僕を刺そうとしてくる。

 しかし今度の僕には勢いがある──影には捉えられないぐらいの。

 影を置き去りにし、僕は叫ぶ。


「お前が成仏するまで僕は諦めないぞおおお!!」


 僕は拳を振り上げる。

 ボクシングでいえばアッパー。

 意識と共に宙を飛ぶ空棺──彼女はどうやら気絶したらしい。

 失神──か。

 まあ悪魔に身を売った以上、彼女の世界には神なんてもういないも同然だよな。

 しかし悪魔が僕が知ってるこの世界には実在するんだな──知らなかった。


 ……てか勢いに乗って、勢いで彼女を倒したが、そもそも幽霊の成仏ってどうやるんだ?

 あ、忘れていた。忘れていた。

 このレガートさんから受け取っていた御札。

 空棺の身体に貼ればなんとかなる、と言っていたが──よーし、貼ってみますか。


 僕は彼女の胸元に御札をぺたっと貼る。


 そしたら途端に彼女の胸元が血とも違く、服の色とも違く──真っ黒になっていく。

 僕は悪魔の出現か? と思って一瞬構えたが、特に何も出てくることはなかったので、自らその部分に触れてみる。


「うあ……」


 真っ暗な部分に人差し指でそっと触れようとしただけなのに思ったよりズボッと中に入れてしまった。

 中はなんというかヌメヌメというか、泥の中に手を突っ込んだ感じに近い。

 僕は気持ち悪いのですぐに手を引っこ抜こうとしたのだが、それは抜けなかった──というより逆にどんどん中に引き込まれていく──飲み込まれていく!


「いやいやいや待って! これもしかして結構やばいのでは!? これは一体どうすればいいんだ、ゆ──!」


 「結乃」と名前を叫ぼうとした時には彼女の世界に僕はいなかった。

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