――二月二十八日――
休み明けの月曜日、状況は一変していた。
朝、紫杏が二年四組の教室に入るなり、中にいた全員が顔を上げた。
――え、何……?
妙な雰囲気だった。ドアを開けたのが紫杏だとわかると、皆すぐに視線を外したが、何やらひそひそ、ざわざわしている。
困惑しながら席に着いた紫杏に、貴美恵が小声で話し掛けた。
「ねえ、今朝林崎くんと会った?」
「ううん。どうして?」
「メール来たでしょ」
「メール? 林崎くんから?」
「違うよ。差出人不明のメール。紫杏のところに来なかった?」
「どんなメール?」
喜美恵は少しばかり言いにくそうにした。
「……何か、林崎くんのこと、色々悪く書いてあった」
「……!」
紫杏は思わず口を押さえた。
「どうして……どういうこと?」
「林崎くん、坂巻さんの魔力を封じちゃったんだって。その点は英雄だよね。でも、何か林崎くんが、人一倍高い魔力をいいように利用して、好き放題やってるとか……坂巻さんも、女子で一番だったから標的にされたんだろうって」
「何、それ……。誰がそんなことを」
「だからあ、差出人はわからないんだってば」
「そりゃ、名前出したらやばいじゃん?」
そばで聞いていた男子が割り込んで来た。
「わざわざ恨み買うようなもんだよ。坂巻の二の舞だ」
貴美恵が眉間にしわを寄せた。
「ちょっと、それ、本気で言ってる? まだ本当かどうかわからないじゃない。あんなにおとなしい林崎くんが、あり得ないよ」
「火のないところに煙は立たないだろ。人は見掛けによらないとも言うし。今まで悟られないようにしてただけで、林崎は……あ」
ざわついていた教室が、水を打ったように静かになった。
――林崎がドアの外に立っていた。
「お、おはよう、林崎くん」
何人かが気まずそうに挨拶する。
「おはよう」
林崎は微笑んで答え、自分の机に向かった。進路にいた男子がさっと道を空ける。
「チャイム鳴るぞ、みんな席に着け」
担任の栗田が入って来て、生徒たちを見渡した。
「日直、出席取っといてくれ。今日は自習だ。あ、林崎はちょっと職員室に来い」
「――はい」
林崎が栗田と一緒に出て行くと、教室には再び話し声が溢れた。
「林崎が先生に呼ばれた」
「メールの件で?」
「先生にも届いてたのかな」
「誰か言い付けたんじゃない?」
「あれって本当なの?」
「今日、坂巻さんお休みみたいだし、本当っぽいかも」
「やるよなー、人の魔力を封じ込めちまうなんて。しかも相手はあの坂巻だぜ。あいつですら太刀打ち出来ないほどの魔力って、半端じゃねーよ」
「林崎くんて、すごい人だったんだね……」
紫杏はぎゅっと目をつぶった。
「じゃあさ、メールにあった他の話も全部事実ってことか?」
「だとしたら怖過ぎる……。坂巻さんなんて問題にならないよ」
「ほら、前の中学も、揉め事起こして退学になったとか……」
とても耐えられなかった。休み時間になるのを待って、紫杏は教室を抜け出した。
――どうしよう。このままじゃ……このままじゃ、林崎くんが……。
不安で不安で、神経がどうにかなりそうだった。
――助けて、誰か――。
廊下の角を曲がった瞬間、冷一の後ろ姿が目に入った。
「冷くん!」
紫杏はその背中に飛び付いた。
「うわっ!」
冷一は持っていた本を落としそうになり、慌てた様子で首を回した。
「何だ、紫杏か。おどかすなよ」
冷くんの方が驚くなんて珍しい、と紫杏は思った。
「どうした?」
紫杏の腕をほどいて向き直りながら、冷一が尋ねた。一応心配してくれていることはわかるのだが、冷一の言い方は相変わらず無愛想で、それが妙に懐かしくてほっとした。
「冷くんこそ、どうしてたの? この一週間、全然会わなかった気がする」
「そういえばそうだな。前の週はあれだけ顔合わせてたのに」
「肝心な時にいつもいないんだから」
「何かあったのか?」
「あったよ、いっぱい。私、もう、どうしたらいいかわからなくて……。このままじゃ、また……」
――また、林崎くんが、どこかへ消えてしまう……。
冷一は紫杏の肩に両手を置き、そっと覗き込んだ。
「とりあえず――屋上行こう」
冷一の魔法はまだ機能しているらしく、屋上は日向でも震えるほど寒かった。
フェンスの陰に並んで座り、紫杏は冷一に、先週から今日までの出来事を語った。
聞き終わると、冷一は腕組みをして頷いた。
「そのメールなら俺のところにも来たよ」
「本当に?」
「休みの間に何度か来た。細かい内容は忘れたけど、最初は確か、林崎が坂巻の魔力を封じたって話で、林崎は女子で一番だった彼女を目障りに思ってただの、林崎自身は不正をして一番になっただの、注意した上級生に楯突いて散々な目に遭わせただの――誹謗中傷の数々が。あいつは前の学校で揉め事起こして退学になって、それでうちの中学に転校したんだ、なんてのもあったな」
紫杏は両手を握り締めた。
「どうしてそんなメールが……。明堂先輩は、噂が広まらないように気を付けてるって言ってたのに」
「明堂先輩が? ――でも、坂巻は知ってた」
「うん。林崎くんが不正をしたって噂も、三年生たちとのことも……」
「坂巻が魔力を奪われた話も、本人なら誰に聞かなくたってわかるし。そうなると、メールを出したのは坂巻だって可能性が高いな」
冷一が考え込む。
「メールは学校中にばらまいたみたいなのに、お前に届かなかったのは、全部知ってる相手には送る必要がないからだろう」
――確かにそうだ。林崎くんが坂巻さんの魔力を取り上げた時、あの場には他に誰もいなかった。私と深紅と、明堂先輩だけだ。坂巻さんの他に、言い触らす人なんていない。
「でも、坂巻さんはもう、魔法が使えないはずじゃ……」
「魔法なんか使えなくたってメールは出せるよ。アドレスだって、いくらでも調べようはある――仲間がいるのかもしれないし。逆に、魔法が使えないからメールを使ったってことも考えられる」
冷一は空を仰ぎ見た。
「俺なら、別に魔法が使えなくなっても不自由しないけど――坂巻は今まで随分魔法に頼って来たんだろうから、恨みも深いのかもな」
「のん気な言い方しないでよ。林崎くん、職員室に呼び出されてたんだよ」
「あんなメールをまるごと鵜呑みにはしないだろ。事情を聞けば、林崎だけが悪いんじゃないってわかるはずだ」
「そうかな……」
「大丈夫だよ。そんなに心配するな」
「……うん」
チャイムはとっくに鳴っていたので、紫杏と冷一は急いでそれぞれのクラスに戻った。
紫杏がドアを開けると、教室ではまだクラスメートたちがぺちゃくちゃしゃべっていた。林崎の席はまだ、空いたままだ。
心配するなと言われても無理だった。紫杏は心配で堪らなかった。空っぽの机を見ていると、不安が募る。彼がいなかった一週間を思い出してしまう。そして、昨日夢で見た場面を。――林崎くんがいなくなって、どこを探しても見つからなくて……。嫌だ。もう二度と、あんな思いはしたくない。林崎くん――早く戻って来て。
――けれど、林崎がその日、再び教室に姿を見せることはなかった。
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