第1話


「知ってるか? 刺引さしびきトンネルのうわさを──なあ竜二」


 夏休みが始まってから二週間が経たないぐらいの日の朝──新聞配達のバイトをしている時、塩竈がこう言ってきた。

 黒髪の短髪、奇をてらっていない白色のテーシャツと短パンという夏服、ヘラヘラとした様子、頭は良いが、何事も軽く考えてしまう癖のある少年──塩竈しおがま 太和たいわ


 僕はその噂のことを知らなかったが、それはきっと僕に友達があまりいないからだろう。

 しかしそれを塩竈に言うのはなんともしゃくに障るというもので──だから僕は誤魔化した。

 有耶無耶うやむやにして、曖昧模糊あいまいもこにして、ぼかす。

 いつも通りに。


「知ってるわ。流石にそれを知らないって言うのは有り得ない話だしな。その話は誰もが知るヨハネス・フェルメールの作品である『牛乳を注ぐ女』は実はメイドさんを称賛しているんじゃなくて、メイドさんの女主人の『女性の美徳』を称賛しているって話より有名だろうが」


「どういう話かと言うとな──」


「いやだから知ってるって言ってんだろうが!」


 とは言ったものの相手はあの塩竈だ。

 コイツ以前に勘が冴え過ぎて「鋭塩えいえん」っていうあだ名が付いてたことあるぐらいだしな。

 誤魔化せないか──僕の微妙な曖昧さなんかでは太刀打ち出来ないというわけだ……。


「まあ黙って聞けよ」


 もうこれ以上抗うのも無駄に近いので、僕は黙って頷いた。


「刺引トンネルの中って昼間は真っ暗にならないぐらいの短さなんだけど、通っていると急に寒くなって、昼間なのに辺り一面が暗くなって、なんと、なんとな──後ろを振り返るとそこには作業服の男がいるんだ! それは刺引トンネルの工事中に事故で死んでしまった作業員らしいぜ」


 両手を大きく広げ、大声を張ってくる──真剣な表情、双眸そうぼうで。


「んん、一つ疑問なんだけど、それって夜じゃなくてもいいのか? 怪談って夜限定感あるのにさ」


「そうらしいぜ。刺引トンネルの事故で死んでしまったって言ったが、その死に方は上から急に瓦礫が落ちてきてらしいしな──多分一瞬で真っ暗になったんだろうな。だから昼でも、いつでも良いんだ。出てくる時はこちらが相手の暗闇世界死後の世界に連れて行かれるのだろうな」


 そして──と塩竈。


「行かないか? 夏なんだしさ、肝試しに」


 まあここまでの話の展開は読めていたので僕は迷いなく速攻で断った。


「いや無理だ」


「えぇ、なんでだよ。仕方ないなあ、とっておきの情報だ。なんとその刺引トンネルの奥にはなんと廃墟もあるらしいんだぜ。ま、その廃墟は雰囲気の割に特に何も出ないってことで有名なんだけどな」


 塩竈は人差し指を天に向かってピンと上げ、笑ってくる。

 自慢げの塩竈に僕は多少の呆れを覚えながら、言葉を発する。


「僕はそんな怖い所に行く度胸を持っていないから却下だ」


「度胸試しも兼ねてる訳だ──な、そこまで重く考えるなよ。気軽に楽しもうぜ」


 悩む。

 僕は先程までしていなかった思考という行為をする。

 気軽に楽しむ──確かにそれは一つの選択肢としてはアリだと思う。

 今現在、僕は高校生になり、初めての夏休みを迎えているという訳だしな。

 夏らしいイベントを体験したい気分だ。


 しかしそれよりも僕には大事な理由があるのである。

 僕はつい先日、水瀬みなせ 結乃ゆのと出会い、個々を確認し合い、そして彼女に約束をしたのだ。

 理由とは正しくその約束だ。

 僕は「結乃が取り留めのない明日を手に入れるために僕は人生を賭ける」と約束をしたのだ。

 あの約束を守るというのは大層な度胸が必要になると思うのである──だから塩竈の言った「度胸試し」に乗ってやるというのも必要なのかもしれない。

 大事な流れなのかもしれないな、これは。


 度胸試しか──仕方ないな。

 よし、乗ってやろうじゃあないか。

 塩竈とその彼の何事も軽く考えてしまう癖に。


「よし──じゃあ仕方ない、僕も行ってやるよ」


「お! マジか! じゃあ一旦解散して、今日の夜に──」


 僕は身振り手振りを一切しないでその塩竈の発言に自分の言葉を重ねる。

 重ねて声量で押し潰す。

 気障きざっぽく笑いながら。


「じゃあ今から行こうかっ!」


 ほら行くぞ──と僕は塩竈の手を取り、刺引トンネルがある方向に向かって走り始めた。

 夜は危険だから昼間の方がいいよな!?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る