第7話


「じゃあ今日も行こうぜ!」


 塩竈しおがまは暑い夏空の下で笑った。

 いつも通りの明るい笑顔で。

 夏を彩る雲の動きも、騒音のレベルの蝉の泣き声も、草木の揺らぎ方も、目が眩むような日差しも、幽霊の曖昧さもいつも通り。


「おう、行こうか」


 全てがいつも通りの世界に、一人だけ違う人間がいる──それは僕である。

 僕、椴松 竜二だけは違う。

 塩竈には話していない、そして絹衣きぬいにも話していない──今日の夜に決行する一つの役目を僕は思いながら、ただただ希望を祈る。


 *


「このまま彼女が成仏出来ないまま夏休みが終わったらどうする?」


 刺引さしびきトンネルの中で歩きながら僕は塩竈に問う。


「うーん、今のうちからそんなこと考えても仕方ないけど、ま、夏休みが終わって、普通に学校が始まってもちょくちょくは行こうぜ。彼女のためにもさ、そして俺らのためにも──その方が楽しいと思うしな」


「それもそうだな……とりあえず今は出来ることを一つずつ、一歩ずつだよな……」


 僕は様々な思考を繰り返したが、すぐにその思考を遮断する。

 どうせ愚考だからだ。

 僕なんかは何を考えても所詮は思考ではなく愚考になってしまう。

 勿論考えることには意味があるが、今回はもう真相が分かっているみたいなもんだからな。

 僕は真相をなぞるかのように、現実をなぞるかのように動けばいいだけだ。

 しかしまだ分かっていないこともあるっちゃああるので、その謎は解かないとな。

 絹衣の「真実」をまだ僕は知らない。

 絹衣に起きた事実を僕は知っただけ。

 絹衣自身の気持ちを知らないと──。


「そうだよ──あ、今日はエッチな本でも持っていくか?」


「それはやめろ。アダルトビデオ鑑賞会の時の絹衣を思い出せよ。あれはもう見せちゃいけない感じだろうが」


「まーな、確かに。凄く恥ずかしそうにチラ見してたからな。まるで中学生の時の俺らみたいだな」


「そりゃあそう──」


 塩竈の言葉通りだ。

 絹衣は僕達の一歳年上である──しかし彼女は見ている限りやはり中学生だ。

 ……ってことはやっぱり──。


「──やっぱり彼女の時間って止まってるのかな……」


「まあだろうな。うん。彼女の時は止まってると思うぜ。まあ彼女というより、それは幽霊の時が止まってると言った方が正しいのかもしれないけどな──幽霊っていうのは成長をやめさせられ、進歩をやめされられた状態で生かされてるって言っても過言じゃないからな。発展も無く、生命浄化すらもなく……こりゃあフィロソフィーも変な感じになっちゃうだろうな」


「別に哲学フィロソフィーが曖昧で変だとしてもいいだろ、彼女は彼女だ」


 そんな会話をしていたら、刺引トンネルは終わり、そして絹衣の家に着く。

 僕は家に着いておきながら、今更あることに気付く。


「そういえば今日は何をするか考えてこなかったな」


 僕の発言に続いて、手を挙げる人物がいる。

 まあそれは勿論塩竈だ。


「はい! 今日は恋愛話をしたいと思う!」


「なるほどな。まあ僕自身の恋愛話なんて無いに等しいが、お前ら一つぐらいあるだろうし? 聞かせてくれよ」


「は、はい! 私もありません!」


 白い髪を横に靡かせながら、一人焦っている人間がいる。

 まあそれは勿論絹衣だ。

 彼女は記憶が殆ど無いからな、仕方ないだろう。


「はあ〜お前ら使っかえねえなあ」


 盛大な溜息が僕の横から聞こえてくる。


「なんだよ、塩竈。じゃあお前にはなんかあるのかよ」


「ふんっ、侮るなよ! 俺を!」


 そう言って塩竈はスマホを開き、誰かに電話し始めた。


「お? めぐ? 今、竜二と一緒なんだけどさあ、椴松がお前の恋愛話聞きたいって!」


 その誰かとはなんと僕の親友の一人、「赤倉あかくら めぐ」であった。

 塩竈はスマホから耳を離し、スピーカーモードにして、三人に聞こえるようにしてくる。


「ば、馬鹿じゃないの! そもそも私恋愛したことないし!」


 赤倉の声はいつも通りというよりは上擦っていた。

 目の前にいない赤倉の赤面が何故か目に見えてくるぐらいに。


「てか塩竈! お前が話すんじゃねぇのかよ!」


「いやいやめぐの片想いの話が聞きたいなって思ったんだ」


「というか赤倉あかくら! 恋愛はしたことないのかもしれないけど、今現在! 片想いはしているのか!? おい! 誰なのかを教えてくれ! 今からそいつをぶっ殺してやるから!」


「! えええ、とそれはあ……えとぉ……」


「おおなんだよ、早く教えてくれ!」


「うるっっさい! 竜二のバーカ!」


 「バーカ」という叫び声は赤倉が電話を切ったことにより途中で途切れてしまった。

 あ……うん、これは流石にやりすぎたかもな。

 赤倉とは親友だからといってこーいうのは良くないよな。

 親しき仲にも礼儀あり──とは言い得て妙だな……親友ではあるけど、赤倉と僕の性別は違うのだった。

 だから恋愛面に関しては慎重に触れた方が良かったよな……失態してしまった。

 それと塩竈は後で殴っておこう。

 悪いのは九割僕だけど、アイツが事の発端だし、仕方ないよな……。


「おいおい〜竜二。恋愛話聞けなかったんだが」


「うんごめ……いやうるせえわ──」


「じゃあ次、竜二──お前が誰かに聞けよ」


「おいおいおい〜、僕にはお前達以外友達がいないことを知っているだろう? そんなの無理に決まってんだろ。スマホの連絡先も父親とお前らだけだからな!」


「まあまあそんなの気にすんなよ。俺のスマホを貸してやるからさ」


 塩竈は僕に自分のスマホを投げてくる──ビシッと手元に。

 流石元野球部だな。

 塩竈は僕と一緒に辞めてしまったが、それでもコイツは上手い選手の一人だった。

 完全に才能型でもあるが、それにプラスしてしっかりと努力するタイプ。

 辞めなきゃ良かったのになあ──僕なんかと共に辞めるのは駄目だと僕は思う。


 僕は投げられたスマホからしぶしぶ塩竈が連絡出来る人達の情報を見ていく。

 まあ塩竈のことだから当たり前なのかもしれないが、凄い友達の数だ。

 僕は十人もいないぐらいなのに、コイツは百行きそうな程にいる……てか高一でこれなら、高三の頃には二百とかに行ってしまうかもしれないな……。


 そして友達の名前をバーッと見ていく中で僕はとある名前を発見する。


 それは「水瀬みなせ 結乃ゆの」という名だ。


 *


「近所によく出ていた野良猫がいたのですが、凄くイケメンで、恋していましたね……なかなか撫でさせてくれなくて苦戦したものでしたが──」


 僕は結乃の電話をぶち切った。


「えー! なんで切っちゃうの! イケメン猫の話もっと聞きたかったのにー!」


 と絹衣は何かをぶつぶつと言っていたが、僕はそれを無視して、塩竈にスマホを全力で投げた。


「はい。終わりだ」


「なんか結乃っちゃんのイメージ変わっちまったよ。竜二」


 というかよ──と塩竈。


「お前結乃っちゃんとなんて関わりあったっけ……?」


 それは塩竈からの唐突な問い。

 いやそれは違うかもしれないな。

 どちらかと言えば当然な問い──と言うべきかもしれない。


 僕は塩竈のその問いを予想していなかったが、変な反応はせずにこう答える。


「いやなんか知ってる名前だったから掛けただけだよ」


「ふぅん。ま、知ってるのは当たり前だけどな。小学校からずっと同じクラスだし、めぐとも仲良いしな」


「──そうだったのか、知らなかった」


 戯言。

 本当は知ってた。

 めちゃくちゃ可愛い奴とは気付かなかったし、仲良くなりたいとかは思わなかったが、それでも名前と赤倉と仲が良いことは知ってた。

 まあでも化け物とは知らなかったし、実質彼女のことは知らなかったも同然か──だから小学校の時は赤の他人というカテゴリに入れて正解だろう。


「ああ、僕は他人に興味無いからな」


「…………………そーいえば竜二はそうだった」


「そうだよ。僕はそういう奴だ。お前とは違うんだよ──」


 結局最後は塩竈が同級生の女の子に電話をし、恋愛話を聞いた。

 そしてその後は好みの異性を語り合い、この恋愛話は終わった。


 だがこれも絹衣の成仏に意味があるようには感じられず、絹衣が成仏をすることはなかった。


 昼飯にはカップラーメンを食べた。


 塩竈はカップラーメンを食べた後、横になる。

 横になって言う。


「あああ〜こういうぼーっとする時間が羽衣のしたいことかもな」


「寝たいだけだろーが」


「ふふ。それも大事だと思うよ、私はね」


そして──と絹衣。


「言ってなかったんだけど、私は食欲とかはないけど、睡眠欲というか、睡魔に襲われることはあるんだよね〜食べ物とか飲み物は飲まなくても苦しくないけど、寝ないと苦しくなるんだ──なんでかは知らないけどね」


「はは。もう羽衣は完全に人間じゃん、真人間じゃんか」


「ふふっ、そうかもね──もしかしたら人間なのかもね。私もそう思ってようかな」


 絹衣はとても笑顔でそう言った。

 しかし何故か、僕にはそれが酷く虚しく感じた。

 虚しいというよりは残酷に感じただけなのかもな。

 その言い回しと現実に。


「……………」


 進展していない様に見える現状──実はもう終わりまで来ているというのに、僕は絹衣や塩竈にそれを言うべきなのに言えない。

 変わるのが怖すぎて言えない。

 まだこうして絹衣と三人で笑っていたい。

 有耶無耶な幸せを感じていたい。

 恐怖から口を開いても言葉が出せない。

 言葉を出せなきゃ、塩竈は気付いてくれない。

 僕の言葉を無視してくれないと同様で、まず発さなきゃ気付いてくれない。


 しかし使命の決行日は今日の夜なのだ。

 めちゃくちゃ早いわ……絹衣と別れるのもすぐになるだろう。

 いや勿論絹衣とすぐに離れたいとかそういう訳では無いのだ──それはわかって欲しい。

 出来るならこのままのんびりとしている幸福な時間が続いて欲しいし──だけどそれは不可能なのだ。


 下手したら彼女が完全に死んでしまう──彼女の魂だけは生きているが、それも潰えてしまう可能性がある。


 しかも今が大丈夫だからと言っても、彼女には感情がある。

 痛みを感じるだけの感情がある。

 それを忘れてはいけない。

 今は幸せだが、いつか夏休みは終わる。

 夏休みが終わったら、もうここに毎日来ることは無理なのだ。

 勿論土日には来れるかもしれないが、それでは彼女が可哀想ってもんだ。

 一度会ってしまったからこその苦しみだ。

 正しくこれが。


 塩竈は夏休み中に解決させれなくてもいいって言ってたけど──僕の本心としては夏休み中に解決させたいと思っている……。

 彼女を無事に成仏させたいのだ。

 その責任が僕達にはある──。

 そして何度も繰り返すがそのためにはこの物語には関係無い傍観者が動かなければならない。


 僕は彼女に問うた。


「質問なんだけどさ絹衣。なんかやりたいこと思い付いたか?」


「うーん正直良い答えが返せそうにはない……かも。でもでも! 恋愛はしたいかなーってさっき話してて思ったりはした! やはりある意味人間の三大欲求を持ち合わせている私だ! まーそれが生きていた頃の私のしたかった事なのかは未確定で不確定なんだけども……」


「でもでもやってみるのはありなんじゃないか? 人間なんて失敗で強欲の生き物なんだから──なんでも挑戦するべきだと俺は思うぜ」


「って言っても──どうするの? 恋愛なんて一触即発ぐらいに危険なくせに、簡単に出来ることじゃないんだよ?」


「いやしかしここには男が二人もいるんだぞ、羽衣。さ、竜二──頼んだぜ」


 塩竈が笑いながら僕に手を伸ばしてきたので、僕はそれを手で弾き飛ばした。

 そんな意図は全くもってないのに、それが決戦の合図とでも言いたいのだろう──塩竈が急に立ち上がってきた。

 なので僕も勢いをつけて立ち上がってやる。


 そして──塩竈は僕に飛び掛ってくる。


「俺の手になぁにすんだよ!」


「それはこっちの台詞だ! 僕が何故って感じだし、僕は学校でお前ら以外に友達いないぐらいにボッチ属性が付与してるんだからな! 誰にも好きになってもらったことはないし、誰とも付き合ったことないんだぞ! それならお前だろ! お前は学校にいっぱい女友達がいるだろうが!」


「まあ確かにお前は俺達以外に友達いないし、俺は告白されたことだってあるし、付き合ったことすらあるけど、それでもこの場合──俺が適任ではない気がするんだ!」


 僕は親友なのに知らなかった塩竈の恋路事情とその言い方に腹が立ち、思いっ切り顔面を殴ってやった。


「ふざけんな──!」


 呪術の文字式で身体を無理矢理強化している訳では無いし、大丈夫だろうと思っていたが、予想外で想定外──なんと僕の殴りで塩竈の身体が後ろに飛んだのだ。

 飛んだというより、浮いたみたいな感じだったけど──。

 そしてその落ちていく先にはなんと絹衣がいたのだった。


 塩竈は浮いてる間に下に絹衣がいることに気付いたのか、彼女が怪我をしないように両手を地面に向かってつっかえ棒の様に伸ばし、足を九十度に曲げてから地面に落ちた。


 しかし結果から言うと塩竈のこのつっかえ棒作戦は大失敗に終わった。

 あえて着陸失敗──大爆発とでも言っておこうか。


 足は良かったのだが、地面に着いた両手が全く耐えれずに結局前腕が地面に行ってしまったのだ。

 まあつまり有り体に言うと四つん這いみたいな姿勢になったというわけだ。

 まあここまでなら失敗と言っても些細なレベルだった──じゃあなんで大失敗だったのか。

 

 それは塩竈の左前腕は地面にあるのだが、右手が絹衣の胸に行ってしまったからだ。

 塩竈はそりゃあ驚いたが、何故かすぐには手を離さず──Cカップぐらいのおっぱいを三回揉んでから手を離したのだ。

 三回も丁寧に揉んだのが一番の大問題だった。


 だから総じて大失敗になってしまった。

 そういう評価になってしまった。


 身体の怪我はなかったが、心の怪我はあった──と。

 絹衣はポカーンとしていたが、流石に事の異常さに気付いて赤面、そしてこう言う。


「この──何するの! 変態!」


 そんな赤面の絹衣を見て、塩竈はやっと正気を取り戻したのか「あ、ごめん」と言ってから立ち上がった。


 しかしそれだけで絹衣の気が落ち着く訳でもなく、絹衣は勢いよく立ち上がり、塩竈に向って歩きながら言葉を言おう──とした瞬間、その言葉を言おうと口を開いた時、絹衣の足が急に縺れる。

 足が縺れ、膝が崩れ、地面に倒れる──がその前に塩竈がなんとか絹衣をキャッチする。


 絹衣を抱き抱える塩竈。

 自分の頭を抱き抱える絹衣。

 頭がどれだけ痛いのか想像なんて出切っこないが、「うぅ」と声を漏らしているその姿にはこちらもパニックに陥ってしまう。

 怖い。

 何が起きてるのか分からないから。


「大丈夫──か? 羽衣」


 絹衣は返答しない。

 だけど塩竈は抱き抱えることをやめようとはせず、十秒、三十秒、一分……ずっと抱き抱えていた。

 そして二分ぐらい経った時、絹衣は抱えていた頭から手を離し、自分の胸元にその手を持っていく。

 彼女は言う。


「はぁはぁ……もう大丈夫だよ。もう痛くないから──」


 彼女はそう言って閉じていた双眸をゆっくりと開けた──そして塩竈と目が合う。


 火山が噴火したり、世界に隕石が落ちてきたと同じぐらいの衝撃が何故か唐突に彼女に走った──顔が一気に赤色に染まる。


塩竈君・・・っ!」


「……塩竈、くん?」


「あ、いや! なんでもないから塩竈! ってか助けてくれてありがとうだよ!?」


 動揺、動転──僕が見てもパニックになっていることが分かる絹衣。


「ほら塩竈に抱き着かれたから困惑して困憊こんぱいしちゃって! 変になっちゃってただけ!」


 誤魔化しに、暈し、曖昧にさせてくる。

 まるで僕みたいに──。

 しかし一体何があったのだろうか? 分からない。

 根暗の僕か、根明の塩竈か──どちらが聞くか迷ったが、塩竈も絹衣の動揺とは少し違うが、何故かポカーンとしているので、僕が聞くことにした。


「なあ絹衣──もしかして何か思い出したのか?」


 真相を問うように、真実をまさぐるように、心に容赦なく入り込むように僕は問うた。

 こういうのは神定かんじょう 手紙てがみさんとかのやり方っていうか、得意技なんだけどな。

 神定 手紙さんとまだ会ってから一週間も経ってないし、会った回数も三回ぐらいだが、見様見真似だ。

 出来てるとかは知らない──が予想以上に効果覿面こうかてきめんだったのか、絹衣は僕の言葉に反応を示した。

 だが彼女は頭を横に振りこう言う。


「本当に……何にもないよ……」

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